第5話:大公戦の足音 / Die Schritte des Großherzogskrieges
深夜___首都警務局。
とっくに明かりの落とされた薄闇のオフィスには、奥のブレークスペースから白っぽい光が漏れていた。
フロストガラスのパーテーションで仕切られたその手狭な空間で、ミアはひとり、コーヒー抽出機のドリップを待ちながら港湾管理会社から持ち帰ったリストを睨んでいた。
「ミア」
呼ばれて顔を上げる、スペースの入り口には、黒い警務局の制服の上に高官へ支給される黒の外套を羽織った男性が立っていた。
「あら、レナード。お疲れさま」
警務補のミアからすれば、首都警務局長にして連邦警務統括局副総監であるレナードはおよそ雲の上の地位にある人物だが、そうは言っても夫婦、人目がなければお互いの距離感は自然とそれにふさわしくなる。
ただ、仕事で顔を合わせることがほとんどないため、堅苦しい言葉を交わすことのほうが実際は稀だ。
彼はブレークスペースに入って来ると、ミアの近くで窓に背中を預け、腕を組んだ。
その背後で、窓ガラスに叩きつけれる雨粒が幾つも伝い落ちる。
「捜査はどうだ」
「まだなんともね。港湾の職員に欠員はいないそうだし、保税倉庫を借りてる会社をリナリー達に調べてもらってるけれど……」
「実態がない」
「ええ、思った通りね」
所在地の判明した会社は、テナントに私書箱があるだけというケースがほとんどだったと、リナリーから報告を受けた。
勿論、歴とした会社も中にはあって、リナリーが事情を説明し聞き込みを行ったところ、港湾に置いたままにしてあるのは在庫の調整や運搬スペースが確保できていないなど、往々にしてそのような理由であった。
「つまり、帝国でトランジットされた全ての、あるいは、無作為に選別された貨物が手を加えられた訳ではなく、ペーパーカンパニーの背後にいる何者かと帝国側の結託による工作……という事か」
「そう。全くもって厄介よね」
偽造の会社名義で第三国から物品を購入、路線や便の都合で貨物を下ろした際に、その中身をすり替える。
ギャングの密輸などに見られる古典的な手法だ、とは言え、それを容認し実行しているのは帝国そのものであり公国貴族という可能性がある。
ただしその場合には、どうやっても公国の入国処理をクリアできない。
しかし、中身が何かのきっかけで勝手に動きだす代物であるなら、届きさえすればあとは適当な口実で審査を引き延ばし、民間の港湾倉庫に蔵置しておけばいいだけだ。
「元老院も、慎重にならざるを得ないな」
嘆息混じりにレナードが言った、彼の凛々しい顔立ちも、今は剣吞な影を深くしている。
「最悪なのは、港にあるコンテナの中に、まだ目覚めていないモンストラムがいるかもしれないということ。とは言え、推測の域を出ないわ、正式な令状もなく開けることはできないし、トランジットにしたって、その時すり替えた証拠もないもの」
抽出の済んだコーヒーカップを取って、口に運ぶ。
一口啜ると、レナードが眺めていたのに気づいたので、その顔を覗き返して、カップを差し出した。
「飲む?苦手じゃなかった?」
レナードは首を振った。
「苦手だ。あまり飲み過ぎるな、そう思って見ていただけだ」
「厄介な事件には、この苦味が必要なのよ」
「あまり根を詰めるな」
「ご心配いただいてるのかしら、副総監殿」
「副総監の立場なら、一秒でも早い解決を優先する。……またしばらく家にも帰ってないだろう」
「それはお互いさま。あの子にはセラフィーナだっていてくれてるし、リディアさんもいるわ」
「ミアの話をしているんだ」
窓から離れて、レナードがミアの前に立つ。
覗き込むように妻を見下ろす彼は、ミアの頬に手を触れた。
「疲れが顔に出ている、帰って休め。怪物が現れても、疲れていてはあの子を守る事もできない」
ニーナを引き合いに出されては、素直に言う事を聞く他なくなる。
そういう伝え方をすれば効果的だと、レナードはよく理解しているのだ。
無論、何かあった時に娘を守らなければならないという親心も、紛う事なき彼の本心だろう。
「……わかったわ。これを飲んだら、支度をして帰る」
だが、とミアは思う。
「守られるのは、私たちかもしれないわ」
派閥長戦決勝で見せたニーナの力は、明らかに他の〈エレナント〉を圧倒するものだった。
ヴェステンラウ家のエレオノーラ嬢についても、噂に聞くよりもはるかに力を持っていたが、ニーナはそれを超えた。
それもこれも、そのポテンシャルを余す事なく発揮する〈鉄拳令嬢〉がいればこそでもある。
弱冠18にして、あまりにも闘い慣れし過ぎているが、その師があの白雷であるならば、概ね納得だ。
いったいどれほど過酷な鍛錬を積まされたのか、それが彼女の意思であったにせよ、近い歳の娘を持つ親としては、なんともコーヒーの苦味を強く感じる思いだ。
〈エレナント〉だけが強大でも、〈ベアラー〉だけが優れていても、契約のもたらす力は決して完全にはならない。
もちろんニーナだってまだ伸びしろに余地のある〈エレナント〉だが、リディアは自身の戦闘能力に自惚れる事なく〈ベアラー〉として常にニーナの歩調に合わせた闘いをしている。
言うなれば息の合ったダンスデュオ、アーマギアを通してふたりの心がコンタクトし、〈エレナント〉と〈ベアラー〉が想いを交換し合うことで絆を高め、真のパフォーマンスを発揮する。
それが意識的にせよ無意識にせよ、ふたりは史上稀に見るほどに相性のいいペアだと言える。
「だからこそだ。いくらあの子達が優れていようとも、人々を守るのは警務官の仕事だ。それには、ニーナもリディア嬢も含まれている」
「分かってる、分かってるわ。でも、ヴァルクライネ伯爵はふたりをこの件に関わらせるおつもりなんでしょう?」
レナードは難しい顔をしてまた腕を組んだ。
「ああ……。伯爵は、軍務長官としてより高い視座をお持ちだ。この件の裏に帝国の黒い思惑が絡んでいるなら、危機的な有事に備え戦力足り得るアーマギアを押さえるのは、当然の判断だろう」
「だからレナードも許可したんでしょう?」
「ミアは反対だったか?」
自分の眉間に、少し皺が寄っていることを自覚しながら、ミアはコーヒーをまた啜った。
「好き好んで15の娘を戦場に立たせる親なんて、いるはずないわ」
「……」
「でも、伯爵の采配もレナードの判断も、理解してる。あの子がそう決めたのなら、私たちは信じるだけ……それでいいのよね?」
ミアはレナードを見上げた、最後に尋ねたのは責任を彼に転嫁するためではなく、共にニーナを想う両親として、それが夫婦の同意なのだと確認するためだ。
彼はゆっくりと頷いた。
「ああ」
黒の外套を揺らして、レナードはブレークスペースを後にする。
また公務に戻るつもりなのだろう。
「ありがとう、会いに来てくれて」
「顔を見たい時くらいある。気をつけて帰ってくれ」
振り返りもせずそう言い残して、彼はオフィスを出て行った。
コーヒーを飲み干すまでの間、ミアはまた手元の資料に視線を落とす。
偽りの企業名が並ぶその背後には、何者かの影が見え隠れしているようだった。
「あの……、大公戦ってどんな感じに進むんですか?」
グラウエン王立貴族学院、その敷地の端にあるリディアのトレーニングルームで、休憩ベンチに座るニーナは右隣で膝を組むエレオノーラに尋ねた。
「概ね派閥長戦とそう変わらないわ、違いがあるとすれば、各派閥長の家柄から選出された〈エレナント〉と〈ベアラー〉による総当たりのトーナメント、というところかしら」
顔つきは険しいながらも、エレオノーラはそう答えてくれた。
放課後、ジークフリートを連れてここを訪ねて来た時から、彼女はずっと不機嫌そうな顔をしている。
「リディアさんと手合わせしたいからって、ジークフリート様に無理やり連れて来られて拗ねてるんです」
反対の左隣に座るカトリーナが口元を寄せながら小声でそう教えてくれた。
「へぇ」
「聞こえてるわよ。話を戻すけど、対戦は数日から数週間おきに開催されるわ。元老院直轄の大公戦公正委員会が発足されて、スケジュールの調整をしながら対戦表の作成と開示を行うの」
「詳しいですね」
「これでも連邦最高法規長の孫娘なのよ、当然だわ。逆に聞くけど、あなたはどうして知らないのよ、当事者でしょう?」
返す言葉もない。
そんな話をしていると、リングマットからリディアとジークフリートが降りて来た。
手合わせを申し出たジークフリートだが、彼がリディアとの打ち合いを始める前に言ったのは、至近距離での肉弾戦となった時の、リディアのフットワークを学びたい、という言葉だった。
それが果たせたのかは怪しい。
一朝一夕で今のリディアと同じ技術を身につけられはしないだろうという意味ではなく、グローブを打ち鳴らすような激しい拳の応酬は、明らかに練習の域を超えていたからだ。
額の汗を拭うリディアに水筒を差し出す、彼女はニーナにお礼を言ってそれを受け取ると、すぐに一口煽った。
「対戦カードは、まだ公開されていませんでしたわね」
「参加する全員の日程を把握する必要があるもの。あなたたちも、筆記試験当日だと困るでしょう?晩餐会で向かいの席にいらっしゃったクラーラ様だってお仕事がお忙しいし、シュテルネンシュタウト家のご子息様もまだ大学生。最終学年と聞いたから、きっと卒業論文の制作で、なおのことでしょうね」
戻ってきたジークフリートにフェイスタオルを投げて寄越しながら、エレオノーラはそう話した。
「クラーラ様のお仕事って……」
「KANT & KOPPの専属モデルよ。あなたも、ブランドの広告で見たことあるのじゃないかしら」
言われて、思い出すニーナ。
晩餐会でクラーラの顔に見覚えがあったのはそれが理由だったのだ。
「公国の女の子なら、みんな一度は憧れるブランドです」
カトリーナがそう言った。
「そうなの?」
「はい。わたしには……あまり似合うものがなかったのですけど……」
言い分からして、彼女もその口なのだろう、カトリーナは少し肩を落とした。
「ブランドの話はいいのよ。……そういうわけだから、委員会のメンバーを選出するのにも時間がかかるけど、対戦スケジュールの調整にはもっと時間がかかるそうなの」
そう言ってエレオノーラは脚を組み直した。
ジークフリートは汗を拭ったタオルを首にかけると、外したパウンドグローブを壁のフックへと戻しながら呟いた。
「残念だ。大公戦は公国における、まさしく猛者の集う闘いの祭典。参加するのは俺の夢でもあったんだがな」
「そんな安いイベントじゃないわよ、ジーク」
「分かっているさ。勝ち星を稼げばその者が大公位を継承することになる。興味本意で出ようものなら、皆の覚悟の前に返り討ちにあうのが必定だろう」
「だそうよ」
ジークフリートの言葉を、エレオノーラはそのまま横目でニーナとリディアへ投げかけた。
「……」
答えに困った。
闘う以上は勝てと、以前エレオノーラから言われたが、この大公戦に至ってはその先にあるのは公爵の地位、つまりは国家元首だ。
ジークフリートの言うように、安易な覚悟で臨む事はできない。
晩餐会の時、似たような事をリディアもクラーラと言い合っていた。
「時間はあるのだし、ゆっくり考えるといいわ」
エレオノーラが立ち上がる。
「あら、ずいぶんとお優しいですわね。お得意のお説教は封印かしら」
「いちいち突っかかって来ないでよ。私は言ったわ、ニーナ。あなたの名の下に力を尽くすって。そこの嫌味ったらしいご令嬢が答えを渋るようなら、私に聞くといいわ。ヒントくらいは、一緒に考えてあげるから」
エレオノーラのその言葉に、リディアは嬉しげに微笑んだ。
彼女の協力的な姿勢を、純粋に喜ぶ笑顔だった。
それに気づいて、エレオノーラは少し照れたようにそっぽを向いた。
足早に戸口へと歩いていくその背中で揺れるプラチナブロンドの毛先が、波立つ彼女の心を表しているようだった。
「帰るわよ、ジーク。こんな汗臭い場所、私には相応しくないもの」
「比較的、嫌な匂いのする場所ではないと思うがな」
「ジーク!」
軽い挨拶だけ残して、ふたりはリディアのトレーニングルームを後にした。
「では、わたしも失礼しますね。お邪魔しました」
カトリーナが立ち上がって、リディアへ頭を下げる。
「カトリーナさんでしたら、いつでもいらしていただいて構いませんわ」
「嬉しいです。でも、それだとお姉様に怒られてしまいますから」
少しエレオノーラを揶揄うような意図を含んで、カトリーナはリディアへ笑顔を返した。
「また明日、ニーナ」
「うん。またね」
ミルクベージュの愛らしい髪を揺らして、カトリーナも手を振って立ち去っていく。
退院後、こうして学院へ通えるようにまで回復したカトリーナだが、依然として〈エレナント〉の力を使うことには主治医より強く制限を課されているそうだ。
ただしそれを除けば、概ね今まで通りと言えるだろう。
彼女の柔らかな笑顔と声にまたこうして触れられるようになって、ニーナは嬉しかった。
「さて。なんだか賑やかでしたわね」
皆の去って行った扉を見つめて、リディアがそう零した。
「私はもう少し続けていきますわ、ニーナさんはどうされますか?」
コンラートが迎えに来るまではまだ時間がある、少しだが、ニーナも体を動かしていく事にした。
学院のスポーツウェアへ着替えると、ニーナはジョギングマシンへと上がった。




