第4話:鉄拳の乱入 / Einbruch der eisernen Faust
「愛の告白にしては、随分と野蛮ではなくて?」
長い黒髪を揺らして教室に踏み入るリディアが、そう言ってサテンに包まれた拳を鳴らした。
〈鉄拳令嬢〉の乱入。
エレオノーラはその整った相貌の眉根を寄せ、声に怒気を含ませた。
「リディア=フォン=ヴァルクライネ……、つくづく目障りな女ね」
「あら、私のような者などてっきり眼中にないとばかり。光栄ですこと」
挑発的な笑みを浮かべ肩を竦めるリディア、優雅な足取りで、警戒する男子生徒の間を真っ直ぐに向かってくると、へたり込むニーナへ手を差し伸べた。
助かった、とは言え、思わぬ人物の登場に、ニーナは呆然と彼女を見上げた。
「リディアさん、どうして……」
「もちろん、あの手紙が賢しい誰かの罠だと看破したからですわ」
その手を取って立ち上がる。
「お怪我は?ニーナさん」
「あ、えっと……だいじょうぶです」
ニーナの返事に微笑んで頷くと、リディアは表情を入れ替えたように眼光を鋭くし、それをエレオノーラへ向けた。
「愛のこもったラブレターを装うには、少々、大袈裟でしたわね、ヴェステンラウ嬢」
「……」
「わざわざ古風な筆記体を選んだのは、筆跡を隠すためではなくて?差出人も書かれていないなら、それを見抜くのは簡単でしたわ。あとは……あの香水。あなたが普段使われているブランドと同じものですわね」
ニーナを後ろへ庇うように、リディアが半身を乗り出す。
飄々とした言動の多い彼女だが、今ばかりはその声と態度に、エレオノーラへの強い非難を感じた。
「このような事、たとえ他の貴族が看過しても、この私が赦しませんわ」
「黙りなさい!没落貴族ごときが……っ、出る幕ではないのよっ!」
エレオノーラが声を荒げる、その瞳に軽蔑と強い怒りの色を滲ませて、ニーナを睨みつけた。
「そもそも、その女を庇う必要がどこにあるっていうの!?貴族の娘に生まれ、力を授かり……にも関わらず果たすべき責任から逃れ続けるその女を!」
その視線と言葉に、まるで心臓を掴まれたかのように体が萎縮して強張る。
怯えるニーナを、安心させるようにリディアが強く抱き寄せた。
「望んで授かったものではなくてよ、ヴェステンラウ嬢。誰もが皆あなたのように、それに対して覚悟を持てるわけでありませんわ」
「そうであるなら、なおさらそんな子どもは相応しくない。貴族であり、〈エレナント〉である以上、私たちは公国に対し大義を背負う立場にある。それから目を背けのうのうと生きるような女であるなら___私が手を下すわ」
リディアは自分を庇ってくれるが、エレオノーラが正しい立場にいる事はニーナにだって分かっていた。
きっと、多くの貴族が彼女の言葉に賛同するだろう、そう思うのは、それが、ニーナの過ごしてきたこの貴族社会の現実だからだ。
貴族に生まれなければ、〈エレナント〉でなければ、何度その言葉を胸に抱いたか分からない。
カトリーナが、照れながらも語ってくれたレオンハルトやエレオノーラへの想いを思い出す。
彼女の抱く覚悟は個人的な感情に根ざしているのかも知れないが、しかしニーナはそれすら持たなかった。
立場も、力も、押し付けられたようなものだ。
それで一体、自分に何ができると言うのか、答えを見つけ出す事は、ニーナにとって容易ではない。
手先である男子生徒達が、じりじりと詰め寄る。
立ちはだかるリディアに、エレオノーラは冷たく言い放った。
「これは〈エレナント〉としての誇りの問題。あなたに首を突っ込む資格はないわ」
それでも、彼女はニーナの前を動かない。
苛立つエレオノーラは、手を振って声を張り上げた。
「そこを退きなさい!」
「お断りしますわ!」
そう言って、リディアが一歩、前に踏み出す。
「勝手に決めつけた運命で誰かを蔑むような真似など、私は決して赦しませんわ」
拳を掲げ、それをエレオノーラへ向けて突きつけるリディア。
その背中が、とても大きく見えた。
「私の拳は、そういう連中をぶっ飛ばすためにありますの」
「ヒーローごっこも結構なことね、どの道ここへ現れた時点で黙って帰すつもりなんてないわ。せいぜい戦ってみせることね、〈鉄拳令嬢〉」
話は終わりだとばかりに、エレオノーラはそれ以上は口を噤んで後ろへと下がる。
男子生徒達が再びリディアとニーナを取り囲み、そして、一斉に襲いかかった。
「丸腰で私の相手をしようだなんて……舐められたものですわねっ!」
制服のスカートを翻し、リディアが踏み込む。
その右の拳が一瞬消えたかと思うと、次の瞬間には一番近くの男子の頬へとめり込んでいた。
「っ!」
腕を振り抜くリディア。
青年の体がきりもみして吹っ飛び、教室の床を滑っていくのをエレオノーラにヒールで踏み付けられてようやく静止する。
「な……ッ!?」
言葉にもならず唖然とする男子達、ニーナも、彼らと同じ表情を浮かべていた。
〈鉄拳令嬢〉の二つ名は、伊達ではなかった。
男子一人の体を余裕で吹き飛ばすほどの威力を、当然のように発揮する剛腕。
彼らの表情に、驚愕と畏怖があらわれる。
しかし、女子ひとりを前に尻込みするなどあってはならない。
難儀なものだが、貴族男子のプライドとして、圧倒的な力の差を見せつけられても彼らに撤退の選択肢はないのだ。
「この……っ!」
一人がリディアの前に躍り出る。
武を嗜んでいることは彼のその身のこなしから分かった、だが、リディアのほうがはるかに疾い。
打ち出された拳を躱し、ボディへ二発、相手は背中を丸めて動きを止める。
そこへ、抉るようなボディブロー。
「か……っ、はッ!?」
突き抜けた衝撃の波動が、目に映ったかと思うほどの強烈な一撃。
呼吸の途切れるような声を漏らし、床から足を引き離される男子生徒の体が、横へと飛んでいく。
そのまま大きな天体望遠鏡に突っ込み、派手な音とともに乾いた埃を舞い上げた。
「ふたり。いえ、三人かしら」
最初にドアを突き破ってノックダウンさせた大柄な男子生徒を一瞥して、リディアがそう呟く。
彼がどんな一撃を食らったのか、ニーナがその光景を頭の中で再現するのに、苦労はいらなかった
「〈鉄拳令嬢〉……!くそッ!」
ほとんど捨て鉢になって、残るふたりが同時に飛び出した。
即座に位置関係を見比べ、近いほうへとリディアが踏み出す。
躱すように側面へと回り込み、叩きつけるようなフックでひとりを捩じ伏せ、死角からもうひとりが突き出した拳を、上体を捻って回避。
向こうが次の攻撃を繰り出すより早く、身を翻すリディアのアッパーカットが炸裂する。
仰向けにひっくり返った男子は、そのまま動かなくなった。
「リディアさんっ!」
ニーナが叫んだ、彼女の背後に大きな影が迫っていた。
振り返ったリディアがギリギリで攻撃をガード、バックステップして距離を取る。
そこには、あの大柄な男子生徒が憤怒の形相で立っていた。
「レディの背後を狙うだなんて、まるで獣ですわね」
不敵にリディアが微笑む。
それを挑発と受け取ったのか、その男子は敵意を剥き出しにして襲い掛かった。
「躾が必要かしら」
リディアの肩よりもさらに高い位置から、拳が振り下ろされる。
上体を振ってそれを躱し、踏み込み、次の一撃をさらに反対へと避ける。
脇を締め、姿勢をコンパクトに、八の字を描く振り子のように左右へと次々に攻撃を躱しながら懐へと距離を詰め、体重移動のエネルギーを拳に乗せラッシュを打ち込んでいく。
胴体に打ち込まれる強打の連撃。
ダメージは確実に通っているように見えるが、体格通りのタフネスだ、相手も怯まない。
そして、リディアのリズムを読んで、拳を突き出す。
「ひぅ……っ」
思わず、ニーナの口から悲鳴が漏れた、確実にリディアの頭部を捉える軌道に見えたからだ。
しかし、リディアは身を捩るようにして無理やりアウトサイドへと踏み出し、紙一重でそれを躱す。
相手が腕を伸ばし切ったその隙を待っていたかのように、体を引き絞り、空気を拳が切り裂く鋭い音とともに、強烈な一撃をその顔面へ叩き込んだ。
スカートの裾が躍り上がって、リディアがそのまま拳を振り抜く。
屈強な男子生徒の巨体が空中で一回転して、どさりと床に崩れ落ちた。
ニーナの〈ベアラー〉候補達は、あっという間に鉄拳の餌食となった。
「……すごい」
その圧巻の闘いぶりに、思わず、ニーナはそう呟いていた。
学院で耳にしたリディアの噂は数々あったが、どれも尾ひれが付いて誇張されたものだと思っていた。
往々にして噂とはそういうものであるが、彼女に限って言えば、噂よりも本人の実力のほうが、はるかに凄まじかった。
彼女の身のこなしは、ニーナが見て分かるほどにも研ぎ澄まされており、加えて、長身が持つ腕のリーチというアドバンテージ、圧倒的だった。
「……いいえ、ここからが本番ですわ」
しかし、リディアは静観していたエレオノーラへ視線をやって、そう言った。
「大したものね。男どもにはがっかりだけど、その実力、賞賛に値するわ」
のされて横たわる男子生徒を睥睨し、失望した瞳で溜め息をつくエレオノーラ、取り巻きを端から倒されたというのに、その態度は未だ余裕で、ニーナは薄ら寒い感覚を覚える。
「師に恵まれただけですわ。そんなことより、いるのでしょう?」
リディアがそう言って暗闇を睨む、そこに一人の青年が姿を見せ、エレオノーラの隣に並んだ。
学院規程の男子制服に包まれた引き締まった体格と、短く刈り込んだ金色の頭髪、腰に剣を携えたその精悍な顔つきの生徒は、エレオノーラの〈ベアラー〉、ジークフリート=グラウエン。
「あなたも、こんな悪巧みに加担しているのかしら?」
「俺はエレオノーラの剣であり鎧だ。よく磨かれた武具に意思は必要ないだろう?」
「見損ないましたわね。〈エレナント〉に逆らえないとは言え、“猛き君主の血筋”がただの用心棒だなんて」
「口を慎みなさい、リディア=フォン=ヴァルクライネ」
エレオノーラが前に出て、胸元のブローチを掴む。
「大人しくその女を差し出すなら、それなりの対応を考えてあげるわ」
「脅しのつもりかしら?生憎と、一度掲げた拳は最後まで下ろすなというのが、師の教えですの」
黒のサテンに包まれた拳をぐっと握り締め、再びエレオノーラへ向けて突き出すリディア。
だが、ニーナはその背にしがみ付いた。
「だっ、だめです……!」
リディアがどれほど優れた戦闘能力を持っていたとしても、それはあくまで生身の人間の範囲だ。
〈ベアラー〉を相手に、勝算など万に一つもあるはずがない。
しかし、リディアはニーナを見つめて微笑む。
「ニーナさん、あなたは抗いたいのではなくて?」
「え……っ」
「悔しい思いをしたのでしょう?涙をのんだこともあるのでしょう?」
「……」
「なら、戦いなさい。そのために力が必要でしたら、私が拳を貸して差し上げますわ」
リディアがエレオノーラとジークフリートに向き直り、歩み出る。
その背を呼び止める言葉は、もう出てこなかった。
「ヘレーネ殿に似て、やはりあんたは良き武人だ」
「褒めて頂いているのかしら」
「俺は刃を向ける相手を侮ったりしない」
そう言って、ジークフリートは腰から剣を抜いた。
無駄のない直線的なデザインと、機械的な継ぎ目の目立つ直剣。
その構造的な剣身は、それが金属を打ち締めて作り上げられたものではなく、魔導科学に基づく設計と構築によって生み出された兵器であることを、暗に物語っていた。
そして、その切先をジークフリートがリディアへ向ける。
「故に、手加減はできない。まして〈鉄拳令嬢〉が相手ならばな」
彼の眼光に、鋭い戦意が宿る。
〈ベアラー〉であることを抜きにしても、彼の放つプレッシャーは先ほどまでの男子達とは、まるで格が違った。
「おしゃべりは終わりよ」
胸元のブローチを取って、それを正面にかざすエレオノーラ。
集中するように目を閉じ、再び見開いた彼女の足元に、銀色に輝く魔導陣が広がった。
「行きなさい、ジークフリート!」
呼応するようにブローチの機構が展開して光を放ち、エレオノーラがそれを手の甲に装着する。
「“阻む全てを斬り裂く刃となれ”___ッ」
その手を、頭上へと高らかに掲げ、エレオノーラは力強く唱えた。
「___”汝に、力を”ッ!」
魔導陣から閃光が迸る。
ジークフリートの周辺に白く輝く光の欠片が現れその体を覆っていき、瞬く間に煌めく白銀の甲冑となった。
〈エレナント〉の持つ力を魔導エネルギーへと変換、凝集し、装甲として〈ベアラー〉の体を覆う公国独自の技術によって生み出された特別兵装___アーマギア。
公国が誇る最強装備を纏い、ジークフリートはふたりの前に立ちはだかった。




