第2話:迫る帝国の影 / Der herannahende Schatten des Imperiums
『ご招待を賜りましたこと誠に感謝致します、陛下』
合成したかのような不気味な音声を響かせ、その仮面の人物はゆったりとした仕草で頭を下げた。
簡単な挨拶としての所作、しかし、短いその動作の中に用いられた作法は、公国では見かけないものだった。
機械の仮面とその仕草だけでも充分な違和感だが、彼が___彼なのかも分からないが___左右に広げた両腕のローブの袖からは、金属質の鈍い反射が漏れ、ニーナの目を引き付ける。
よく見ると、その袖から覗くその腕の手指には構造的な関節があって、言うなればそれは___
(機械の……腕?)
以前聞いた魔導義装という言葉を思い出すニーナ。
だが、それが頭に浮かんだところで、主賓席のルドルフ大公が口を開いた。
「知っている者も多いだろうが、ご紹介しよう。帝国宰相殿だ」
帝国宰相と紹介されたその人物は、広間の床にローブの裾を引き摺ってテーブルを回り込む。
大理石の床に響くその足音が、嫌に大きく聞こえる気がした。
「宰相殿とは、貿易取引などを巡って様々な議論と交渉を重ねてきた。歴史的にも深い繋がりを持つ帝国と公国にとって、より強固かつ理想的なパートナーシップの締結へ向け、ご尽力頂いている」
大公がそう紹介し、帝国宰相がその隣に立つ。
ルドルフ大公と並ぶ宰相の体格は決して大柄とは言えず、イザベル大公妃とそう変わらないほどに見えた。
『なにぶん、このような身なり故。貴国のマナーにはそぐわぬでしょうからご挨拶のみ申し上げ退席させて頂きたく存じます』
そう前置きして、宰相は続けた。
『ご臨席の皆様もご存知の通り、我が国の不安定な情勢は決して楽観視できるものではなく、我らが皇帝陛下も日々お心を砕いていらっしゃいます。ルドルフ公爵殿、並びに、イザベル公爵夫人には、そうした我が国の置かれている苦境に対して格別なるご支援を賜って参りました。此度において新たな公爵様が即位されましても、両陛下が築いてこられた我が国との同盟は揺るぎないものと、確信しております』
そう締めくくると、一礼を残して帝国宰相は公邸執事の案内のもとその場を後にした。
視線を公爵へ戻したニーナ、その時、彼の隣に立つ公爵妃イザベルが、どこか複雑そうな、あるいはもの憂げな表情をしていることに気づいた。
「……」
思わぬ人物が登場したことで、唖然と静まり返る一同。
ルドルフ大公が着席を促し、晩餐会はその後通常の運びで開催となった。
しかし、イザベル大公妃はその後も表情はかわらず、彼女が言葉を発することはなかった。
「どう思う?」
帰路、公邸から手配された車の後部座席。
煌びやかな宮殿の広間から一変し、薄暗い車内の対面に座るエレオノーラが、そう言った。
「えっ?」
唐突な問いかけに、ニーナはエレオノーラを見たが、彼女の視線はリディアへ向けられていた。
「宰相様がいらっしゃったことでしょうか?」
「そう」
リディアはドレスに合わせた白の手袋に覆われた指先を顎にやって、少し思案した。
「明らかな政治的意図の絡むパフォーマンス……と見るべきですわね、それも不自然な」
彼女の答えに異存はないとばかりに、エレオノーラが頷く。
ニーナは隣のリディアへ尋ねた。
「どういうことですか?」
「ルドルフ大公は、以前は帝国に対して慎重な姿勢を見せていたことで知られていました。それがここ数年で、帝国へ譲歩するような政策を多く打ち出すようになりましたわ」
「それだけじゃなくて、親帝派で知られる技術局特別顧問のドレスタイン伯爵とも、急接近してるらしいの」
ドレスタインという家名にニーナは聞き覚えがある気がしたが、それを思い出すより前に、ふたりは話を進める。
「この前の、魔導アーマー輸出額の上限引き上げのニュースだってそうよ。帝国は、公国で言う警務官のひとりひとりにまで魔導武装させるつもりなのかとすら、言われているわ」
「帝国の情勢が嘆かわしいのは事実ですが、言ってしまえば……対岸の火事。陸続きである以上、無関係を貫くのは公国の治安にとっても難しいとは言え、消耗品である魔導アーマーをそれほど帝国に売り払っては、国内への配備に不安が生まれる上に、公国の技術を欲しがる他の大陸協定加盟国からの反感も避けられません」
「あと付け加えるなら、失墜した家柄ながらも公国軍事の最高権力を握る人物への牽制、とも取れるわね。魔導アーマーの配備に支障が出れば、軍務局の力は弱まるもの」
エレオノーラはわざとリディアから視線を避けてそう言った。
以前のように、彼女がリディアの家柄を没落と罵る事はないが、かつてその烙印を押された家柄の娘が異端の女の〈ベアラー〉となり、新興貴族と共に新たな派閥長として台頭するのは、他の派閥から見れば充分警戒するに値する事実だろう。
「まあ何であったとしても、公平性だけを謳い文句にしてる情報局の雑誌ですら、魔導アーマーの輸出については稀代の愚策だと罵詈雑言まみれの記事を組んでたわ」
ニーナにはいまいちぴんとこない話であるものの、ふたりの話振りからして、かなり憂慮すべき話題であるようだ。
ため息をついて肩を竦めるエレオノーラ、彼女は視線を上げると、今度はニーナを見つめた。
「口煩いことを、もう言うつもりはないけれど。あなたはこれから、そういう世界に首を突っ込むのよ、ニーナ」
「……」
車内には、リヒターハーフェンに灯る光が次々と差し込んでくるが、眩しいだけだったその光の裏に、大きな影を感じる。
そして自分は今、それに触れそうな場所にいるのかも知れない、そう思うと、視線は重たく下がってしまった。
そのニーナの様子に、隣のリディアがふっと微笑むのが聞こえた。
「情勢に関心を持つことは大切ですが、そう慌てて詰め込む必要はありませんわ、ニーナさん。気にしていれば、ひとりでに耳に入るものです」
そう言って、ニーナが膝に置く手に、手のひらを重ねるリディア。
柔らかな彼女の微笑みを見つめれば、リディアの言うことについてもそういうものなのだろうと、不思議と胸の中が安らぐ。
「はい」
「はぁ……、連れて来られた挙句なにを見せられてるのかしら」
エレオノーラは大袈裟に肩を竦めて見せながら聞こえるようにそう零して、冷めた目線を窓の向こうへと投げ出した。
車の外は雨が降り始めていた。
時は遡って、派閥長戦を制したニーナがグライナー総合病院に検査入院となった後。
預けていたニーナのブローチを受け取るため、リディアは技術局のハンスを訪ねていた。
ニーナの破壊した制御装置を取り外し、モニター結果を確認するには、彼女が当面病院に缶詰になるこのタイミングしかなかった。
そして、ニーナが退院するちょうどこの日、諸々の作業が済んだとの連絡があったのだ。
「あら、奇遇ですわね」
ハンスの研究室、C-46と割り振られたフロスト加工のガラス扉を開いたリディアは、そこにいた人物を見てそう言った。
「取りに来たのか、リディア」
タイトなジャンプスーツの白い軍服に、白の外套。
軍務中将であるヘレーネは、長い前髪を揺らしてリディアを見た。
その奥、研究机の前にいた小太りな愛嬌のある男性、ハンスが、リディアへ頭を下げる。
「ヴァルクライネ嬢、お待ちしておりました」
彼に挨拶を返し、中へと入る。
胸の下で腕を組むヘレーネの正面、研究室の中央に置かれたテーブルの上には、黒のスチールケースに収められたニーナのブローチがあった。
「制御装置は取り外しております」
「ありがとうございますわ、ハンスさん」
ブローチを確認して、リディアはスチールケースごと制服のポケットにしまった。
「ニーナの検査結果はどうだった、今日が退院だろう」
「ええ、この後お迎えに向かいますわ。クラウディア先生からご連絡いただきましたが、特に問題はないそうです」
「なによりだ」
「おばさまは、どうしてこちらに?」
「同じ要件だ。ハンスには、お前があの娘のブローチを持ち込むだろうから、調整が済めば一報を入れるよう頼んでいたんだ」
「……なにか気になることが?」
そう尋ねると、ハンスが奥のガラスパネルを手で差した。
「ご覧ください、ヴァルクライネ嬢」
リディアが近寄ると、ハンスはブローチのモニター結果をそこへ表示させた。
心拍数、呼吸量、血中酸素と、そして、〈エレナント〉の力を魔導エネルギーへ変換したその量のグラフなどが、ずらりと並ぶ。
「血中酸素の低下と、心拍数、呼吸量の上昇曲線……日頃トレーニングをされているヴァルクライネ嬢ならお分かりになると思いますが、こちらはかなり異常です。生身の人間ならば、生体活動に著しい影響があってもおかしくはない。そして目を見張るのはやはり、魔導エネルギーの変換量そのものでしょう」
ハンスが手元で画面を操作して、そのグラフを拡大した。
「こちらで確認しましたところ、制御装置の回路が完全に焼き切れていました。おそらく、グラフで言えばこの部分」
縦軸をエネルギー量、横軸を経過時間として、折れ線で表されたそのグラフをハンスが手で示しながら説明する。
「……ベルゼーレに陥ったというロートリンゲン嬢との闘いで、リリエンタール嬢の〈エレナント〉の力が爆発的に増幅しており、先日のヴェステンラウ嬢との闘いでは、さらなる上昇値を叩き出しております」
そこには、まるでキャップを吹き飛ばしたかのような爆発的な上昇が記録されていた。
「数値を見ろ、リディア」
ヘレーネに言われて、その数字を目で追う。
「……3,700Kern」
Kernとは、魔導エネルギーの出力を数値化するにあたって用いられる専用の単位で、これは大陸協定において厳格に統一されている規格だ。
魔導物理学基礎概論を選択講義として学院で教わったため、ある程度の知識は頭に入っている。
リディアは口元に手をやって思案した。
その数値が、いかに莫迦げているのか、理解できるからだ。
「これは、トップアスリートが全力でスプリントした時の、およそ3倍以上のエネルギー量です」
「汎用魔導アーマーなら通常稼働で500から800Kern、最大瞬間出力は約2,200だ。しかし問題なのは、その持続時間のほうだろう」
帝国や公国は、互いに高性能な魔動機関を求めて凌ぎを削っているが、現在は、軽量かつ高出力、安定的に稼動する公国の魔動機関が席巻している状態だ。
公国の誇る高級車ブランドでは、車両に搭載する魔導機関の最大出力を紹介するが、えてしてカタログスペックでの上限値などは所詮瞬間的な最高値でしかなく、到底持続できたものではない。
トップアスリート三人分を超え、あるいは、魔導アーマーの性能限界を軽々と凌駕する力を、ニーナはかなりの時間維持していたのだ。
「アーマギアは常時1,000から1,500Kernを安定させる、アスリートの限界以上の力を維持させられるのは、まさに〈エレナント〉と〈ベアラー〉の契約が起こす奇跡だ。理論上、それに上限は存在しない。だが、〈エレナント〉も人間である以上、往々にして肉体の限界は必ずやってくるはずだ」
激闘を繰り広げた派閥長戦決勝のあの夜、エレオノーラもまた、ベルゼーレの状態を意図的に引き起こし、維持していた。
同じくベルゼーレに陥ったカトリーナは、肉体への負荷が祟って現在も入院している、退院は近いと彼女の〈ベアラー〉から連絡を受けたが、それは、以前のような力の使い方をして構わないという意味ではない。
それを考えれば、エレオノーラがその後体調にいたって変化がないことはやはり、驚くべきことなのだろう。
高飛車なお嬢様だが、その気位の高い面皮の下で積み上げた努力は、誰もが真似できるものではないのだ。
「ヴェステンラウ嬢は、公国のアーマギア研究のために多くのデータを提供くださっております。彼女を基に導き出したベルゼーレ状態の出力と比較しても、リリエンタール嬢は一時的にもそれに匹敵……いえ、上回る力を振るったことになります」
以前ならばとっくに過負荷となっていたのだろうが、それをニーナは持ち堪え、〈エレナント〉としての力をまさに限界を超えて開花させたということになる。
でなければ、勝てようはずもないからだ。
「公国を預ける身としては、力ある〈エレナント〉の登場を頼もしく思うところだろうが……リディア、やはり私には、こんなものを見て呑気に感心することはできない」
「……」
「それとも、単なる数字だと一蹴するか。お前は」
そう言い残して、ヘレーネは研究室のドアへ向かった。
ガラス扉の取手を押した音が聞こえたが、ヘレーネの足音はドアの手前ですぐに止まる。
「大公戦に出ると言ったな」
「ええ」
「力を使うことを止めはしない、死力を尽くすことには、千の言葉を操るよりも遥かに強く、お前達の覚悟を示す力がある」
そうすることで、自分達は派閥長戦において自らの在りようを知らしめることができたのだ。
それを見届け、理解した上で、だが、とヘレーネは続ける。
「そんな力で戦場に立つことを、私は望みはしない。ニーナも、エレオノーラも……そして___お前にも」
今度こそ、ヘレーネはドアを開けてハンスの研究室を後にした。
彼女の使った戦場という言葉の意味を、リディアは考える。
アイゼンベルクの地下にあったあの異形の存在や、帝国との高まる緊張。
派閥長戦やこれから始まる大公戦とは違う、栄誉や誇りなど介在せず、ニーナや自分達が、ただの戦力としてそこに立たねばならない日は、思うよりもそう遠くはないのかも知れない。
だが本来、アーマギアはそのための力だ。
公国に降りかかるあらゆる災禍を払いのけ、この地と、この地に住まう全てを守り抜くための力なのだ。
ニーナさえ望むなら、自分は如何なる闘いであれ身を投じる、そして、ニーナの望む結果をこの拳で掴み取ってみせる。
だが、彼女にはまだ、それを背負うだけの心の土壌ができていない。
あの子は、心に強い芯を持つ少女だが、本人はまだそれを自覚できていないし、自分の中にある優しさと未熟さの峻別も、できる年齢ではないだろう。
それを急がせることはできないし、そのつもりもない。
「……」
リディアは頭を振った。
この後は、ようやく叶ったリリエンタール家とヴァルクライネ家の顔合わせを控えている。
予定時刻まではまだ少し余裕がある、ガラスパネルに表示された測定結果を眺めたまま、リディアはしばらく考え込んでいた。




