⑥ 遠い日常
「甘いな」
「えっ、甘かったですか? お砂糖の量は、前回よりも控えたんですけど」
「いや、サクラさんが」
「えぇっ!も、もう、若旦那。フィナンシェの味を聞いてるんですよ」
「あぁ。うん、美味しいよ」
厨房の暖簾に手をかけた瞬間に聞こえてきた、恋人同士の甘い囁きのような会話。
(うーわーっ、マズい時にきてしまった!ここは、一旦、)
ソロッと後ろに下がろうとして、
「あ、喜助。ちょっと、これ、味見してみて」
声をかけられてしまい、仕方なく厨房へ入った。
サクラお嬢さんが、ニコニコしながら、フィナンシェのカケラを俺の口元まで持ってきたのを、すかさず手で受け取り、自分で口にいれた。
「どう?今回のは、いい出来だと思うんだけど」
「ウマいです。お菊、お前も試食しろよ」
菓子の入った木箱を抱え、店の方へ移動しながら、お菊を呼んだ。
(マジ、こえー)
お菊が奥へ入るのと交代するように、店に入った。
若旦那から飛んでくる、冷たい威圧に肝が震える。
ここんとこ、ずっとこんな感じだ。
だから、奥の厨房へは行きたくない。
だけど、商品が売れれば補充しなくてはならず、中の様子を見てから、取りに行くようにしているが、間が悪いとさっきのようになる。
(若旦那の顔が怖くて、見れねー)
サクラお嬢さんからは見えないが、俺からは、お嬢の後ろに立つ若旦那が丸見えだ。
俺を見る、のを通り越し、睨んでくる薄青い目がマジ怖過ぎて、目が泳ぐ。
先日、あの超有名な桔梗屋の若旦那が此花堂へやってきた。
最近、ちょいと店で売れ出したマドレーヌの噂を聞きつけて、冷やかしに来たのかと思っていたのに、どうしてこうして、そうなったのか、桔梗屋の店頭で売る菓子を、此花堂で作ることになったのだ。
マジかよって怪しんでいたら、大量な材料が次々と運び込まれてくるのを見て、マジで驚いた。
しかも、あの超絶美形な若旦那が手ずから指示して、しかも、お嬢にいちいち確認を取っているから、またまた驚いた。
更に、ビックリしたのが、あの若旦那が笑っていたのだ。
『氷の貴公子』とか『月下の麗人』とか異名をもつくらい、おキレーな人形みたいな顔の若旦那が、よだれが滴るような蕩けた笑みを浮かべている。
最初見た時、マジで、マジで、マジでーっ、って3度見、いや、4度見したくらいだった。
でも、次は、こえー、と思った。
だって、あれは、まさに猛獣が目の前の獲物を仕留める時の目だ。
あの目を真正面から受けて、まぁ、平気でおれるもんだと、お嬢に感心する。
なにせ、相手は大妖怪なみの妖力を持つ若旦那だ。
俺なんて、毎回、チビりそうになっているというのに。
「喜助、ちゃんと批評してよね。ウマい、だけじゃ、わかんないじゃない」
サクラお嬢さんが、奥から若旦那とお菊を従えて出てきた。
「マジで、ウマかったですって」
「どう、美味しかったのよー。あんたが作る絶妙な餡子みたいにしたいのよ、私は」
「餡子と菓子じゃ、ぜんぜん違いますよ」
「分かってるわよ。でも、あれだけ、美味しい餡子を作るんだから、喜助の舌は抜群にいいってことでしょ。お父さんも、言ってたもん」
「褒めてもらって、嬉しいっすけど、」
ほらほら、後ろからの威圧がモノ凄いって!
(もう、マジで、お嬢。若旦那のいるところで俺に話しかけないでくれ。生きた心地がしねーっ)
美形の真顔って、表情なさ過ぎて、マジ怖い。
「サクラさん。批評が必要なら、ウチの者達にも食べさせましょうか? 老舗料亭も名ばかりじゃないですよ。板長以下皆、それぞれに卓越した味覚を持っています」
ついと若旦那が近づき、お嬢の肩に手を置いて、ふわりと目が細められた。
「わぁ!それ、いい。お願いできますか?」
「はい、もちろんです」
(うーわーっ、スッゲーもん、見た)
熟れすぎた果実のように甘ったるい笑顔が出現した。
つい先ほどまで、冷たい無表情で俺を見ていた人とは思えない変貌ぶり。
あんな笑顔を向けられて、自分は対象外、だとよく言えたもんだ、とまたお嬢に感心した。
どう見ても、若旦那はお嬢を気に入っている。
しかも、かなりマジで。
「じゃぁ、もう少し作り足した方がいいですよね。若旦那、出来上がったら桔梗屋へお届けするようにしますね」
「えっ」
お嬢の言葉に若旦那は一瞬固まり、力なく眉が垂れた。
その表情は、しょんぼりとした、儚げな様子だけれど、お嬢を見るその目の奥には、隠しきれない恋慕が滲んでいる。
(うーわーっ、これまた、スッゲーもん、見た)
「だって、今ある分じゃ、数が足りないと思うし。作ってたら、時間かかっちゃうし。そしたら、若旦那をお待たせしてしまうでしょう」
「いいえ、私の為にサクラさんが頑張っているのに、帰ってなどいられません」
息を吹き返したように、若旦那は近かった距離をさらに詰めて、両手でお嬢の手を握った。
(いやいや、そこは私の為じゃなく、桔梗屋の為でしょ、若旦那)
口に出来ないツッコミが頭に浮かんだ。
「で、でも、若旦那、忙しいでしょう」
ジリッと後ろに下がるお嬢。
そして、若干イヤそーな顔をしている。
若旦那の気持ちに気づかないお嬢を見て、同じ男として同情心が沸いた。
「2人で作ると言ったじゃないですか。お手伝いしますよ。粉の計量でも、混ぜるのでも、なんでも」
どんとこい、といった感じの若旦那。
都で超有名な老舗料亭の、超絶な美貌を誇る顔立ちを持つ御曹司で、迫って落ちない女性はいないと言われるほどの人に、ここまで言わせておいて、お嬢は。
「うっ。で、でも、ほら、汚れちゃいますから、着物とか、手とか、いろいろ、」
って、やっぱり、嫌がってるー。
そして、微妙に動かして握られた手を、外そうと試みている。
「かまいませんっ」
即答する若旦那に、微妙に顔をひきつらせ、言葉を探すように目を彷徨わせるお嬢。
「すみません。マドレーヌ下さい」
店先から声がして、皆がそちらを向く中、お客も当然こちらを見るわけで、案の定、若旦那を凝視した。
なにせ、この人、目立つのなんのって。
しかも、美貌な上にこんなに色香を漂わせていれば、誰でも見るわっ。
「わ、若旦那。ちょ、ちょっと、こっちへ」
お嬢が視線を気にして、握られていた若旦那の手を掴んで、引っ張るように奥へと入っていった。
その時の若旦那の顔ときたら、満面の蕩けるようなの笑みで。
「サクラお嬢さんって、ある意味、最強ですね」
お菊の呟きに、俺は大きく頷いた。
あとどのくらい、こんな日々が続くのか。
(あー、早く日常が戻ってきて欲しいっ)
大きな溜息が、はぁー、と出た。




