④ 出会い
「お疲れ様でございます」
「お疲れ様でございます」
金箔の帯にお引きの黒振袖を着た芸者の花鈴と小蝶が頭を下げた。
髷の結い根を後ろに下げた深い衿から、白く滑らかなうなじが覗く。
「少し、時間が押してしまって、申し訳なかったね」
「いいえ、ぜんぜんです、若旦那。ご祝儀を頂けて、もう、大満足です」
組香の5色線に源氏香の風雅な文様が広がる黒振袖の裾を、花鈴は左手で持ち上げ、桟橋へとしとやかに歩みながら言った。
「嫌だ、花鈴ったら、げんき~ん」
小蝶が可憐な笑みを浮かべながら、クルリとこちらを向いた。
左手に握る黒振袖の裾には、青のグラデーションが美しい幾重もの蝶が染められ、回った瞬間、ひらりと舞ったように見えた。
「ご祝儀を頂けたってことは、楽しんでもらえたってことでしょ。いいことじゃない」
「そうだね。大野様、艶やかな花鈴の踊りに、すっかり夢中のご様子だった。流石は、花街の舞姫だ」
頷くように答えると、
「ウフフッ」
当然とばかりに、猫族の花鈴は、大きな目を輝かせて笑った。
「ちょっとー。花鈴ばっかり、ズルーイ」
「なによ、本当のことでしょ」
年若い狐族の小蝶は、まだ少し幼さが残る面持ちだが、しなりとした歩く姿には大人の色香を漂わせている。
「足元、気をつけて」
「 「 はーい 」 」
お座敷がおわり、2人を置屋へ送る為に桟橋まで来た。
数日前、ここからサクラと星空を見に行ったのを思い出し、鉛を飲み込んだように胸が重苦しくなった。
「若旦那。若菜会に参加するって本当ですか?」
「ちょ、小蝶、いきなり」
「気になるでしょー。どこの置屋でも、この話で持ちきりなんだから。ね、どうなんですか?」
小蝶が、目をキラキラさせながら聞いてきた。
「うん、参加するよ」
「 「 えーっ! 」 」
花鈴と小蝶、2人の声がハモり水面に響いた。
「本当?本当に??」
「やだやだ、若旦那。お相手、お探しなんですか?」
「私!私なんて、どうですか?」
「私なら、即オッケーです」
「いえいえ、私を」
「ちょっと、私よ」
「いいえ、わ、た、し」
我先にといった風に競い合っている2人に向かって、
「・・・辰蔵親分の顔を立てての参加なんだよ。今回は、随分と参加する人数が少ないらしくてね」
笑顔で答えると、
「ハァ・・・そう、ですかー」
「そうですよねー」
「若旦那が、ご自分から、お相手を探すなんて、」
「 「 ありえないですよねー 」 」
ガッカリしながら、またハモッた。
「お待たせしました」
すーっと仁吉が操る屋形船が現れた。
「中に折を用意してあるから、持って帰って食べるといいよ」
「 「 ありがとうございます 」 」
2人は元気よく礼を言って船に乗り込むと、船がゆっくりと離れていった。
「はぁ・・・」
薄暗闇の中、自分の溜息が風に乗って消えた。
ここ数日、頭の中に浮かんでくるのは、サクラのことばかり。
若頭の勇五郎との関係を危ぶんで焦っていたのも束の間、彼女の甘い香りに、何やらからくりがあるのでは、と思い出してからは、自分の気持ちに自信がもてなくなった。
船の中で一緒に寝転び、星空を見上げていた時、心臓の高鳴りは最高潮で星空どころではなかった。
隣を見ると、クリッとした目を輝かせて空を見上げているサクラのふっくらとした柔らかそうな頬と、小さな鼻に、小ぶりな花びらのような唇に、うっすらと弧を描いたのを見た時には、思わず吸い寄せられそうになった。
その後、彼女の反応に苛立ちを感じて、無意識のうちに彼女の耳元まで近づいたが、思えばどちらも、甘い香りに誘われたように感じる。
それに、この桟橋まで一緒に来た時もそうだ。
少し気持ちが緩んでいたのもあったが、あの甘い香りを感じて、思わず狐化してしまいそうになった。
妖力が一気に吹き出すような、そんな感覚。
もう、2日もすれば、若菜会当日。
こんな気持ちのまま会いたくないし、会うのを躊躇っている自分もいる。
進まなければ何も変わらず、進んでしまえば失望するかもしれないという恐怖が胸を締め付ける。
(恐怖。怖いのか?サクラを失うことが?それとも、サクラが私を騙しているかもしれないことが?)
それはない、と思っても信じきれない自分がいる。
答えが出ないまま、また溜息が零れ出た。
2年ほど前、巷でマドレーヌという焼き菓子が流行し、人気となった。
今までにない味で、卵とバターの香りとふんわりとした触感が特徴のその焼き菓子は、瞬く間に有名になり、それを食べることが1つのステータスとさえなった。
当時、桔梗屋は老舗ということもあり固定の常連客はいたものの、それ以上の集客は少なく、経営は伸び悩んでいた。
そんな折、父の与兵衛が、客寄せのために、その菓子を店頭に置いてはどうか、と言い出した。
板長はじめ板前や女将も反対したが、打開策の見えない経営に、試しに置いてみようということになり、その交渉に私が出向くことになった。
大川橋の向こう、桔梗屋のある大川付近からは大川を挟んだ反対側にある下町に、菓子屋『此花堂』はあった。
「ごめんください」
大川橋を渡り大通りを行くと、左右に小道が何本か渡った先に3間ほどの道と交わる。
そこを北に曲がった道沿いの表長屋の一軒で、店からは客が列になり、並んでいた。
「すみません。最後尾に並んでいただけますか?」
そう言って、ガラスのケースの向こうから対応してくれたのが、サクラだった。
黒襟の縞木綿の小袖にたすきを掛けて、前掛けをつけた、私の胸元くらいまでしかない小柄な女性。
狸族によく見られる赤い目元とふっくらとした顔立ちから、幼い印象を受けた。
「客ではありません。今日は、お願いがあって伺いました」
幼い頃から称賛されてきた見た目から、自分でも少しは名を知られているだろうと思っていたけれど、
「どちら様ですか?」
サクラは私を、怪訝そうに見て言った。
店頭に立つ私に、周りからは黄色い声が聞こえてくる。
「桔梗屋の綾人と申します」
営業用の極上の笑みを浮かべて名刺を差し出すと、周りから、キャー、と歓声が上がった。
けれどサクラの表情は、先程と変わらず怪訝そうなまま名刺を受け取り、首を傾げた。
「桔梗屋の若旦那様が、どのようなご用件ですか?」
「此花堂さまとお付き合いさせていただけないかと伺いました」
「はい??」
くるりとした目を大きく見開き、サクラは驚いた顔をした。
「え、ナニナニ?何の話?」
「あーん、若旦那ぁ」
「お付き合い、って、だれと、だれが?」
「若旦那が?」
周りがざわつき、声が徐々に大きくなる。
「あー、あの、すみません。せっかく来て頂きましたけど、お引き取り、」
サクラが頭を下げたので、被せるように言った。
「お忙しいところ、申し訳ございません。是非、お話させて頂きたいと思いますので、空いたお時間に改めて伺います」
「いえ、あの、」
桔梗屋の若旦那として、商売の話をすることもなく引き下がるつもりはない。
けれど、ここは一旦休戦、とばかりに頭を下げて立ち去った。
とりあえずの顔つなぎは出来たとして、その後何度か尋ねたが、忙しいの一点張りで話ができない。
確かに、此花堂は連日大忙しだった。
開店前には、すでに客が並んでいるし、その客も引ける時がない。
そこで、閉店間際に尋ねることにした。
「こんばんは」
「あ、桔梗屋の若旦那」
店の入口に木板を立てていた手代の喜助が、気がついた。
「お店は、終わりですか?」
「えぇ、まぁ」
曖昧な表情で店内を見ると、サクラが顔を出した。
「若旦那」
「遅くに申し訳ありません。ご主人はいらっしゃいますか?」
「あの、若旦那。何度も来て頂いてて、申し訳ないんですけど。うちのような、小さな菓子屋が桔梗屋さんと関わることはございません。ですので、どうかお引き取りください」
幼く見えていたサクラだったが、物おじすることのないハッキリとした物言いで頭を下げた。
「私は、此花堂のご主人と話をしたくて来たのです。話をする前から断られるいわれはないし、貴女に断られる筋合いもありません」
「あんたっ」
喜助が気色ばんだ。
「喜助、いいの。ありがとっ」
サクラは喜助を引き止めるように声をかけると、私をキッと強い目で見上げた。
「わかりました。ご案内します。喜助、お菊ちゃん、片付けが終わったら帰ってね。また、明日、よろしく。さ、若旦那、どうぞ」
サクラは手代の喜助と手伝いの女性に声をかけ、前掛けを外すと、私を店の奥へといざなった。
日はまだ宵の口に入ったばかり、それほど暗くないにもかかわらず、サクラは手燭に火をつけた。
「目が、お悪いんですか?」
「えっ、そ、そうなの」
「私の父も、そろそろ見えにくくなってきた、と言いますね」
「あぁ、お父さん」
振り向いて笑みを浮かべたサクラから、ふわっと甘い香りがした。
初めて香る、その匂いは甘美で心地よく、もっと匂いたいという衝動が沸き上がり、ついとサクラ近づいた。
厨房手前にある2階へと続く階段の上り口。
「すみません。狭くって」
「い、いや、大丈夫です」
思わず、サクラを後ろから抱きしめてしまいそうになり、ダンッと壁に手をついた。
見下ろした、サクラの目には怯えのような色が浮かんでいて、慌てたように2階へ駆け上がっていった。
申し訳ない気持ちと、女性を後ろから抱きしめようとした自分の不埒な行動に驚き、沸き上がった激しい感情にも驚いた。
深呼吸するように息を吐き、気持ちを落ち着けて、階段を上った。
2階に上がると奥へ続く短い廊下があり、左右に障子があった。
サクラは慣れた手つきで右の障子を開けると、そこは緑のオリエンタルな絨毯が敷かれた10畳ほどの畳敷きの部屋で、その上にテーブルと椅子が置かれていた。
テーブルの上には緑葉の刺繍がされたアースカラーのクロス、テーブルの向こうにはグレーのファブリックなソファがあり、横の木棚の上には桜が刺繍されたタペストリーが飾られ、その前には香が焚かれていた。
室内のあちこちに植物の鉢や花が飾られていて、落ち着いた洋モダンな和室だった。
「さくらちゃん、お疲れさま。あら?そちらは?」
狸族特有の赤い目元の恰幅の良い初老の女性が、小さな目を丸くして出迎えた。
「こないだ話した、桔梗屋の若旦那さん」
「えっ、あら、あら、まぁ、まぁ、たいへん!」
「お父さんは?」
「奥で、寝てるわ。あまり具合がよくなくて。見てくるから、ちょっと、待っててね」
女性は着物の裾がはだけるのも気にせずに、短いふさふさとした尻尾を揺らしながら、足早に隣の部屋へ入っていった。
「ご主人は、お加減が、お悪いんですか?」
「階段から落ちて、腰を打っちゃって。それから、歩くのもままならなくなったの」
「それは、大変ですね。では、お店の菓子は、奥様が?」
「いいえ」
首を振るサクラに、此花堂での菓子は全て主人の三次郎が作っていると思っていただけに、驚いた。
案内されて部屋に入ると、そこにも絨毯が敷かれていて、マットレスを2、3枚重ねた上に布団を敷いたベット風の寝具に起き上がって座る初老の男性がいた。
見るからに狸といった風貌で、腰の具合が悪いらしく、腰の後ろ辺りにはクッションがいくつも当てられている。
「何度も、ご足労おかけいたしました。私が、此花堂店主の三次郎です。只今、腰を痛めておりまして、このような姿で申し訳ございません」
頭に耳がたち、尻にはしっぽが出ていて、他の2人に比べ目の周りの色が赤く濃い。
随分と妖力が弱っているように見える此花堂主人の三次郎は、頭を下げたが、動くと痛みがあるのか、顔を歪めた。
「体調がお悪いとは知らず、押しかけまして、申し訳ございません。桔梗屋の綾人と申します」
恐縮して名のると、構いませんよ、と目元を綻ばせた。
もっと手腕に長けた男性を想像していたけれど、目の前の男性は好好爺のような、人のよさそうな笑みを浮かべた、穏やかな雰囲気のをもった、誠実そうな人物だった。
「お話があると聞いております。桔梗屋の若旦那がわざわざ来られるとは、どのようなご用件でしょうか?」
私はバッと膝を折り、その場で正座をした。
「ご主人、どうか、桔梗屋にお力をお貸し願えませんでしょうか。長く暖簾を守り、老舗料亭の名を掲げております桔梗屋ですが、誠にお恥ずかしいことに、近ごろは客足もまばらとなり、苦しい日々を重ねております。このまま手をこまねいてもいられず、一助を求め、こちらに参った次第です」
るると述べた私の口上を、その場にいた3人は半ば口を開け、愕然とした顔で聞いていた。
「どうそ、こちらでお作りになっているマドレーヌを、私ども桔梗屋でも扱わせて頂きたく、お願い申し上げます」
頭を垂れた。
が、誰も固まったままでピクリとも動かない。
「と、とにかく、立ってください。おたつ、サクラ、椅子を、椅子を持ってきてくれ」
静寂を破るように三次郎が叫んだ。
その言葉に、弾かれたように、おたつとサクラが動き出し、テーブルから椅子を持って来て、皆それぞれに座った。
「驚きました・・・」
「すみません。ですが、単刀直入にお話しするべきだと思い、お話しさせて頂きました」
ふぅ、と息を吐き、三次郎は腰をさすった。
つまらぬ前口上など語っても、この人には通じないと思い、包み隠さず、そのままを伝えた。
その功あって、三次郎の表情にも変化が見えて、これはイケると思った。
「折角のお話ではありますが、ご協力することはできません」
「な、何故ですっ」
思っていたものと違う返答に、声が大きくなった。
「手一杯なんですよ、店が。今以上、作ることが出来ません。最近は売れ行きもよく、有難いことですが、私もこの状態ですし。人手も、場所も足りないんです」
「それでしたら、こちらが出資します。ですので、どうにかできないでしょうか?」
食い下がる私に、三次郎は少し離れて座っていたサクラを見た。
「どう思う、サクラ」
何故、今、主人が娘に聞くのか分からず、私もサクラを見た。
「実は、マドレーヌを考えたのは、サクラなんですよ」
「はっ?」
予想外の言葉に、食い入るようにサクラの顔を見つめた。




