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第28話:少女たちの休日 / Der Feiertag der Mädchen


「明日はトレーニングを休みます」


放課後。

学院の片隅にある小さな建物の中に構えたトレーニングルームで、汗を拭うリディアが唐突にそう言った。


「わかりました」


ジョギングマシンを降りて、ベンチで休憩中のニーナはそれに素直に頷く。


明日は学院も休みだ、リディアは自宅のほうでも鍛錬を欠かさないらしいが、このところ闘い詰めだ、〈鉄拳令嬢〉にだって休息は必要だろう。


「では明日の朝11時に、リヒターハーフェン中央駅の南側広場にいらしてください」

「え?」


そして翌日。


ニーナはコンラートに車を回してもらってリヒターハーフェン中央駅に降り立った。

平均70階建てのビルが群立する首都だが、駅周辺は比較的開けている。

あまり利用することもないため、改めてニーナはまじまじと駅の建物を眺めていた。


左右へ伸びるガラス張りのアーチ屋根が駅のホームで、緑色の光を噴出させる魔導機関車が何十両という客車と貨物車を牽引して駅を出発するのが見える。

双塔のように聳える駅のビルはそれそのものが巨大な複合施設にもなっていて、コーヒーショップや、著名な貴族の娘が専属モデルを務めるアパレルブランド、有名百貨店など無数の店舗がその中に収まっていると聞いたことがある。


リディアに指定された南側広場で、肩から斜めに下げたサコッシュの紐を握ったりして数分。

あまり出歩くことのないニーナは、どこか落ち着かない気分を持て余していた。


日頃袖を通すのはもっぱら、制服か社交会(サロン)に着て行くドレス。

自宅では当然私服だが、出かけられるような服ではなく、メイドにならぎりぎり許してもらえる十代少女の部屋着でしかない。


オーバーサイズのフーディジャケットの前を開けて羽織り、大きめのTシャツとアンダーにはボードショーツ、白のハイソックスにダッドスニーカー。

いずれも有名なスポーツブランドのものらしい、トレーニングを始めたニーナのためにとセラフィーナが買い揃えてくれたトータルコーデだ。


ただ、モノが上等すぎていまいち汗で汚す気になれず、こうしてお出かけ用となっていた。


「……」


貴族の娘がぽつんと街にいたところで、この時間なら誰の気にも留まらない。


広場正面に聳えるビルのビジョンに流れるニュースが、帝国で起きている内紛や、それによる帝国産魔導部品の再高騰、リヒターハーフェンでの連続強盗事件などを一巡した頃。


「お待たせしました」


リディアの声に振り向いて、ニーナは言葉を詰まらせた。


フレアスリーブのボタンブラウスに、同じくボタンで前を止めるハイウェストのクロップドタイトデニム、足元は指先を僅かに見せるブーツサンダル。

爽やかな色味のペディキュアまで塗って隙がなく、肩からはチェーンポーチを下げている。


いつもはストレートで背中に流す黒髪も、今日は軽くウェーブさせ、髪留めを乗せてアップポニーテールでまとめていた。


「どうされましたか?」


挨拶も返さず呆然としてしまったニーナをリディアが覗き込む、その耳元でイヤリングが光った。

いつにも増してその目線を高く感じるのは、彼女の履いたブーツサンダルのヒールが高いからだ。


自分がここへ来たって見向きもされなかったが、リディアが現れた途端、広場の群衆が少し騒がしくなった気がする。


実際、同年代と思われる女の子達は皆一様に、リディアを見て色めいている。


「あ、いや……その、きれいだなって」


背丈と鍛え抜かれたスタイルの良さを存分に活かした服装。

これからこの女性の隣を歩くのかと思うと、尻込みしてしまう。


「ありがとうございます。ニーナさんも、とっても可愛らしいですわ」


そんなニーナを知ってか知らずか、リディアはその紅唇を緩めて微笑んだ。


「では行きましょう、エスコートはお任せください」


差し出されたリディアのサテンに包まれた手を取る。


手を繋いで歩く自分たちが、はたから見てどういう関係に見えてしまうのか甚だ疑問だったが、できるだけ考えないようにした。


リディアに連れられるまま、駅ビルへと入る。

コンコースからそのままエスカレーターに乗って、上を見上げるとリディアの背中が見えた、ブラウス背面のカットアウトから覗く彼女の白い背筋が目に飛び込んで、ニーナはこっそり顔を赤くした。


エスカレーターはそのまま二階、三階を飛ばしてさらに上階へ。

振り返ったリディアの手を取って、五階で降りると、すぐに甘い香りが鼻腔を満たした。


「あ、いい香り」

「この時間はランチの焼き立てパンが並び始める時間ですわ。王道はやはりBrotwerk(ブロートヴェルク)のプレッツェルかハーフェンバレンですが、私は向こうの角にあるお店のほうが好みなんです」


ブロートヴェルクはリヒターハーフェンで知らない人などいない製パン工房だ、初等教育で通った貴族学校の近くにもあるため、嫌なことがあった帰りにはそこでセラフィーナがよくハーフェンバレンを買ってくれた。

Hafenballenハーフェンバレンは、砂糖をまぶした丸い揚げパンで、その見た目からはよく浮標(ボーイエ)などと呼ばれたりするらしい。


「先にお昼を済ませる予定ですが、構いませんか?」

「あ、はい。におい嗅いでたら、おなか空いてきちゃいました……」


そうして、リディアのおすすめというお店に入る。


カウンタータイプになった窓際の立食席が空いていたので、そこに並んで、メニュー表を二人で覗き込む。

その間も、リディアの甘やかな香水の香りが漂って来て、心拍数が高まりっぱなしだった。


ウェイターの男性にメニューを注文、正面に立つビルのビジョン広告を眺めながらリディアと少し話をしてしばらく。


リディアの注文した大きな焼きソーセージ(ブラートヴルスト)を挟んだパンと、ニーナのライ麦パンのチーズサンドイッチ、そしてアプフェルショーレのグラスがふたつ、運ばれて来た。


「見事な焼き加減ですわ、惚れ惚れしますわね」


手袋を外して、リディアがかぶりつく。

トレーの上にはケチャップやマスタードなどの入ったスクイーズボトルもあるが、まずはそのまま。


ニーナも自分のサンドイッチを齧る。


「リヒターハーフェンではほとんどのお店が辛いマスタードしか置いていませんが、私がこのお店を気に入っているのは、ちゃんと甘いマスタードも提供している点です」


リディアはそう言って『Süßer(甘い)』とラベルの張られた茶色いマスタードのボトルを取って、パンに挟まれたソーセージにたっぷりとかけた。


「甘い?」

「ええ。ヴァルクライネは、公国南端にある帝国領と接する州です、特に、私の家柄の故郷でもある州都ヴァルクライネでは、この甘いマスタードこそ魂の味なのですわ」


ライ麦サンドイッチを齧りながら、ニーナはその話に相槌を打った。

リヒターハーフェンで生まれ育ったニーナには、あまりそういった故郷の味というものがない、ハーフェンバレンがそれに当たるのかも知れないが、リディアのように強い思い入れがあるほどではなかった。

少し羨ましかった。


「一口いかがですか?」


せっかくなので頂くことにした。


リディアの手に収まっていればそれほどには思わなかったが、自分が持てば随分と大きく感じる。


どうにか口を開いてパンとソーセージを頬張る、ソーセージの香ばしさの後から、辛みではなく甘さが口いっぱいに広がった、茶色い色味のソースだったのは、どうやら蜂蜜やキャラメルによるものらしい。


「お、おいひいれふ……」

「あら、ソースがついていますわ」

「……ふぇ?」


ニーナが手を空けて口元を拭うよりも早く、屈み込んだリディアの顔が間近に迫る。


「ん……」


リディアの吐息が頬をくすぐり、香水のかおりがふわりと強くなる。


そして、柔らかくて暖かい感触がニーナの口元にそっと押し付けられ、ぺろりと、何かが口の端を撫でていった。


何が起きたのか理解できずに、顔を離すリディアを呆然と見上げるニーナ。

そのニーナを眺めて、リディアはソーセージの油分で艶を纏った唇を舌で舐める。


「きれいになりましたわ」

「ッ!」


頭が吹き飛んだかと思った。

それくらい、急激な体温の上昇を感じた。


「あ……、あうあう……」


彼女のアーマギアよりも顔を真っ赤にして、ニーナは言葉にもなっていない声を口からしばらく漏らしていた。


「いかがでしたか?」


ランチを終えて店の外に出たリディアに尋ねられた。


「そうですね……ちょっと、刺激が強かったかも……です……」

「あら、辛みのないマスタードだったはずですが」


素で言っているのか、わざととぼけているのか、分からないのがリディアだ。


そのあともリディアに手を引かれて、駅ビル内のいろいろなお店を巡り、本屋に寄って雑誌を眺めたり、アクセサリーショップでお揃いのネックレスを買ったりした。


ゆっくりと店を回っていればリヒターハーフェンは日の落ちる時間になっていた、コンコースから駅の外へ出る頃には、街にはもう夜の光が灯っていた。


「まだお時間はありますわね、近くにカフェ・アルベルツがありますから、少し休憩してから帰りましょうか」

「はい」


カフェ・アルベルツはリヒターハーフェンでチェーン展開するコーヒーショップで、公国の魔導物理学に革命をもたらしたという稀代の天才がコーヒーを愛飲したことから、その名にあやかってつけられた名称だ。


硬派なイメージ通り、カフェに通い詰めるのは理数系の学生やITエンジニア達。


「目の覚めるような苦いエスプレッソが、論文制作には欠かせないそうですわ」


ハイテクビルの一階、その外観からは想像もつかない、オーガニックな店内の一角。

対面の座席でメニュー表を眺めるリディアがそう言った。


彼女の背後では、分厚いカップ片手に情報局の刊行するDie(ディ) Ordnung(オルドヌング)に熱心に目を通すスーツ姿の男性がいて、さらにその向こうで、大きなリュックを背負う大学生がカウンターのブックスタンドからマニアックな論文雑誌を手に取って席へ向かうのが見えた。


「最近は新規顧客層の開拓を謳って、独自の哲学で生み出したスイーツなども増えているそうです。いかがですか?ニーナさん」

「あ、じゃあこれで」


注文を待つ間、リディアは首に下げたネックレスを何度も眺めていた。

同じものがいま、自分の首元にもある。


ふたりの間に契約(パクタ)の繋がりがあっても、それを見えるものにするというのは特別な感覚があった。

安物ではないが、かと言ってオーダーメイドの高級品でもない。

それでも、これをふたりで持つことに、互いの決意と意志が宿る。


ニーナはそう思った。


「短い休日でしたわ」


エスプレッソカップを片手に、窓の外を眺めるリディアがそう溢した。

視線の先で、青い回転灯を光らせた警務局のパトカーが数台、けたたましいサイレンと共に駆け抜けていった。


「でも、楽しかったです」


テーブルの真ん中に置いたアップルパイを口へ運ぶ。

あつあつのパイ生地とリンゴの触感、たっぷりと注がれた冷たいバニラソースがアクセントになって、溶けるような甘さを奏でた。


「明後日には、宮殿にて晩餐会があります。大公戦が始まれば、こうした時間はまた遠ざかってしまいますわね」


そう言って、リディアはエスプレッソカップに唇をつけた。

真似して、ニーナもマキアートを一口啜る。


甘みの支配した口の中に、ほろ苦さがじんわりと広がった。


この時間が終わってしまうのが惜しい。


素直な気持ちだ。


でもそれを直接口にしてしまったらリディアを困らせてしまうだろう、だから、ニーナはこう言った。


「また、誘ってください」


リディアの瞳を真っ直ぐに見つめる。


彼女は顔を綻ばせて、頷いてくれた。


「ええ。もちろんですわ」


ニーナの迎えが来るまでの残り僅かな時間を、噛みしめるようにふたりは共に過ごした。




リヒターハーフェン___港湾区、18時49分。


パトカーで急行したミアは、警務官の帽子を頭に乗せながら助手席を降りた。


働き詰めでろくにクリーニングもできていない警務官の黒い制服とスカートは、少しヨレてしまっているものの、ミアの着こなしに隙はなかった。


「お待ちしてましたよ、リリエンタール警務補」


そう言ってミアを出迎えたのは、目つきの鋭い鷲鼻の男性、エリック巡査部長だ。


「現場はあちらです」


彼は、警務官や鑑識が忙しなく行き交う奥を手で差して、紙で包んだライ麦トーストのサラダサンドを齧った。

おおかた、ブロートヴェルクに寄って夜食としてテイクアウトしたのだろう、要するに徹夜コースという訳だ。


「ほんと、よく現場で食べられるわね」


パンくずを落とせば無論捜査の邪魔になってしまうが、ミアが言ったのはそういう意味ではない。

警務局に長年勤めていれば、到底食欲など失せるような凄惨な現場を目にするからだ。


「食える時に食っておくのが警務官の鉄則ですよ、警務補」


彼はまた一口齧った。

一理ある。

長丁場になれば疲労が限界を超え、食事をとる体力も残らなくなることなど日常茶飯事だ。


また娘に会える時間が遠ざかるのかと内心嘆息しながら、ミアはその現場へとパンプスの靴底を鳴らす。


その後ろを、黒っぽいショートヘアの女性が追いかけてくる。


「警務補をお連れしました、エリック巡査部長」

「よーし、ご苦労だった新人。……今夜の現場は少々エキセントリックだ、覚悟しておけ?」

「不謹慎です、巡査部長」


彼女は最近所轄へ配属となった新人、リナリー巡査だ。

主に髪型のせいではあるのだが、小柄な体格や丸っこい顔立ちもどこかニーナに似ているリナリーはミアのお気に入り。

それを知っているエリックは、本部への送り迎えなど、些細な事でも何かとリナリーをミアにつけたがる。


現場の警務官達が敬礼するのに挨拶を返しながら進む。

そして、パトカーの青い回転灯が反射するアスファルトの上に、真っ黒に変色した血溜まりの痕跡が見つかった。


「う……っ、すみません」


その血溜まりの上に飛散したものを見て、リナリーが咄嗟に口元を覆って顔を背けた、無理もない反応だろう。

ミアがリナリーと同じ頃なら、きっとこの場でそのまま胃の中のものを吐き出していた。


それくらい、ひどい状態だった。


「これほど損壊がひどいと、検死担当が手を焼きますね」

「まあ、少なくとも事故ではないわ」

「どう見ます、警務補。近くには、中からぶち破られたコンテナも見つかってます」

「先日の……あの異形と関係があるんでしょうか?」


リナリーが真っ青になった顔を引き攣らせてそう言った。


「判断を急ぐのは危険よ、リナリー巡査。でも、私も同意見」

「最悪なのは、これをやった犯人が今もこのリヒターハーフェンのどこかに潜んでいるということです」

「……」


この件では、軍務長官のヘルベルトが要請したことで、ニーナとリディアの力を借りることが可能になっている。

確かに、自分達と違って身軽な〈エレナント〉と〈ベアラー〉を使えるのは心強い。


だが、娘ふたりを危険な目に合わせたくなどない。


ミアはしばらく思案して、踵を返した。


「直ちに統括局と首都警務局へ報告!市民の安全を最優先に。最悪、軍務の手を借りるわ。囲い込んで、絶対にこの首都から外へ逃がさないようにっ!」


その声に、現場にいたすべての警務官が背筋を伸ばした。


「リナリー巡査、車を回して」

「はいっ!」

「港湾の管理会社に連絡して積荷の出荷元を洗うわ。エリック巡査部長、当分寝る間はないわよ」

「勘弁してくださいよ〜」


ミアの脇をふたりが駆け抜けて行く。


断崖をなすようなリヒターハーフェンのビル群へ向かって、ミアは足を踏み出した。





【あとがき】


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


これにて、『契約の鉄拳令嬢』第一シーズンは完結となります。

次回より第二シーズンが始まり、物語は大公戦へ、そして新たな登場人物も加わり、ニーナとリディアの次なる闘いが始まります。


引き続き、フォローや★などでふたりを応援していただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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