⑬ 後始末
「何やってんですー?」
厨房奥のプライベートルームまで来ると、障子の前に、板前やら中居、仁吉まで、数人が陣取っている。
「太七さん。若旦那が、おかしいんだよ」
「あの人がおかしいのは、前からでしょう」
へラリと答えると、板前の長之助が、小さい白い尻尾をぴんと立たせて、真顔で返してきた。
「何、冗談言ってんすかー、マジの話ですよ」
障子の隙間から、ヒョイと覗くと、若旦那は椅子に座り、ぼんやりとしている。
「もう、一刻、あーやって、ため息ばかりついてるんです。そうかと思ったら、ニコニコと笑ってみたり、働きすぎて、おかしくなっちまったんですかねぇ」
お前らヒマか、と言いそうになったのを、
「そりゃあれだ。昨日の、若菜会に行ったせいに決まってますよ」
と、ニヤリといつもの愛想のいい笑みを浮かべて言い、手にしていた、瓦版を見せようとした。
「わっ、なによ、これ」
瓦版を目ざとく見つけた、中居の久美が、ひったくるように奪い取り、声をあげた。
『桔梗屋若旦那、熱愛発覚!』
『お相手は誰だ‼︎』
『若菜会で、見染めたのか!』
「なんなのっ、これは」
わなわなといった感じで、瓦版を持つ手が震えている。
「若旦那に、近づく女がっっ!」
(若旦那の方が、近づいてるんだけどねー)
内心そう思って、見ていると、だんだんと震える手が、紙に食い込んでいく。
(あーぁ、せっかく、買ったばっかりなのに)
「久美さんには、関係ない話だろ」
何も知らない猫女に、ワザとらしく言ってやった。
「わかってるわよっ」
クワッとひっ掻かかれそうになって、飛びのいた。
「今朝、売ってんのを見て、面白いから、買ってきたんですよ」
そう言うと、みんなが、瓦版を持つ久美の周りに群がった。
「え、若旦那。どなたかと恋仲なんですかい?」
聞かれて答えるわけにもいかず、
「さぁ」
両手を上にして、知ったかで答えた。
「『昨日の若菜会に連れ添って参加された』って、一体誰と参加したんだ?」
「こっちには、『若旦那、ご乱心!』って、書かれてますぜ」
「『会場で、大暴れ』って、ホントですか?この話」
みんなが、口々に合うのを、内心ほくそ笑みながら聞いていた。
(こういうの、楽しいなぁ。みんなが知らないことを、俺だけが知ってるってのは)
ニンマリしていると、仁吉と目があった。
「まぁ、瓦版ですからねぇ。でも、今朝は、都中、この噂で持ちきりですぜ」
明後日の方を向いて、へラリと答えた。
「若菜会に参加されて、恋人ができたってことでしょうか?」
不満いっぱいの久美をよそに、板前の長之助が横からまじまじと読みながら言った。
「うおっ、マジかー。客、減るんじゃねーの?」
「いや、逆に増えるんじゃないか。やっぱ、知りたいだろ。どんな相手か」
「でも、今まで、彼女らしい話なんて、聞いたことがないよ。ホントかな」
「お相手の女性については、書かれてませんね」
それぞれに、頭を抱えたり、腕を組んだりして、しのごの言っていると、急に、久美が、瓦版をくしゃりと握りつぶした。
「だぁー!熱愛って一体何なのよ。若旦那は、あの、冷徹無慈悲が、素敵なのに。デレデレしてる、若旦那なんか、若旦那じゃないわ」
(おいおい、ぐしゃぐしゃにすんなよー。でも残念。若旦那は、あの狸の小娘に、デレッデレなんだわ。ケケッ)
また、仁吉と目があった。
「ちっ」
「ちょっと、太七。今、舌打ちしたでしょ」
「してませんよ」
「いいえ、聞いたわ」
(うーわ、お鉢がコッチにまわってキタ)
大きな猫目で睨んでくる。
「あなた達、ナニ、やってるの。店の準備はまだ、終わってないのよっ」
足音高らかに、中居頭のお信がやってきて、ドドンッと罵声を落とした。
すると、みんな蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、俺はすかさず、くしゃくしゃになった瓦版を回収して、仁吉と一緒に部屋に滑り込んだ。
「はぁ、うるせー、うるせー。こんなとこまで押しかけてきて、うるさくなかったんですかい?」
横向きに座り、背もたれに片肘をかけた、さながら浮世絵のような若旦那に、言った。
「どうでもいいよ。で、どうだった?太七」
この人、ほんと、興味ないことには冷淡だなぁ、と思いながら答えた。
「はい、朝早く、辰蔵親分と御奉行の大野様が、此花堂に来てやした」
「大野様も。サクラさんは、どんな感じだった?」
「まぁ、相変わらず、ちっせー体を小さくして、ぺこぺこしてましたねー」
ふっと表現を緩めた、若旦那。
なんで、あんな狸の小娘がいいんだか。
ヨレた瓦版を引き延ばして、テーブルに置いた。
「若頭は、どうだった? 仁吉」
「牢屋敷に、入ってました。若菜会で、規定されていない媚香の使用や、妖術の私的利用、サクラさんへの強姦未遂、と、かなりいろいろやらかしたので、暫く、出てこれないでしょうね」
「オイオイ、マジかよ。悪い話しか聞かないから、ろくでもない奴だと思っていたけど、マジ、糞だな」
驚く俺をよそに、仁吉は話を続ける。
「あと、町民から若頭に関する目安書が北町奉行所へ多数、届いてまして、奉行所も今回のことは、かなり重く見ているようです」
「そうか」
若旦那の唇の端がじわりと歪んだ。
「この、タイミングで、目安書って。仁吉、裏で、そんな面白いこと、やってたのか」
じろりと仁吉を見た。
「あいつの素行の悪さは折り紙付きだ。わざわざ調べなくとも、話はどこにでも転がっている。少しのキッカケさえあれば、人の鬱憤なんてものは、止めどなく吹き出すものさ」
そう答えたのは、冷ややかな笑みを浮かべた、若旦那だ。
(うーわ、スッゲー、悪人面)
「この後は、どうします?若旦那」
「そうだな。あまり、動くと悟られるけど、トドメは刺したいよね」
仁吉の言葉に、思案するように、若旦那は首を傾げた。
「なら、俺がやりましょうか?」
俺は、自分の首を切るように、指を滑らせた。
「いや、そうなったら、また、サクラさんが悲しんでしまう」
「は?」
「それに、そんな簡単に、死なせるわけにはいかない。サクラさんに与えた苦しみを、十二分に味わってからじゃないと。自ら死を選びたくなるような、そんな苦しみを与えてやる」
(お、いいね。その、刃物みたいな冷酷な笑み。ゾクゾクする)
俺は、若旦那の、こういうところが気に入っている。
他を寄せ付けない、圧倒的な強い妖力と、その揺るぎない硬質な美しさ、そして、冷徹なまでのモノの考え方。
若干、サクラの登場で、思考回路にズレが出たみたいだけど、やはり、残酷な狐族の血を濃く受け継ぐ若旦那だ。
(俺も、久美さんのことは、言えないか)
と思っていると、お信の声がした。
「若旦那、失礼します。今、此花堂の喜助さんが来られてまして、店主より菓子について、言付けを預かっている、と・・・、あれま、若旦那?」
お信が、障子を開けて、言い終わらないうちに、若旦那は、秒で出て行った。
表向き、菓子を考えているのは店主の三次郎ということになっているけれど、実際は、あの狸娘だ。
だから、菓子について、となると、十中八九、サクラからの使いということになる。
「誰が、腑抜けになったって、いうんだい。此花堂と聞いて、すっ飛んで行ったじゃないか。腑抜けじゃなくて、仕事の虫になり過ぎている、の間違いじゃないのかい?」
(えー、違いますよ、お信さん)
そう思った瞬間、若旦那を見送るように見ていたお信がこちらを向いて、バチッと目が合った。
「太七、あんた、ここにいたのかい。また、勝手にぶらぶらして。仕事は、まだ終わってないんだよ。仁吉も、船の用意は、終わったのかい?今日は、迎えの予約も入っていただろう」
「準備は、終わっています。」
小言が続くと思われたが、仁吉がサラリと答えた。
「おや、そうかい」
「はい。若旦那に用事があって、来てました」
仁吉が言うと、お信の目が俺に移り、細まった。
「それじゃ、行くよ」
お信が、俺の着物の衿を掴んで、ぐいっと引っ張った。
「いや、お信さん。オレも、若旦那に用事があって」
「ウソおっしゃい。瓦版片手に、若旦那のところで油売ろうって、魂胆だったんだろう」
「き、聞こえて。地獄耳」
お信は、ニンマリと笑った。
仁吉を見ると、助ける様子もなく、片手を振るように上げた。
「仁吉、オマエ・・・ちょっ、待って、お信さん」
「待たない。今日という今日は、キッチリ働いてもらいますよ」
「イ、イタイ。まだ、話が、」
抗議むなしく、ズルズルと引きずられるようにして、連れていかれてしまった。
「太七は?」
部屋に戻ると、太七の姿が消えていた。
「お信さんに、連行されていきました」
「ハハ、そっか」
厨房の裏でお信の声が聞こえていたから、きっと、シボられているんだろうな、と思った。
「若旦那、どうします」
「うん」
仁吉の問いに、喜助から受け取った、モスグリーンの封筒に視線を落とした。
その上に、綾人さまへ、と書かれている。
女性らしい、可愛い文字に、サクラの顔が浮かび、そして、彼女の嗚咽が耳に蘇った。
どんなに怖かっただろう、と思うと胸がギュウッと痛くなり、勇五郎への憎しみが増す。
あのまま凍らしておけばよかったか、とも思うけれど、そんなものは、生ぬるい、と苛烈な感情が沸き上がってくる。
もう二度と立ち上がれないように、完膚なきまでに叩き潰したい。
でも、やり過ぎると、サクラが気に病むかもしれない。
あんな奴、死んで当然と思うけれど、きっと知れば、悲しむだろう。
それならば。
「呪詛返しをやる。アイツが、これまで、人を罵倒し、踏みつけ、傷つけてきた、それらを、倍にして返してやろう。ヤツの目に、直接刻めば、そうすれば、死ぬまで苦しみ続けることになる。永遠に苦しみながら、生き続ければいい」
勇五郎がそうなったら、と思うと、胸がすくような気持ちになった。
「・・・分かりました」
いつもなら、何も言わずに従ってくれる仁吉なのに、戸惑うような影を感じた。
「なに?」
「いいえ。あの男は、世の中的にも、いなくなった方がいいと思いますけど。あまり、今まで、人に関心がなかったのに、と思ったもので」
こちらの真意を確かめるような、静謐な目を向けられた。
「・・・サクラは、自分でも不思議なくらい、特別なんだよ」
子供の頃から、ずっと傍にいてくれる兄のような仁吉に、これまで、誰にも言ったことなかった、自分の本音を口にした。
「準備が整ったら、連絡します」
「うん」
仁吉は、部屋を出ていった。
足音が遠くなるにつれ、胸の鼓動が早くなる。
うすうす気づいていたと思うけれど、直接、聞かれると思っていなかった。
よく分からない緊張に、
「ふぅ」
と息を吐いて、手の中の手紙を見た。
こんな気持ちになったのは、初めてで、自分でもどうしたらいいのか、わからなくて持て余している。
でも、イヤじゃなくて、ただ気持ちばかりが大きくなる。
あの、気になっている、甘い香りも、最近では、正直、どうでもよくなってきている。
若菜会の会場でも、サクラから感じて、思わず抱きしめてしまったけれど、それよりも、自分の腕の中にサクラがいると思っただけで、気持ちが昂り、感情のままに動いてしまったんだ。
私と同じように、サクラにも、私を好きになってもらいたい。
気持ちを、何度、伝えようと思ったかしれない。
だけど、一緒にいても、時折、彼女との間に見えない壁のようなモノを感じることがあって、ワザと、一定の距離を置いているように思えて、口にできない。
好きなのに、好きになってもらえない、もどかしい気持ちばかりが募る。
(結構、あからさまに、態度に出してるつもりなんだけどな。いやいや、悪いようには、考えない。こうして、手紙をくれたんだ。少しは、前進してるはずだ)
悲しいかな、この手紙が、愛の告白でないのは明白で、昨日の今日を思えば、内容にだいたい想像はつく。
とはいえ、早く読みたくて、足早にプライベートルームを出て、自室へ向かった。




