⑧ 始まりの一幕
「サクラお嬢さん、桔梗屋の若旦那が来られましたぁ」
階段下からお菊の声がして、はーい、と空で返事をしながら、姿鏡の前でクルクルと自分自身を見た。
いつもは動きやすさ重視の縞木綿の小袖だけど、今日は、空絞りの満開の桜が浮き出すモスグリーンの振袖。
胸元から裾にかけて濃くなる色のグラデーションで、帯に銀糸を混ぜた白い色合いのものにして、全体的に地味過ぎないようにまとめた。
鏡の中の自分に向かって、良しッとばかりに親指をたてた。
今日は、決戦日。
気を引き締めなくちゃいけない。
「お母さん、行ってきます」
向かいの部屋の障子を開けて、顔だけを覗かせた。
「気をつけてね」
「はい」
お母さんに笑顔で答えて、階段を降りた。
昨日は、グルグルと自問自答しながら考えたけど、結局、いい案は思い浮かばなかった。
悲しいかな、1人で若菜会に参加するのは気持ち的にどうしても出来なくて、会場内では、できるだけ若旦那から離れて行動しよう、と決めた。
「お待たせしました」
階段を降りるとそこには、黒地にグレーの算木崩し模様が織られた着物に、細かな市松模様の紺地の羽織を着た、若旦那が立っていた。
腕を組んでできたドレープには、光の加減で色合いを変える市松模様が美しく浮かび、高級感漂う、洒落た装いだ。
後ろで一つにまとめられた長い銀髪は、きっちりとまとめられていて、恐ろしく整った美貌は、いつにも増して、冴え冴えとした輝きを放っていた。
(わっ、すっごいカッコいい。ダークな色合いが、銀髪をさらに際立たせて、月下の麗人とはよく言ったものだわ。本当に、人外的にキレイ! あんまり考えたことなかったけど、女性達が叫ぶ気持ちが、分かった気がするわ)
「サクラさん。すごく、綺麗だ」
私を見て、うっすらと目を細めた若旦那。
それは貴方でしょう、と言い返したくなった。
本当に、めちゃくちゃカッコいいのだ。
こっちは、地味過ぎると悪目立ちすると思って、自分なりに頑張ってみたけれど、あまり意味がなかったみたい、本当におみそれいりました、って感じだ。
「わ、若旦那も、すごくステキです」
意識して見ていると、ヘンにドキドキしてくる。
「サクラさん、これを」
そういって一歩近づく若旦那に、条件反射のように一歩下がりそうになった。
顔を上げると、若旦那と目が合い、髪を撫でられ、そして、手にしていたモノが耳元に差し込まれた。
「うん。思った通り、良く似合う」
柔らかい笑みを浮かべて、若旦那が言った。
軽く触れると、花の意匠のかんざし。
「桜、花のかんざしだよ」
笑みが深みを増した。
急に、ブワッと顔が熱くなった。
一瞬、サクラ、と名前を呼ばれたのかと勘違いしてしまい、その声は、いつもの名前を呼ぶ感じと違って、低く、甘く、耳に響いた。
「あ、ありがとう、ございます」
「うん」
いつもの優しい笑みを浮かべた若旦那。
私、1人が、ドギマギしてて、恥ずかしい。
「そろそろ、行こうか」
「は、はい」
気持ちを落ち着けようと、何度も小さく深呼吸した。
喜助とお菊に見送られながら店を出て、気を引き締める思いで、両頬をポンポンと叩いた。
(これから決戦なのに、こんなじゃダメだわ)
歩き出すと、いつにも増して輝きを放っている若旦那は、注目の的だった。
男女問わず、誰も彼もが見てくるし、振り返って見る人もいる。
どう見ても不釣り合いな私は、申し訳ない気持ちで、微妙に離れて後ろを歩く。
なのに、若旦那は、やっぱり優しい。
「大丈夫?歩くの、早い?」
私に、気を使って下さる。
だけど、その度に、あの女はナニ?、といわんばかりの非難の視線が私に集まるので、冷や汗が止まらない。
「大丈夫ですので、お気になさらず」
笑顔で若旦那に返すも、周りからの視線が痛い。
(うぅ、視線が、痛い。でも、こんなところで気後れしてられない)
そう、作戦を決行する為には、若旦那にも理解してもらわないといけないのだから。
「緊張してる?」
「は、はい、まぁ」
「サクラさんは、初めての参加だよね。私も初めてだけど」
若旦那は、何気に楽しそうに言った。
「あの、若旦那」
私が顔を見上げると、いつもなら冷たい色彩を放っている薄青色の瞳が、なに?、と答えるように目元を和らげた。
「会場についたら、」
と言いかけて、私は一緒に行こうと誘われて、そのまま会場内でも一緒に行動するもの、と思い込んでいたけれど、あくまで誘われただけで、その後の約束はしていない。
となると、わざわざ別行動を告げる私は、もしかすると、とんでもない勘違い女なんじゃないか、と思った。
「どうしたの?」
「あのー、若旦那は、今日はどのように過ごされるんですか?」
若旦那は、少し考えるように首を傾げた
「そうだなぁ。ますは、辰蔵親分に挨拶をしないとね。あとは、催し物があるらしいから、それを見て、それから、いろいろ食べようかな。あそこのホテルは、食事が美味しいし、特に果物のスイーツが人気だよ。サクラさんも気にいるんじゃないかな?」
一緒に食べよう、と笑顔で言われ、私と同じように考えてくれていたのだと、嬉しく思った。
辰蔵親分が、若菜会は立食で行われると言っていたのを思い出し、余興みたいなモノもあるんだ、と思った。
「それは楽しみですね」
「うん」
数合わせ、と言っていたわりに、今日の若旦那は、すごく楽しそう、に見えた。
折角の楽しい気分を、今から話す内容で台無しにしてしまうんじゃないか、と思うと申し訳ない気持ちになって、顔を前に向けた。
「あのですね、若旦那。すっごく申し訳ないんですけど、会場では、私、別々に行動したいと思ってるんです。折角、誘ってもらって、本当に申し訳ないんですけど、すみません」
小さく頭を下げると、ヒヤリ、と一瞬空気が冷たく感じた。
暫く経っても、隣からは返事がなく、私はそろっと伺い見た。
(ヒャッ!)
凍れる美貌、とはまさにこのこと。
若旦那の顔には表情がなかった。
そして、ゆっくりと私に視線を落としてきた。
「どうして?」
低く擦れた声。
私を捉える冷たい瞳は、いつか見た、青い海底のような深青の瞳孔で、私を震え上がらせるのに十分な迫力が込められていた。
「ああああの、わ、私、わわわ若旦那の、と、隣にいるのは、良くない、ので」
「は?」
「ご、ごごごめんなさい。こ、怖いんですっ」
「怖いって、前にも言ってたけど。私じゃ、ないよな。誰かに、なんかされた?」
「いい、いえ、そうじゃなくて。会場には、た、たくさんの、あやか、いえ、あの、人がいて、その」
流石に、そのままを言うのは、気が引ける。
縮みあがりながら、頭を悩ませていると、
「サクラさんには、誰も手出しできないよ。私がいるんだから」
と、ぜんぜん違う方向の返事が返ってきた。
「そうじゃ、なくて、ですね」
慌てて訂正しようとして、周りから集まる視線に気がつき、ハッとした。
お互い知らぬ間に、足を止めて、往来の真ん中で、見つめあっているような恰好になっていた。
「わ、若旦那、早く」
行きましょう、と顔を上げると、薄青い瞳が細められていた。
「そうか、サクラさんは、沢山の人が怖かったんだね」
注がれる甘い視線にビックリして、目を見開いた。
若旦那は、耳元の桜のかんざしにそっと触れると、滑るように指の背で頬を撫でてきた。
ゾクッと背中が震え、顔が熱くなった。
顔だけじゃない、きっと耳も首も真っ赤になっているに違いない。
「可愛い、サクラ。大丈夫、ずっと一緒にいるから、安心して」
(なっ!)
クスッと笑い、全く違う方向に納得してしまった、若旦那。
違うと言いたくて、酸素不足の魚のごとく、口をパクパク開け閉めするけれど、あまりの羞恥に言葉がうまく出てこない。
そんな私を見て、また若旦那は、口角を上げた。
つい今しがた、冷たい光を放っていた瞳はどこへやら、柔らかい笑みをたたえている。
内心ホッとしながらも、また話を蒸し返してさっきみたいになるかもしれない、と思うと、意気地のない私は、なかなか言い出せず、どうしようかと思案しているうちに、会場であるホテルに到着してしまった。
北の迎賓館とも呼ばれている、小谷ホテル。
入口の太く重厚な柱には、細やかな意匠が施されていて、重々しく葺かれた瓦屋根の破風は荘厳で、格式の高さを感じさせる。
そんなホテルの入口へ、普通に歩みを進めていく若旦那に、私は遅れないように慌てて後ろに続いた。
ドアマンによって開けられた、重厚な扉の向こうへ一歩踏み入れると、磨き剥かれたフロアにふかふかとした深紅の絨毯が広がり、折上格天井から吊り下げられたシャンデリアからは、柔らかい金色の光が輝いていた。
「わぁ」
思わず零れた驚嘆。
今まで入ったことなどなかったし、来ることさえなかった私にしてみれば、とんでもなく場違いな感じがした。
「サクラさん、こっち」
呼ばれて、2階へと伸びる大階段を上る。
若菜会の参加者なのか、同じように2階へ向かう女性や男性が多くいる。
私と同年代、それより若い女性もいて、歩く度、着物の裾が揺れ、赤や黄色、オレンジ、ピンクといった華やかな色合いの着物や意匠が軽やかに踊っている。
対して男性は、紺やグレー、深緑といったシックな色合いで、腰の低い位置で帯が締められ、光の陰影で模様を浮かび上がらせるといった飾らない着物が多くみられた。
それらを見て、私は、若旦那の着物は、今時の流行だと気がついた。
そして、周りを見ても私のような色合いを着た女性はいない。
私の着物は、お母さんから譲り受けたもの。
流行を気にするたちではないけれど、若旦那の隣にいるのが、すごく恥ずかしくなってきた。
「若旦那だわぁ、お話、できるかしら?」
「ナニ、あの着物」
「若旦那と一緒にいる人って、誰?」
「緑は、狸の好きな色でしょ」
「なんで、若旦那と一緒にいるの?」
「年増の色じゃない?」
「誰よ、アレ」
コソコソとした声が聞こえてくる。
始まる前から、針のむしろだ。
「サクラさん、足元、気をつけて」
(若旦那ぁ~)
若旦那の優しい声に、じんわりと胸が温かくなる。
分かっていたことだけど、あからさまにターゲットにされると、結構ツライ。
気持ちを奮い立たせ、若菜会の会場に入った一瞬、室内が静まり返った。
私や若旦那と同じ、狸族や狐族だけでなく、猫族、犬族、猪族、狼族、鷹族、といった様々な種族の妖達が、一斉にこちらを見た。
その怪しく光る無数の目から送られてくる、驚き、興味、妬み、嫉妬、唖然、といった何とも言えない視線に、身がすくむ。
でも、私には、明らかに悋気の目が集中している。
だんだんと体が震えてきて、生唾を飲むとゴクッと鳴った。
「サクラさん」
「ハヒィッ」
声が裏返ってしまった。
「先に、挨拶を済ませよう。その後、何か食べようか」
何気ない言葉と優しい笑みが、若旦那から注がれる。
瞬間、周囲からキャッと声があがり、どよめきが広がった。
硬直する私の肩を抱いて若旦那が歩き出すと、人が右に左に下がるので道ができた。
その間を若旦那は、周囲からの視線を一身に浴びながら、でも、気にすることなく奥へと進む。
私は、その若旦那に後ろから肩を抱かれたまま、からくり人形のように、押されるように歩いていた。
自分が想像していた以上に、気持ちの消耗がすごい。
強い恐怖感に囚われ、周りを気にする余裕もなく、若旦那がいてくれなければ、腰が抜けて、そのままズルズルとへたり込んでいかもしれない。
(ビックリした、びっくりしたー、怖いーっ、怖すぎるっ!!)
胸元で固く握る手が震える。
ここで人間だとバレたら、間違いなく食われて死ぬ、という恐怖が胸に押し寄せる。
(他種族と、お知り合いになんか、絶対なれない。ムリ、ムリ、ムリ、絶対無理!)
私とここに集まる人とは、明らかに違うのだとまざまざと実感させられた。
「大丈夫?」
ステージ横まできて足を止めた若旦那が、私の両手の上に優しく手をのせて聞いた。
(若旦那ぁ~)
顔を上げて見上げるも、私を心配そうに見つめるその瞳は縦の瞳孔。
(あぁ、この人もあっち側の人だった)
頭では分かっているのに、落胆する自分がいる。
でも、若旦那はこんな私を気遣ってくれる本当に優しい人だ。
私は、引きつる顔になんとか笑顔を貼りつけて、握る手を下ろすと若旦那の手も離れた。
「すみま、せん・・・もう、大丈夫です・・・」
「サクラさん」
ここでは、自分を守れるのは自分しかいない。
しっかりしないと、そう思って、胸の、衿合わせの裏に忍ばせている狸の匂い袋を押さえて深呼吸すると、何故か、吸い込む空気が酷く冷たい。
何事かと周りを見ると、こちらに向けられていた顔や視線が違う方へと向いていて、背を向けている人もいる。
こちらを避けるような動作に、隣の若旦那の顔を見上げると、
(狐!? 顔が、狐なんだけどっ!)
驚いて目をパチパチすると、
(あれ? 見間違い?)
さっきまで見ていた、整った顔立ちの若旦那が私を見て、目を細めた。
でも、その後ろに白く銀色に光る、もふもふとしたモノが揺れている。
「わか、だんな? うしろ、」
片言みたいな言葉になった。
(1本、2本、3本、エーッ、ナニ、ナニ、ナニー、なんなの、これはっ)
目だけを動かし、数えると全部で6本。
ゆらりゆらりと揺れる、ふわりとした銀色のもふもふの1本が目の前まできたかと思うと、私の頬をスルリと撫でた。
「ギャッ!」
ビックリして叫ぶと、見えていた6本がスッと消えた。
(しっぽ?尻尾なの?)
若旦那も妖なのだから、尻尾があって当然だけれど、見たのは初めてで、しかも、あんなに沢山あるとは思ってなくて、驚くばかり。
驚きすぎて、ワナワナと震えていると、細められた目が三日月のように細く吊り上がり、近づいてきた。
「大丈夫だよ、サクラさん」
後ろに回された手が、優しく背中をさする。
目を見張り、驚愕のあまり固まった私を、若旦那はそのまま、抱き締めた。




