第13話:首都の市街戦 / Straßenkampf in der Hauptstadt
ニーナが軍務局からの要請を受けたのは、10分ほど前だった。
リリエンタール邸へ迎えに現れた黒のセダンへ乗り込むニーナを、セラフィーナが緊張の面持ちで見送る。
その隣にはコンラートの姿もあった。
「お気をつけて……お嬢様」
「ご武運を」
後部座席のドアがひとりでに閉まり、視線を前へ向けると、対面の席に座るリディアと目が合った。
ボックススタックのスラックスに、肩に羽織ったジャケットとブラトップ。
先日技術局へ出向いた時と同じ格好だった。
「リディアさん……」
邸宅を離れて行く車内、車体を打つ雨音が囁く中、遠くに聞こえる警務局のサイレンが、ニーナの胸を騒つかせる。
「不安ですか、ニーナさん」
「……わかりません」
あの異形、モンストラムが遂に街へ現れたというのは、直前ニュースの速報で見たから知っていた。
情報局の中継カメラには、以前アイゼンベルクの地下で見たものと全く同じ姿の怪物が映っていた。
これからあれと戦うために向かっているのだと頭で理解していても、そこに実感なんてない。
交戦中の第四区街が近づくにつれ、街は騒がしくなると共に、警務局のパトカーや装甲車の青い回転灯の光が増え始め、雨足が強くなる。
窓の外、暗澹とした雲の覆う首都の上空を、一機のヘリが飛んで行くのが見えた。
「リディアさんは……」
「不安はありません。未知の相手ではありますが……私には、最高の〈エレナント〉がついていますもの」
ワンピースのスカートから覗く細い膝の上で、ニーナは小さな手のひらを結んだ。
〈エレナント〉も〈ベアラー〉も、本来こういう事態において人々を守るために存在する力だ。
派閥長戦を通して自分に眠る〈エレナント〉の力が芽吹いた自覚はある、それを、その本当の使命のために使う時が今夜、訪れたのだ。
そう考えると、不安よりも緊張が勝ってならなかった。
「……ニーナさん」
呼ばれて顔を上げた。
「気負う必要はありませんわ、少々グロテスクな相手にはなりますが、いつもと同じように、私たちの拳でぶん殴ってやればいいのです」
「……お役に、立てるでしょうか……」
「私を侮っていらっしゃって?」
「えっ?え……っ!?そ、そんなつもりじゃ……っ」
リディアの機嫌を損ねたと思って、慌てふためくニーナ。
そのニーナに、リディアはくすくすと上品な笑みを向けた。
「冗談ですわ。そう気を揉んでいては、せっかくの可愛らしいお顔に眉間の皺が残ってしまいます」
「……」
「あんなものに公国を荒らされるのは、私だって気に入りません。それはおそらく、ニーナさんも同じでしょう?」
「はい」
頷く。
嘘偽りなく、そう思った。
息の詰まる思いばかりしてきたこの国、この街だが、それでも、親友と呼べるカトリーナや家族同然のセラフィーナ、何より、リディアとの日常が、今はここにある。
それを、あんなものに踏みにじられるのは、嫌だ。
「それでいいのです。使命だとか、役に立とうとか、誰かを守ろうとか。そんなことは大人たちの仕事ですわ。ニーナさんにはあの怪物を拒絶する明確な理由があって、そして私もまた、そのためにこの拳を振う」
傷跡の目立つ拳を、ニーナへ向けて突き出すリディア。
車内へ差し込む首都の光が、その横顔を照らす。
「さっさと追い払ってしまいましょう、夜更かしは、体に毒ですわ」
「……はいっ」
頷く、今度は、力強く。
ふたりを乗せた車は、第四区街へと入り、さらに急いだ。
リヒターハーフェン___第四区街、23時36分。
雨が降りしきる中、ミアはモンストラムを追いかけパトカーを走らせていた。
フロントガラスの上で風に流されていく雨水をワイパーが押し出し、またすぐに視界が水滴に覆われる。
前方にはSEKのSUVパトカーが三台、バイパス高架道路を一般車両を掻い潜って、怪物を猛追していた。
窓から身を乗り出した防弾装備の警務官が、モンストラムへ自動小銃を向け、発砲。
マズルフラッシュと、無数の火線が雨に滲む。
怪物の堅牢な外殻は、大陸協定標準規格の5.56ミリ低反動弾を、全て無視した。
『目標、止まりませんッ!』
車内の無線機に声が届く。
「軍務はまだ!?」
ステアリングを握りながら助手席のリナリーへ怒鳴った、彼女に腹を立てている訳ではないが、到底、冷静さを維持できる状況ではなかった。
顔を引き攣らせながら、リナリーが答える。
「も、もう直ぐかと……!」
バイパスを走行していた一般車両を、モンストラムが体当たりで弾き飛ばす、総重量1トンはあろうかという乗用大衆車が宙を舞い、派手に路面に打ち付けられ部品とガラスを撒き散らして転がった。
慌ててステアリングを切ってSEK、そしてミアのパトカーがそれを躱す。
タイヤの踏み締めた何かの部品で、車体がバウンドした。
「リナリー、無線機かして!軍務の回線に合わせて」
「わわ、わっ、分かりましたっ!」
慌ててリナリーが回線を操作して、無線機のハンドマイクをミアへ差し出す。
ほとんど奪い取るようにそれを掴んだ。
「こちら、首都警務局K11所属、ミア=リリエンタール。応答願います!繰り返す、応答ねが___」
『___私だ、夫人』
「ヘレーネ中将!市街への被害は甚大です、今どちらに……」
『真上だ』
「え……?」
高速で空気を叩くような音が近づき、ミアの駆るパトカーの上空を一機のヘリコプターが通り過ぎる。
そのままモンストラムの頭上を越え、回頭。
機体下部のロータリーガンと、両舷に機関砲を備えるのは、軍務局の武装ヘリだった。
「あれは……!」
リナリーが、ワイパーの忙しなく往復するフロントガラスから覗き込む、その視線の先で、ヘリのキャビンが開いた。
メインローターの四枚ブレードが生み出す複雑な気流に雨の飛沫がのたうつ中、巨大な振り長柄を構える白っぽい人影が、姿を現した。
『ポイント・アルファへ到達、降下準備!』
パトカーの無線機にヘリのやり取りが聞こえてくる。
『将軍、ご命令を』
『各員、対物グレネードを主兵装にて降下準備。それ以外の重火器は使うな、街に被害を出しかねん。ヘリの火力支援も同様だ』
『はっ!』
『じきに私の姪孫が来るはずだ、それまで持ち堪えろ。……続けッ!』
ヘレーネの声と共に、白い影が空中へ飛び出す、公国旗のはためくハルバードの切先が首都の光に反射し、雷霆の如く真っ直ぐに落下した。
モンストラムの目の前に降り立ったのは、特徴的な一角を有する純白の魔導アーマーだった。
「白雷!」
リナリーがその名を叫んだ。
白雷は迫り来るモンストラム目掛け、その顎へとハルバードを思い切り振り上げる。
激しい金属音、下顎を打ち上げられた怪物の体が後ずさって、ようやく動きを止めた。
SEKの車両が急停止、防弾装備の警務官が次々降りてきて、車両を縦にするようにその影から銃口を怪物へ向ける。
その少し後ろにパトカーを止める、リナリーがハンドマイクを取って、警務無線に声を張り上げた。
「全車両に通達!軍務がモンストラムと交戦を開始。バイパスを封鎖して、市民の避難を誘導、安全を確保してくださいッ!繰り返す、市民の避難を___」
運転席のドアを開け、ミアも雨の降りしきる外へ出た。
ヘリから重武装の魔導アーマーが続々と降下するのが見え、降り立った兵士達が素早く左右へと展開、グレネードランチャーを構え、ヘレーネの支援を開始する。
爆発音、40mmグレネード弾の炎が次々燃え上がる。
市街区のど真ん中で、遂に本格的な戦闘が始まったのだ。
「一発外すごとに今夜の出動手当が減ると思え!」
支援部隊の砲音を背に、ハルバードを構えるヘレーネが走り出した。
雨に濡れる大気に炎と黒煙が渦を巻き、獣の咆哮がビルの谷を震わせる。
体中の管から緑に光る霧状の何かを噴き上げながら、野太い腕をめちゃくちゃに振り回して暴れ狂うモンストラム、迷わず斬り込んでくる白い一角の魔導アーマーへと襲いかかった。
突き出されたモンストラムの拳へ、ハルバードの持ち手をぶつけて軌道を逸らす、公国旗を翻しヘレーネがそのまま一閃。
分厚い刃の描く軌跡が、降り注ぐ雨粒を切り裂いてその胴体を走った。
僅かに後ずさるモンストラムへ、すかさず彼女の部下達が対物グレネードを浴びせる。
爆風に混ざる熱と硝煙の臭いに、すぐそばのリナリーが息を呑むのが分かった、これほどの規模の戦闘を目の当たりにするのは、彼女は初めてだろう。
炎に包まれる怪物はしかし、砲撃をものともせず、緑の蒸気を噴き上げながら再びヘレーネへと迫った。
腕を頭上高く掲げ、叩きつけるように振り下ろす。
ぎりぎりまでヘレーネが引きつけ、スウェー。
怪物の拳を打ち付けられた路面から、砕けた雨水とアスファルトが噴き上がり、ミア達の足の下で橋桁が揺らいだ。
飛び散る瓦礫に構わずヘレーネがハルバードを振るう、刃はモンストラムを違わず捉え、火花が散った。
しかし、僅かに傷を残すだけで大きなダメージには至らない。
彼女を支援する砲撃も、足止めに過ぎないように見えた。
ミアの焦りが増す。
無意識にポケットの上からブローチを掴んでいた。
(レナード……)
彼が現場にいた頃はふたりで前線に立った事もある、だが今は、こうして後ろから歯噛みして見守る事しかできない。
以前港湾区で戦闘になった時は、要請を出した軍務の判断によって対戦車砲を十発以上撃ち込み、ようやく鎮圧に成功した。
ヘレーネがここでそれを出し惜しむのは、万が一の誤射で街に大きな被害を出さないためだ。
「……」
雨が額を伝い落ちる。
ミアもリナリーも、そしてSEKも、固唾を呑んでその戦いを見守った。
首都の光が鋼の猛獣の体に鈍く反射し、純白の魔導アーマーが振るう切先が迸る。
対物グレネードの爆ぜる炎が濡れたビルのガラスに、アスファルトの水溜りに、おぞましい怪物の姿を焼き付け、黒煙がそれを塗り潰す。
程なく、ミア達とは反対の方角から軍務局の装甲車が駆けつけた、魔導アーマーの分隊が降りてきて、挟み込むようにモンストラムを迎撃する。
彼らの動きはやはり、警務局の特殊部隊と比べてもより機敏かつ、作戦目標達成を最優先とする冷徹さがあるが、その軍務魔導アーマー部隊をしても、怪物を止められない、むしろその凶暴性は増すばかりだ。
モンストラムが雄叫びを上げる、バイパスへ明かりを落とす道路照明の鉄柱を掴み、体中の管から緑の蒸気を噴き上げながら引きちぎった。
活線が雨水に触れてアークを散らす、怪物は鉄柱を縦横無尽に振り回し始めた。
ハルバードを振り上げる遠心力で身を翻しヘレーネが回避、展開していた他の魔導アーマーの兵士も回避行動を取るが、数名、巻き込まれた。
装甲を砕かれながら高架道路から弾き出され、隣のビルの映像広告を突き破る。
「……っ!」
リナリーが声にならない悲鳴を漏らした、SEKの防弾装備より遥かに堅牢な外骨格スーツであっても、その怪力の前には粘土細工同然だったのだ。
モンストラムが鉄柱をフルスイング、激突した装甲車が一回転する、くの字に折れ曲がった鉄柱を、逃げ遅れた魔導アーマーのひとり目掛けて振り下ろした。
「ッ!」
兵士の悲鳴、咄嗟にヘレーネが飛び出した。
ハルバードの持ち手を水平に構え、モンストラムの正面へ滑り込む。
衝撃。
高架が震動し、雨の作る水たまりに大きな波紋が広がる。
間一髪でヘレーネは間に合ったが、その重たい一撃に彼女は膝をつき、その脚が路面のアスファルトへ深く沈み込む。
「ヘレーネ様……っ!」
「危険です、警務補!」
車の影から身を出しそうになったミアをリナリーが制止する。
ヘレーネの庇った兵士はすぐさま退避、後方へ下がってグレネードを装填、援護に加わった。
怪物は咆哮と緑の蒸気を上げ、その背に受ける砲撃に構うことなくハルバードごと押し潰そうと、ヘレーネにどんどん体重をかけていく。
純白の魔導アーマーからスパークが迸る、あの化け物のパワーが汎用兵装の出力など軽々凌駕している証左だ。
モンストラムが怒号と共に再び鉄柱を振り上げた、ヘレーネの体が自由になり、頭上から迫り来る金属の長物を何とか両断する。
真っ二つに斬り飛ばされた鉄の円柱が耳障りな音を上げて路面に落ちた、モンストラムは手に残った鉄柱の片割れを放り投げ、上体を振りかぶって拳を打ち下ろす。
紙一重でヘレーネが回避、しかし、彼女は次の一撃を躱しきれなかった。
怪物の圧倒的なリーチと俊敏性が、遂に純白の魔導アーマーを捉える。
直撃こそ免れたものの、装甲が甲高い悲鳴を上げてヘレーネの体が浮き上がり、背中から欄干に叩きつけられた。
「ぐ……ぅっ!」
くぐもった呻き声を漏らす彼女の目の前で、モンストラムが鉄鎚の如き両腕を振りかぶった。
「……っ!」
誰もが息を呑んだ、その次の瞬間。
降り注ぐ雨に、何かの強い光が反射した。
刹那、尾を引く紫の閃光がモンストラムの体で爆発し、その体を吹き飛ばす。
「手を貸すぞ、将軍」
ミア達の目の前、SEKのパトカーの上に黒と紫のアーマーギアが降り立ち、手に持った機械的なライフルの黒いフレームを折った。
銃腔から排出されたのは、薬莢ではなく高圧の熱。
体を起こした怪物が、突如現れた黒と紫のアーマギアを睨むようにその頭部を向け、憤怒の咆哮を浴びせる。
彼はそのトップブレイクを戻し、蒸気を昇らせる銃口をモンストラムへと真っ直ぐに向けた___




