13
納品の仕事をすると、黒江のことを思い出した。
助手席で煙草をふかす横顔。
煙の匂い。
会話。
「首に頼り過ぎるなよ」
馬鹿になる、か。
馬鹿だから頼っているのに。
そもそも今時、首に頼らず運転なんかできない。
人がハンドルを握ってはいけないのだ。
道を覚えるくらいがせいぜいだが、そんなことをして何の意味がある。
そう思いながら、桜井は地図を眺めた。
蒼月が眼前に見せている仮想モニターだ。
地図上の情報と、実際の風景を照らしながら走る。
まったく同じ風景が流れている。
地図を用いて仮想旅行ができるほど、精巧なデータだ。
微細な変更も、リアルタイムに反映されてーー。
「止まって」
『なぜ?』
「いいから」
蒼月は緊急停止した。
路肩に寄り、他の車に注意喚起する。
「あの壁、地図と違う」
桜井は車から降りて、歩道を駆け出した。
来た方へ戻っていく。
鎖で封された空き地に入る。
奥の突き当たりの壁。
データでは木製の柵になっている。
実際には、石塀だった。
家の屋根が頭を出している。
どうやら民家の裏側のようだ。
瓦がところどころ傷んでいる。
古いつくりだった。
桜井は近づいて壁に触れる。
指が、すり抜けた。
石のざらざらした感触を想像していたが、実際には無だった。
『ハックを検知しました。修正します』
蒼月が言うと、石塀は色をなくし、掠れ、やがて消え失せた。
民家の背中があらわになった。
脇を抜けて、前に回る。
『不法侵入では?』
蒼月の言葉を無視して、玄関の前に立つ。
靴の泥を落とす、針金でタワシが編みこまれたマット。
金属の格子に、すりガラスの引き戸。
木の表札。
そこには、黒江の二文字。
インターホンに指をかける。
力を込める。
中から女性の声がする。
心臓が跳ね上がった。
人の足音が近づいてくる。
玄関が開く。
「誰、あんた?」
知らない女性が立っていた。
ピアスだらけの、若い女性。
桜井は言葉に詰まる。
「あの、黒江さん?」
「そうだけど」
「えっと……」
桜井は頭をめまぐるしく回転させた。
しかし、諦めた。
「間違いでした、失礼します」
そう言って踵を返す。
そそくさと、その場を立ち去ろうとすると。
「あ、待って。えーっと、もしかして桜井さん?」
「え?」
振り返る。
鋭い眼光が少しだけ緩み、ピアスの重さに引っ張られている唇が若干持ち上がっていた。
「そうです。桜井です」
「ママが、うちに来るかもって言ってたの」
女性は笑う。
笑うとなお、若々しく、幼ささえ感じられた。
「ママ、ってことは、娘さん?」
「あははは。そうでーす」
何が面白いのか桜井にはわからなかったが、つられて笑みを浮かべてしまった。
娘がいたのか。
「えーっと、何て言えばいいんだっけ?」
彼女は自身の首に話していた。
しばらく黙って頷いていた。
そして、おもむろに口を開いて、言う。
というより、読んだ。
「残念でした、私はもうここにはいません。まさかこっちで会いに来るとは。意外とハードボイルドだったんだね」
女性は棒読みだった。
「だって!ママから伝言!」
そう言って、玄関をピシャリと閉められてしまった。
引戸の向こうで、女性はまだ笑っていた。
桜井はしばらくその場から動けなかった。




