終
産業医は白衣を翻して座った。
「君は首の事件にことごとく関係するね。悪いことは言わない、早いところ、探偵を名乗った方がいい。こうも事件に居合わせ続けると、可能性は二つにひとつだ。犯人にされてはたまらないだろう? 先手を打っておくといい。まあ、探偵が犯人だったというケースも、あるにはあるがね」
桜井の前には温かいドリップコーヒーが置かれている。
「配送業者の男が捕まったよ。銀葉という男だ。薬物の運び屋だったようだね。君のところの倉庫は、業者間の中継地点にされていたわけだ。炭の箱に詰められていたらしい。用意周到なこった。犯人が捕まったとはいえ、君のところの責任は厳しく追及されるだろうね。薬物だから。所持するだけでもえらい大問題だ」
笑いこそしないものの、他人事だと思って、医師はおどけていた。
「銀葉という男だが」
コーヒーを啜りながら言った。
「フェイク・ボディだったらしい。銀葉というのは、旧世代の首の機種名と一致する。おっと」
コーヒーが苦かったようで、医師は立ち上がり、ミルクと砂糖を次々と放り込んだ。
「男は自分が捕まると、黒江という女性を売ったそうだ。共犯だったとね。当人は逃げているが、黙ってやるほどソウルメイトではなかったらしい。それと、鷺矢という君の同僚だった男も、違法な仕事に一枚噛んでいたようだ。理由があって殺されたのかもしれない」
コーヒーの味がまとまったようで、医師は頷いている。
「黒江には息子がいて、残念なことに、急性の薬物中毒で死亡している。赤根事件の半月ほど前だ。死亡したとき、同級生が数名居合わせていたが、助けを呼べる状態ではなかったそうだ。同級生らを逮捕する段取りが警察内部で進んでいた矢先に、赤根事件は起こった。奇しくも、同級生ら全員が、赤根事件の被害者になっている」
医師は困ったように笑った。
「何か意図があってそうなったように思えてならない」
赤根の悲しみに暮れる泣き顔が、ふいにフラッシュバックした。
「黒江さんの娘に、会いました」
「それはいつ?」
「昨日です」
「どこで」
「黒江さんのご自宅で」
「それはおかしい」
桜井は表情で医師に言葉の先を尋ねた。
「黒江に娘はいない。一人息子だったんだ」
***
「君は何を見たのか……」
医師が簡単に調べただけでも、昨日、桜井が立ち寄った場所は空き地で、誰の家も建っていなかったことがわかった。
端末を覗き込む桜井。
そこは更地だった。
石塀どころか、建物の全景、表札、インターホン、そして娘だという若い女性までフェイクだった。
「それが本当なら相当なハッキング能力だ。にわかには信じ難いが……」
医師は桜井の体を睨んで言った。
「赤根事件のこともある。まだ完全にクリーンではないのかもしれんな。あるいは、薬物か」
医師は頭の上で手を振る。
「わざわざ調べんよ。見つかっても、事が事だ。警察が絡むと時間ばっかり取られて割に合わん」
***
「それと」
医師は思い出したように口火を切った。
「黒江は20年ほど前に、自尽組合に志願している」
桜井は驚いた。
リアクションの薄い桜井にしては、見た目に大きく反応してしまったらしい。
医師がすぐに補足する。
「志願だけ。自死は執行されずに、家族のもとに帰ったと記録がある」
「そうですか。びっくりしました。私が数ヶ月、一緒に働いていた彼女もフェイクだったのかと」
「あはは、それはないだろう。だが……」
医師は言葉を切らなかった。
「自尽組合を介する前と後で、同一人物であったかは、定かではない」
***
「銀葉と同時期に流通していた黒枝という首がある。商品名だ。これはカラーシリーズといって、茜シリーズから端を発する。名前に色が入っていてね。そこまで流行はしなかったが、特定の職種に流通させることで、ノウハウを共有し蓄積するというコンセプトだったんだ。銀葉は物流や土木建築、黒枝は秘書業や事務士業、そして茜は性産業。もう一つ透花という、製造業や開発エンジニアの専科をもつ首があったが、これは企業が技術を専有、秘匿したい意向から、あまり流行らなかった」
「旧世代の首たちが、今になって、悪さをしていると?」
「偶然とは思えない」
医師は斜め上を見て、首を横に振った。
「まあ、あまり勘繰っても仕方がないな」
***
「それから」
医師はまだ話し足りない様子だった。
「実は、赤根事件の生存者の一部に、嗅覚異常の後遺症状が出ているとの報告がある」
「本当ですか?」
「仮説だが、赤根ウイルスに感染した首に何らかの変異が起き、バックグラウンドで常に一定の演算が回り始め、その信号をキャッチすると、知覚が誤作動するのではないかと」
桜井はほとんど話についていけなかった。
「この演算は、王冠や顔二つ、それから首の誉の使用者にも同様に見られることがわかっている。どうやら、首が指示にない思考をしているらしいんだ。主人とは異なる興味やこだわりをもって、勝手な発想を繰り返している」
「首が自我を……」
「思い当たる節があるかね?」
***
「煙草臭っ」
家に帰るなり、妻が言った。
桜井は首を横に振る。
今日は煙草を吸う人の近くに寄っていない。
「先にお風呂入っちゃって」
服を脱いで裸になる。
だらしない身体が鏡に写っている。
老けたものだ。
脱いだ服のポケットを空にする。
ハンカチ以外の何かが、床に落ちた。
拾い上げるとそれは煙草の吸い殻で、赤黒い口紅の跡がついていた。
そういえば宍戸のやつ、どうなったんだろう。
うまくいけば、すぐに連絡をよこす奴だ。
きっと、落ち込んでいるのだろう。




