⑨ とまらないドキドキ
「これは、これは、希代随一と呼ばれる若旦那だ」
パンパンと手を叩く音が聞こえた。
硬直していた私は、そのまま若旦那に肩を抱かれ、そちらを見る形となった。
「どうぞ、こちらへ」
辰蔵親分が立っていて、うやうやしい所作で、ステージ奥のドアへいざなう。
その後ろには、若頭、他数名の組の者たちが並び、異を言わせぬ雰囲気だ。
いつもの容姿に戻った若旦那は、冷たい表情を浮かべ、そして、眉を下げていた私に、大丈夫、と小さく囁いた。
「若菜会の様子を見に来てみれば、妖力をひけらかす輩がいて、誰かと思えば、まさか、君だったとは。驚いたよ、綾人くん」
案内されたのは、菊の間と呼ばれる部屋。
イエロー調の絨毯が敷かれ、壁には格天井に届くほどの大きな窓が並び、木漏れ日をうけて光沢を増すサテン調のベージュのカーテンが飾られていた。
全体的に明るく、華やかな室内。
そこに黒、一点。
黒い紋付羽織袴に、腰には脇差を差した人間姿のお武家が椅子に座っていた。
「大野様」
その人見ると、若旦那は姿勢を正した。
知っている人のようだ。
「君が、あからさまに妖力を誇張するなんて、珍しいね」
「面目次第もございません」
頭を垂れる若旦那。
(妖力を、ひけらかす?)
心の中で首を捻りながら、私も、一緒になって頭を下げた。
若旦那が妖力強めなんて、北町界隈では、あの美貌と同じくらい有名な話。
なのに、わざわざひけらかす必要なんてあるの?、と思った。
(若菜会には、他の界隈の人も来てるから、なのかな?)
そう思って、大野と呼ばれた男を見た。
スゴイ目力。
見た目は人間そのものだけど、目が違う。
アースグレーの、妖特有の縦の瞳孔。
目が合っただけで、すくみ上ってしまいそうな、そんな圧がある。
「いやいや、小言を言いに来たわけではないよ。異種族との関りには、揉め事はつきものだ。それに、今日は、若菜会。己を自慢したい奴もいるだろう。ただそれが、いつも冷静沈着な君だったのが、意外でね」
そう言って、大野は顔を少し上げ、クンクンと匂いを嗅ぐような仕草をした。
「そちらは?」
若旦那の斜め後ろに立っていた私。
射貫くような鋭い目を向けられ、思わず、息が止まった。
それくらい、強い眼差し。
否が応でも、悪い意味でドキドキと心臓が高鳴る。
「菓子屋の、此花堂の方です」
「は、初めまして。サクラといいます」
若旦那の言葉に続いて名のり、頭を下げると、背中に冷たいものを感じた。
「あぁ、君が、フィナンシェの。そうか」
そう言って立ち上がり、近づいて来た。
(こ、怖いっ!)
ドクンドクンと胸の高鳴りが大きくなり、俯く私の顔を覗き込むように見てきた。
見定めるような、鋭いその目から逃れたくて、後ずさる。
と、若旦那がついっと、間に割って入ってきた。
「なるほど。原因は、彼女かな?ハハハハ」
大野は気を悪くするでもなく、でも、意地の悪い笑い方をした。
「君の参加で、今回の若菜会は盛況になったと聞いている。感謝するよ、綾人くん」
「有難きお言葉、痛み入ります」
若旦那は、儀礼的に頭を下げた。
「珍しいものが見れて、楽しかったよ。そろそろ、始まる頃合いかな? 時間を取らせて悪かったね。また、店にも伺おう。与兵衛によろしく」
「はい、ありがとうございます」
私を促すように歩き出す若旦那。
私も出て行こうとしたら、
「それから、サクラといったね。此花堂へも寄らせてもらおう。マドレーヌは、娘が好きでね」
「あ、りがとうございます」
急に声をかけられ、言葉がどもった。
そして、心の中では、来ないでくださーい、と盛大に思った。
はりぼてのような笑みに、曖昧な笑みを浮かべて答え、本当に店に来たら速攻喜助とバトンタッチだ、と思った。
ドア横に立っていた若頭が、ドアを開けた。
先導するように辰蔵親分が出て行き、若旦那、私と続く。
昨日のことを思うと気まずくて、でも挨拶くらいは、と思って若頭の顔を見ると、若旦那が突然、私の腰に手を回してきた。
(ヒェッ! ななななんでーっっ)
釣られた魚のようになって、歩く私。
「いやぁ、今回は大野様の肝いりもあったんで、来ていただいて助かりましたぁ。いや、もう、若旦那が参加するとなった後は、ものすごい勢いで参加者が増えましてねぇ。お陰で、人数制限をすることになった次第で、」
辰蔵親分のへつらうような饒舌が始まり、この状況を若旦那に抗議することもできず、仕方なくそのまま歩く。
後ろからついてくる若頭も気になるけど、さっきの大野という男も気になる。
完全人間型の妖なんて、ヤバい奴に決まってる。
でも、一番気になっているのは若旦那。
(どうして、こんなに、絡んでくるのよー)
あんな姿見せられて、卒倒して気を失わなかっただけでも、エライと思うわ、私。
だって、顔が狐になったのよ。
しかも、尻尾が6本あるなんて。
尻尾が多いということは、妖力が強いということ。
誰か、教えといてよー。
妖力強めとは聞いてたけど、予想以上かもしれないじゃない。
沈思している間に、会場にたどり着いた。
「お集りの皆さん。北組主催の若菜会にご参加いただき、ありがとうございまッス」
ステージにライトが当たり、羽織袴に、背中に『北』と白い紋が入った印半纏を着た司会者が、尻尾をクルッと震わせて、ステージの真ん中に立って言った。
「お、始まります。乾杯の後、奇術がありますぞ。どうぞ、楽しんでください」
皮肉めいた笑みを浮かべて辰蔵親分は言い、こちらをジッと見ていた勇五郎を伴ない、またステージ横に引っ込んていった。
「皆さん、グラスを持ってくださいッス。ハイ、ハイ、ジャン、ジャン、注いでくださいねー。ビール、ワイン、酒、果実酒、ジュース、お茶、などなど、なんっでも、揃えておりますので、」
司会者のマイクの声と共に、ボーイが数人、トレイにグラスをのせてやって来た。
「イヤな思いをさせて、すまなかったね。サクラさん」
やっと解放されて、ホッと息を吐いていると、若旦那が言った。
「いいえ。でも、あの人、ヤ」
バそう、と言いそうになって、グッと止めた。
そんな私を見て、若旦那は顔を和らげ、ボーイからグラスを2つ受け取ると、1つを私にくれた。
「あの方は、北町奉行、大野様だよ。町火消しの総元締めだから、来ていたんだろうね」
「そうなんですね」
ボーイが、淡いピンク色のジュースをグラスに注いでくれる。
それを見ながら、二度と会いたくないな、と思っていると、若旦那の視線を感じた。
「どうしたんですか?」
「うん。ただ、あの方は、抜け目のない方だから」
「はぁ、」
だからなんなのだろう、と思った。
見るからに、只モノではない感じだった大野は、若旦那と同様に、完全人間化できる妖。
若旦那が危惧するなんて、と思ってハッとした。
(若旦那以上に、妖力強めな人だったりして?)
あの目が脳裏に浮かび、ゾクッと悪寒が走った。
(あの人、なんか、匂うような動きをしてた。まさか、私が人間だとバレた、とか?)
胃の腑が、鷲掴みされたように、ギュッとなった。
そうなると、若旦那にもバレてるということになるけど、そう思って若旦那を見ると、私をヒタと見ていた若旦那と目があった。
ゴクリと唾を飲み込み、私もジッと見返した。
(ウソ、マジで、バレてる?)
「・・・す、すまない」
先に視線を外したのは、若旦那。
顔を横に向け、伏し目がちに、片手で口を覆った。
(えっ、なんか、頬が、赤いんですけど!)
驚きすぎて、凝視してしまった。
すると、艶めくような薄青い流し目が、妙に甘ったるく私を捉えた。
「そんなに、見ないでほしい・・・」
(ギャー、なに、これ、ナニ、コレ、ナニ、コレー)
少し擦れた、低く甘い声と、色気が滴るような流し目に、ドキーッとして、心拍数がビュンと上がった。
「ごごごご、めん、なさい・・・」
慌てて、顔を背けた。
でも、目だけは若旦那を追ってしまう。
儚く、物憂うような顔に、ほんのりと赤くなった頬。
黒地の襟足から覗く、艶めかし首筋。
視線がつつと吸い付いて、気がつくと、鼻息がフーフーと荒くなっている自分がいて、すんごい引くくらい、驚いた。
(ヤダッ、私、エロジジイじゃんっ)
「みなさーん。グラスに、入りましたかー。んじゃ、いきますよー。ハーイ、カンパーイッ!」
司会者の掛け声と一緒に、あちこちからグラス同士が重なる音が、聞こえる。
「サクラさん」
若旦那が、私のグラスに、カツン、と自分のグラスを当てると、薄く微笑みを浮かべた。
その、甘さといったら!
顔、アツっ!
(わーーーっ、なんか、自分が、すごく、ヤダッ)
私は、ヤケ酒みたいに、グイッとグラスを煽った。
「一気に飲んじゃダメだよ。サクラさん」
驚きの声をあげた、若旦那。
「な、なんで?」
「酒だよ、コレ」
「甘くて、美味しかったけど」
「桃のリキュールだから、でも、度数が高いんだ」
慌てた様子の若旦那は、私の手からグラスを奪い取り、自分のグラスともどもボーイに渡すと、
「大丈夫?」
と確かめるように、私の額や頬に手をあててきた。
最初は、構えてビクッとなったけれど、若旦那の長く骨ばった指は、ヒンヤリとしていて、火照った肌を冷やしてくれる。
「なんか、気持ちいい」
目を閉じて、ふにゃりと答えた。
「酔った?」
「んー」
昂った気持ちが少し落ち着いて、ゆっくりと目を開けると、蕩けるような薄青い瞳が私を見つめていた。
「っ!」
ドキッとして、咄嗟に離れようと、若旦那を押してしまった。
とはいえ、若旦那がヨロめくはずもなく、私1人が後ろに下がる感じにヨロめいた。
「危なっ!」
若旦那の腕に、抱き止められ、ようやく、おさまりかけていた熱が、また再燃しだした。
すっぽりと胸におさまった私の頬を、若旦那が指の背で優しく撫でる。
「やっぱり、熱い。一気飲みなんて、したから」
のぼせた頬は、お酒だけではない。
けれど、それを口にするのは恥ずかし過ぎる。
「座ろう」
若旦那は、私を小脇に抱えるように、腰に手を回し、壁際に向かった。
立食とはいえ、いつでも椅子に座れるように、壁際にはいくつも椅子が並び置かれている。
「どう?落ち着いた?」
「はひぃ」
若旦那が、近くのドリンクコーナーから取ってきてくれた水を、ゴクゴクと飲み干した。
片膝をつき、心配顔で私を見つめてくるそれは、まるで、お伽話から飛び出てきたような、王子様然としていて、なかなか熱はおさまりそうにない。
(なんか、私。今日、すっごいヘンだわ)
危ない妖と思っている若旦那に対して、ドキドキというか、ムラムラしちゃって、痴女とか、淫乱みたいじゃないか。
女性として、どーなの、って思うけど、その前に。
(もっと危機感、持たなきゃダメじゃん、私!)
頬を冷ますように手をあてながら、横にあった飾り棚にコップを置くと、香炉に当たってしまった。
弾みで水が溢れ、透かし彫りの穴から中に入り、モワッと煙のような香が上がり、甘ったるい香りが広がった。
「あ、ごめっ。ちゃんと見てなかった」
慌てて立ち上がった私は、香炉の蓋を開けて見た。
「香が、消えちゃった。アレ?」
異種族が集まる場で、匂いを中和するために無香が焚かれる。
今日のように、異種族が多く集まるなら当然のこと。
そして、無香の粉の色は白。
でも、
「赤い、無香ってあるんですかね」
横から覗き込んできた若旦那の顔つきが、厳しいものに変わって、香炉を持ち上げて、匂いを嗅いだ。
「媚香だ」
「びこう?って・・・、」
聞いた瞬間、言葉の意味が分からなかったけれど、分かった瞬間、また顔が熱くなった。
(タダでさえ、今日は、おかしなテンションなのに。もう、いい加減にして欲しいっ)
そう思って両頬を押えた。
「無香の上に、かけたんだな」
見分するように、若旦那はまじまじと見て言った。
「かけた?何のために?」
「悪戯というか、遊びというか。こういう使い方も、あるにはある。香に、少量の媚香を混ぜて、高揚感を楽しむんだ。でも、こういう場に使うものじゃないな」
不機嫌そうな若旦那の顔を、私は目をパチクリさせて見た。
「媚香は、異種族のカップル間で、お互いの快楽を得る為に、使われているモノだよ。種族が違うと、性感にも違いがあるから、」
そこまで言って、若旦那は言葉を切った。
自分でも分かる。
今の、自分の顔は、茹蛸のように真っ赤になっているはず。
顔が、めちゃくちゃ熱いから。
「サクラさん、少し早いけど、帰らない?」
私がコクコクと何度も頷ずくと、若旦那は目尻を下げて笑った。




