⑪ 攻防
押された弾みで、ベッドの上に仰向けに倒れた。
息を飲む私を、舌なめずりをしながら、勇五郎は見下ろした。
仄暗く揺らめく、ねっとりとした視線に、背筋に冷たい悪寒が這いあがる。
倒れ込むように、勇五郎は、私に覆いかぶさってきた。
すかさず私は、左にゴロンと寝返りをうって躱し、ベッドから転がり落ちた。
裾がはだけるのも、そのままに、ドアに向かって走る。
「待てっ」
と言われて、待つはずもない。
手負いから逃げる兎のごとく、脱兎な勢いで、走る。
もう少し、というところで、何かにふわりと足がすくわれ、前につんのめり、したたかに胸を打った。
殴打に、息がつまる。
でも、急いで立ち上がろうとした。
「あっ!」
後ろから伸びてきた勇五郎の手に、足を掴まれ、手をついて抗うのも虚しく、ズルズルと引っ張り戻される。
肩を掴まれ、上を見ると、
「ヒッ!」
勇五郎の顔が、イタチの妖姿になっていた。
黒い縦の瞳孔が見開かれ、私と目が合うと、目を眇めた。
「お前、媚香が効いていないのか?それとも、恐怖でシラフに戻ったか?どちらにせよ、大人しくしているのが、身のためだ。でないと、切り刻んでしまうかも知れないよ。ハハ、それも一興か」
楽しそうに笑いながら言う、その口元から牙のような歯と赤い舌、そして、背後に揺れる、3本の尻尾が見えた。
尻尾の数は、妖力の強さの証。
若頭という肩書きは、名前だけではなかったということだ。
フッと頬に風を感じた。
閉め切った室内なのに、風が起こるはずがない。
(な、に、コレ)
勇五郎が手を振ると、空気が刃の形となって宙を舞った。
手をぐるぐると振った後、スッと振り下ろすと、宙をぐるぐると舞っていた刃が、クッションの上に落ちた。
バッと、表面が切り裂かれ、中の羽が飛び散った。
まるで、見せびらかすような動作。
勇五郎を見ると、片方の口角を深めて、私の反応を楽しんでいるように見えた。
「クククッ、どう、怖い?そういう顔もいいね。すごく、ソソるっ」
顔が近づき、怖くて体が、ガタガタと震える。
少しでも、離れたくて、体をズリあげる。
「ダメだよ、逃げちゃ」
着物の胸元を掴まれ、引っ張られた。
「イ、イヤッ!」
やっとの思いで声を上げたが、渇き切った喉からは擦れた声しか出てこず、叫びにならない。
「あぁ、甘い。俺を誘う、甘い匂いだ。俺を、こんなに夢中にさせておいて、他の男に尻尾を振るとは、お前は、悪い女だな。お仕置きをしないといけないな。二度と逆らわないように」
今にも触れそうなほど、首筋に顔が近づき、血の気が引いて、息がつまった。
勇五郎が、どうしてそんなに、私を手籠めにしたいのか。
それほどまでに、人間の匂いは気を狂わせるのか。
分からないことだらけだけど、私だって好きでもない男のモノになんか、なりたくない。
(自分で望んでこの世界に来たワケでもないのに、甘い香りが、なんだっていうのよっ)
私は、渾身の力を込めて、手足をバタつかせ、抵抗したが、すぐに両手を頭上に押さえつけられてしまった。
けれど、馬乗り状態になっていたため、運よく足が股間にヒットした。
「うっ」
今、とばかり、体をズリあげ、逃げようとした。
けれど、すぐにまた、足を掴まれてしまった。
「この、アマッ」
罵声と共に、顔面に拳が落ちてくる。
殴られる、と思った瞬間、目の前に真っ白な光が広がった。
視界を塗りつぶす、眩しい光。
バンッ。
衝突音がして、私は、おののきながらも、目をこすり、瞬きを何度もしながら見ると、勇五郎が足元で、正座するようにうずくまっていた。
左手で、右手押え、その右手が、おかしな形に歪み、血が滲んでいる。
(ナニ?が、起こったの?)
そう思うけれど、急いで体を引き起こし逃げようとして、カシャン、と耳元に差していた、かんざしが滑り落ちた。
私は、すぐに、かんざしを掴んで立ち上がろうとした。
でも、全身の筋肉が強張り、ガチガチで、立ち上がれない。
「オマエ、何を、したっ」
恐ろしいほどの怒気を含んだ声。
勇五郎はクワッと両目を見開き、私に左手を伸ばしてきた。
バキバキバキバキ。
聞いたことのない音が後ろから聞こえ、目の前の勇五郎が、信じられないものを見るような顔で後ろを見ている。
振り返ると、ドア一面、氷と化していた。
ドアだけでなく、壁にも、床にも氷は広がり、室内の温度が一気に下がった。
そして、ギギギギ、と異音をたて、ドアが開くはずのない前方向へと傾き、ドォーンッという轟音と共に崩れ落ちた。
私は、驚きのまま、ぺたんと座り込んでしまった。
氷煙が舞う中、そこには、凄艶なほどに美しい、若旦那が立っていた。
揺らめく二つの蒼炎は、見る者を凍らせてしまうかと思うほど、冷たい殺気を放っていて、さながら鬼神のようだ。
唖然と見上げる私に目をとめると、周りに散らばる氷塊を気にすることなく、ジャリジャリと踏みつけ、真っ直ぐに私に向かってきた。
シュッ。
空気が切り裂くような音がして、勇五郎が風の刃を若旦那に向かって放った。
けれど、勢いよく飛び出した刃は、すぐに空中で凍りつき、床に落ちて、砕け散った。
それでも、勇五郎は何度も刃を放ち続ける。
いくつもの風の刃が若旦那に襲い掛かかった。
若旦那を取り巻いていた冷気がグンッと大きくなって、室内の温度が一段と下がり、放たれた無数の刃が次々と凍りつき、砕け散った。
空中で砕けた氷は、結晶となってキラキラと舞い落ちた。
「クソッ」
勝ち目がないと悟ったのか、勇五郎は私を見ると、手を伸ばしてきた。
バキバキバキバキ。
もの凄い勢いで足元から氷が這い上がり、勇五郎は一瞬で全身、氷に覆われ、氷の銅像と化した。
「お前が、私に、勝てるはずがないだろう」
温度のない、若旦那の冷たい声。
窓から差し込む木漏れ日を受けて、氷の銅像はキラリと光った。
「サクラ」
傍で声がして、見ると、心配そうな憂い顔をした、青い海底のような深青の瞳孔が、私を見ていた。
いつもなら、怖くてたまらない目のはずなのに、胸に強い安堵感が広がった。
じんわりと胸に温かなモノが広がり、強張っていた身体から力が抜ける。
「わ・・・か、だん、な」
擦れた声が出た。
(もう大丈夫。若旦那が、助けに来てくれたんだ)
そう思ったら急に、視界が滲んだ。
「大丈夫?何か、されていない?」
何度も頷いて答えた。
若旦那の優しい声と背中に添えられた手の温かさに、胸がギュッと熱くなり、涙が込み上げる。
それと同時に、張り詰めていた緊張が緩んだせいか、身体がブルブルと震え初め、私は、自分で自分を抱きしめた。
「な、んか、急、に」
若旦那は、羽織を脱いで、私にかけてくれた。
部屋の外から、人の集まる、ざわめきが聞こえてきた。
入口に、人だかりが出来ているようで、私は自分の姿を見下ろした。
胸元ははだけ、帯は曲がり、着物はヨレヨレで、こんな格好を大勢の人目に晒すのかと思うと、羞恥に見悶えた。
「大丈夫だよ。なんなら、目をつむっておいで」
若旦那は、そう言うと肩にかけていた羽織を、私の頭からかぶせ、私を包んだ。
そして、私を、すくい上げるように抱き上げた。
「わ、若旦那?」
「移動するだけだ」
羽織の隙間から、優しく目を細める若旦那が見えた。
「こ、これは、いいいいったい。あ、あぁ!」
聞き覚えのある声。
辰蔵親分の声だ。
「わわわ、若旦那。ゆ、勇が、こお、凍って、凍って、おります」
若旦那は、声に答えることなく、歩き出した様子。
「ま、待って、待って、下さい。勇の氷を、溶かしてください。絶対零度の氷の中。あの、ままでは、死んでしまいますっ」
「死ねばいい」
背筋が凍るような、冷たい声。
「ごご後生です。後生です、若旦那。勇五郎の不始末、謝ります。ももも申し訳なかった。いや、申し訳ごさいませんでした」
ざわりと周りから、どよめきが聞こえた。
「このとおりです。勇五郎を助けてやってください。本当に、すみません。サクラに、ここまで執着しているとは、知らんかったのです。ただ、好いた相手に思いを伝えるだけだと思っておったんです。まさか、ここまでやらかすとは。本当に、申し訳なかった」
辰蔵親分は、正座をして頭を下げているようだ。
「被害を受けたのは彼女だ。私に謝ってどうする?」
「それは、もちろん、キチンと謝罪させて頂きます。ですから、」
縋りつきそうな勢いの、辰蔵親分に、若旦那は、苦々しい顔を向けた。
「会場で媚香が焚かれていた」
「は?」
「それに、移動の妖術まで。若菜会では、そういった類のものは、御法度なのでは?」
「それについては、私が話そう」
違う声が聞こえてきた。
「大野様」
若旦那の声に、あの目力強めな人の顔が、頭に浮かんだ。
「若菜会は、異種族同士の交流の場だ。多くの異種族と円滑に進める為に、媚香は容認されているのだ。最近では、結婚する者も多くなってきているからね。といって、なんでもいいわけではない。香の種類と容量の規定はある。それと、移動妖術については、事前に、辰蔵から、会場内限定で使用願いが出されていてね。それは、私が許可した」
納得がいかないといった雰囲気の若旦那。
「限定とおっしゃいましたが、ここは会場ではございません」
そして、怪訝な声。
「あぁ、勇五郎が逸脱してしまった。こんなことをするとはな。君がサクラに気があると知って、よほど焦っていたんだろうね」
声が近づき、私は、生唾を飲み込んだ。
「女っ気のなかった勇五郎と、どんな女性にもなびかないと有名な君、その2人が、ここまで夢中になるとは。何やら、その娘には、面白そうな曰くがありそうだ」
「若頭は、顔が問題なのでは」
若旦那は、しれっと言った。
「言うね、君も」
やり取りを聞きながら、辰蔵親分はオロオロと、2人の顔を交互に見た。
「今回の事、当然お調べになるんですよね」
「無論。勇五郎の所業だったとしても、騒動が起こった原因を、追及しなければならない。容認とはいえ、あの会場の異様な盛り上がりを思えば、通常の香でないのは明白だ。何を、使ったのか。それに、君が暴れた後始末もあるしね」
含みを含んだような、大野の声。
「大野様。今回のこと、彼女の名前は、伏せていただきたい。彼女は、ただの参加者に過ぎず、運悪く、ここに居合わせただけ。それを、飲んでいただけるなら、若頭の氷を溶きます」
お互い見合い、探るような雰囲気だ。
「コレだけ破壊しておいて、よく言う」
「実行したのは、若頭かもしれません。ですが、事の発端は、別にあるのではないですか?」
はぁ、と息を吐くと、大野は、
「わかった」
と言った。
「だが、君が矢面に立つハメになるやも、しれないよ。人の噂は、口さがないから」
「かまいません」
そう答える若旦那の後ろで、ゲホッゲホッ、さぶっ、ゲホッゲホッ、さっぶ、と声が聞こえた。
勇五郎が氷の銅像から、解放されたようだ。
「勇五郎っ」
辰蔵親分が、急いで駆け寄るのがわかった。
「綾人くん。上のスイートに、私の名前で部屋をとってある。そこで着替えて、帰るといい。君も、迷惑をかけて、すまなかったね」
ポンと軽く手を、叩かれた。
その大野の声を最後に、若旦那は歩き出した。
周りで人の動く感じや、おののきや、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
私は、身を固くじっとしていた。
階段を上り、若旦那が誰かと声をかわすのが聞こえ、ドアが開く音が聞こえて、パタンと閉まった。
「サクラさん」
「は、はい」
「降ろすよ」
歩みが止まり、ひんやりとしたハリのあるシーツの上に降ろされた。
かぶっていた羽織をとって、周りを見ると、大きなベッドが二つ並ぶ、寝室のような部屋だった。
起き上がると、ベッドが軋み、さっきのことが頭を過り、胸の前でかんざしを握りしめた。
「ケガ、してる?」
そう言って、若旦那が私の手を取ろうとした。
けれど、私は咄嗟に、手を引っ込めてしまった。
「あ、ごめん、なさい」
謝る私に首を振り、私と同じ目線に、膝を折って腰を落とした。
「着替えは、どうする?新しい着物を借りてこようか?」
「いいえ」
「大変なら、人を呼ぶけど」
「いいえ、1人で、着直します」
「そう。じゃ、隣の部屋にいるから、落ち着いたら、出て来て。ゆっくりで、いいから」
そう言った後、若旦那は部屋を出て行った。
私を気にしてくれたのに、若旦那は気を悪くすることもなく、ずっと穏やかな笑顔を浮かべていた。
シンとした室内。
動くと、ベッドが軋む音と自分の衣擦れが、イヤに大きく聞こえる。
ベッドから足を下ろして座り、手の中のかんざしを見た。
手を開くと、ずっと握っていたせいか、手に型がついていて、少しジンジンしている。
ポタ、ポタッと手に雫が落ちた。
(もう、怖いこともないのに、無事にここにいるのに、どうして、涙が溢れるんだろう)
落ちる雫を見ていると、クッと嗚咽が漏れた。
隣の部屋には若旦那がいる。
聞かれたくなくて、グッと歯を食いしばったけど、食いしばると、余計に嗚咽が鳴る。
はぁ、と上を向いて、大きく息を吐いた。
泣いていても、どうしようもない。
現実が変わることもないし、私の置かれている境遇が変わることもない。
(今回は、すごく運がよかったんだわ。こんな強運が続くはずがない。これからは、もっと周りに気をつけないとダメだわ)
鼻をすすりながら、そう思った。
ここは妖の住む世界。
私は、この世界でたった一人の人間、それを肝に銘じようと心から思った。




