第17話:決められた初戦 / Der bestimmte erste Kampf
夜が明け、朝。
ベッドの上で目を覚ましたクラーラは、微睡んだ視線だけを動かしてサイドチェストの時計を見る。
ホログラムの示す時刻は、9時13分。
「ん……んぅ、」
くぐもった鼻息を鳴らして、ベッドの上で軽く伸びをする。
体を起こし、安っぽい音を立てるベッドから立ち上がって、目を擦りながら窓辺に立った。
ブラインドに切り取られた細長い光が目に染みて、意識を覚醒へと誘う。
もう一度あくびの混じる伸びをして振り返ると、ベッドの上には真っ白なシーツから裸体を覗かせるフェリックスの姿があった。
ブロンドの長い前髪がかかる彼の目元は少し、疲れて見える。
「……」
昨夜。
苛立ちを紛らわせたくて無理やりフェリックスをベッドに引き摺り込んだが、ちょっと、いや、かなり、自分が無理を強いたかも知れない。
あの後、港湾区から逃げ伸びたクラーラはフェリックスと合流して、日頃ふたりの暮らしている部屋ではなく、万が一に備えて用意していたこのセーフハウスのほうへと向かった。
増改築を繰り返して歪に背丈を伸ばした旧建築で、中心市街のフルリノベーションされたマンションに比べれば、設備も古く漆喰装飾も傷んだまま。
見た目はほとんど、ワンルームという名の牢屋だ。
使う事になるとは思っていなかったが、ベッドを含め、最低限のものを用意していて良かった。
「ほら、起きてダーリン」
ベッドに腰を下ろして、寝こけるフェリックスの頬にキスする。
その前髪を指先で撫でるようにどかして、額や目元に何度か唇を落としているうち、彼の瞼が震えて、やがて目を開いた。
「……酷い目に遭わされたぞ」
開口一番である。
「悪かったって。さあ、シャワーを浴びよう。それから状況の整理だ」
そう言うと、フェリックスは引き締まった上体を起こしてベッドから立ち上がった。
寝癖で少しぼさぼさになった頭を掻きながら、リビングのドアまで向かう。
そのままシャワールームに行くのかと思ったが、彼は何かを思い出したように立ち止まって、三秒。
おもむろにクラーラへ振り返った。
「……、先に入るか?」
いつも頭の切れるフェリックスだが、寝起きとあっていまいち冴えていないようだ。
それから交代でシャワーを浴びて、ホロ・コンロで沸かしたお湯で淹れた賞味期限切れのインスタントコーヒーを飲みつつ。
ベットサイドに腰掛け、ローテーブルにノート型のパソコンを立ち上げてフェリックスと情報収集を始めた。
分かったことは、〈暁の正義〉にとって、状況は決して良くないということ。
「相手が一枚上手だったって事だ、お前の婆さんが言ってた通りにな」
「……」
情報局から発信されたニュースには、港湾区でコンテナから逃げ去る黒い服を着た女の背中の写真と、その短い映像が載せられていた。
港湾区のカメラには、フェリックスがループ再生をするよう細工していた、あの時、駆けつけた連中の車載カメラが捉えた映像だった。
情報局はそこに映った人物を〈暁の正義〉であるとして報じている。
そして見つかった封の開かれたコンテナと、怪物を収めた箱。
これだけ揃えば、リヒターハーフェンにモンストラムを放った犯人が〈暁の正義〉であるという状況証拠としては、充分過ぎるほどだった。
「しかし腑に落ちないな」
「何がだい?」
「情報局が、これを〈暁の正義〉だと断ずるには早過ぎる。お前の姿をまともに捉えた映像は、これが初めてのはずだ」
これまでの仕事で忍び込んだ先では、映像証拠となり得る設備全てをフェリックスがクラックしていたため、今回カメラに捉えられたこの人物が〈暁の正義〉であると裏付けるものは、警備や私兵からの数少ない目撃証言だけになる。
彼の言う通り、公平性を謳い文句にする情報局が証言の特徴と一致するというだけで断定的な報道をすることには、確かに、やや不自然さを感じる。
「誰かが、背中を押してるって?」
「そうとも考えられないか?」
そうであるなら、そいつはおよそ後ろめたい何かがこの件にある奴という事だ。
「でも幸いにして、僕本人だとはバレていないようだね」
「あるいは、端からそのつもりだったのかもな」
「どういうこと?」
「世間や捜査機関の注目を欺いて、時間を稼ぐ事が目的という可能性もある。何であれ、やりづらくなるぞ、クラーラ」
「……落とし前はつけさせるさ、必ず」
コーヒーカップを握る手のひらに力が入る、酸化しきったコーヒーの苦味が、胸でむかむかしていた。
「どうするんだ」
「少なくとも怪盗としての活動は自粛せざるを得ない、協力者たちにも、そう連絡してくれ。できるだけ、お互いに連絡を取り合わないようにと」
「了解」
「それに、まだ揃っていないピースもある」
「あのブローチか」
クラーラは頷いた。
「あれが、モンストラムの何らかの制御装置であるのは、たぶん間違いない。密売組織を使ってモンストラムとは別ルートで公国へ持ち込み、タイラーのような難民に紛れた工作グループに回収させ、起動させる」
「その流れが掴めたなら、自ずと背後にいる裏切り者の尻尾も掴めるだろうが、俺達が動けない間に、証拠の一切は揉み消されるかも知れんな」
「〈暁の正義〉は信念の名だ、怪盗として振る舞い続けることが僕たちの目的じゃない。この公国から悪を退ける方法は他にもある、そのための道は、開かれてるんだ」
「大公戦か……」
そう呟いて、フェリックスは腕を組んだ。
「初戦の対戦カードについて、通達があったな」
「そうなの?」
「……マネージャーから連絡はなかったのか?」
あったのかも知れない。
正直ここ数日はそれどころではなかったせいで、マネージャーからの連絡にはまともに対応できていない。
クラーラのマネージャーは大学時代の学友だった女性だ、モデル業を始めたはいいものの思いの外忙しくなり過ぎてしまって、スケジュール管理が困難になった結果、仲の良かった子へ泣きついてお願いした。
マネージャーも無論、クラーラの活動については把握している、彼女のためにも直接怪盗の仕事へ関わらせる事はしないが、万が一の際には口裏を合わせてもらうよう頼んでいる。
「それで、初戦の相手は?」
「……」
フェリックスは黙ったまま、パソコンを操作した。
メールボックスを開いて、大公戦の公正委員会からの通達について、その内容を画面に表示する。
そこに表示された名前を見て、クラーラも言葉を呑んだ。
「……正直に言って。俺は一番このふたりと闘いたくなかった。総当たり故にいずれはまみえたんだろうが、まさか……初戦の相手になるとはな」
記載された〈エレナント〉の名には、ニーナ=リリエンタール、そしてその〈ベアラー〉には、リディア=フォン=ヴァルクライネの名があった。
「モンストラムとの闘いを見ただろう?あれが、15と18の娘の力だ」
「認めるよ、あのふたりは強い。でもニーナ嬢もリディア嬢も、その強さで成すべき正義を持たない」
新興貴族の〈エレナント〉と契約を交わしたリディア、彼女にどういった経緯があったのかは分からないが、異端の女〈ベアラー〉の存在をクラーラも等しく品定めする意図を持って、あの晩餐会の夜、接触した。
あのたった短いやり取りで分かったことは多くはないが、少なくとも、没落と揶揄されるヴァルクライネ家の復興などというつまらない目的を持つ訳ではないし、そのためにリリエンタールの娘を利用している訳でもない。
モンストラムとの闘いぶりを見た限り、名門と名高いヴェステンラウ家の子息と息女を派閥長戦で打ち破ったという噂を疑う余地はなく、だがそれほどの力を持ってしても、あのふたりが大公戦という選定儀式に名を上げた理由は、派閥の面子や、派閥の長となったリリエンタール男爵の代わりという以上には持ち合わせていないのだ。
「俺だって、富に恵まれておきながらこの国の秩序を乱すような連中は嫌いだ、お前の掲げる正義にだって賛同しているし、そのために戦う。だが信念は強さを必要とするが、その逆はそうじゃない」
「……何が言いたいんだよ。闘う前から、まるで敗北を認めるようなことを言うじゃないか」
「さあな。怖気づいたつもりもないが、ただそう思っただけだ」
フェリックスはパソコンを畳んでベッドサイドを立ち上がった。
「俺は大学に行く。お前も仕事に行って、早くマネージャーを安心させてやれ」
「うん。そうする……」
「あの化け物については引き続き追っておく。俺だって、このまま一杯食わされたままなのは気に入らないからな」
そう言って、フェリックスは狭いワンルームを後にした。
部屋のドアの向こうに彼の背中が見えなくなるのを見送って、クラーラもベッドから立ち上がった。
ウォールラックからキャスケット帽を取って頭に乗せ、適当に羽織れるものを探してクローゼットを覗くと、昨夜ハンガーに吊るした怪盗装束が目についた。
「僕に……この服を着こなすことはできるのかな、おばあ様」
クラーラはロングジャケットを手に取ってクローゼットを閉じた。




