第28話 男たちの尋問と絶対的な守護者
翌日。二時間目の休み時間。
「……逃がさねえぞ、佐藤」
その声は、地獄の底から響いてくる怨嗟の唸りのようだった。
移動教室のために立ち上がった雫が女子数人に呼び止められ(どうやら「佐藤君との馴れ初め」を詳しく聞きたいらしい)、俺が一人で廊下に出た瞬間だった。
背後からガシリと両肩を掴まれる。振り返るまでもない。この、親の仇でも見つけたかのような殺気は、隣のクラスのイケメン男子――北条だ。
「さあ、佐藤。体育館裏……とは言わない。視聴覚室まで来てもらおうか。……『尋問』の時間だ」
北条の背後には、同じクラスの男子、さらには隣のクラスの面々までが、まるで『正義の執行人』のような顔をしてズラリと並んでいた。
俺はため息をつきながら、大人しく彼らに連行されることにした。ここで逃げても、放課後まで追い回されるのは目に見えている。
連行された先は、三階の廊下の突き当たりにある視聴覚室だった。普段は人通りが少なく、備品の棚や古びたポスターが並ぶ、妙に薄暗い空間。
俺を囲む男子生徒は、全部で十人ほど。中心に立つのは、学年でも指折りのモテ男として知られる北条だ。彼は腕を組み、冷ややかな、しかしどこか必死な眼差しで俺を射抜いた。
「さて、佐藤。単刀直入に聞く。……お前、氷室さんにどんな呪いをかけた?」
「呪いって……。人聞きが悪いな、北条」
「でなければ説明がつかないんだよ!」
北条が、バン、と壁を叩いた。その勢いに俺は少し仰け反る。
「あの氷室雫だぞ!? 入学以来、誰の告白も秒で切り捨て、ラブレターは未開封のまま返却(という噂だが)。男子が半径一メートル以内に近づこうものなら、絶対零度の視線で心臓を凍りつかせる――あの『氷の令嬢』がだ! よりにもよって、クラスで目立たないお前と手を繋ぎ、挙句の果てに『あーん』だと!? これはもう、国家レベルの陰謀か、禁断の魔術の類だろう!」
「そうだそうだ!」と後ろの野郎共が唱和する。まるで異端審問の会場だ。
「……魔術なんて使ってないよ。ただ、ちょっとしたきっかけで仲良くなって、その……流れでそうなっただけだ」
「その『きっかけ』を言えと言っているんだ!」
北条が詰め寄ってくる。その顔は、嫉妬というよりは「世界の理が壊れたことへの恐怖」に近い。
「いいか佐藤、俺は去年の冬、勇気を出して彼女に声をかけた。最高級のチョコレートと、三日三晩考え抜いた愛の言葉を添えてな。だが、彼女は何と言ったと思う? 『……邪魔です。そこを退いてください』だぞ! 俺の心はあの日、粉々に砕け散ったんだ。それなのに、お前は……お前は彼女を『雫』と呼び、彼女にお弁当を食べさせている。この差は何だ! スペックか? 家柄か? それとも、夜な夜な怪しげな儀式でもしているのか!?」
「儀式はしてないし、スペックも見ての通り普通だろ。……ただ、強いて言うなら」
俺は少し迷った。彼らに真実――「彼女が実は極度の生活能力ゼロで、腹ペコで倒れそうだったのをチャーハンで助けた」なんてことを言えば、雫の尊厳に関わる。
けれど、彼らのあまりの剣幕に、何か一つくらいは納得のいく理由を提示しなければ、解放してもらえそうにない。
「……彼女、意外と寂しがり屋なんだよ。学校ではあんな感じだけど、本当は誰かと一緒にご飯を食べて、笑いたい。……そんな普通の女の子なんだ」
俺の言葉に、周囲が静まり返った。
男子たちは顔を見合わせ、信じられないといった様子で呟く。
「……氷室さんが、寂しがり屋?」
「あの、目が合っただけで凍死されそうな彼女が、笑いたいだなんて……」
「佐藤、お前……幻覚でも見てるんじゃないか?」
彼らにとって、氷室雫は完成された「彫像」のような存在なのだ。その内側に血が通い、感情が揺れ動いているなんて、想像もつかないのだろう。
「ふざけるな、佐藤!」
北条が再び声を荒らげた。
「そんなありきたりな理由で納得できるか! 俺だって、彼女を笑わせようと、一発五万円のジョークを……じゃなかった、洗練された会話を試みたさ。だが、彼女は眉一つ動かさなかった。お前が彼女の何を知っているというんだ。お前にあって、俺たちにないものは何だ!」
北条が俺の胸ぐらを掴もうと、右手を伸ばした――その時だった。
「そこまでにしてくれないかしら。私の悠真君が困っているわ」
低く、透き通った声が、視聴覚室に響き渡った。
男子たちが一斉に道を空ける。
彼女は一歩ずつ、優雅な足取りで俺の元へ歩み寄る。その瞳には、かつての他者を寄せ付けない「氷」はない。代わりに宿っているのは、大切なものを守ろうとする強い意志と、俺に向けられた隠しきれない慈愛の光だ。
そして、北条の目の前で足を止める。
彼女の身長は北条より低いはずなのに、その威圧感は彼を完全に見下ろしていた。
「ひ、氷室さん……。でも、こいつ、不釣り合いですよ!」
「不釣り合い? ええ、そうね。悠真君は私にはもったいないくらい、素敵な騎士様よ」
雫は、躊躇うことなく俺の隣に立ち、その細い腕を俺の腕に絡めてきた。
「…………っ!?」
教室内から、悲鳴に声が上がる。
雫は俺の肩に頭を預けるようにして、北条と周囲の男子たちを静かに見据えた。
「私の冷え切っていた心を溶かし、温かなご飯と居場所をくれたのは、世界で彼だけ。……あなたたちの中に、私に毎日美味しい生姜焼きを作ってくれる人がいるかしら? 私の汚した部屋を、文句を言いながらも一緒に片付けてくれる人はいる?」
「……そ、それは……」
「いないわよね。……だから、悠真君は私の特別な人。私のすべてを預けている人なの。……邪魔をしないで。私は、彼と過ごす放課後が待ちきれないんだから」
雫のあまりにもストレートな、そして圧倒的『「惚気』に、男子たちは戦意を喪失したように崩れ落ちた。
雫はそこで言葉を切り、北条の瞳をじっと見据えた。
「あなたがくれたチョコレートの味は覚えていないけれど、彼が私のために作ってくれる一皿の料理は、私の命そのものなの。……もし、これ以上彼に無礼な真似をするなら。……氷室家の名にかけて、それ相応の覚悟をしていただくわ」
それは、脅しではなく、決定事項だった。
ビジネスの世界で百戦錬磨の父親を持つ彼女が、その血を引いていることを痛感させるほどの冷徹な宣言。
「……ひっ」
北条は、もはや言葉を返すことすらできなかった。彼は蒼白な顔で何度も頷くと、
「……し、失礼しましたあぁ!」と絶叫し、逃げるように走り去っていった。他の男子たちも、それにつづいて一瞬で消え去る。
視聴覚室には、再び静寂が戻った。
「……ふぅ。……驚いたな」
俺が緊張を解いて肩を落とすと、さっきま『「無敵の令嬢』だった雫が、ガクガクと膝を震わせ始めた。
「……ゆ、悠真君……」
「あ、おい、大丈夫か?」
俺は咄嗟に彼女の肩を支える。雫はそのまま俺の胸に顔を埋め、深いため息をついた。
「……怖かった。……すごく、怖かったわ。あんなにたくさんの人に囲まれて……心臓が止まるかと思った」
「……お前、あんなにカッコよく啖呵を切っておいて」
「だって……悠真君が、ひどい目に遭わされてると思ったから。……私、精一杯、怖い顔をしてみたの。大丈夫だったかしら? 変な顔になってなかった?」
雫が、俺の胸元から潤んだ瞳で見上げてくる。
さっきまでの、あの「氷の令嬢」はどこへ行ったのか。
今の彼女は、ただ自分の大切な人を守りたくて、必死に背伸びをしていただけの、一人の健気な女の子だった。
「ああ。最高に怖かったし、最高にカッコよかったよ。……ありがとうな、雫」
「……ううん。……私が、彼を刺激したせいだもの。……でも」
雫は、俺のシャツの裾をギュッと握りしめた。
「だから……もしまた誰かに何か言われたら、いつでも呼んで。私が、何度でもあの子たちを凍らせてあげるわ」
雫はそう言って、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
その笑顔は、さっきの北条たちが一生かかっても見ることのできなかった、とびきりの無防備な素顔だった。
「……そうだな。頼りになるガーディアンがいて助かるよ」
「ふふ。……ご褒美に、今日の夜は、またあの……『牛丼』っていうのを、食べたいわ。大盛りで」
「わかったよ。とびきり旨いのを作ってやる」
「悠真君。……放課後、すぐにお買い物に行きましょうね?」
「……ああ」
俺たちは手を繋ぎ、次の教室へと向かう。
廊下ですれ違う生徒たちが、驚愕の表情で俺たちを凝視するが、もう気にならない。
俺の大切な人は、世界で一番冷たくて、世界で一番温かい人だった。




