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第1話:晩餐会の仮面 / Die Maske beim Bankett


大陸歴1358年___グラウエン公国。

首都、リヒターハーフェン。


そのほぼ中心部に位置する公爵公邸の大広間に、イブニングドレスに身を包むニーナとリディア、そして、エレオノーラの姿があった。


「なんで私が……」


中央に置かれた金箔貼り(ギルディング)の施された途方もない大きさのオーバルテーブル、ニーナの隣の席に座るエレオノーラは、露骨に肩を落とした。


「ご……ごめんなさい、こういうところに慣れてそうなひとが、エレオノーラさんしかいないと思って」

「慣れてないわよ」


小声でそうやり取りする。

社交会(サロン)では堂々としたエレオノーラだが、今は膝の上でドレスのスカートの皺をずっと伸ばしたりしていた。


随所を彩る曲線的な金装飾や華やかなパステルの壁面、猫脚(カブリオール・レッグ)の椅子など、広間の造りは他の貴族邸宅とそう変わりはないが、一番奥の壁に飾られた巨大な公国旗が物語るように、この場所はグラウエン公国において最上級に格式高い場所だ。


使用されるのは国賓を招いた夕食会や、他国との条約交渉とその調印式典など、国家規模の催しのみ。


エレオノーラが落ち着かないのも無理はないが、ニーナを挟んで彼女と反対側、右隣に座るリディアは、むしろことのほか堂々としていた。


いつもは深紅のパンツスーツだが、今夜この場に限っては、彼女も正礼装のイブニングドレスだ。


「近しいお家柄をお呼びしても構わないとのことでしたのでご出席頂いたのです、エレオノーラさん」

「何が近しいお家柄よ。仲良しごっこに興じるつもりはないのよ、私は」

「あの、ほんと……ごめんなさい」


テーブルには既に、大公戦へ参加する〈エレナント〉と〈ベアラー〉や、その昵近(じっきん)にある家柄の貴族、そして、一部の元老院議員達が集まっており、公邸専属のシェフによる料理を前に、それぞれ談笑に花を咲かせている。


各々が各々の話題で盛り上がりながらも、その中に自分達を話題にする声があることに、ニーナは気づいていた。


それもそのはずで、自分の隣にいるのは史上初の女性〈ベアラー〉、身内に現役の軍務高官をふたりも持ち、その上で、彼女自身は〈鉄拳令嬢〉として畏れられる武闘派。

その異質な存在感は、この場での注目を集めるのに充分過ぎるほどだった。


ただ、その関心にあるのはもう彼女の品位を問う忌避感や非難ではなく、力への純粋な好奇。

大公戦が公示されてからその僅かの間に開かれた派閥長戦、たったそれだけの期間で、リディアは新興貴族を派閥長の座にまでのし上げたのだ。


そしてそれは、無論リディアだけの力ではない。

ある種値踏みするかのような視線をこの場で向けられるのは、ニーナも同じだった。


ますます緊張で胃の内容物が込み上げそうになる。

そんなニーナを他所に、広間は賑やかさを増していく。


しかし、そうした声の中に時折、金属音が聞こえる気がした。

その音を追いかけて視線を向ける、テーブルのちょうど対面に座る女性と、ニーナの視線が交差した。


「貴女が噂の、〈鉄拳令嬢〉を従えた〈エレナント〉かな?」


色素の薄い金色の髪をアップに束ね、紫のドレスを纏うその女性は、そう言って指の間で踊らせていたクローネ硬貨を親指で真上へと弾いた。


きん___っ、と小気味の良い金属音が短く響く。

宙に舞うコインがシャンデリアの明かりを反射しながら、再び彼女の手の中へと戻って行った。


おずおずと、ニーナはその女性へ頭を下げる。


「あ、えっと……ご、ごきげんよう……?」


ぎこちないニーナの挨拶に、女性は少し姿勢を乗り出すように椅子の背もたれから背中を離して、微笑んだ。


その胸元で、ブローチが光る。


「ごきげんよう。初めましてだね、ニーナ=リリエンタールさん」

「えっと、はい。たぶん……きっと……」


隣のリディアは凛と背筋を伸ばし黙しているが、緊張でまごまごするニーナに、エレオノーラが小さくため息を吐くのが聞こえた。


「そう強張ることはないよ。今夜は大公への軽い挨拶が目的の晩餐会だ。リラックスするといい」

「あ、ありがとう……ございます」

「しかし、君の初々しい様子は見ていて懐かしくなるね」

「懐かしく?」

「僕も、デビュタントとしてお披露目された当時は萎縮しっぱなしだったのさ、今の君のようにね。王立学院のコティヨンを終えてからそれほど経っていないようだけれど、大公戦に参加するには少し、若過ぎやしないかい?」


もっともな意見だろう、しかしそう言った彼女も、この場に集まる貴族の中では若いほうだ。

年齢はおそらく二十代前半、セラフィーナと変わらないくらいの女性に見えた。


ニーナは、彼女の顔にどこか見覚えを感じたものの、しかしすぐには思い出せなかった。


「あ、えっと……あの……」

「口を挟むことをお許しください、クラーラ様」


答えに窮するニーナの隣から、そう言ってエレオノーラが会話に割って入る。


クラーラと呼ばれた女性の視線が、彼女へ向けられた。


「やあ、ヴェステンラウ家のエレオノーラ嬢じゃないか。君の噂もかねがね聞いているよ」

「それは……ありがとうございます。さっきのお話ですが、おっしゃる通り、本来ならばリリエンタール男爵様にご参加いただくべきところ、警務統括のご公務に穴を空けることができないため、ご息女であるニーナさんに参加いただいたのです」

「もっともな事情だね。この前も、港湾区でひどい事件が起きたばかりだ。男爵殿もご多忙を極めていらっしゃることだろう」


そう言って表情を少し曇らせながら、クラーラは背もたれに体を戻した。


彼女の言った港湾区の事件は、ニーナももちろん知っていた。

情報局の雑誌、Die(ディ) Ordnung(オルドヌング)でも大きく取り上げられていたそうだが、それよりも早く、ヘルベルトから軍務局へ召集されて説明を受けた。


先日のヴァルクライネ家との顔合わせ以来、またしばらく両親を見なくなったが、警務官としてその事件を追っているらしい。


「その事件の他にも、貴族の私財を狙うという怪盗が、首都を騒がせております」


エレオノーラが付け加えた。


「怪盗?」


彼女は眉をひそめたが、すぐに思い至ったように頷く。


「……ああ、確か〈暁の正義ユスティティア・アウローラ〉の再来を謳うコソドロだったか」


ふたりの話す怪盗については、最近になってようやくニーナも耳にしたニュースだ。

貴族の財産ばかりを狙う怪盗で、現場には必ず『Das Licht(光は) gehört(皆の) jedem(ものだ).』と書かれたカードが残されているという。


クラーラはその話題についてはそれ以上広げることはなく、再びどこからともなくクローネ硬貨を取り出して指の間で弄び始めた。


「しかし、父君の代わりの参加とは言え、もし大公位を継ぐとなればそれは君たち自身の負わなければならない責任と使命になる。僕が気になったのはそこさ。永き伝統を誇る公国においても、君たちほどの年齢で大公位を得た者はいない。無論___」


指先に挟んだ硬貨を、クラーラはリディアへと向けた。


「___女の大公もね」


彼女の瞳に揺れる光が、鋭さを帯びて細められる、公国の歴史に初めて登場した女の〈ベアラー〉を、あるいは、〈鉄拳令嬢〉の器を品定めするかのような眼差しだった。


リディアは、そのクラーラの視線を真っ直ぐに見つめ返して、答えた。


「自分たちの力を過小的に見積もるつもりはありませんが、こちらには名だたる貴族の〈エレナント〉と〈ベアラー〉がお集まりです、大公戦もこれからというタイミングで、そう言ったお話は……尚早かと」


そのリディアの言葉に、しかしクラーラは愉快そうに口角を少し上げる。


彼女の指先の間で、コインがまた何度か光を反射した。


「負けると思っているのかい?」

「安い挑発ですわね、クラーラ様。誰が勝って大公を名乗るのか。それが女なのか、子どもなのか。大事なのは、公国の誇りと秩序を理解しているかどうかです」

「それを君たちは分かっているのかと訊いているんだ。腕っ節の強さだけで渡り合えるほど、政治の世界は容易くはないよ、〈鉄拳令嬢〉」

「そのために元老院があるのです。独裁と、道を誤ることから公国の民を守るために」

「だが今の公爵殿はそれを踏み(たが)えたようだ」


クラーラがまた硬貨を宙へ弾く。

コインが彼女の手に戻る前に、クラーラの隣の席から男性の腕が伸びてきて、それを掴み取った。


「そこまでにしろ、クラーラ。言葉が過ぎるぞ」

「おっと……水を差さないでくれよ、フェリックス。盛り上がってきたところだったのに」

「いったい幾つ歳が下だと思ってるんだ、みっともない真似を許すつもりで、俺がここに座っていると思うな。すまなかったな、御三方」


長いブロンドの前髪を右へ流したその男性は、握ったクローネ硬貨をクラーラへと返す。


「俺はフェリックス=フォン=シュテルネンシュタウト。こいつの〈ベアラー〉だ。大公位を争う敵同士という訳だが、一応、よろしくと言わせてくれ」

「あぅ、えっと……ニーナ=リリエンタールです」


格式高いこの場で甲論乙駁となりかけていたリディアとクラーラに、いよいよ胃の重たいニーナだが、苦い表情のままフェリックスへ挨拶を返した。


「どうか気にしないでほしい、リリエンタール嬢。今のは、どう考えてもこいつが一方的に因縁をつけただけだ」

「ひどいなあ」

「黙れ。ヴァルクライネ嬢も、不快な思いをさせてしまったな。昔から、興味を持った相手にはこういう態度を取らないと気の済まない女なんだ」


フェリックスは呆れを露わにそう言って、腕を組んだ姿勢のまま隣のクラーラを肘で小突いた。


「いえ、フェリックス様。クラーラ様はこの場のどなたもが思っていらっしゃる言葉を代表されたまでですわ」

「その言葉に感謝しよう、ヴァルクライネ嬢」


彼がそう言ったところで、大広間の正面入り口に執事の一人が立って、オーバルテーブルへ臨席する貴族達へ頭を下げた。


「間も無く、大公様と大公妃様がお見えになります」


その言葉で、皆が一斉に席から立ち上がった。

ニーナも、少し遅れつつも倣って立ち上がり、扉のほうを見つめる。


執事が目配せすると、もう一人が素早い足取りで近づき、重厚な装飾のダブルドアを内側へと開け放った。

そして一同の前に姿を現したのは、礼装の肩に重厚な外套を羽織った長い黒髪の男性と、フルレングスの一際豪奢なドレスを纏ったベージュの髪の女性。


グラウエン公国大公、ルドルフ=フォン=バルツァーと、その妻である大公妃、イザベル=フォン=バルツァー。


現状における公国最強の〈ベアラー〉と〈エレナント〉の登場に、その場の空気が一気に張り詰めるのが、ニーナにも分かった。


ふたりは最奥の席に立つと、執事の差し出したグラスをそれぞれ手に持った。

合わせて、貴族や元老議員達も各々のグラスを目の前へ持ち上げる。


「皆の臨席を頂戴したこと、感謝しよう」


ルドルフ大公が口を開いた。


見慣れた人物、と言えば語弊があるかも知れないが、ニュースや街中のビジョンで何度となく目にしたその姿を、こうして間近で眺めているというのはニーナにとって何とも不思議な感覚だった。


「この国の元首の座を勝ち取り二十余年。皆から……民から賜ったこの爵位に恥じることのないようその務めに奔走してきたが、私は、采配を誤ったようだ」


公爵は、皺を刻み始めた相貌から視線を虚空へと投げ出して、そう語る。


彼の在位した二十年余りという歳月が、一国の元首として長いのか、それを判断する知識はニーナにはない。

だが、自分が生まれる前からこのグラウエン公国の王であったルドルフ現公爵が、元老院という民主議会にその真を問われたというのは、今夜この場に立つニーナを曰く言い難い気分にさせた。


「皆の期待に相応しき働きができなかったことをここに謝罪すると同時に、この大公位を新たに継承する〈ベアラー〉が、公国の秩序と誇りの担い手として責務を全うすることを切に願う」


大公はグラスを掲げる。


それを合図に、皆が手元のグラスを掲げ、同時に一口煽った。


公国を担う新たな〈エレナント〉と〈ベアラー〉を選び抜く闘いの舞台、その始まりに、乾杯を交わす一同。


「皆、しばしそのままでいてくれ」


そして、公爵が目配せする先で、執事のひとりが扉を開いた。


「!」


広間へ足を踏み入れた人物に、その場の誰もが驚愕を顔に浮かべた。

クラーラやフェリックスも、表情を強張らせて僅かに目を見開いている。


ただ、ニーナの驚いたのはその人物の身なりについてだった、見たこともない複雑な紋様の編み込まれたローブを頭から被っており、加えて、機械の仮面で顔を隠している。


この国の公人に、かような者はいない。

それはニーナにだって断言できた。


そしてその人物は、合成されたような不自然な声を仮面の下から響かせながら、公国にはない作法で慇懃にこうべを垂れる。


『ご招待を賜りましたこと、誠に感謝致します、陛下』


左右に広げた両腕の、長いローブの袖から金属質な光の反射が覗く。


その人物は顔を上げると、鉄の仮面で一同を見渡した。



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