第3話:怪盗の夜 / Die Nacht des Phantoms
「強盗だ!」
グラウエン公国首都、リヒターハーフェン___深夜。
とある貴族の保有するビル、その最上階に位置するセキュリティエリアの静寂を、けたたましい警報音が引き裂いた。
オークの壁材と赤い絨毯の廊下を、武装したブラックスーツのガード達が決死の形相で追いかける。
騒々しい彼らの叫び声や靴音が響くその前方で、黒い人影が、角を曲がった。
「全く……怪盗と呼んでほしいところだね」
そうこぼした彼女の目元は、正体を隠すように猛禽を思わせる黒いマスクで覆われていた。
衣装もほとんど黒づくめだが、その華美な装飾はおよそ強盗犯には似つかわしくない。
動きやすいタイトなハイウエストショートパンツからは紫のタイツに包まれた長い脚が伸び、その大きな歩幅で廊下を踏み締め、女の細い体が猛スピードで細長い空間を疾走する。
シルクハットを乗せた色素の薄い金色の髪が、彼女が走るのに合わせて後ろへとなびいた。
その首元には、ブローチが揺れている。
「君もそう思うだろう?Nacht」
この場にいない人物へ向かって彼女がそう声をかけると、片耳にはめた小型の通信端末に若い男の声が返ってきた。
『油断するなよ、Licht。情報のあった品物は頂戴したんだ、早く合流ポイントへ急げ』
「了解。でもこれ、最高権限のクリアランスで守られていた割には、そう高価なものには見えないけれど」
『鑑定師に転職をご希望か?俺たちのすべきことは、一刻も早くここをおさらばすることだ』
「分かってるさ。ちょっと気になっただけ、僕がヘマなんてするわけないだろう?」
『そういう心構えなら、いつか足を掬われるぞ』
「いいや、それは僕たちの役目さ。私腹を肥やす貴族どもに、暁の裁きを下すんだ」
息一つ乱すことなく走りながら、通信端末の向こうにいる男と会話する彼女の耳に、新たに近づく追っ手の足音が聞こえてきた。
廊下の壁に跳ね返るその音の具合から、人数、速度、方向を瞬時に聞き分ける。
もう直ぐ、前方の右の角から三人現れるはずだ。
「いたぞッ!」
彼女の予想通り、自動小銃を小脇に抱えたガードが三人、進路を遮るように躍り出た。
鈍い銃声、建物への損傷を最小限に留めるために加工された非殺傷特殊ゴム弾が、彼らの携行するフルオートの銃口から無数に放たれる。
だが、彼らがトリガーを引くその直前、女は壁へ向かってジャンプしていた。
そのまま壁面を足場にして蹴り上げ、さらに跳躍。
「なッ!?」
弾丸を飛び越える女のしなやかな肢体が、宙に踊る。
伸身を翻し、頭上から飛び込むようにガードの肩に腕をついて倒立、勢いを殺すことなく、体を捻りながら前方へと倒れ込み、反転。
男の背中を思い切り蹴り飛ばして、加速する。
「ぐはぁッ!」
床へ転がされたブラックスーツの男が悲鳴を上げる、他のふたりはすぐさま振り返って、追いかけるように再び銃口を向けた。
「なんだ、今の動きは!?」
「くそ、撃て!撃てッ!」
放たれたゴム製の弾丸は、次の角を曲がった女の背後で全て壁に跳弾した。
止まることなく廊下を走り抜け、突き当たりの階段にさしかかり、二段飛ばしで駆け上がる。
踊り場をターン、階段の先に、屋上へのセキュリティドアが見えた。
「見えたよ!」
『止まるな、すぐに開ける』
ドアに取り付けられた認証装置がひとりでに開錠され、グリーンに点灯したドアが僅かに開いた。
『オートロックだ、急げ』
「急かさないでよ、ダーリン」
三歩半で登り切る、ドアノブを掴んで開け放した。
突風、風切り音。
地上高約300メートル、海から吹き込んでくる首都上空の不安定な気流の生み出す暴風が、雨の飛沫と共に一気に吹き込んできた。
「クソ、待て!」
その声と共に階段を駆け上ってくる足音が聞こえ、後ろ手にドアを閉める。
『コードを書き換えたが、あの様子なら蹴破ってでも追いかけてくるぞ』
「了解、急ぐよ」
警備の連中がドアの向こうで騒ぎ立てる声を背に、屋上を進む。
その背後で、ドアの破壊された音が響いた。
『走れ!』
「大したセキュリティドアだ!」
駆け出す。
張り巡らされた排気ダクトを飛び越え、潜り、室外機の立ち並ぶ迷路を雨に打たれながら走り抜ける。
屋上に照明設備などないが、周囲に建つ背の高いビルのネオン看板やビジョン広告が、彼女の行く先を明らかにしていた。
そして___
「動くなッ!」
ビルの端、彼女の前方に足場はない。
その遥か眼下、立ち込める雨の靄の中に、いくつもの光が行き交う高架道路が見えていた。
雨に濡れる黒い衣装、水気を吸った金糸のような髪が、なぶる風に暴れる。
「……」
追い詰められたかと思われたが、振り返った女は仮面から覗くその口元に、笑みを湛えていた。
小銃を構え、じりじりとガードが近づいてくる。
だが、銃口を突きつけられてなお余裕を崩さない女の表情に、彼らも油断はなかった。
緊張が走る、群れを成して聳える矩形の塔に切り裂かれた暴風の悲鳴が、煩く響き渡っていた。
彼らの手の中で雨に濡れる銃鋼色から、ビル街の明かりが流れ落ちていく。
ガードがトリガーを引き絞ろうとした、次の瞬間だった。
女の足元から、湧き上がるような紫の光が迸った。
「ッ、なんだ!?」
驚愕する彼らの視線の先で、女性は機構を広げたブローチを手の甲へ装着する。
紫の光を放つそのブローチに、ブラックスーツの男達が驚愕するのが見て取れた。
「待て、まさか___!」
そして、ガードと女性を結ぶ緊張の糸の間に、何かが落下してきた。
着地の重々しい音を屋上に轟かせて現れたそれは、黒と紫の特殊外骨格スーツを纏った人間だった。
その特徴的な甲冑が帯びる金属質に近い光沢は、降りしきる雨に濡れながら周囲のビルから降り注ぐ光を反射する。
その圧倒的なまでの存在感を前に、ガード達に一瞬にして戦慄が走った。
「魔導アーマー……いや、アーマギアかッ!」
「チクショウッ、〈エレナント〉だってのかよ!?」
誰かが咄嗟に発砲した。
つられるように、一斉に銃撃。
だが、銃弾などその装甲の前では歯が立たない、まして、殺傷能力を削り落とされた特殊ゴム弾など、子どもの玩具同然だ。
アーマギアは、浴びせられるゴム弾に構うことなくゆっくりと背中を向け、そのまま仮面の女性を抱え上げた。
やがて銃声が止む、ワンマガジンを打ち切ったガード達は、それでも銃口を下すことなくふたりを睨んでいた。
抱えられた女性が、気取った仕草でシルクハットの端を摘み、軽く頭を下げる。
「それでは、皆の衆。今宵、〈暁の正義〉がお宝を頂戴する」
そう言って一枚のカードを胸元から取り出すと、軽く口づけ、アーマギアの腕の中から投げつけた。
「Auf Wiedersehen!」
黒と紫のアーマギアが、女を抱え飛び立つ。
ふたりの影は、背の高い向こうのビルの屋上へと消え去っていった。
そのふたりを視線だけで追いながら、ブラックスーツの男達が口々に落胆と苛立ちを露わにする。
彼らのその足元には、屋上の床に溜まった雨水の上に、彼女の残したカードが浮かんでいた。
カードには、こう書かれていた。
___Das Licht gehört jedem.
「最強のセキュリティビルとやらも、僕たちの前では大したことなかったね」
足のつかない逃走経路を使って、戻って来たリヒターハーフェンの自宅。
シャワールームの湯船にゆったりと体を預けるクラーラは、両腕を上げてぐっと大きく伸びをした。
「フェリックス?」
浴室から声をかける、開け放したドアの向こうのリビングにはソファに腰掛けたフェリックスが見えていて、テーブルの上に開いたノート型のパソコンを眺めている。
パソコンの隣には、頂戴してきた品物のスチールケースが置かれていた。
「どうにも引っかかる。ファイアウォールがあまりにも脆弱だった」
「そうなのかい?現場担当の僕には、わからないけれど」
雨に打たれ冷え切ってしまった体はすっかり温かくなった、クラーラは浴槽を出て体や髪の水滴だけ軽く拭うと、バスタオルを体に巻いてリビングへと向かった。
ソファの背もたれの後ろからフェリックスに抱きつくように寄りかかって、わざとらしく胸元を押し付ける。
「まあまあ。今は、仕事を果たしたひとときの余韻に酔いしれようじゃないか」
彼のブロンドの髪から覗く耳殻に唇を押し付け、甘く食むようにそう囁く。
フェリックスはため息を吐いて、クラーラの腕からするりと逃れていった。
「こんなにも良い女が濡れ髪で誘ってるのに、あまりにも素っ気なくないかい?」
「髪を拭け。体を拭け。俺の服を濡らすな。相手をしてやるのはそれからだ」
「むぅ……」
ぷくっ、と頬を膨らませるクラーラ、仕方なく浴室のほうの洗面台へ戻ってドライヤーを取り出した。
ぶつぶつと不満を言いながらむくれ顔で髪を乾かしていると、フェリックスがやって来てそっとクラーラの手からドライヤーを取り上げた。
風口を左右に振りながら、絹糸のように繊細で美しいペールゴールドの髪を手櫛で優しく梳かすフェリックス、洗面台の鏡に映る彼はどこか、難しい顔をしていた。
「気になるのかい?」
「ああ。違和感程度だがな、セキュリティを破るのにもう少し手を焼くと思っていた」
「君の腕が上がったのさ」
「相変わらず楽観的だな」
「そういうところが好きなんだろう?」
振り返り、少し爪先立ちしてフェリックスの唇へ口付ける。
「さ。約束通り、相手してもらうよ」
「論文がある」
「もう!」
クラーラはすでに大学を卒業して仕事に就いているが、フェリックスはまだ大学に通う身だ。
最終学年で課せられる卒業論文の制作には、当時経済大学へ通っていたクラーラも随分と手を焼いたものだ、しかしながら、情報学部を専攻している彼が同じ苦しみを味わっている様子はあまり見られない。
それが若干悔しくもありながら、何かとこうして卒論を口実にてい良く放置されることもしばしばあり、やっぱりクラーラは悔しかった。
以前、フェリックスへその事について抗議したことがあったが、彼から言われたのは、
「お前にも、仕事を理由に散々すっぽかされたよな」
だった。
要はその仕返しということだ。
学生の頃から続けているモデル業だが、卒業後は専属契約を取り付けられたりしてことさら忙しくなってしまい、確かにフェリックスをほったらかしにした事実は否めない。
「モデルのお仕事も大学生も、僕たちにとっては隠れ蓑でしかないと言うのに」
近頃のクラーラの口癖だ。
仕事だの卒論だので気に入らないことがあると、決まってそうぼやく。
ソファでパソコンを叩くフェリックスにもたれながら、風呂上がりの熱りがまだ残る体へ、グラスに注いだ冷たいアプフェルショーレを煽った。
〈暁の正義〉。
腐敗した貴族を相手にその金品を頂く怪盗、富の独占を戒め、貧しき者、必要な者へと分配する正義の怪人。
それが、クラーラ=フォン=モントリヒトとフェリックス=フォン=シュテルネンシュタウトの真の姿だった。
だが、この名はまだ借り物だ。
本来の〈暁の正義〉は、クラーラの祖母である先代モントリヒト伯爵令夫人、若かりし頃のイェニファーだったからだ。
「お前のばあさんからも、堅気の仕事は大事にしろと言われなかったか?」
体重のかかる左肩を重そうにしながらも、打鍵を止めることなく彼が言った。
クラーラはその名を受け継ごうとしているが、しかし彼の言う通り、イェニファー本人はそれを快く思っていない節がある。
危険な仕事であるのは百も承知だ、それを分かっているからこそ、〈暁の正義〉に志を同じくする者を集め独自の情報網や洗浄ルートなどを必死に構築したのだ。
「単に、モントリヒトの名に泥を塗られることを恐れている訳ではないと思うぞ」
「わかってるよ、イェニファーおばあ様はそんなひとじゃない」
祖母の築いた令聞に恥じない活動を続けてきたつもりだ、それによって、再び〈暁の正義〉は腹心やましき貴族達にとって、脅威としての抑止力を取り戻しつつある。
モントリヒト家が、魔導科学黎明後のグラウエン公国に次々産み落とされた企業を取り込み、随一の企業連合モントリヒト財閥として富を築き上げようとも、その傘下に擁立したモントリヒト財団は、公益に帰する貴族という信念の下に、国内外を問わず数えきれないほどの後援、支援活動を行っている。
その信念を自分だって受け継いでいる、どれほど浮ついたファッション雑誌の表紙を飾ろうが、この身に宿るのは高潔なモントリヒト家の魂なのだ。
「見事な演説だな」
「突き放すじゃないか。でも、フェリックスだってそうだろう?」
パソコンの画面に文字を並べていくフェリックスの視線を遮るように、その顔を覗き込んでやる。
長いブロンドの前髪がかかる彼の瞳が、少し鬱陶しそうに不機嫌さを湛えたが、フェリックスはため息を吐いてクラーラを見つめ返した。
「当然だ。でなければ、お前の契約になんぞ応えたりしない」
その返事に満足げに微笑み、クラーラはフェリックスに抱きついてそのままソファに押し倒す。
ようやく観念したのか、今度こそ、フェリックスは逃げることなくクラーラの体を抱き寄せた。
【あとがき】
第二シーズン、お読みいただきありがとうございます。
あらたにクラーラとフェリックスが中心人物として加わり、第一シーズンとはまた違った雰囲気のリヒターハーフェンを楽しんでいただけると思います。
〈暁の正義〉のふたりの闘いを見届けていただけると嬉しいです。
引き続きよろしくお願いいたします。




