第15話:紅き鉄拳 / Die karmesinrote eiserne Faust
「遅くなりましたわ、道が混んでいましたの」
そう言って、リディアは拳を構えた。
得体の知れない化け物を前にして、微塵も怖気付く様子のない姪孫の姿に、ヘレーネは複雑な思いを胸に抱く。
18年。
あの娘の人生と向き合ってきたが、結局のところ彼女にどうあって欲しいのかは、自分の中で答えが出ずにいる。
しかしそれは今考えるべきことではない、ヘレーネはハルバードを握り直した。
モンストラムは、突如現れた深紅のアーマギアを前に敵意を滲ませながら、荒々しく息を吐く。
怪物の動きを見据えつつハルバードを構え、リディアに尋ねる。
「お前……〈エレナント〉はどうした」
「しばらくもせず到着しますわ。私だけなら、アーマギアで走ったほうが速いですから。そちらの方は?」
リディアのフルフェイス・シールドが、黒と紫のアーマギアを向いた。
彼の登場は全くの想定外だった、無論、ヘレーネだってよく分かっていない。
派閥内の〈エレナント〉と〈ベアラー〉を全て把握していても、直接関わる機会の稀な他派閥になれば、アーマギアを見てそれが誰なのかを判断するのは難しい。
しかし、ただの偶然で彼がここに居合わせた訳ではないと、ヘレーネの直感が告げていた、彼の〈エレナント〉が近くにいながら姿を見せない事も、それを裏付けているように思う。
黒と紫のアーマギアの人物は、手に持った機械的なライフルの照準をモンストラムへ合わせ、こう言った。
「挨拶なら後にすべきだ、〈鉄拳令嬢〉。こいつを片付けるのを急いだほうがいい」
「そのつもりですわ」
そう言って腰を落とすリディアが踏み込み、突撃する。
対するモンストラムもまた四肢でアスファルトを蹴立て走り出し、上半身を振りかぶって拳を打ち出した。
頭上から振り下ろされる拳を深紅がスウェー、そのまま懐へ潜り込んで、怪物の胴体へワンツー。
重い打撃音が二つ、響いた。
掴みに来るような腕をダッキングで躱し、沈ませた上体を起き上がらせる勢いで、リディアがブローを打ち込む。
空間が一瞬たわんだ、モンストラムが後ずさる。
そこへ紫の魔導エネルギー弾、爆裂した光の中から怪物がまろびでたところへ、ヘレーネがハルバードで斬り込む。
横凪に一閃、砕かれた雨粒が刃の閃光と共に弾け飛んだ。
「文字通りに歯が立たんな、従来兵装の限界か」
「お下がり頂いて構いませんわよ、おばさま」
リディアが言った。
フルフェイス・シールドに覆われていても、生意気を言ういつもの顔が目に浮かぶ。
「ハッ、言ってくれる」
ハルバードを振り上げてモンストラムの拳を弾き、その遠心力で続く一撃をバク中で躱す、入れ替わるようにリディアが踏み込んでいった。
技も何もない猛獣の力任せの攻撃を掻い潜って、リディアが拳を打ち、黒と紫のアーマギアが銃撃、ヘレーネがハルバードを振るう。
「そのおもちゃのような銃、そんなちまちまとした弾しか出ませんの?」
「侮るな……と言いたいところだが、仕留めきれなかった時にはガラクタ同然だ。俺には徒手格闘術の心得はないしな」
「隙を作れれば……ということですわね。アーマギアの出力が足りませんわ」
バックステップして隣へ戻ってきたリディアへ、ヘレーネが尋ねる。
「ニーナは……来るんだろう?」
「ええ」
「ここへか。危険すぎるな」
黒の紫のアーマギアが、手元の銃を折った。
噴き出した熱が雨を焼く。
「ですが来ますわ」
喧嘩っ早い姪孫の事はともかくとしても、まだ幼いあの娘をこんな戦いに巻き込まざるを得ないことを、ヘレーネは明確に悔やんだ。
しかし、事態を最小限で片付けるには、彼女らの力を借りるほかない。
既に多数の市民がこの事件に巻き込まれ、警務局も軍務局も、負傷者を出している。
公国の安全を担う軍人として、歯痒さを噛み締めるヘレーネ。
ハルバードを握りしめ、リディアと共に踏み込んだ。
ニーナが軍務の手配した車で現場に到着した頃には、あの怪物の姿は近くになかった。
車を降り、その惨状を目の当たりにしたニーナは、息を呑んだ。
雨に打たれるひっくり返った装甲車や、泥水の溜まる砕けたアスファルト。
左右に並ぶビルの壁は崩れ、破損したセントラルヒーティングのパイプから高音の湯気が漏れ出していた。
ビジョン広告のひび割れた液晶パネルが不規則に明滅を繰り返し、ノイズを伴う光が濡れた路面で歪む。
煤けた硝煙と雨の焼ける臭いが、凄惨な光景に生々しさを与え、言葉を、ニーナの喉の奥へと押し込めた。
「ニーナ」
「あ、お母さん……っ」
警務官の黒い制服を着た母を見るのは新鮮だったが、今はそれどころではない。
近寄って様子を確認したが、特に怪我などもないようで、ニーナはひとまず安心した。
「無事で、よかったです……、リディアさんは?」
「さっき、走って行ったわ」
ミアがバイパスの向こうを指す、崩れた橋桁の先で、紫の光が何度か弾け、怪物の異質で獰猛な影を踊らせた。
「……っ」
あんなものを放ってはおけない。
ここへ来る道中、リディアが車内で言っていたように、あんな怪物に、自分が、家族が、友達が暮らすこの公国を、破壊されるなんて許せない。
踏み出したニーナの手の甲で、ブローチの赤い輝きが光を増した。
「ま……っ、待ちなさい、ニーナ!」
その肩を母が掴む。
「危険よ」
百も承知だ。
それでも、リディアはそこで闘っている。
彼女だけに危険を任せて、安全な場所から見守るだけではリディアのパートナーとして自分を認められはしない。
「リディアさんは、私の〈ベアラー〉です」
大仰な大義なんていらない。
自分が闘う理由も、命を張る理由も、それだけで充分なのだ。
リディアが拳を掲げるなら、如何な危険がそこにあろうと、どんな相手であったとしても、同じだけの覚悟で自分はその隣に立ちたい。
「護衛はお任せください」
ミアの後ろで、黒っぽいショートヘアの若い女性巡査がピストルを構えた。
「リナリー……、わかったわ」
頷いて、ミアが後ろへ下がる。
彼女が目配せすると、SEKの武装した警務官と軍務の兵士が数名、ニーナの周囲に付いた。
リナリーに先導を任せ、母に見送られるニーナは雨の降りしきる中、ボロボロになった高架を大人達と駆け出した。
怪物の姿が次第に大きくなって、その野太い腕が湿度を吸った重たい大気を切る音と、紫の砲火が爆ぜる音が近づいてくる。
「リディアさん!」
深紅のアーマギアの背中に叫んだ。
彼女は振り返りはしなかったが、その鼓動が胸で大きくなる。
ブローチが燦然と煌めく手を伸ばして、ニーナは拳を握った。
リディアの腕に光が走る、開いた装甲から噴き出す魔導エネルギーがいっそう勢いを増し、前腕を引き絞りながら力強く踏み込んだ。
対する巨獣もまた、雄叫びを上げ上体を仰け反らせるように腕を振り上げる。
深紅のアーマギアとモンストラムが拳を打ち出すのは、ほとんど同時だった。
「……っ!」
両者の拳が激突する。
生み出された衝撃の波が、繁吹く雨を蹴散らして左右から見下ろすビルのガラスを粉砕、ビジョン広告やネオンサインが一斉にブラックアウトする。
右腕が千切れ飛んだかと思うような衝撃が襲った、よろけそうになる体をリナリーに支えられながら、力をリディアへ集中させる。
拳どうしで押し合うリディアとモンストラム、鉄拳と剛拳によるパワー勝負に、ニーナの周囲で警務官や軍務士官達が息を呑むのが分かった。
(負けない……っ!)
怪物の重量が全身に圧しかかるようなプレッシャーに、呼吸がたちまち苦しくなる。
ブローチの光る右手で胸を押さえ、〈エレナント〉の力を瞳に灯すニーナは一歩、リディアへ踏み出した。
拳を推し出す深紅の魔導エネルギーがさらに出力を増して、怪物は咆哮を轟かせながら緑の煙を噴き上げる。
その巨体から放出された怪しい色の霧の中に、何かが燃えるような黄色い光の明滅が見えた。
その直後、ニーナの意識をノイズが覆う。
そしてそれが原因となって、ほんの数瞬、力が途切れてしまった。
モンストラムの拳がリディアを押し返す、しかし、怪物が腕を振り抜く前に、側面から撃ち込まれた紫の矢がその体を弾き飛ばした。
視線をやると、機械のようなライフルをふたつに折る黒と紫のアーマギアの姿が目に入った。
身を起こして怪物が吼える、即座に斬り込んでいった純白の魔導アーマーがハルバードを下段から垂直に一閃、猛獣の顎を強烈に跳ね上げた。
そこへ、ニーナを囲む魔導アーマー部隊が前へ出て砲弾を撃ち込む、炎と煤が湿った空気に舞い上がった。
僅かにたたらを踏むモンストラムが黒煙を振り払う、その懐へリディアが滑り込み、太い胴回りへ突き上げるようなブロー、巨獣の足がアスファルトから引き剥がされる。
「!」
すぐ近くで〈エレナント〉の力を感じたと思った瞬間、ニーナの視界の端で、高架脇のビルの屋上から紫の光が立ち上った。
黒と紫のアーマギアが機械の銃を構える、持ち手の部分が開き、露出した内部機構から紫の魔導エネルギーが電光を散らす。
外装の継ぎ目が次々スライドして展開、迫り出すように銃全体が拡張して、その砲口から光が溢れた。
「___当たれよッ!」
叫んだその声に聞き覚えがあるような気がしたが、撃発の砲声に呑まれてはっきりと聞き取ることはできなかった。
刹那、滝のような光の束が周囲を昼間に変える。
あまりの眩さに、ニーナは咄嗟に視界を覆った、そして次に目を開けたときには、モンストラムの左肩から先が消滅し、膨大なエネルギーの突き抜けた軌跡に淡い紫の残光が漂っていた。
しかし、怪物はまだ止まらない。
その状態でも両足で踏ん張り、雄叫びを轟かせ、ニーナ達へ襲いかかった。
「ひぅ……っ!?」
「下がって!」
思わず口から悲鳴の漏れるニーナ、リナリーとSEKの警務官が庇うように前へ出て、さらにその前で、魔導アーマーの兵士達が盾になるように並んだ。
緑の蒸気を噴き上げる凶猛な獣が断末魔のような絶叫を轟かせる、上体を大きく仰け反らせ右腕を振りかぶった。
「!」
その正面に深紅のアーマギアが石火の如く躍り出る、彼女の構えるその拳へ、ニーナはすぐさま力を集中させた。
再び激突する、二つの拳。
衝撃が突き抜け、橋桁そのものを揺るがし亀裂が走った。
モンストラムの体から緑の霧が噴き上げる、黄色い明滅がまたもニーナの意識に干渉してくるが、今度は負けない。
手の甲のブローチがいっそう輝きを放ち、アーマギアの全身に光が駆け巡る。
前腕の装甲がガントレットへと変形、噴出する魔導エネルギーの爆発的な推力が、怪物の拳を押し返し閃光を迸らせた。
降り注ぐ雨粒、濡れたビルの外壁やアスファルトの水溜まり。
視界の全てが、瞬間的に赤に染まる。
振り抜いたリディアの一撃は、モンストラムの上半身をその右腕もろとも木っ端微塵に消し飛ばした。
脚だけになった怪物が、雨水の上に力なく崩れ落ちる。
静寂。
打って変わって、静かな雨の音が鼓膜を撫でた。
「これが……アーマギアの力……」
リナリーが呟いた。
他の警務官や魔導アーマーの兵士も、その圧倒的な力の前にしばし呆然としていた。
「終わりですわね」
モンストラムの残骸を見下ろすリディアが、腕の装甲を戻してそう言った。
その隣にヘレーネが並んで、肩を叩く。
「目標の沈黙を確認、ご苦労だった」
ハルバードの切先を下げ、純白の魔導アーマーのフルフェイス・マスクを収納するヘレーネ、ニーナへ近寄ると、そっと頭に手のひらを乗せた。
「素晴らしい働きだ、ニーナ。お前の勇敢さが公国を救った。誇るべき大義だ」
「あの……えっと、ありがとうございます」
ニーナの返事に、ヘレーネは満足そうに微笑んで、次いで、リナリーに声をかけてモンストラムの残骸を指した。
「後はお前さんらの仕事だ、回収してくれ。技術局が欲しがるようなら、渡してやればいい」
「か、確認します……っ」
走り出すリナリー。
その後、ヘレーネの指示に従って大人達が慌ただしく事後処理を始める中、リディアがニーナの傍らに立つ。
アーマギアを解除すると、少し汗に濡れたリディアが微笑んだ。
「ご無事で何よりですわ、ニーナさん。おばさまも仰ってましたが、とても勇敢でした」
「いえ、リディアさんに比べれば……」
「私は……まあ、少々特殊な育ち方をしていますもの」
そう言って肩を竦めるリディア、ニーナへ手を差し出した。
「さあ、帰りましょう?風邪を引いてしまいますわ」
「帰るのは構わんが、明日にでも軍務と警務局から呼び出しがあるぞ」
少し離れたところからヘレーネが言った。
「まだ何か?」
「聴取だ、つまらん事後手続きだが、こればかりは規則だからな。煩わされる文句は、お前の父親にでも言ってくれ」
「でしたら父上に、娘のために時間を取るよう伝えてくださいな」
「考えておく。すまないが、そういう訳だからニーナも頼むぞ」
「わかりました」
頷くヘレーネ、彼女の視線が黒と紫のアーマギアの男性へと向けられる。
機械の銃は、ふたつに折ったままその手に握られていた。
「そこのお前も___」
彼女が言い終わるのを待たず、アーマギアはすぐ近くのビルの屋上へと飛び上がった。
軍務の兵士達が慌てて追いかけようとするが、ヘレーネがそれを制する。
ニーナも目で追いかけると、先ほど紫の光が見えた場所で、彼は黒い服を着た仮面の女性を抱え上げた。
色素の薄い金色の髪が風に広がる、アーマギアの腕の中で、その仮面の女性は声を張った。
聞き覚えのある声だった。
「今宵、皆の力になれたことを光栄に思うよ。でも聴取は勘弁してほしい。見ての通り、身元を明かせない事情があるんだ」
「待ってください……あの姿……」
リナリーが前に乗り出して、目を見開いた。
「〈暁の正義〉!報告のあった怪盗ですっ!」
その言葉で警務官達が一気に慌ただしくなったが、彼女は余裕げな表情を崩すことなくこちらを見下ろしていた。
仮面の下のその瞳が、自分へ向けられているような気がしたが、ニーナがそれを確かめるより早く、彼女は頭に乗せた帽子の縁を指先でつまむと、視線を切るように顔を下へ向けた。
「それでは、Auf Wiedersehen!」
女性を抱えたまま、黒と紫のアーマギアは宵闇に飛び立ち、あっという間にビルの死角に見えなくなった。
「待ちなさいっ」
「構わないわよ、怪盗は管轄外だし」
「警務補……」
気づけば、ミアが後ろにいて腕を組んでいた。
リナリーが困惑した顔を浮かべる
「ですが、そういう訳には……」
「リリエンタール警務補殿の言う通りだ、巡査。放っておけばいい。今はあのふたりを追うことよりも、後始末のほうが急務だろう」
兵士にハルバードを預け、ヘレーネが周りを見渡した。
穴だらけになった高架道路、割れた広告ビジョン、砕けたビルのガラス。
ヘレーネの言う通り、今は優先すべきことがあるだろう、リナリーは溜め息を吐いて頷いた。
「……了解しました。所轄から応援を呼んで、現場検証を始めます」
「お願いね、リナリー」
敬礼して走り去っていくリナリー。
その背を見送って、ミアがニーナとリディアへ声をかけた。
「ふたりとも。乗せて帰るわ、ついて来て」
歩き出すミアを追いかける。
「お母さんは?」
「当分は事件処理でしょうね、またしばらく帰れそうにないわ。娘をお願いするわね、リディアさん。もう、ずっとだけれど」
「いえ。私の〈エレナント〉ですもの、お任せください」
「頼もしい限りだわ。ごめんね、ニーナ。いつもほったらかしで」
「いえ……」
自分の事よりも、仕事に追われてばかりいる母のほうが、気になるところだ。
雨はいつの間にか止んでいたが、ふと見えた電光掲示板の日付は変わっていた、こんな夜中から、疲労を押して事件の後始末など、到底、ニーナにはまだ考えられない。
ぼろぼろになった高架を歩き、横転したままの装甲車を横目にミアのパトカーに乗り込む。
怪物の暴れた街を背にして、ふたりを乗せた車は静かになった首都の夜を走り出した。
窓の外を流れる街の光を眺めながら、ニーナは少し身震いする、緊張が解けて、濡れたワンピースの冷たさをようやく体が感じ始めていた。
膝をぎゅっと合わせて両腕で体を抱くニーナ、気づいたリディアが、そっと抱き寄せて体温を分けてくれた。
見上げた彼女の微笑みはとても暖かくて、そのままリディアに体を預けていると、車内の暖房が効き始める頃にはもう、瞼は重たくなっていた。
うとうとしながら、クラーラに買ってもらったばかりの服を汚してしまった事を少し後悔したが、破れたりしなくて良かった。
「……」
事件は一段落したものの、目に見える脅威を追い払っただけで、公国を侵食する混沌はまだ、その一端を見せたに過ぎない。
そんな微かな不安が胸に過ったが、微睡むニーナはそのまま意識を手放した___




