⑭ 叶わぬ思い
「なんてことだ。若頭が、そんなことを。いくら、サクラが無事だったとはいえ、それ相応の処罰をしていただかないと、納得できませんよ」
ベッドの上で、怒りおさまらぬ、といった表情で三次郎が言った。
「お怒りは、ごもっとも。我々も、今回の事は、重く受け止めております。サクラさんには、本当に、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
ベッドの横で、正座した大野がそう言うと、辰蔵親分共々、平伏とばかりに頭を下げた。
「あ、あの、私は、大丈夫だから、お父さん」
「何を言うんだ、サクラ。若旦那がおられなかったら、どうなっていたか」
「それは、そうなんだけど」
北町奉行の御奉行という、相手が相手だけに、言い過ぎるのもどうかと思って、私は声を上げたけれど、三次郎の怒りは収まりそうもない。
若菜会の次の日の朝一に、北町奉行の御奉行、大野様と火消し北組の頭である辰蔵親分が、此花堂へ謝罪にやってきた。
店を開けた時、お客が並んでいると思ったら、この2人が立っていて、すっごく驚いた。
昨日のことは、心配をかけたくないのと、正直、忘れてしまいたいくらい思い出したくない出来事だっただけに、三次郎には話していなかった。
だから、2人から話を聞いた時、三次郎は激怒して、腰が痛いのも忘れて立ち上がりそうになり、おたつと2人で押しとどめたのだった。
大野の話から、若頭は、私への強姦未遂だけに留まらず、若旦那が看破した、規定外の媚香の使用や私的な妖術の使用など、耳を疑うような、職権を利用した利己的な行いをやっていて、驚いた。
ずっと、ウチの大事な常連客だと思っていた三次郎の衝撃は大きく、
「若頭の悪い噂を聞く時もありましたが、危険をかえりみず、火消しの若頭として、頑張っておられると、ずっとそう思っておりましたのに、まさか、そんな自分勝手なことばかりしていたとは。サクラを、傷つけるようなことまでして。もう、本当に、腹立たしくて、仕方ありませんよ、辰蔵親分」
とはいえ、御奉行の大野様に食い下がることは出来ないので、自然と矛先は辰蔵親分へと向かってしまう。
「三次郎。本当に、申し訳ない。俺としても、勇五郎の、サクラさんへの慕情を多少なりとも、知ってはいたんだが、ここまでとは思い至らず、迷惑をかけてしまった。本当に申し訳なかった。サクラさんも、この通り、本当に申し訳ない」
そして、辰蔵親分が、謝り続けるという、ループが続いている。
何度目かのループで、ようやく三次郎も落ち着き、
「勇五郎の沙汰は、正式に、決まってはいないが、いろいろな方面からも、話は届いている。間違いなく、若頭の職は、解任になるだろう」
大野がそう言うと、辰蔵親分の顔が曇った。
辰蔵親分にしてみれば、勇五郎は、同じイタチ族の弟分のような存在だから、相当なショックだろう。
三次郎も、それは分かるらしく、押し黙った。
「また、改めて報告に来るが、今日は、この辺で」
ということで、ようやく終わりを迎えた。
「三次郎、かなり、腰の具合が悪いようだな。無理をさせて、すまなかった。詫びと言う訳ではないが、腰痛に精通した者がおるのだが、良ければ、紹介しよう」
帰りがけに、大野がそう言った。
三次郎は、微妙な顔をしていたが、なかなか治らない腰を心配していた、おたつは大喜びで、早速にも来て欲しい、とお願いした。
「サクラさん、この度は、申し訳なかったね」
「いいえ。何も、なかったので。もう」
部屋を出たところで、大野が私に話しかけてきた。
アースグレーの、目力強めの縦の瞳孔が、私をヒタッと見てくる。
笑顔を顔に張り付けて、先導するように、私は階段を下りた。
「綾人くんが、いてくれた、お陰だな。私も、感謝しなければ。大事に至らなくて、本当に良かった」
「はい。そう、ですね」
何気に、トゲのある言い方に聞こえるのは、私が、大野を苦手だと思うからだろうか。
狭い階段だから、仕方ないのだけれど、後ろからの視線が気になって、何とも言えない緊張感に、息が詰まる。
「サクラさんは、綾人くんと、つきあっているの?」
「いい、いいえ」
「そう?彼は、君を気に入っているように見えたけど」
「そんな、ことは、」
「甘い香りのせいかな?」
ドキッ、と口から心臓が飛び出そうなほど、驚いた。
心臓が、バクバクと馬鹿みたいに大きく早打ち、何か答えなければ、と思うのに、言葉が出てこない。
(何かを知っているの?それとも、只の感想?)
いろんな思いが、頭の中を駆け巡るけど、上手く思考がまとまらない。
店の表まで来て、顔を合わせた。
アースグレーの瞳からは、何の感情も読み取れなくて、何を考えているのか分からない。
(この人、怖い)
若旦那の目も同じ縦の瞳孔だけど、こんな、得体の知れない恐怖を感じたことはない。
若旦那の瞳の中には、私に対する気遣いや優しさが垣間見えて、あの勇五郎でさえ、私に対して執着があった。
でも、この人には、何もない。
「大変な思いをさせてしまって、謝る以外に、どうしようもないが。もし、また機会があれば若菜会に、と言いたいところだが、もう参加はムリかな」
大野は、薄く笑みを浮かべた。
その笑みの意図が見えなくて、私は曖昧に頷いた。
「それと、整骨師は、伊織という名だ。話を通せば、すぐにでも来るだろう。腕のいい整骨師だから、診てもらうといい」
「はい、ありがとうございます」
後から出てきた、おたつが笑顔を浮かべて答えた。
おたつと2人、店から出てきた、喜助とお菊も一緒に、大野と辰蔵親分が去っていくのを見送った。
「はぁー。朝一から、何事だったんですかねぇ」
「いろいろとね、あったのよ」
喜助の言葉に、おたつが答えになってない答えを言った。
「サクラちゃん。今日は、ムリしないで。2人に任して、休んだら?手も、まだ、痛むんでしょう」
おたつの言葉に、手を見下ろし、軽く握ってみたら、ピリッと少し痛みがあった。
今日の分の菓子は作れたけど、手は、どうしても使うので、すぐに治るとは思えない。
「お父さんの様子、見てくるわ。さっきので、痛みが、またぶり返したみたいだから」
「うん」
おたつが店に戻るのを、ぼんやりと見送った。
「お嬢。大丈夫ですか?お化けにでも、会ったみたいな顔、してますぜ」
「うん」
自分でも、驚くぐらい動揺してたみたいだ。
(もう、あの人に会いたくない。でも、また来るようなことを言ってたから、会わなくちゃいけないのかな・・・)
まだ来ていない、先の未来を想像して、ドッと疲れを感じた。
でも、もし、お客で来た時は。
「喜助。大野様が店にきたら、交代してね」
「は?なんで、俺が?」
「苦手なんだもん」
「俺も、ですよっ」
喜助は、すっごいイヤそうな顔をして言った。
重たい気持ちを引きずるように、店に入った。
おたつの言う通り、今日は、休もうかと思って、ガラスケース横の店台を何気に見た。
「な、によ。コレ」
『桔梗屋若旦那、熱愛発覚!』とでかでかと書かれた瓦版が置かれていた。
「おいおい、それは、仕舞っとけって、言ったじゃねーか」
「えー、私、まだ全部、読んでないもん」
喜助とお菊の会話をよそに、私はそれを掴んで見た。
昨日の若菜会での出来事が、書かれている。
でも、その内容は、若旦那のことばかりで、肝心の勇五郎のことは、小さく載っているだけだ。
「サクラお嬢さん。ここに書かれてる、若旦那のお相手女性って、お嬢さんのことですよね?」
ねぇ、ねぇ、とばかりに、お菊が隣にきて言った。
『若旦那が女性をエスコートして、連れ添って若菜会に参加された』だの、『男性と、女性の取り合いになって、妖狐姿で大暴れした』だの、『ブリザードと化した会場が凍りついた』だの、さも見てきたような文章に、腹立たしさや悔しさ、昨日の理不尽な出来事が頭に蘇ってきて、ワナワナと体が震えた。
「昨日、若旦那が来て、一緒に若菜会、行ってましたもんね」
「ヤメロ、お菊」
「えー、なんで。聞きたいーっ。今朝だって、御奉行さまが来たのよ。これは、やっぱり、昨日の若菜会のことでしょう」
喜助の言葉に、若い年頃の女の子という感じで、両手をぶんぶんと振って、お菊は言った。
「そうだけど、違うわっ」
私は、カッと目を見開いて答えた。
「えっ?、それは、どういう。あっ」
困惑するお菊に瓦版を押し付けて、私は2階の自室へ駆け上がり、ピシャンと障子を閉めた。
椅子に座って、机に肘をついて頭を抱えた。
どういえばいいのか分からないような、ぐちゃぐちゃな感情が沸き上がってきて強い憤りを感じる。
若旦那にお相手なんて、存在しない。
瓦版に書かれていたのは、私だけど、私は見初められてもいないし、取り合いにもなってない。
そんなことより、若旦那は、私のピンチを救ってくれたんだ。
それなのに、あんなウソばっかり、面白おかしく書き立てて、一番問題にならなくちゃいけない若頭のことは、少ししか載ってなかった。
若旦那の名誉ばかりが傷けられているようで、やりきれない気持ちに涙が滲んでくる。
この瓦版を作った人も、読んでいる人も、誰も彼もが、腹立たしい。
でも、ここに自分の名前が載っていないことに、安心する自分が、一番最低だ。
(昨日、ホテルで話していたことは、このことだったんだ)
もし、私の名前が載っていたら、今日の営業なんて、出来ていないかもしれない。
営業どころか、誹謗中傷で、大変なことに、なっていたかもしれないし、勇五郎とのことを、面白おかしく瓦版に書き立てられていたかもしれない。
そう思うと、体がぶるっと震えた。
(あぁ。私はまた、若旦那に助けられたんだ)
若旦那は、私にとって、相容れない相手。
必要以上に関わらないようにしよう、と思っている相手。
なのに、どうして、若旦那を思うと、こんなに胸が、締めつけられるように痛いんだろう。
(若旦那は、瓦版のこと、知ってるのかな?今は、どうしてるんだろう)
矢面に立たされて、辛い思いをしているかもしれない。
私が、若菜会に行くと言わなければ、こんなことにはなってなかったかもしれない。
私が、もっと危機感を持っていれば、違う結果になっていかもしれない。
後悔ばかりが頭を巡るけど、今更、どうしようもない。
若旦那に助けてもらって、守ってもらって、このままではいられない。
(何か、したい。若旦那の、力になりたい。でも、私に、出来ることなんて・・・)
私に、何ができるんだろう。
私が出来ることいえば、菓子を作ることしかない。
(そうだ。桔梗屋さんに置く菓子を、新しく考えよう)
そう思うと、ざわついていた胸も落ち着いてきて、やる気が出てきた。
(でも、その前に)
引き出しを開けると、一番上にあるのは水色の封筒。
それを手に取り、口元に近づけると、若旦那の着物と同じ、柑橘系の爽やかな香りが薄っすらと香った。
桔梗屋に行ったら、迷惑がかかるかもしれない。
でも、何か声をかけたい、感謝を伝えたい、そんな思いがいっぱいで、私は、手紙を書こうと思いついた。
『綾人さま』
便箋に、若旦那の名前を書いた。
いつもは、若旦那、と呼ぶので、改めて名前を文字にして書くと、なんだか、すごく緊張するような、ムズムズする気持ちになった。
昨日のホテルでも感じた、居心地の悪さのような感じに、胸がギュッとなる。
『急に、私からの手紙なんて、驚いたことでしょう。今朝、瓦版を見て、居ても立っても居られなくて、でも、お店に行くのはご迷惑になると思って、手紙を書くことにしました』
思ったままを書くと、おかしな文章になってしまった。
書き直そうかと思って便箋を千切りかけたけど、やめた。
書き直すにしても、とりあえずは、一通り書こうと思った。
携帯で打つのと違って、手紙となると、話し言葉のような言葉ではなくて、文章にしなくてはいけないので、結構、大変だ。
思いを伝えたいと思うけど、どういう風に書けばいいのか、悩んでしまう。
いろいろと頭の中で考えるけど、考えすぎて、一通り書こうと思ってても、なかなか進まなくて、時間ばかりが過ぎていく。
「あー、上手く、書けない」
机にうつぶせ、便箋の横に置かれた、水色の封筒を眺めた。
昨日は、いろんな若旦那を見た。
店に迎えに来てくれた時は、すっごくカッコよくて、びっくりした。
なのに、私を見て、綺麗だ、なんて言うから、ヘンにドキドキしちゃった。
歩いていても、私を気にしてゆっくり歩いてくれるし、会場でも、ビクついてる私を心配してくれた。
考えてみると、ずっと、私を、気にしてくれてた。
(お酒を飲んだ時も、心配して、顔を見てきたし。ちょっと、ヘンな気分になったのって、あれは、媚香の影響だったのかなぁ)
頬に触れた、ヒンヤリとした手の感触がすごく気持ち良かった。
私を見つめる、恍惚とした薄青い瞳が思い出されて、急に体温が上がってきて、頭をぐりぐりと机に押し当てた。
「もうー、なんなの、私」
顔が熱い。
媚香効果が続いているのか、というくらいドキドキしてる。
「はぁ」
横を向いて息を吐いた。
もう、このドキドキがなんなのか、認めたくないけど、分かってる。
私は、若旦那のことを、好きになりかけているんだ。
(だって、あんな、颯爽とカッコよく助けられたら、誰だって、好きになっちゃうんじゃない?若頭なんて、手も足も出なかったんだから)
言い訳じみたことを考えながら、あの力が、私に向けられるかも、と思うと、また溜息がでた。
「人間だと知られてはいけない相手なのに、ホンット、馬鹿」
自覚したところで、どうしようもない。
この世界は、本当に、どうしようもないことばかり。
(もう、ホント、いっその事、私が人間だってバラしちゃって、あの、冷たい凄艶な顔を向けられたら、そしたら、気持ちも冷めるのかな?って、その前に、命が消えるだろうけど)
思えば、若旦那から、あんな冷たい顔を向けられたことがない。
若旦那は、私を狸族のサクラ、として見ている。
もし、私が人間だと知ったら、ううん、他のどの種族であっても、狸族じゃないって知ったら、若旦那は、どう思うだろう。
(裏切られたと、思うのかな。それか、狐族を真似ていれば・・・・・)
顔を上げて、椅子に座り直した。
(こんな、不毛な考えは、やめよう)
自分で、自分に、うん、と頷いた。
どんなに思っても、報われることはない。
隠し通すなんて無理だし、バレたら、そこで関係が終わるし、私の命も終わってしまう。
もともと、結婚はおろか、誰とも関わるつもりはなかったんだから。
ある日突然、元の世界に戻れるかもしれないんだし、この世界は、本来、私がいる場所じゃない。
そんなところで、誰かを好きになったとして、それに、なんの意味があるんだろう。
(若旦那は、仕事上のパートナー、それでいいじゃない。これまで通りの付き合いで)
親切にされた分、私も仕事で恩を変えそう。
(大丈夫、この先、会うことも少なくなるだろうし、あったとしても、仕事上で会うだけ。会わなくなれば、胸の中にくすぶる、この思いも、きっと消えていくはず)
そう思うのに、薄青い瞳を細めて、優しく笑う若旦那の顔が、頭から消えない。
(若旦那は、本当に、私が人間だと分かったら、妖の本能を剥き出しにして、私を殺すんだろうか)
考えない、って思うのに、疑問が頭に浮かんでしまう。
どちらにしても、バレたら、もう、あの笑顔は向けてもらえない。
そう思うと、死ぬ恐怖よりも、あの笑顔を向けてもらえないことの方が、悲しく感じて、
「本当に、どうかしてる・・・」
私は、軽く首を振った。
そして、大きく深呼吸して、手紙を書き始めた。




