第5話:契約の口づけ / Der Kuss des Paktes
___アーマギア。
それは、グラウエン公国が魔導科学の粋を集め開発した、〈ベアラー〉だけの特別な兵装。
〈エレナント〉から与えられた膨大な力の過負荷から〈ベアラー〉自身の肉体を守り、同時に、その身体能力を限界を超えて引き上げ戦闘を補助する、特殊外骨格スーツだ。
「アーマギアはおろか、魔導アーマーすら持たないあなたがどこまで太刀打ちできるか、見せてもらおうかしら」
エレオノーラがそう言い、ジークフリートが剣を体の横で垂直に構える。
手加減をしないと言った彼のその言葉通り、肌が粟立つほどの殺気が、一瞬にして教室を支配した。
「ジークシュヴェルト、“シュタルク”___起動」
ジークフリートの声とともに、その手に掲げる剣の継ぎ目を、光が走った。
金属音を上げて機構のロックが外れ、両側の刃がスライドして外装板が展開、切先が伸び上がる。
剣は、幅広かつ全長を増した長大な形態へと変化し、独特な駆動音を響かせた。
ぐっと腰を落とすジークフリート、彼の踏み込んだ教室の石床が砕け散る。
次の瞬間には、白銀のアーマギアは目の前で剣を振りかざしていた。
「ひッ!?」
思わず情けない悲鳴がニーナの口から漏れた、その声を残し、リディアに抱えられて横へと逃れる。
振り下ろされるその刃を、肉眼で捉えることはできなかった。
見えたのは剣閃の僅かな残像だけ、剣が煌めいたと思った刹那、ジークフリートの斬撃はニーナの背にしていた壁を容易く削り取った。
剣を振り下ろした体勢から、ジークフリートはゆっくりと姿勢を戻し、ふたりへ向き直った。
「分かるだろう、勝ち目はないぞ」
「そうかも……知れませんねッ!」
リディアが踏み出した。
彼女の打ち出した右ストレートが、ジークフリートの頭部を捉える。
いや、その一撃をくれてやるつもりで、彼はわざと避けなかった。
ジークフリートの纏うアーマギアの、フルフェイス・シールドを殴打した鈍い音が響く。
男子生徒を吹っ飛ばし、一発でノックダウンさせる程の強打をまともに受けてなお、微動だにすらしなかった。
「……ッ」
手応えのなさに歯噛みする様子が彼女の背中から伝わってきた。
素早く拳を引いて、リディアが距離を取る。
「生身の拳ひとつで、アーマギアの装甲を越えることはできん。言った通りだ、〈鉄拳令嬢〉。あんたに勝算はない」
彼が言い終わるが早いか、再びリディアが拳を構えて突っ込む。
しかし、ジークフリートはその不意打ちのようなタイミングにも正確に反応して、刃を斬り上げた。
スカートが翻り、斬り裂かれた裾が宙に舞う。
間一髪で躱したリディアが側面へと回り込み、胴体へブロー。
彼女の拳は確実にジークフリートを捉えるが、やはりダメージの通った気配はない。
腕力や打撃の角度がどうこうと言う以前に、生身の人間と〈ベアラー〉とでは、闘う世界が違うのだ。
刃を返し、ジークフリートが剣を水平に一閃する。
「あぶない……!」
ニーナの位置からはジークフリートの剣がリディアを切り裂いたように見えたが、バックステップがギリギリ間に合ったようだった。
彼女の体は真っ二つにならずに済んだが、切先は明らかに制服を掠め、僅かに鮮血を散らしたのが見えた。
「リディアさん!」
慌てて駆け寄る。
「っ、血が……」
切り裂かれた制服の生地の間から覗く白い肌から、血が一筋伝い落ちた。
傷は大したことはないようだが、ニーナの背筋は急激に冷えていく。
対して、リディアの瞳は爛々と闘志を燃やしていた。
「ムカつきますわね。わざと打撃をもらってるのでしょう?」
「避ける必要がないだけだ」
「おしゃべりしてないでさっさと片付けなさい、ジークフリート!」
「あなたの〈エレナント〉様が妬いてらしてよ?」
「もうっ、うるさいわね!その減らず口ごと叩き切ってやりなさい!」
この期に及んでも挑発に余念のないリディアに業を煮やすエレオノーラ、彼女はブローチを装着した手を正面へかざした。
「“汝の剣は折れず、揺るがず、屈せず”___」
彼女の足下に再び魔導陣が広がり、ジークフリートの持つ剣に再び光が走る。
「___“勝ち取れ、勝利を”!」
エレオノーラが唱え、彼女の瞳が銀の輝きを灯すと、剣が機構を展開しその第三の姿を解き放った。
「ジークシュヴェルト、“リヒトヴェレン”___解放」
両刃が格納され、継ぎ目に沿って外装板が分割、拡張していき、せり上がるように剣全体が巨大化する。
内部構造が白銀の光を放って、唸るような駆動音を上げながら刃の代わりに魔導エネルギーを放出した。
律動する内部機関が空間すら震わせるその剣を、体の横で真っ直ぐに構え、ジークフリートが応える。
「“齎そう、勝利を”___!」
踏み込んだジークフリートが、剣を振り下ろした。
閃光が迸り、視界から影という影が消し去られる。
あまりの眩さに目を瞑ったニーナ、何かが覆い被さってきた次の瞬間には、体が浮き上がっていた。
空気の爆ぜるような轟音、後方へと無理やり引っ張られる凄まじい加重が全身を襲う。
短い浮遊感。
次いで、鈍い衝撃に声が漏れる。
音が静まり、目を開くと、リディアに抱き締められた状態で隣の教室に転がっていた。
「リディアさんっ!」
「大……丈夫ですわ」
体を起こすリディア、彼女が咄嗟に庇ってくれたことで直撃を免れたようだ。
天文室は壁ごと吹き飛ばされ、周囲にはバラバラになった棚や備品などの残骸が、砕け散った石材と共に散乱している。
その惨状が、今の一撃が如何に常軌を逸したものだったのかを物語っていた。
「躱したか、さすがだ」
崩れた瓦礫を跨いで、ジークフリートが迫る。
エキゾーストを噴き上げる剣は拡張した外装板を収納し、長剣の形態へと戻った。
放出された魔導エネルギーの青白い残光が大気中に漂い、ジークフリートのアーマギアに反射して異様な存在感を与えていた。
「だが思い知っただろう。これが、〈エレナント〉と〈ベアラー〉の力だ」
「……ええ、身に染みて」
リディアが立ち上がる。
〈ベアラー〉との圧倒的な力の差を目の当たりにしてもなお、その背は、畏怖も恐怖も感じていなかった。
むしろ、より力強い闘志を激らせているようにすら見える。
その姿に、ニーナは自分の胸の中の何かが奮えた気がした。
今まで抱いたことのない心の揺らぎ、鼓動。
ニーナは自身のブローチを握り締め、ただ、リディアの背を見上げた。
「どうしてあなたがそこまで必死になるのかしら。その女を庇ったところで、没落の烙印が払拭されるわけではないわよ」
崩れた壁の向こうに立つエレオノーラが、冷たくそう言った。
「……そうですわね。ここにいるのは……私のため。よその貴族に恩を売りたいわけでも、家名に与えられた不名誉な肩書きを返上するためでもない」
リディアは拳を握り締め、何かへ叩き付けるように突き出した。
「気に入らない現実に、この拳を突きつけるためですわ!」
再び、リディアが踏み出す。
ジークフリートが剣を一閃した。
上体を落として潜るようにそれを回避、回り込んで、打撃を叩き込む。
しかしやはりダメージは通らない、意にも介さず、ジークフリートがさらに剣を振った。
躱し、まとわりつき、果敢に拳を打ち出すリディア。
彼女の動きに一切の無駄がなくとも、それ以上に〈ベアラー〉であるジークフリートの一挙一動が鋭く、疾い。
執拗な追撃と反撃、リディアは確実に追い詰められていた。
致命的な一撃をくれてはやらないが、しかし、刃が制服や肌を掠める回数は明らかに増えている。
「遊びは終わりよ。仕留めなさい、ジークフリート!」
エレオノーラがそう言って、ジークフリートが素早く距離を取った
剣全体が再び拡張し、構えを取ってあの一撃を放つ。
眩い閃光が迸り、放出されたエネルギーの刃がうねる大波となって押し寄せ、窓側の壁を床から天井にかけて斜め一線に抉り取るように吹き飛ばす。
「きゃぁ……ッ!?」
衝撃に体を押し倒された。
渦巻く塵煙が視界を奪う、その僅かな隙に駆け寄って来たリディアがそのままニーナを抱え上げ、教室の外へと飛び出した。
「リディアさん……」
「はぁ、はぁ……、やはり……まともにやり合っても勝てる相手ではありませんわね……」
階下まで降り、逃げおおせた物陰。
リディアは壁に背中を預けて肩を上下させた。
額には大粒の汗が浮いて、服はぼろぼろ。
頬にも切り傷や擦り傷ができている。
「ごめんなさい……私なんかのせいで……」
そんな言葉を吐き出すのが、やっとだった。
視界が滲み、膝の上に握りしめた手の上に、涙が零れ落ちる。
「ニーナさんのせいではありませんわ。言いましたでしょう?これは、自分のためでもありますの」
サテンに覆われた彼女の手が、目元を拭ってくれた。
「さて……、不服ではありますが、このまま逃げてしまっても構いません」
近くにジークフリートやエレオノーラの気配は、今はない。
リディアの言う通り、このまま学院の外へ逃げてしまえば、それ以上はエレオノーラも追いかけることはしないだろう、彼女にとっても、それは立場を危うくする行為だからだ。
しかし___
ニーナは、ブローチを押さえた。
リディアの言葉が、胸の中で何度も響いていた。
「私……」
逃げてしまえば、少なくとも今この場をやり過ごすことはできるのかも知れない。
だが、そうしたところで、自分の現実は何も変わらない。
また貴族社会の冷笑や陰口、嫌味にさらされる、そんな日常に戻るだけだ。
「……」
嫌だと思った。
感情をすり減らしてただ現実を耐えるだけの、何も決められない、変えられない自分を、これ以上続けたくない。
今は、はっきりとそう思う。
ニーナはリディアの手を取った、自分でも、震えていることは分かっていた。
「逃げても……何も変わらない。でも……私には、リディアさんのように立ち向かえる力はないから……」
「ニーナさん……」
強張ったニーナの手のひらからその意思を感じ取ったのか、リディアが少しだけ瞳の光を揺らした。
その目を、ニーナはまっすぐに見つめる。
「だから……私に、リディアさんの拳を貸してください」
緊張で喉につかえそうな声を絞り出し、決意を込めてそう言った。
「……よろしいのですわね」
「はい。リディアさんなら……」
力を込めて彼女の手を握る、ニーナの秘める〈エレナント〉の力に呼応して、胸元のブローチが機構を展開し、ふたりを中心にして鮮やかな赤い光の魔導陣が広がった。
輝きが周囲に満ちていくなか、ニーナの手に、リディアの手のひらが優しく添えられる。
「後悔させませんわ、私を選んだこと」
決意に満ちたその声が鼓膜を震わせ、真っ直ぐなその眼差しが、胸を奮わせた。
見つめ合う距離がゆっくりと縮まる、鼻先が触れ、互いの吐息が溶け合う。
間近に感じるリディアの存在に、その全てに、心臓は破裂しそうなほど高鳴っていた。
「___“汝に、力を”」
唇が重なる。
触れ合った場所から伝わってくる、彼女の柔らかな体温に胸がいっぱいになった次の瞬間、体の内から何かが湧き上がって、それが、リディアへと流れ込んでいくのを感じた。
エレオノーラは階段を降りていた。
打って変わって水を打ったような静けさが漂うなか、エレオノーラとジークフリートの足音だけが反響する。
「逃げたのかしら」
そう言ったものの、すぐにその考えを否定した。
先ほど、ほんの一瞬だが、何か大きな力の揺らぎを感じた気がしたのだ。
あれは〈エレナント〉の力に違いなかった、自分自身が〈エレナント〉であるからこそよく分かる。
だが、それが意味するところは___
「……待て」
先導するジークフリートが廊下に降り、奥を見つめて片手を上げた。
その背後に立ち、エレオノーラは彼の視線の先を追った。
「……」
エレオノーラは表情を険しくした。
廊下の突き当たり、大きなはめ込みガラスから差し込むリヒターハーフェンの青白い光を背に、鮮烈な深い紅色の甲冑に身を包む人物が、そのフルフェイス・シールドの向こうからじっとこちらを見つめ、佇んでいた。
「……〈ベアラー〉」
ジークフリートが低い声を漏らした。
激るような力強い紅のシルエット、それは、澄んだ闘志と清廉な怒りがそのまま形を成したかのような姿だった。
そう、アーマギアを纏う〈ベアラー〉が、そこにいたのだ。
背丈は高く、ブレることなく姿勢を維持する屈強な体幹と、長くしなやかな手足。
張り出したバストと、くびれたウェストライン、広い腰回りなど、各部を覆う装甲の上からでも、その見慣れないアーマギアに身を包む人物が女性であるというのはすぐに分かった。
そして、今この状況で〈ベアラー〉として自分たちの前に立ちはだかる女がいるなら、それはただひとりしかいない。
「さあ、仕切り直しですわね」
深紅のアーマギアの人物は、思った通りの声を響かせて拳を鳴らした。
「___女を、〈ベアラー〉に選んだと言うの?」
それは、異端中の異端だ。
〈エレナント〉が〈ベアラー〉に選ぶべきは、慣習的にも、そして、その契約が兼ねる意味においても、男であるとされているからだ。
エレオノーラが睨む先、その女のすぐ後ろに、小柄な少女が姿を見せる。
「ニーナ=リリエンタール……」
彼女の手の甲には、機構を展げ煌々と光を灯すブローチが装着されていた。
〈ベアラー〉と共に立つニーナは、エレオノーラとジークフリートを見据え、言った。
「私も……闘います。これ以上、私自身を誰かに否定させないためにっ!」
ニーナはブローチを装着する手のひらを掲げ、正面へかざす。
そして、高らかに唱えた。
「“征け!その拳で正義を示せ!”」
その声に応えるように、彼女の〈ベアラー〉___リディアは、石火の如く突撃した。
【あとがき】
5話までお読みいただき、ありがとうございます。
契約とともに、これからようやくふたりの物語がはじまります。
ニーナとリディアの闘いを、引き続き応援していただけると嬉しいです。
次回以降もぜひ、よろしくお願いいたします。




