第4話:見え隠れする闇 / Die verborgene Dunkelheit
雨水がフロントガラスを流れ落ちていく。
断続的で規則的なくぐもった音を鳴らしながら往復するワイパーの向こうには、上空に立ち込める深い靄の中へと頭を突っ込む高層ビルの姿が見えている。
針の山に絡まった綿のように、地上から無数に突き出す摩天楼の間につかまった雨霧が、街全体を灰色のトーンで覆っていた。
凄惨な事件の報道があった後では、街はひどく静けさを湛えているが、悪天候に攫われてしまった人も少なくないだろう。
閑散とした通りには、AR看板やビル壁面のビジョン広告、ネオンサイン、そして高級車ブランドのホログラムが、受け取る人のいない湿った光を地面へ落としていた。
寒々とした光景だが、ここ数日雨に見舞われているリヒターハーフェンは実際にも低い気温で、薄暗い車内に鈍く反響する雨音が、さらにその肌寒さを助長するようだ。
車の暖房の温度を少し上げつつ、ミアは助手席の上でトレンチコートの前を寄せながら、黒い制服のスカートから覗く白い膝を組んだ。
「お待たせしました、警務補」
運転席側のドアが開き、肩を濡らしたリナリーが戻って来る。
彼女はシートに座ると、カフェ・アルベルツのロゴが印刷された紙袋をセンタースペースへ置いて、中からコーヒーカップをふたつ、取り出した。
ふわりと漂うコーヒーの甘く香ばしいかおりが、いくらか寒さを和らげる。
「どうぞ。エスプレッソ、スリーショットです」
「ありがとう、リナリー。自分で買いに行ったのよ?」
「いえ。これも仕事の内だと、エリック巡査部長から教わりましたので」
すべての刑事警務官の名誉のためにミアは思う、断じてそのようなことはない。
一部の古い習慣の残る管轄地域では、刑事警務官がリナリー達のような詰所勤めの巡査クラスを小間使いのように扱っていると聞いたことがあるが、巡査としてのキャリアも経たミア自身にはそういった経験はなかった。
「それに、ご馳走いただいたので」
そう言って、リナリーは手に持ったカップを一口啜って、ドリンクホルダーへ差し込む。
シートベルトを装着しステアリングを握る彼女の姿勢、座席の距離、背もたれの角度、すべて模範的だ。
彼女がサイドミラー、ルームミラーをそれぞれしっかりと確認した後、車はゆっくりと路肩から滑り出していった。
飲み口の蓋を開いてカップを口に運ぶミアへ、運転するリナリーが今日の目的を確認する。
「本日の捜査の確認です、警務補。これから港湾の管理会社のビルへ赴き、先日起きた事件にかかわると思われるコンテナの発送元を調査致します」
高等教育を修了し新任巡査として所轄に勤めるリナリーだが、やはりまだその横顔にはあどけなさが残っている。
しかし、職務についてその予定を淀みなく説明できる様子は、大人としてしっかり成熟しつつある証左だ。
ニーナが同じくらいの歳に成長すれば彼女のようになるのだろうかと、ミアは頭の片隅に娘の顔を思い浮かべた。
「また、当該事件には以前港湾区に現れた異形、Monstrumの関与が疑われており、一連の関係性についても捜査の対象となっています」
今もって野放しとなっているであろう、あの怪物について、発足した捜査委員会はMonstrumと暫定名称を決定した。
何か特別に意味を持つようなこともないが、捜査において呼称のひとつもなければ不便であるという、至ってシンプルな業務プロセスだ。
「ええ、それで間違いないわ。港湾局がすんなり協力してくれたことはちょっと意外だったけれど。まあ、あらぬ疑いをかけられたくない……というところかしらね」
ウインカーを点滅させ、車はバイパス高架道路へと進入する。
助手席から外を眺めるミアの目線と同じ高さを、懸垂式のモノレールが追い越していった。
高層ビルの埋め尽くすリヒターハーフェンには、そのごく限られた隙間へと縫い込むように交通網が張り巡らされており、道路、高架、空中歩道、モノレールの軌道桁などが複雑かつ煩雑に織り重なっている。
どの道がどこへつながっているのか、地上のXY軸で位置関係を把握できていたとしても、そのZ軸上にレイヤー化した交通網を網羅するのは至難の業だった、ミアも詰所で勤務していた頃、日々の巡回業務でいったい何度道に迷ったことか。
「本件とは直接関わりはないと思いますが……また、例の強盗事件が起きたそうですね」
リナリーが言った。
「ええ。そっちについては私たちK11の管轄外だから、詳しいことはわからないけれど、K21の知り合いが言うには、〈エレナント〉が絡んでるそうだわ」
「貴族の娘が……?」
「現場にお決まりのカードを残したり、変な仮装をしていたり……随分と古風な怪盗気取りのようだけれど、狙われているのは全て、叩けば埃の出るような貴族らしいわ」
「義賊……ということでしょうか」
「どうかしらね。でも、被害にあった貴族は、何も盗まれていないと言ってるそうよ」
ミアはわざわざ含みを持たせる言い方をしたが、真面目な新人警務官は案の定、その言葉に眉根を寄せた。
「それは……いったい……?」
「深くは考えないことよ、リナリー。警務官として長く勤めたいならね」
「……」
「やましい連中は今頃私財を隠すのに必死だと聞いてるわ。なんでもいいけれど、世の中を正す志がもしあるならば、警務官の手を煩わせない方法を選んでほしいものね」
ウィンカーを点滅させてバイパスを降りる、巡回中の首都警務局特殊部隊のSUVパトカーとすれ違った。
交差点を左折し、ふたりの乗るパトカーは港湾管理会社のテナントのあるビルへ到着する。
地下駐車場へ駐めて、車を降りたふたりはエレベーターへと乗り込んだ。
「えぇと、38階ですね」
壁の案内表示で行き先を確認、リナリーがボタンを押すと、垂直昇降機の籠は上昇を始めた。
独特な慣性をかけながらエレベーターがゆっくりと減速、停止。
扉を出てすぐは受付になっていた。
「警務局のリリエンタールです」
窓口の女性へ、内ポケットから警務官の徽章を取り出し、提示する。
「お待ちしておりました、御用向きはお伺いしておりますので、すぐに担当をお呼び致します」
女性は手元の受話器から内線をかけ、一言二言伝えるとまたすぐ受話器を置いた。
まもなく現れたのは、東洋系と一目で分かる細身で中背の男性だった。
「どうも、警務官殿。業務部のヤンです。資料はご用意しておりますので、どうぞこちらへ」
少し発音の癖を感じる公国語で、ヤンと名乗ったその気難しそうな顔立ちの男性は奥を手で差した。
「そちらの巡査部長殿からご連絡を受けた時には我々も驚きました。報道を拝見して、さらに衝撃を受けましたが……」
前を歩くヤンがそう言った。
この港湾管理会社はリヒターハーフェン市政局と国政局の共同出資による公社で、まだ大陸鉄道がなく海路が物流の主役だった頃、港を整備し管理するために作られた組織だ。
帝国の大陸鉄道が開通してからは、公国への国際貨物集積所として、税関、検疫などの出入国管理を海路貨物と一括して行うようになった。
「いくつか、簡単な質問をよろしいでしょうか」
リナリーが尋ねた。
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます、今回、事件にかかわると見られるコンテナについてですが、何かお分かりになっていることはありますか?」
あくまで状況証拠というだけに過ぎず、モンストラムとの具体的な関連はまだ何も見えていない。
市井の混乱を防ぐために、情報局には、犯人は逃走中であるとだけ報道するよう伝えていた。
モンストラムという怪物については、未だ一部の者しか知らない。
「データベースでは記録を残していますが、それを見ないことには何も。我々も到底、頭で全てを把握などできませんもので」
「事件当日前後、港湾区職員の方から何か聞いていたりなどは」
「いえ……特には。必要でしたら、現地の管理職員か、人事部門にお繋ぎすることもできますので、どうぞ仰せください」
「わかりました。入国処理の際には、積荷の確認などはされていないのでしょうか?」
「簡単な書類との突合でしたら。不備や怪しい記載があれば、中を開けて確認する権限は持ちますが、基本的には信用で成り立っている、というところです。こればかりはそういうものだと思って頂くしか……」
そう答えて、ヤンは資料室と書かれたドアの鍵を開けた。
中にはパソコンが何台かと、おそらく顧客データの管理サーバーがずらりと並んでいるが、同時に、データへ移せていない書類の詰め込まれた棚もいくつかあった。
閲覧用の小スペースには、起動したノートパソコンと、ファイルが幾つか積んで置かれている。
「どうぞ、ご覧になってください。該当のコンテナについては、管理番号はご存知ですね」
「ええ」
「では、私はこれで。何かあれば内線をください、41番が直通ですので。事件が早く解決されることを願っています」
そう言って、ヤンは資料室を後にしようとドアノブに手をかけた。
その彼をミアが呼び止める。
「あ、あとそれから」
「なんでしょう?」
「港湾区職員に欠員は出ていませんか?」
「私のほうではそういった報告は受けていません、後ほど人事をお呼びしましょうか」
「よろしくお願いします」
被害者については、遺体の損壊があまりに激しく、検死担当も予想通り手を焼いている状態だ。
概ね男性ということまでは分かっていて、港湾職員ではないかという見立てもあるのだが、現場の遺留品だけでは断定しかねていた。
果たしてそれがいったい誰なのか、そちらはエリックにも別のアプローチから捜査を急いでもらっている。
ヤンが資料室を後にして、パソコンの前にリナリーが座った。
「ええと、こちらにコンテナの管理番号を入力すればいいんですね」
「ええ。鑑識から回してもらった写真に写ってるはずよ」
鞄から手帳を取り出し、挟んでいた写真から、読み取れるコンテナ管理番号をリナリーが入力する。
ビジーカーソルを待って、画面に表示された情報をふたりで覗き込んだ。
「北部エンジニア事務所?いかにも怪しいわね」
「大陸鉄道で輸入した貨物のようですね。到着は……ずいぶんと前ですが」
リナリーの言う通り、入り口の破壊されたあのコンテナが公国の港湾へ到着したのは数ヶ月ほど前。
見つかった場所が民間の保税倉庫だったことを含めれば、長期間の蔵置そのものに大きな違和感はない。
ただその到着日は、最初に港湾区で騒ぎを起こし、軍務によって鎮圧されたモンストラムが現れた日付よりも、さらに前だった。
ミアの勘が囁く。
「……同じ便で検索して、リナリー。大陸鉄道が寄越したこの日のマニフェストを洗うわ」
「少しお待ちください……。えぇと、出ました」
当然ながら積荷の登録は無数にあった、先ほどの北部エンジニア事務所が取り寄せたのが電子部品、魔導部品なら、他に並ぶのは衣類や食品、医療品など、積載品目はばらばらだ。
仕出国も輸入者もそれぞれだが、共通するのは、経由駅に帝国首都ブラックスパイアの中心、アルカディア・コーポラティブタワーの貨物集積所の記載があることだ。
「……」
それ自体は不自然なことではない、公国から他国へ伸びる大陸鉄道はいくつかあるものの、直通路線を持たない国であればどこかを経由するのは当然であるし、取り分け帝国は大陸鉄道の起点、ほぼ全ての路線に組み込まれている。
だが、カラクリがあるとするならここだ。
「積載品目の記載には、特に怪しい点は見つかりませんが……」
「いいえ。次は、帝国で一度降ろされた貨物に絞って」
「わかりました」
画面がまた切り替わる。
帝国でトランジットされたのは全体の約半分といったところだ。
「その中で、港湾の保税倉庫を出てないものをピックアップ」
あの異形がもし、本当に帝国からのものであるとして、問題なのは誰があんなものを招き入れたのかということだ。
大陸協定機構という、各国が互いに監視し合う強力なこの仕組みの中で、帝国だけによるものだとは考えづらい。
ようは公国の中に、善良な一般企業を隠れ蓑にした裏切り者がいるかも知れないということだ。
「コンテナヤードを借りてる会社を全てリストにまとめて。持ち帰るわ」
「あ、はいっ」
ここで調べるべきは済んだだろう、あとは被害者についてここの人事に確認ができれば充分だ。
ミアは受話器を取ってヤンへ内線を鳴らした。




