⑤ 思い
「どうぞ」
「恐れ入ります」
木の茶托に葉柄のついた丸い湯飲みが、テーブルの上に置かれた。
温かな湯気とともに緑茶の香りが立ち上る。
「本当に、驚きましたよ。若旦那」
「すみません・・・」
おたつの言葉に、半ば脱力気味に答えた。
(ここへ来るまでに、どれだけ試行錯誤してきたことか)
そう思うと、張りつめていたモノが、ぷつんと途切れたような気持ちになった。
店主といえば、自分の父を筆頭に堅物と相場は決まっている。
だから、こう言われた時はこう、ああ言われた時はこう、と色々と考えてきたというのに、結果は全くの真逆だった。
しかも、交渉相手が、この小娘だったとは。
「桔梗屋の若旦那が、ウチにどんな用件なんだろうって、思っていたのでねぇ」
こっちの思いなど気付くはずもなく、おたつは頬に手をあてて言った。
「悪い方にばっかり、考えてたからね」
「そうよねー」
目の前に座る小娘、サクラの言葉におたつが賛同した。
主人には断られ、本当の交渉相手がサクラだと知って驚き、しかもマドレーヌを考えたのがサクラだと知って更に驚き、ショックが大きくて返す言葉が見つからない。
三次郎の体調もあり部屋を出て、テーブルへと場所を移した。
「これは?」
お茶と一緒に出された緑色の丸い菓子。
「クッキーです。ヨモギが入っているんですよ」
「ヨモギ・・・」
といえば、狸族が好きな食べ物だ。
青臭く、エグみがあるので、他の種族はあまり食べない。
「ヨモギは体にいいんですよ。ねー」
「ねー」
サクラの言葉におたつが賛同した。
サクラがクッキーを1つ取って口に入れると、サクサクとした歯切れのいい爽快な食音がした。
その音に引かれるように、半ば投げやりな気持ちで、1つ取り口に入れてみた。
想像していた物と違い、意外にも美味しい。
噛んだ時のサクッとした軽い触感に、ヨモギの香りとバターの香り、それと。
「美味しいですね。触感がすごくいい。それに、ナッツですか?」
「そう、そうなんです!」
わかります?と言わんばかりに、サクラの表情がパッと明るくなった。
「香ばしさがあって、美味しいでしょう。噛むたびに、ヨモギとナッツの香りがして、触感が楽しいと思いません?初めは、ナッツはアクセントとして、上にのせてた、だけだったんです。でも、食べると、口の中でヨモギとナッツが、それぞれ主張してくるんですよ。なので、どうしてもヨモギの苦味が先にきちゃって。噛んで、合わさると美味しいんですけどね。ヨモギの苦味がダメな人、結構いるじゃないですか。私は、そこがいいと思うんですけどね。だから、先に合わしちゃえって思って、ナッツを砕いて入れたら、ナッツオイルがいい感じにきいて、ヨモギが調和されたんです」
サクラの様子が先程とは明らかに変わり、目がキラキラと輝いている。
頬も上気し、頬紅をさしたような桃色に染まって、身振り手振りも大きく、話が進むにつれて、表情はさながら百面相のようにクルクルと変わった。
どうやって美味しくなったのかを楽しそうに話すサクラを見ていると、自分の中でわだかまっていた気持ちが、だんだんとつまらないものに思えてきた。
「もう、さくらちゃん。長い、長い、若旦那が退屈してるわ」
「あ、すみません。つい、」
どうして、小娘、なんて思ったんだろう。
菓子のことをこんなにも真剣に考えている人なのに、自分が偏狭だったと思った。
「お父さんに、お茶、持って行ってくるわね。すいません、ちょっと失礼しますね、若旦那」
おたつが、盆に湯飲みをのせて隣の部屋に消えた。
急に静かになった室内。
面映ゆそうにサクラは、湯飲みを両手で持ち、お茶を飲んでいる。
「それで、どうなったんですか?」
「えっ?」
「調和されて、上手くいったんですか?」
「あっ、いえ・・・・・、最後に、やっぱりヨモギの苦味が出てきちゃうので改良が必要かな、と」
少し間があいて、サクラは怪訝そうに答えた。
「そうなんですか?私は、美味しいと思いましたが、これではダメなんですか?」
「ダメじゃないです。でも、種族によって好みがあるので」
「先入観ですね。私も、食べる前、ヨモギの苦手なところを考えましたよ。でも、食べると、美味しかったです」
「んー、」
頭を傾げていたサクラは、私をジッと見て言った。
「若旦那は、私を、懐柔しようとしてます?」
思ってもいなかった言葉に、ポカンとサクラを見返してしまった。
「急にそんなこと言ったりして。若旦那は最初、私の事、小娘が、みたいに思ってたでしょ」
その通り過ぎて返す言葉がない。
「面目次第もございません」
頭を下げると、フフッと忍ぶような笑い声が聞こえた。
「いいですよ、もう。老舗料亭の若旦那なんて、どんな高飛車な人かと思ってましたが、良識のあるちゃんとした人で安心しました」
「これは、手厳しいな」
お互い目が合うと自然と笑顔になった。
「若旦那。私、考えたんですけど。お店に置くなら、マドレーヌじゃなくて、別の新しいお菓子にしませんか?」
「それは、依頼を、受けて頂けるということですか?」
「断るつもりでしたけど、ちょっとやってみたくなりました。だって、出資、してくれるんですよね」
にかっと笑うその笑顔に、胸が熱くなった。
「はい、もちろん。場所も人も、用意させて頂きます」
「いいえ、大丈夫です。んー、それは、まぁ、断る口実だったというか・・・と、とにかく、アーモンドプードルが欲しいんです。大量に用意してもらうことはできますか?」
アーモンドは、他のナッツ類に比べると、生産コストがかかることから値段が高い。
けれど、その前に気になったのは。
「新商品を、作って頂けるんですか?」
「はい、そのつもりです。桔梗屋さんだけに置く、お菓子を作るんです。若旦那と私とで」
その言葉に、胸を突かれた。
桔梗屋の嫡男として生まれ、主人になるのは必然で、老舗料亭の主人になる為に勉学を学び、店の理を学び、従順にそうあるべく生きてきた。
最近の経営不振も、父である主人が考慮すべきことで、未熟な自分が口を出すことではないと思い、父が私を交渉役として選んだのなら、それが最善で、自分はその役を全うすればそれでいい、と思っていた。
そんな、敷かれたレールを確実に歩むことこそが己の道だと思っていた、自分の考えに、一陣の風が吹き込んだように感じた。
「分かりました、用意します。アーモンドプードル、大量に仕入れます。他の材料も全て、こちらで揃えさせて頂きます」
「よーしっ」
サクラが親指を立てた。
それからサクラは、マドレーヌに似たフィナンシェという菓子を作り出した。
作成期間中は、3日に一度は此花堂へ様子を見に行き、フィナンシェを完成させるために2人で力を尽くした。
商品が完成し、桔梗屋の店頭に並ぶようになると、武家や豪商の客から噂が広がり、店には予約客以外の人がフィナンシェを買い求めにやってくるようになった。
そういった客にも食事をとってもらおうと、これまで全予約制だったのを夜だけにし、昼は誰でも来店できるように変更した。
内装も1階の座敷を、サクラの家を真似てテーブルとイスにし、昼用に食事を松花堂弁当に一新すると、瞬く間に客が増え、フィナンシェは桔梗屋の看板商品となった。
相乗効果で夜も客が増え、店にはかつての繁盛が戻ってきた。
父や店の者からも、一目おかれるようになり、任される仕事も増えて、毎日が忙しく目まぐるしく過ぎていった。
1週間に一度は、納品に店に来ていたサクラも、喜助が代わりに来るようになり、数か月前まで、ほぼ毎日のように会えていたのが、全く会えなくなった。
フィナンシェを見るたび、2人で尽くした日々を思い出し、眼裏には、サクラのあの笑顔が浮かぶ。
そのたびに、あの時感じた熱い胸が再燃する。
そんな折、豪商の斉田屋の主人からサクラと若頭の勇五郎との噂話を聞いたのだった。
「若旦那」
大川の薄暗闇の中から、声が聞こえた。
夜の輪郭がわずかに歪み、闇の一部が実体化したような漆黒の烏が桟橋に舞い降り、深緑の着流し姿の太七に変わった。
「あの時の香屋に、話を聞けましたよ」
しなやかな足取りでそばへくると、いつも愛想よく笑っているように見えている切れ長の目が、スッと真顔に戻すように大きく見開いた。
「どうだった?」
「媚香を買いたいって話でした」
「媚香?若頭が?」
「はい。まぁ、好きあうモン同士、異種族同士なら、夜の営みに使うのは、ままありますから。ですから、香屋も、不思議に思わなかったみたいです」
「若頭には、相手がいないだろう」
眉間にしわを寄せて太七を見ると、
「えぇ、そう~、なんですがね。怒らないで聞いてくださいよ」
声がひっくり返ったので、すぐに分かった。
「サクラか・・・」
「・・・、そう、みたいです。狸族に効く媚香が欲しいッッ!、だから、怒らないでくださいって言ったじゃないですかー」
太七が叫ぶ息が、薄暗闇に白く散った。
苛立ちから湧き上がった魔力が、足元の桟橋から大川に広がり、周囲を凍りつかせた。
はぁ、と息を吐いた太七の目の前で、大川に出現した氷塊は徐々に波に揉まれて消え、凍りついた桟橋も水へと変わった。
「若頭の勇五郎は、あの親分の弟分みたいですねぇ」
ぼそりと話し出した太七。
「同じ、イタチ族の里から出てきてるそうで、風を操るのが、エライ上手いらしく、若頭への抜擢も、それが一因らしいですよ」
「風、使いか」
「はい。火消しの際も、その風で建物を吹っ飛ばしてるそうで、あの御面相も、火消しの建物の下敷きになった時の勲章だとか。モノはいいようですね、ただの、やり過ぎだと俺は思いますけど」
そういうと、姿が闇に溶け込んだ。
「私は、これで。店に戻ります」
「明日、また頼まれてもらえるかい?」
「なんでしょう」
「サクラに手紙を届けて欲しい」
夜空に一声、カァ、と聞こえた。
気持ちが定まってもいないのに、サクラに会う段取りだけは、サッサと進めようとしている自分に呆れる。
でも、自分の気持ちとは別に、若頭の勇五郎が、サクラにちょっかいを出すのは気に食わない。
媚香の使い道がどうあれ、サクラをダシに使ったのも腹立たしい。
若菜会では、たとえひと時であっても、サクラとの時間を与えてやるつもりはない。
不意に、自嘲が浮かんだ。
こんな嫉妬まがいなことを考えている時点で、自分はサクラが好きじゃないか、と思った。
サクラを思うと、いつも眼裏にあの笑顔が浮かぶ。
たとえ、サクラの甘い香りに、からくりがあったとしても、この自分の気持ちを消し去ることはできないと思う。
(あの甘い香りの正体は、なんなのだろう)
ただの思い過ごしじゃないか、とも考えることもあるけれど、妖力に直接刺激してくる、あの感覚が、何もないとは思えない。
他の誰からも匂ったことのない、特別な香り。
サクラだけの、サクラの香り。
サクラは誰にも渡さない、という執着心が強くなる。
妖力が刺激されるから欲しいのか、好きだから欲しいのか、分からなくなってくる。
あれこれと考えていると、全てが面倒な気持ちになってきて、最後は彼女を攫ってしまえばいいじゃないか、という狐のケモノ的な感覚が頭をもたげてくる。
でも、そんなことをすれば、間違いなく嫌われるのが分かっているから、出来はしない。
サクラは、私を、男を怖い、と言っていた。
私のことは嫌いじゃない、と言っていたのに、わざわざ嫌われるようなことをして、どうする。
「はぁ・・・」
薄暗闇に、溜息が風に乗って消えた。
雲に覆われた夜空は、星の瞬きを奥に隠し、まるで自分の心の中のように深い闇が広がっている。
桟橋から、店への階段を上り、来た道を戻る。
(サクラは、私のことを、好いてはいないんだな・・・)
分かってはいたけれど、改めてそう思うと、鉛を飲み込んだように重苦しかった胸が、焦げつくような痛みに変わった。
世間で称賛される、この顔もサクラの前では意味をなさない。
香りの真相を気にするよりも、まずはそこが一番肝心だろう、とまた自嘲が浮かんだ。




