第7話:技術局の測定 / Die Messung
「おはようございます、ニーナお嬢様。起床のお時間です」
微睡の中、セラフィーナの柔らかな声で目を覚ます。
「ん……お、おは……」
言い切る前にあくびが漏れた。
寝ぼけ眼を擦るニーナにセラフィーナは微笑むと、順に部屋のカーテンを開けていく。
部屋に差し込む光は明るく、ここしばらく嵐のような天気が続いたリヒターハーフェンは、久しぶりの晴天に恵まれたようだ。
「朝食のご用意ができております」
「うん……いまいく……」
もう一度大きなあくびをひとつ、ニーナはベッドから起き上がってダイニングへと向かった。
両親は相変わらず不在だ、セラフィーナが言うには、この前の夜中に不意に母が帰って来たそうだが、ニーナが起床する頃には家を出ていた。
どうやら部屋も覗いたらしく、寝顔だけでも娘の様子を確認できて、喜んでいたそうだ。
「本日は、リディア様と技術局へ向かわれるのでしたね」
朝食のパンを頂くニーナの前に、キンダーカプチーノを差し出しながら、セラフィーナが言った。
口に運ぶと、ふわふわに泡立てられたミルクが唇に触れ、飲みやすい温かさと、香り立つシナモンとココアの甘みが、眠気の残る頭を優しく目覚めさせてくれた。
「うん。データ測定するんだって」
「データ測定……ですか?」
セラフィーナは小首を傾げた。
リディアから聞いたことをそのまま伝えただけで、ニーナ自身も、今日の予定についてはその詳細をきちんと把握はできていない。
技術研究局へ向かって、そこで、ニーナは〈エレナント〉の力を使い、リディアはアーマギアを纏って、いくつかハンスの用意した測定課題をこなす。
ニーナの体にはあまり負荷をかけなくて済む内容のものだと、リディアからは聞いていた。
「承知しました。コンラートさんも、今日のお嬢様のご予定は存じていますので、出発のお時間になられたらお声がけくださいと言っていました」
「わかった、ありがとう」
朝食をすませ、顔を洗って身だしなみを整えてから、自室で服を着替える。
オーバーサイズのTシャツに袖を通し、レギンスの上からチェック柄の腰巻きシャツ風のパンツを合わせて、ダッドスニーカーへ履き替える。
ポーチに、財布とリップクリーム、ハンドタオルやらを突っ込み、最後に、ブローチを黒のスチールケースに入れてから仕舞って、キャップを頭に被りながら自室を後にする。
庭へ出るとコンラートが車を磨いていた、ニーナに気づいた彼はすぐに後部座席のドアを開けてくれた。
「本日はリディア様とのご予定でしたね、どちらにお伺いでしょうか」
「技術局です」
「承知致しました」
サイドミラー、ルームミラーの角度をそれぞれ確認して、コンラートは黒のセダンをゆっくりと発進させる。
港湾区で起きた事件の報道があって以降、リヒターハーフェンの車通りは少し減ったように感じていた、ニーナの登下校の送迎はだいたいいつも混雑しているのだが、体感として、信号待ちで暇を持て余す時間が短くなっていた。
しかし、今日は違った。
「少々、混み合っておりますね」
コンラートが呟いた。
首都にはバイパスが無数に張り巡らされていて、中にはビルの立体駐車場の中まで直接繋がっているものもある。
後部座席にいるだけでも半ば迷路のようになっていると感じるが、それほど交通の便に配慮された街は今日に限ってはどうにも、技術局方面が少し、渋滞気味だった。
「お時間の程は大丈夫でしょうか、お嬢様」
「あ、えっと……だいじょうぶです。たぶん」
リディアから大まかに時間を伝えられてはいるが、渋滞で遅れたと言えば、彼女はそれで気を悪くするような女性ではない。
とは言え、ハンスと約束した時間もあるだろうから、心配するならばそちらだ。
混雑はしばらくすると解消され、やがて首都でもずば抜けて古い文化遺産の大聖堂が高架道路の欄干の向こうに見えてくる。
そして、まもなくそのすぐ隣に立つ技術局局舎ビルへと到着した。
ロータリーの適当な場所で車を停め、コンラートが後部座席の扉を開く。
お礼を言って車を降りるニーナ、運転席へ戻ったコンラートがビルの敷地を後にするのを見送ると、その視線はロータリーの向こう、大きな搬入口のほうへと向けられた。
見慣れない大きな車が、その付近で車列を組むように並んでいたからだ。
「なんだろ……装甲車?」
深いグリーンの大きな車両は、一目見て普通の車両ではないと分かった。
とにかく直線的なボディに、ごつごつとした巨大なタイヤと小さな窓。
フロントガラスまで左右に分かれている。
周りには、迷彩柄の服を着た軍務士官や小銃で武装した魔導アーマーの兵士まで立っていて、一際大きなトラック型の車両がそのリアゲートを搬入口へ着けるのを護衛するように、周囲を警戒していた。
気になりつつも、ニーナは正面入り口へ向かう、そこで、ビルの外壁に背中を預けて腕を組むリディアを見つけた。
「おはようございます、リディアさん」
彼女はポニーテールに結い上げた髪を揺らして搬入口のほうへ投げていた視線をニーナへ移すと、微笑んだ。
「あら、ニーナさん。ご機嫌よう」
社交会でもパンツスタイルを好むリディアだが、今日の彼女が選んだセットアップは、いくらかカジュアルだった。
肩で羽織ったショートジャケットの下は白のブラトップで、ボトムスにはボックススタックのスラックス、足元は白のミュール。
重心を下に持つような印象のファッションは、背丈もあり体格のいいリディアによく似合っていて、ニーナは少し見惚れた。
「すみません、遅くなってしまって……」
「いえ、構いませんわ。おそらく、あれのせいで道が混んでいたのでしょう?」
そう言って、リディアは軍用車を目で差した。
「少し前にぞろぞろとやって来ましたわ。車列の来た時間と方角からして、ニーナさんたちの前を走っていたようですわね」
壁から背中を離すリディア、そのまま歩き出す彼女へついて行くと、一番近くにいた魔導アーマーの兵士へ、おもむろに声をかけた。
「失礼。こちらはいったいなんの……」
「ん?」
背格好からして男性と思われるその士官は、リディアの声に振り返ると魔導アーマーのフルフェイス・マスクの中から威圧的な低い声を響かせた。
「任務の邪魔だ、子どもはあっちへ行け」
そう言って、彼は犬でも追い払うような仕草で手を振った。
それを見ていた奥のもう一人が慌てて駆け寄って来て、その彼の肩を掴んだ。
「おいバカ!よく見ろ、このお嬢さんは長官のご息女だ!」
「長官の___なッ、てことは中将の……!?こ、これはご無礼を……っ!」
魔導アーマーを着たふたりがリディアへ敬礼する。
なんとも言えない滑稽なやり取りに、ニーナには見えてしまった。
「構いませんわ、どうぞ楽にしてください」
ふたりは腕を下ろすと、体の前で小銃を持ち直した。
「それで、これはいったいどうしたんですの?」
「あいや、その……我々にも機密保持の原則がございまして……」
長官の娘と見るや明らかに威勢を失って、まごつきながらひとりが答える。
困り果てた彼らの後ろから、今度はニーナも見慣れた人物が姿を現した。
「構わんぞ、軍曹。そいつは〈ベアラー〉としてヴァルクライネ長官より特務を授かっている、本任務とも遠からず無関係ではない」
白いタイトなジャンプスーツの軍服に、白の外套。
流れるような黒い髪の女性は、ヘレーネだった。
ふたりはさらに背筋を伸ばして敬礼した。
「ヘレーネ中将!」
「姪孫がすまんな。持ち場へ戻れ、私から話しておこう」
「はっ!」
駆け足で立ち去って行くふたりを見届けて、ヘレーネがこちらへ向き直る。
「リディア。任務中の軍人に気安く話しかけるな、何かあれば責任を負うのはお前の父親なんだ」
「それは失礼をしましたわ。それで、いったい何なんですの?」
さして悪びれる様子もなくリディアが尋ねる。
ヘレーネは、そのリディアの態度に軽くため息を吐いて、ビルの入り口を顎で指した。
「来い。中で話そう」
技術局局舎ビル、エントランスの片隅にあるボックス型のソファにニーナ達は腰を下ろしていた。
清潔感ある白で統一された内装には、いかにもハイテクそうなタッチモニタやホログラム看板がそこかしこにあって、先進性を表す青のデザインと透明なガラスのパーテーションなどがアクセントになっていた。
「___あの異形を、ここへ?」
今しがたヘレーネから聞いた言葉をそのまま繰り返すリディア。
僅かに上半身を乗り出す彼女へ、ヘレーネが頷いた。
「そうだ、ドレスタイン伯爵の差金でな。今はその移送と搬入、及び護衛任務のさなかだ」
自分の眺めていたあのトラックの中に、軍務の地下で見た怪物が積まれていると言うのだ。
例えそれが既に鎮圧されたものであったとしても、ニーナはどこか背筋の冷える思いがした。
それはそれとして、聞き覚えのある名前が出てきたので、ニーナは尋ねた。
「えっと、ドレスタイン伯爵って……」
「大陸鉄道の公国線を管理する家柄ですわ、そして、この技術研究局の親玉でもあります」
「肩書は最高顧問だったな。私達とは属する派閥の違う家柄だ、ニーナの歳なら知らないのも無理はない。お前も持つ〈エレナント〉のブローチを開発したのはその先代伯爵、そして、現在のドレスタイン伯爵は魔導アーマーの開発者のひとりだ」
「えっ、そうなんですか?」
「選択する講義によっては、いつか教えられますわ。伯爵は確か、当時の大公から特別褒章を授与されたはずです」
それだけを聞けば、公国に対して随分と立派な功績を持つ家柄であり、現ドレスタイン伯爵当主個人もまた、同様だ。
しかし、リディアとヘレーネの口ぶりからして、ただの尊敬すべき公国貴族のひとり、という訳ではなさそうだ。
そう言えば、と晩餐会の帰りにエレオノーラとリディアが何か話していたことをぼんやりと思い出す。
ふたりが口にした言葉は確か___
「親帝派……?」
「よく知っているな、ニーナ」
ヘレーネが頷いた。
「伯爵は事件の早期解明を口にしているが、私達はそれだけが理由ではないと見ている。元老院の決定を議会を通さずに覆したのには、それなりの別な事情があるのでは……とな」
「……」
「あまり気は進まんが……お前達もすぐに動ける準備をしておけ、事態の如何では本当に手を借りる可能性がある」
「私は構いませんわ、怪物だろうがなんだろうが、立ち塞がるならこの拳で打ち倒すまで」
そう言って、リディアは黒のサテンに包まれた拳を合わせた。
「ニーナはどうだ」
「私は……」
膝の上に乗せた手のひらを握りしめる。
頭には両親の顔が思い浮かんでいた、ふたりもこの事件を追っている。
あの怪物の脅威を直接目の当たりにした訳ではないが、それがいかに危険な存在なのかは、目の前のヘレーネ含め、様々な大人が慎重な態度を見せていることから、想像に難くない。
そんな事件に自分が関わるようなことを、両親は決して喜びはしないだろう。
それでも、怖気付いてばかりいては、リディアにも、あの時互いに死力を尽くしたエレオノーラにも、申し訳ないと思った。
「わ、私の力で……お役に立てるなら……」
そう答えるのがやっとだったが、ヘレーネはふっと口角を緩めて立ち上がった。
ニーナの被ったキャップの上から、大きな手のひらで頭を撫でる。
「立派になったじゃないか。だが、そう気張る必要はない。自分の事を一番に考えろ、お前はまだ、そうしていい歳だ」
ヘレーネは優しい口調でそう言うと、外套を翻してエントランスの外を目指した、任務に戻るのだろう。
「ハンスに会うんだったな、よろしく伝えておいてくれ。お前の拳でも粉砕されない装甲が必要だ、とな」
背中越しにリディアへそう伝えると、彼女は今度こそ外へ出て行った。
「おばさまなりのジョークかしら」
リディアは肩を竦めて立ち上がった。
「さて、私たちは私たちの用事をすませに行きましょう」
「はい」
差し出された手を取って立ち上がる。
ふたりはエレベーターに乗ってハンスの研究室を目指した。
そして、訪ねた彼の研究室からさらに場所を移し、地下にある試験エリア。
主には魔導アーマーの性能測定に使用されるそうだが、その空間の広さは、体感でもヴェステンラウ市にある国際スタジアムのグラウンドに匹敵するほどだった。
密閉された地下では、空気の換気、循環システムが休むことなく駆動しており、その静かな唸り声が何もない真っ白な空間に反響するのは、どこか落ち着かない気分にさせる。
今日は、ここでリディアとアーマーギアの出力に関する測定をいろいろと行うそうだ。
継ぎ接ぎの目立つ金属材質の床の上に立つニーナは、隣のリディアを見上げた。
「えっと……」
「緊張することはございませんわ。こうしたデータが、後のアーマギア研究や魔導アーマーの開発に役立てられるのです」
手前の控え室にジャケットを置いてブラトップ一枚になったリディアが、そう言った。
スラックスの裾を揺らしながら、その長い脚を伸ばしたり広げたりしてストレッチする彼女は、履いてきたパンプスも脱いでおり今は裸足だ。
ニーナが〈エレナント〉の力を使えばその全身が装甲に覆われるため、素足であっても特に問題はないのだろう。
『本日はご協力を頂き、誠にありがとうございます。ご令嬢お二方に無理のない範囲での測定課題となりますので、どうか、リラックスして取り組んで頂ければ』
スピーカーからハンスの声が響く。
いつぞや派閥長戦で訪れたアイゼンベルクの訓練ルームと似た、ツーフロア吹き抜けの構造、上階に位置する窓には、ニーナの知らない技術局員と共に、ハンスの姿が見えた。
『まずは簡単なランニングから。その後パンチ力測定を行い、そして、最終課題となります。ご準備の程をお願い致します』
言われて、リディアのほうを見つめる、彼女が頷いたので、ニーナは〈エレナント〉の力を解放した。
ブローチの機構が展開して、赤い光の魔導陣が足元に広がる。
手の甲へブローチを装着すると、リディアの体を光の欠片が覆い、瞬く間に深紅の甲冑となった。
それを確認して、上階の窓に見えるハンスの影が手元のパネルを操作する。
大きなブザーの音が鳴るのと同時に、黄色い警告灯が回転を始めた。
ロックの外れるような鈍い金属音、地鳴りのような振動が床に伝わって、壁面が動き出す。
継ぎ目から割れるようにして金属壁が順に浮き上がり、前へ迫り出しながら傾斜を作る。
やがて、フロア全体をぐるりと一周する滑走路が出来上がった。
『では、リリエンタール嬢、ヴァルクライネ嬢。よろしくお願いします』
リディアのフルフェイス・シールドがニーナを振り返った、こちらも準備は出来ている。
「始めましょう」
頷く代わりに、リディアへ意識を向けて力を込めた。
集中するニーナの手の甲で、ブローチが鮮烈な赤い光を放つ。
深紅のアーマギアは、弾き出されるような勢いで駆け出した。




