第10話:偽りと誇り / Falschheit und Stolz
「僕のこと、覚えていてくれてるかな」
彼女はそう言ってレトロラウンドのサングラスを取ると、キャスケット帽を脱いで微笑んだ。
帽子に押し込まれていたペールカラーの長い金髪が零れ落ちてきて、ケープジャケットを羽織るその肩を彩った。
「ご、ごきげんよう……クラーラ様っ」
こんなところで会うとは思いもよらず、手に取ったポーチを慌てて棚へ戻して、たどたどしくお辞儀するニーナ、その後ろで、セラフィーナが姿勢を正して黙礼した。
「覚えていてくれて嬉しいよ、ニーナ嬢」
クラーラはボタンを外したヘンリーネックにサングラスを引っかけ、再びキャスケットを頭に乗せた。
それに合わせて、ケープジャケットから垂れ下がる長いスリットスリーブが、扇状的なさざなみを作った。
ファッションにおける良し悪しなどニーナには分からないが、こうして目の前に現れたクラーラからは、先般、晩餐会で出会った時以上に抜群の存在感を感じて、萎縮してしまう。
何気なく彼女が羽織るジャケットはそのデザインだけでも印象的だが、肩から降りるケープの織りなすドレープや、波打つスリットスリーブの繊細な軽やかさには、とりわけ視線を引き付けられるものがある。
そこには、作り手の探求する理想的な生地の皺、揺れへの、飽くなき試行錯誤が垣間見える気がした。
そしてそれを、ヘンリーネックのカットソーとレギンス、ハイヒールミュールというカジュアルなアイテムに合わせて着崩すスタイル。
まるで体の一部のようにそれらを纏い、クラーラは唯一無二の存在となっていた。
店内にいた他の客が彼女に気付いて色めき立つ、かと言って声をかけに来るようなことはしないようで、それがやはり、貴族と平民の間にある埋め難い距離感なのだろう。
彼女は肩に落ちた髪を手で後ろへやりながら、言った。
「そう畏まる必要はないよ。そちらのメイドさんも、仕事着を脱いでいるのなら楽にしてくれていい」
「お心遣い、感謝いたします。クラーラ様」
「えっと、クラーラ様は……どうしてここに……」
「仕事さ、上の階がスタジオになっていてね、雑誌に載せる新作アイテムの試着撮影をしていたんだ」
そう言って指先を上へ向けるクラーラ、袖を揺らし、その手を今度はニーナ達へ向けた。
「そういう君たちは……察するに、新しい服がご要り用と見える。それとも、新作のチェックかな?」
「えっと、」
「はい。お嬢様に、新しいお召しものをと」
ニーナが答えるよりも早く、セラフィーナが身を乗り出してそう答えた。
満足そうに、クラーラが頷く。
「素晴らしい。偶然とは言え、こうして出くわしたのも何かの縁だ。どれ、この僕が、ニーナ嬢にぴったりのものを選んであげよう」
クラーラは嬉々として売り場を見渡した。
トップブランドの顔自らがコーディネートしてくれるというのは貴重な機会にほかならないが、果たして良いのだろうかと、ニーナはたじろいでしまう。
どちらかと言うと、他の客に対する遠慮だ。
「かまわないさ。用意されたもの身に着けるばかりで、僕も誰かをマネキンにしたいフラストレーションが溜まっているんだ」
「マネキン……」
「君も僕も、知らない間柄ではないだろう?」
「お嬢様、ぜひお言葉に甘えましょう」
セラフィーナに押されるように、クラーラの隣に立たされるニーナ。
「ここにあるのは僕の手がけた商品だ、ぜひ一着手に取って頂きたいけれど、押し付けはしまい。さて、好みはあるかな、ニーナ嬢」
「好み?」
ニーナは首を傾げた。
「こういうデザインが良い、黒が好き、赤が好き。ワンピースが着やすいとか、肌を見せたいとか。ゆったり着れるほうが良いのか、シルエットの綺麗なものがいいとか」
「ええと……」
考えたこともなかった。
買い与えられたものに袖を通すばかりで、自分の好みを意識したことなどなかったからだ。
「ふむ、実に教育しがいがあるね。個人的には、その可愛らしい背丈を活かして、プルオーバーと合わせる王道スタイルがいいけれど……」
そう言って、クラーラは大きめのハイネックパーカーを広げながら思案する。
膝上くらいまですっぽり体を覆うサイズ感で、脇を大きめにとったドルマンタイプの袖に、襟元には幅広のシューレース。
横で見ていたセラフィーナが、即座に相槌を打った。
「そうですね、私もそういったほうが好み___いえ、お嬢様にお似合いになると思います」
「メイドのあなたとは気が合いそうだ。しかし、あえてシックなワンピースで、ビターなオトナっぽさを演出するのも悪くないと思わないかい?」
「ああ、いいですね。素敵です」
そうして売り場を移り、ワンピースタイプの服が並ぶコーナーへ。
次々と手に取りながら広げては、クラーラとセラフィーナが談義する。
どうせこだわりもないため何を選ばれようと構わないが、クラーラと会話を弾ませるセラフィーナを見て、ニーナは少し安堵していた。
立場や身分の全く異なるふたりだが、同世代とあって、話しやすいのかも知れない。
会話に加わる事はないが、そんなふたりを横目に、ニーナも手近にあった服を取ってみる。
「気に入るものがあったかな?」
「えっ、いえ……そういうわけでは……」
「おや、その服。最近、偽物の流通が報告されているものだね」
「偽物?」
不穏な言葉がクラーラから出てきて、ニーナは思わずそのまま尋ね返した。
「ここのブランドのものは、無論、安価とは言い難いだろう?よく似せたものを作って、それを安く売り捌くのさ、それでも、実際の生産コストに比べれば破格な利益になる」
「そのようなものが出回っているなんて……」
セラフィーナも眉根を寄せた。
クラーラは耳を寄せるようふたりへジェスチャーして、声を細める。
「仕事柄、僕のほうにも話が降りてくるんだけどね。警務局が言うには、偽物は全て帝国が出どころしいんだ」
また、帝国だ。
クラーラはそれだけ耳打ちすると、顔を離して陳列テーブルへ視線を落とし、丁寧に折りたたまれた服のボタンに指先を触れた
「うちのは留め具ひとつとっても公国の職人による手作りだ、蝶貝や水牛の角を削り出したものを使っていてね。でも、押収された偽物からは可塑剤が検出されたそうだ。それも、大陸協定の安全基準を大きく上回る値が」
クラーラは続ける。
「あまり知られていないけれど、本物には裏地やタグに、携わった職人すべての名が刻まれているんだ」
「それは……どうしてなんですか?」
「作り主の手に返すため、が一番の理由だね。買ってすぐに壊れてしまったら、君だってショックに思うだろう?そうなってしまった時のために、作った本人の手で直してもらうためさ。皮肉なことに今は、偽物を判別する方法になってしまっているけどね」
「初めてお聞きしました」
「これほど魔導科学の発展した先進都市であっても、ブランドの価値と誇りを守ってくれるのは、最も原始的な方法なのさ」
そう言うと、クラーラはニーナに向き直って言った。
「君のお父様には、僕たちもお世話になっているということさ。だからこれは、ほんの恩返しと思ってくれていい。さて、服選びを再開しよう」
声のトーンを明るく上げて、再び売り場を歩き始めるクラーラ。
その後ろを、セラフィーナとついて行った。
「うーん、どうしてこう、うちのは着る人を選ぶデザインばかりなのか」
クラーラの手に取ったのは、シンプルなAラインのプリーツワンピース。
薄いシフォン生地を何層にも重ねた透け感は上質だが、少し、デザインが色っぽい。
ニーナ自身も、自分には似合わないだろうと分かる。
「だからこそ、みんなが憧れるのです。クラーラ様のように羽織るだけで様になるお方もいらっしゃれば、服に選ばれるために、着こなす努力が必要な方もいますから」
そう言ったセラフィーナが誰を指したのかは不明だ、あるいは一般論を口にしただけなのかも知れない。
ただニーナは、カトリーナが以前に、ここのブランドのものは似合うものがなかったと言って肩を落としていた事を思い出した。
そしてクラーラにも、思い当たることがあるのか僅かにその表情に影が差す。
「服に選ばれる、努力か……」
「あ。し、失礼しました……、私のような者が差し出がましい言葉を……」
「いや、いいんだ。実に考えさせられる。さあニーナ嬢、こちらはどうかな」
クラーラが一着、ニーナの体に合わせてみる。
グレーチェックのフロントボタンワンピースだ、上半身に沿うフィットアンドフレアで、スカートにたっぷりと生地を使ったフィッシュテールタイプ。
前丈が膝上くらいで、ボリューム感に対し動きやすそうな印象だ。
先ほどのものに比べれば、まだこちらが自分に似合いそうだと思う。
「ニーナ嬢は髪がショートだから、襟を詰めて着るよりも、ボタンを外して、少し首筋と肩を見せるくらいにはだけさせて着るのが、すっきり見えてお勧めだ」
「へぇ」
「あなたはどう思うかな、メイドさん」
「はい、とてもお似合いになると思います」
セラフィーナは笑顔で頷いた、彼女のお墨付きなら恥ずかしいような着こなしにはならないだろう。
「次は、それに合わせるアイテムが必要だね。アクセは上の階だ、行こう」
その後もクラーラと店内を巡り、結局、アクセサリーやら靴やらまで含めて揃えてもらってしまった。
「どうぞ、ニーナ嬢」
ビルの外へ出て、クラーラからKANT & KOPPのショッパーバッグを受け取る。
すっかり時間は過ぎており、外はもう、昼間より明るくなっていた。
「あ、ありがとうございます……あの、えっと……」
「申し訳ございません、クラーラ様。代金はすぐに___」
言いかけるセラフィーナを、クラーラがスタッキング・リングの光る人差し指を立てて、制する。
「野暮なことはなし。そして、これはあなたへのプレゼントだ、セラフィーナ」
そう言って、ジャケットのポケットからアクセサリーボックスを取り出し、セラフィーナへ差し出した。
濃紺のケースに、白のスレンダーなロゴ。
ブランドの飾り箱だ。
「有意義な時間だった、そのお礼さ。受け取ってもらえるね?」
「クラーラ様……」
少し躊躇いながらもセラフィーナはそれを受け取り、箱を開けると瞳を輝かせた。
「ありがとうございます。大切にします」
クラーラはセラフィーナの微笑みに頷くと、雑踏へ視線を投げた。
「服というのはその人の役割や立場を示すためのものさ。貴族が高級なテーラードスーツにこだわるのも、ストリートの少女たちがブランドアイテムを身に着けたがるのも、本質的には変わらない」
ビジョン広告やネオンサイン、車のヘッドライト、AR看板、それぞれがそれぞれの光で、公国の夜を行き交う人々の肩を照らしていた。
「何を着るか、何を着ているのか、それがその人を決めるのさ。逆に言えば、なりたい自分があるのなら、それに相応しい服を選べばいい。君にとってのドレスも、あの不気味な宰相殿の仮面も、僕にとってのKANT & KOPPの服も、そして___アーマギアも。皆、それを示すための符号だ」
彼女は最後に、ニーナへ視線を向けた。
その横顔を、首都の夜に灯る明かりが照らす。
「僕たちは大公位を争う敵どうしだ、でも、こうして私服を来ているときくらいは、ファションに情熱を注ぐ女の子どうしであってもいいと、そう思わないかい?」
「クラーラ様……」
「次に会うときは、お互い、何を着てるんだろうね」
スリットスリーブを揺らして手を振るクラーラの背が、首都の喧騒に消えていく。
「コンラートさんが待ってくれています、帰りましょう、お嬢様」
「うん」
セラフィーナと並んで、ニーナはコンラートに迎えを頼んだ場所へと歩き出した。
最後に、なんとなくクラーラの去って行ったほうを振り返ったが、当然、彼女の姿はもう見えなかった。
夜の雑踏を行くクラーラは、クラッチから通信端末を取り出して、耳に装着した。
「Nacht」
『聞こえている』
端末からフェリックスの声が返ってきた。
「この前のお宝。引き渡しの場所は?」
『決まった。だが仕事の前に寄る場所ができたぞ』
「……おばあ様かい?」
『ああ』
ため息を漏らすクラーラ。
令夫人イェニファーからの呼び出しだ、無視することもできない。
厄介な貴族の習性というやつだった。
「分かった。すぐに帰る」
端末をクラッチへ戻す、祖母のことは愛しているが、仕事を前に会いたいひとではなかった。
ケープジャケットの長い袖を翻して、クラーラは帰りの足取りを急いだ。




