第16話:コンテナの秘密 / Das Geheimnis des Containers
モンストラムの騒動が明け、二日ほど経った頃。
学校の終わったニーナは首都警務局にいた。
「……」
来客用のオフィスで、見慣れない女性警務官を前にもぞもぞと椅子の上で姿勢を直すこと、何度目か。
白い長机の下で、制服のスカートの上に置いた指先を弄ぶニーナの視界の端には、声の聞こえない距離にリディアの姿があった。
同じように学院の制服姿で、警務局の大人達からの質問に答えている。
軍務局の要請を受け〈エレナント〉と〈ベアラー〉としてモンストラムとの戦闘に参加したニーナ達は、事件処理のための聴取に協力しているところだった。
こうして当局の後片付けに出向いていても、ニーナの中の実感は薄れたままだ。
あの時あの場所で、モンストラムを前に肌で感じた戦闘のひりついた空気感、雨に蒸したような硝煙の臭いと炎、閃光、そして、おぞましい怪物の影。
一晩も経てばあそこに自分がいた事、そして自分達がその脅威を退けた事が、まるで他人事のように感じられてならなかった。
既に情報局がニュースとして発信したようで、学院では話した事のないような生徒からも声をかけられた。
珍しくエレオノーラまでやって来て、
「それでこそ、公国の〈エレナント〉よ」
なんて言われた、その顔は満足気だったが、彼女はジークフリートに「素直に賞賛すればいい」と揶揄われていた。
少しして、リディアが先に席を立つ。
頭を下げる警務官達にお辞儀を返して、彼女は一瞬ニーナを見やってから、オフィスを出て行った。
何か悪い事をしてここにいる訳でもないのに、リディアが視界からいなくなると、途端に緊張よりも不安を大きく感じる。
威圧感を与えないようにという配慮なのだろう、テーブルを挟んでニーナの正面に座ってメモを取るのも、その隣でパソコンに記録を残すのも、どちらも比較的若い女性警務官だ。
先日いた、あの黒っぽいショートヘアの女性巡査___リナリーではなかった。
真っ黒な制服姿の大人を前にしては、やはり内心尻込みしてしまう。
そうして、自分でも何を答えたのかも覚えてない中、打鍵の音が止まる。
警務官ふたりは互いに頷くと、ニーナを見て頭を下げた。
「……聴取は以上です、以降お呼び立てする事はございません、ご協力ありがとうございました」
「あ……、ありがとうございました……」
「お礼を申し上げるのはこちらです」
パソコンを畳んで、もうひとりが隣からそう口を挟んだ。
「現場にいた警務官たちが皆、口を揃えて感心していました、お若くありながら、たいへん勇敢であったと」
正面の女性警務官もそれに頷き、ノック式のボールペンを胸ポケットにしまいながら、優しく口角を緩めてこう話す。
「我々は治安を維持するための組織であり人員ですが、残念なことに力の及ばない脅威も存在してしまいます。私達の住む公国は、ニーナさんやリディアさんのような方々に守られている」
「……」
「この度のご協力に、心から感謝致します」
警務官ふたりは、そう言ってより深く頭を下げた。
それから席を立った彼女らに促され、ニーナも椅子を引いて立ち上がった。
そこへちょうど、警務局高官の黒い外套を肩に羽織った男性が現れる。
この首都警務局の最高職位である父、レナードだ。
「局長!」
ふたりが背筋を伸ばす、リディアのいたほうの警務官も遠くから敬礼するのが見えた。
レナードが軽く手を挙げたのを見て、それぞれが姿勢を戻す。
「邪魔をするつもりはない、娘が来ていると聞いて、顔を見に来たんだ」
そう言って、レナードはニーナのほうを見た。
「お父さん……」
「下まで送ろう」
長い外套の裾を揺らして、レナードがオフィスを出て行く。
ニーナは後ろを追いかけた。
「お前に助けられたそうだな、ニーナ」
娘が隣に並んだのを確認して、レナードが口を開いた。
リディアよりもさらに背の高い彼の顔は見えないが、声からして、機嫌が悪い様子ではなかった。
「えっと……」
それでも、首都警務局長にして連邦警務統括局副総監を兼任する父を前に、はいそうです、とその事実を安易に肯定する言葉は、出てこなかった。
それを察してか、レナードが少し笑みを零す声が聞こえた。
「気を遣わなくていい、本来なら俺の仕事だったんだ」
「そう……なんですか?」
「ああ。こんな狭苦しい立場になって、容易く前線に立てなくなった。娘の手まで借りなければならないなら、何のための立場なのか分からないな」
「……」
何と答えていいか分からず、ニーナは沈黙を返す。
そのまま廊下を歩く、軍務局のアイゼンベルクや技術研究局とも違って、首都警務局のビルの内装は、やはりどこかシンプル然としていた。
ガラスで区切られた会議室に、ホログラムの案内表示、交通安全の電子ポスター。
父と並んでエレベーターに乗り込み、レナードがエントランス階のボタンを押してドアが閉まる。
「……頑張ってくれた娘に、何か気の利いた話でもできれば良かったんだがな。ミアにまた叱られる」
そう言って、レナードは警務官の帽子を被った後頭部を掻いた。
いつになく自嘲気味な父の言動からして、おそらくミアに何か小言を言われたのだと、ニーナは母の顔を思い浮かべる。
「大公戦に出ると言ったな」
「はい」
「それも、本来は俺の勤めだ……、家の事も貴族の立場も、お前に押し付けてばかりの父親だ」
「……でも、私のお父さんです」
「そうだな。お前には少しでも穏やかな人生をと、そう考えていたが、今のところ全て裏目だ」
やがてエレベーターがゆっくりと止まり、扉が開く。
エントランスのほうへ出ると、リディアの姿が待ち合いのソファに見えた。
彼女も顔を上げてニーナを見たが、隣のレナードに気づいて、またすぐ視線を手元に落とす。
レナードは立ち止まって、リディアのほうを見て言った。
「彼女は……ヴァルクライネ伯爵のご息女は聡明な女性だ。彼女を信じて、ついて行けばいい。俺達がお前に教えられなかった道を、彼女がきっと、示してくれる」
「はい」
頷くニーナ。
レナードは娘に向き直って、その肩に手を置く。
穏やかで真摯な父の目が、ニーナを見つめていた。
「お前は、俺達ふたりの誇りだ、一度も言えた事はなかったが、心から、ずっとそう思っている」
貴族の娘という生まれは、少なからずニーナにとって、嫌な事の種でしかなかった。
しかし、派閥長戦を通して、エレオノーラと対峙しこの拳で勝ち取ったのが、リリエンタールの娘として今ここにいる自分自身だ。
まだその立場に確たる実感も自信もない、けれど以前ほど、公国の貴族というこの肩書きに、息苦しい思いはしていない。
そしてその居場所をくれたのは、他でもないリディアだった。
「狡い言い方なのは分かっている、ニーナ。だが、大公戦に勝てと、そう言うつもりはない。自分の望む結果に、ただ後悔のない闘いをすればいい」
レナードは、最後にそう言ってニーナの肩に置いた手を戻すと、またすぐエレベーターのほうへ戻って行った。
その背中へ何か声をかけようと思ったが、特に思いつかなかったので、こう言った。
「たまには、帰って来てほしいです」
「……ああ、きっとそうする」
外套の揺れる裾が廊下の角に見えなくなって、ニーナはリディアのところへ向かった。
「お待たせしました」
「いいえ。お父様とのお時間は、よろしかったのですの?」
「はい。帰って来てくれるそうなので」
「それは、良い約束ですわ。……多忙な父親を持つのは、お互い様ですわね」
そう言ってリディアは立ち上がった、その顔は少し、穏やかだった。
自分達に限らず、ほとんどの貴族の娘がそうなのだろう。
それが当然として育ったために、寂しいと思う事はもうないが、こうして家族と話をできる時間は、素直に良いものだと思えた。
「さて、次はアイゼンベルクですわね。お時間はありますか?カフェ・アルベルツで、少しリラックスしてから帰りたいですわ」
その提案に、ニーナは目を輝かせた。
「はい、ぜひ……っ!」
リディアと並んで首都警務局を後にする。
ふたりはアイゼンベルクへ向かうべく、明かりの灯るリヒターハーフェンの夕暮れを、最寄りの駅へと歩き出した。
首都リヒターハーフェン___未明。
冷たく湿った潮の香りにさらされる金属の籠が、積み重なり整然と並べられた、港湾区。
断崖のような首都のビル群から届く薄い明かりが、コンテナの四角い影を舗装された地面に伸ばす。
港湾の河口付近からは、対岸に広がる魔導コンビナートが見え、アンチコリジョンライトが淡い点滅を繰り返すフレアスタックの先頭部から、漆黒の空へと時折噴出される緑色の炎が見えた。
その光景を背に、黒い人影が足音を消してコンテナを飛び越える。
『この前のような怪物に出くわさなければいいが』
耳元で不吉な事を言うのはフェリックスだ。
通信端末の向こうにいる彼へ、声をひそめてクラーラは言葉を返す。
日中に比べて職員の数は少ないものの、基本的には二十四時間稼働している場所だ、気配を消すに越した事はない。
「そいつを確かめに来たんだ、でも、動いているやつにはもう会いたくないね」
先日、モンストラムを巡る思わぬ珍事に巻き込まれたクラーラは、黒の怪盗装束に身を包み、コンテナヤードに忍び込んでいた。
以前、イェニファーからもらった警務局の報告書には、関与の疑われるペーパーカンパニーと、それが輸入したコンテナのリストが記載されていた。
それを元に、順にコンテナ番号を確認しながら該当のひとつを探していく。
『安物のブローチの動きを洗う、それだけの……簡単な仕事のはずだったんだがな』
フェリックスが言った。
「そのことはもう話しただろう?警務局の押収した偽ブランド品の中に、同じものがあったのを思い出したんだ」
先日盗み出し、協力者の手元へ届けるはずだったあのブローチ。
公国では本来出回っていないはずの安物のアクセサリーに、見覚えがあった事をクラーラはずっと疑問に考えていた。
ふとした拍子に思い出したが、あれは以前、KANT & KOPPをはじめ、公国ブランドの贋作を捌く密売組織のひとつを警務局が押さえた際、その押収品の中に全く同じものがあったのだ。
ブランドの顔を張る立場上、クラーラは関係者として偶然確認することがかなった訳だ。
『俺が気にしているのは、お前がこの件に、やけに熱くなっていることだ』
「……」
それは、仕方がないだろう。
公国の信念や価値観を振りかざしていくら正義を自称しようが、それはあくまで個人的な物差しの上でしかない。
今この時代においても〈暁の正義〉に賛同してくれる者は予想を超えて多かった、それは、祖母の築いた伝説があってこそ。
だがそのひとりを、自分は犠牲にしてしまったのだ。
『だからと言って焦るな。お前の婆さんの言葉じゃないが、こういう手合いは先走ってどうにかなる相手じゃないぞ』
「……わかってるよ」
わかっている。
自分の読み通りであれば、この件の裏にはもっと大きくて危険な何かが蠢いている。
たかが怪盗気取りに、どうにかできる相手ではないかもしれない。
しかしそうであっても、この件には何かしらの決着をつけなければ、気が収まらなかった。
例えそれが、自分勝手な衝動であっても。
「あの化け物、しきりに緑の霧を吐いてた」
『ああ、あの色はかなり純度の高い魔導エネルギーだな。お前は、意識に干渉を受けたと言っていたが』
「うん」
戦闘のさなか、モンストラムは緑の蒸気を噴き上げていたが、どこかのタイミングからかその蒸気の中に、何かが燃焼するような黄色い発光現象が混ざり始めていたのを目撃した。
それはフェリックスも見ていたし、おそらくあの場にいたヴァルクライネ家の鉄拳令嬢やあの幼い〈エレナント〉、ニーナも見たはずだ。
特にニーナは、自分と同じように意識へノイズの走るような感覚を体験したはずだ。
「多分その時だ、あの黄色い光が混ざり始めたタイミングで、例のブローチが発熱し始めた」
『分解するのにずいぶん手こずったが……あのブローチ、中から魔導回路が出て来やがった。お粗末な造りだが、制御系統はかなりお前達のブローチに寄せてある』
「やっぱりか」
ここしばらくはフェリックスとも別行動が続いていた、クラーラは足を使って情報収集に回り、フェリックスには無理を承知であのアクセサリーの解析を頼んでいた。
そして彼の言葉で確信する。
無関係と思えた貴族が、何故厳重なセキュリティの下で偽物のブローチなんかを保管していたのか、そして、モンストラムとの繋がりも。
公国の影に潜むその混沌は、クラーラの中で輪郭を持ち始めていた。
『大学の設備を借りるのにどれほど苦労したのか、わかるか?』
「愚痴なら今度ゆっくり聞くよダーリン、ベッドでね」
『……望み薄だな』
「さあ、見つけた。このコンテナだ」
目星をつけていたコンテナは最新の情報でも保税エリアを出ていなかった、そしてそれを、クラーラは見つけた。
「開けるよ」
『こっちから見る限り、今のところ危険はない。急げよ、Licht』
ハンドルを下ろし、ロックロッドを回す。
岸壁に波が打ち付ける音だけが静かに響く中、鈍い金属音を上げてコンテナの後扉を開いた。
ビル街の青白い光が僅かに差し込み、ぼんやりと、その中のものを映し出す。
縦型の、人ひとり収めても余裕があり過ぎるほどの大きな箱が一つ、そこにあった。
「ご丁寧に、電子ロックまで付いてる」
『ペーパーカンパニーが、こんな大層な代物を輸入して何に使うつもりだ』
「無論、良からぬ事だよ。……これ、開けられる?」
『大きさと中身を考えるなら、そいつは魔導エネルギーを使った圧力式のロックだ、物理的にこじ開けるのは、アーマギアでもなければ無理だろう。コンソールポートを探してくれ、お前のデバイス経由でクラックできる』
「了解」
フェリックスの言う差し込み口はすぐに見つかった、端末を取り出して、ケーブルを接続する。
『独自規格でなくて助かったな』
「大陸協定さまさま?」
『TCPは帝国が中心になって進めたんだ、当然と言えば当然だが、それがこういう脆弱性を生む』
「君の好きな言葉じゃないか」
『だったらお前の好きな正義という言葉について、お前自身の脆弱性を説いて聞かせてやろう』
「僕の心をクラックしたいなら、もっと甘い言葉で囁いてほしいな」
耳の通信端末越しに、辟易としたフェリックスの溜息が聞こえた。
間も無く、電子ロックの液晶が緑に点灯し、圧力の抜ける噴気音と共に箱の表面が動き始める。
『……よし、開くぞ』
継ぎ目から割れるようにその分厚い蓋がスライドし、収納され、中から白い冷気が漏れ出した。
そしてそこに入っていたものの姿を、クラーラの瞳に露わにする。
硬い殻のような金属質に覆われた巨大な体躯、肩から伸びる腕は太く、長く、構造的な関節を持ち、全身を這うような管が張り巡らされている。
矩形の頭部に目はなく、人間と同じような歯が並んでいた。
「……ビンゴだ」
呟くクラーラの声が低くなる。
驚愕や恐怖ではなく、思った通りであった事への苛立ちが、胸に込み上げていた。
箱に収められていたのは___モンストラムだった。
動き出す気配はない、それはまるで動力の切れた機械のように、箱の中でただ沈黙していた。
恐らくだが、活動を停止させられているのだろう。
『当たって欲しくはなかったがな。どうするんだ?』
「どうもこうも、できれば白日の下にさらしたいけど、こんなもの僕のポケットで盗み出せたものじゃない」
これが、こうしてここに見つかったという事はつまり、警務局のリストに載ってある他のコンテナからも、中を改めればモンストラムを納めた箱が見つかる可能性が高いという事だ。
クラーラは下唇を噛んだ、こんな真似、その辺のギャングや半端な密輸組織にできる事ではない。
背後では、間違いなく帝国中枢部と公国貴族が糸を引いている。
それぞれの思惑は不明だが、同胞の中に裏切り者がいるという事実に、腹が立って仕方なかった。
もしそれに薄汚い利権、権益が絡んでいようものなら、犠牲になった仲間を思うと自分はどんな裁きを下したって、そいつを赦すことはできないだろう。
「ばかげてる……こんなこと……っ」
手のひらに爪が食い込むほど、拳を握りしめていた。
『同感だな。だが落ち着け、まだ事実を確認したに過ぎない。まずはどうするべきかを考えろ』
「……わかってる。何であれこいつはこのままにしておけない。でもここで僕たちがどうにかするのは無理だ」
『ああ』
「まずは……何か情報を控えていって、それから警務局に___」
言いかけたところで、フェリックスがそれを遮った。
『まずい、誰かが近づいている』
「誰かって!?」
『わからない。とにかくそこを離れろ』
「待って、何か……何か証拠が……っ」
『急げ、クラーラ!』
叫ぶフェリックス、その声の後ろから、エンジン音と共に分厚いゴムがアスファルトを噛むような低いロードノイズが、クラーラのほうへと近づいてくる。
おそらく大型車だ、しかし、駆動系のリズムからして港湾区を出入りしているトレーラーでもフォークリフトの類でもない。
公国のWMW製高トルク魔導ハイブリッドエンジンを搭載している音だ、私兵を雇う貴族がほぼ必ず所有する防弾仕様のSUVオフローダーでおそらく間違いない。
件の裏に潜む裏切り者に、どうやら嗅ぎつけられたのだ。
「くそっ!」
箱を閉じる余裕はなかった、デバイスのケーブルを引き抜いてクラーラはコンテナを飛び出す。
その背中を、切り込むようなヘッドライトが照らした。
『走れ!』
車のドアが開いて、銃火器を持った革靴が降りてくる音が聞こえる。
クラーラは、狭いコンテナどうしの隙間を走り出した。
幸い遮蔽物の多い場所だ、逃げ切るのはそう難しくはないだろう。
だが、核心に迫ったもうあと一歩のところで、逃げ去る事を余儀なくされてしまった。
影から影へ、素早く港湾を駆け抜けるクラーラは、奥歯を噛み締める。
頭の中では、イェニファーとの会話が繰り返されていた。
彼女の姿は、再びリヒターハーフェンの暗闇の中へと見えなくなった。




