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第11話 絶体絶命! クラスメイトとの遭遇

心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。


背後から投げかけられたその声は、間違いなく俺たちのクラスメイト、田中のものだった。田中はクラスでもお調子者で、噂話に目がない。そんな彼に見つかるということは、明日には学校中の掲示板に『佐藤、氷の令嬢とお買い物デート!?』という特大のニュースが躍ることを意味する。


「……っ」


俺の隣で、氷室雫の身体がビクリと強張る。

彼女も気づいたのだ。今、自分たちがどれほど危うい崖っぷちに立たされているかということに。


「おい、佐藤だろ? そんな大量の袋提げて、どこ帰りだよ」


田中の声が近づいてくる。足音からして、あいつ一人じゃない。おそらく取り巻きの男子が数人いるはずだ。

 

俺は、今この瞬間に発揮できる全知全能の思考をフル回転させた。逃げるか? いや、今さら不自然に走り出せば逆に怪しまれる。かといって、振り返れば隣にいる絶世の美少女がバレる。

 

絶体絶命。

冷や汗が背中を伝ったその時だった。


ぐいっ、と。

左腕に、強烈な力がかかった。


「……えっ?」


雫が、俺の左腕を両手でギュッと抱き寄せたのだ。

それだけではない。彼女はキャスケットのつばを極限まで下げ、俺の背中に隠れるようにして、その顔を俺の肩口へと埋めてきた。


「…………っ」


耳元で、彼女の荒い吐息が聞こえる。

厚手のコート越しでも伝わってくる、雫の身体の柔らかさと、驚くほどの熱量。

彼女の艶やかな黒髪が俺の首筋をくすぐり、石鹸の香りが、冬の冷たい空気の中で濃密に立ち上った。


「……佐藤君。……動かないで」


消え入りそうな、震える声。

俺の腕を掴む彼女の指先には、尋常ではない力がこもっている。

 

「おーい、佐藤! 無視すんなよー」


田中たちが、ついに俺の数メートル後ろまでやってきた。

俺は必死に表情を「無」に作り替え、ゆっくりと首だけで振り返った。雫は俺の背後に完全に隠れ、傍目からは「派手な格好をした連れの女性が、恥ずかしがって隠れている」ようにしか見えないはずだ。


「……なんだ、田中か。買い物だよ。今日の夕飯の買い出し」


「うわ、すっげぇ量。お前、一人暮らしなのにそんなに食うのかよ」


田中が、俺の両手に提げられたパンパンのレジ袋を見て目を丸くした。

その隣にいた別の男子が、ニヤニヤしながら俺の背後にしがみついている雫に視線を向けた。


「おいおい、佐藤。そっちの『お姉さん』は誰だよ。……もしかして、彼女か?」


「なっ――」


心臓が止まるかと思った。

雫の身体が、さらに強く俺に密着する。

彼女の吐息が、俺の耳朶を熱く濡らした。


「……見つかったら、終わりね……」


震える囁き。その一言だけで、俺の理性が焼き切れそうになる。

密着した彼女の胸の鼓動が、俺の腕を通してドクドクと伝わってくる。それが俺自身の鼓動なのか、彼女のものなのかも判別がつかない。


「……いや、親戚だよ。今日、ちょっと用事でこっちに来ててさ」


「へぇー、親戚ねぇ。でも、なんだかすごくお洒落な人じゃないか? モデルさんみたいだぞ」


「いいから、ほら。こいつ、人見知りが激しいんだよ。……じゃあな、俺は急ぐから」


俺は強引に会話を切り上げ、田中たちの横をすり抜けるように歩き出した。

雫は俺の腕にしがみついたまま、小股で俺の歩調についてくる。彼女の顔は一度も上がらず、ずっと俺の背中に押し付けられたままだ。


「なんだよ、冷たいなー。今度紹介しろよな、その美人な親戚さん!」


背後から聞こえる田中の声を、俺は全力で無視した。

角を曲がり、彼らの姿が完全に見えなくなるまで、俺たちは一言も発さなかった。


ようやく、人気のない路地裏に入った。


「………………はぁ」


俺は、我慢していた息を大きく吐き出した。

腕にかかっていた力が、ゆっくりと抜けていく。

雫が、俺の背中から顔を離し、一歩、後ずさった。


「…………生きた心地がしなかったわ」


雫はキャスケットを脱ぎ、乱れた黒髪を手で整えた。

その顔は、いつもよりずっと赤く、熱を持っていた。

彼女の黒色の瞳は、涙目といっていいほど潤んでいる。


「……ごめんなさい、佐藤君。咄嗟にあんな……」


「いや、いいよ。……見つかるよりは、ずっとマシだった」


俺は、まだ彼女の体温が残っている左腕を、無意識にさすった。

あんなに強く、必死に求められるようにしがみつかれた感触が、脳裏から離れない。

吊り橋効果、なんて言葉があるが、今の俺の状態はそれどころではない。

 


「……帰ろう。冷えてきたし、これ以上誰かに会うのは勘弁だ」


「……ええ。そうね」


雫は、今度は俺の袖を掴まなかった。

代わりに、少しだけ俺の斜め後ろを、まるで寄り添うようにして歩き始めた。

 

二人の間に流れる空気は、スーパーを出た時とは明らかに違っていた。

ただの隣人。ただの契約関係。

そんな言い訳が通用しなくなるほど、あの密着した一瞬は、俺たちの距離を決定的に変えてしまっていた。

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