第27話:新たな絆 / Eine neue Bindung
派閥長戦の幕が降りた数日後、案の定検査入院となったニーナは、リヒターハーフェンにあるグライナー総合病院の病室にいた。
主治医のクラウディアからは、祝福の言葉をもらったが、その後に続いた言葉は医者として少女の健康を案じる長い長い説教だった。
「……そういう訳ですから、今後は是非、ご自身の健康に耳を傾けるようお願い致します。よろしいですか?」
「あ、えっと……」
「___よろしい、ですか?」
「はい……」
病室に現れたクラウディアはそう言って検査結果を伝え終えると、踵を返して扉へ向かった。
そこへちょうど、学院の制服を着たリディアがやって来た。
「あら、リディアさん。こんばんは」
「クラウディア先生、ご機嫌よう」
軽く挨拶を交わして、入れ替わるようにリディアが病室に入ってくる。
「ご気分はいかがですか?」
「はい、もうなんともないです」
「それは良かったですわ。手続きはお済みだそうですから、着替えたら行きましょう」
今夜はヴェステンラウ家の主催するソワレがあり、新たな派閥長について正式に告示がある。
そしてその前に、ニーナのリリエンタール家とヴァルクライネ家、両家の顔合わせが行われる予定となっていた。
顔合わせについては、派閥長戦のすぐ後を予定していたそうなのだが、ニーナの疲労具合を鑑みて日を改める事にしたそうだ。
リディアに廊下で待ってもらって。病衣を脱いでクローゼットから取り出した制服に袖を通す。
姿見の前で軽く襟元や背中を確認し、髪を手櫛で直したあと、リディアを呼んだ。
「お待たせしました」
「いいえ。少し、じっとしていてください」
そう言って、制服のポケットから黒いスチールケースを取り出して中を開くリディア、収められていたブローチを手に取って、それをニーナの襟元へ飾った。
「こちらへ来る前に、技術局へ寄って預かってきました」
「ありがとうございます」
以前のカトリーナとの闘いの時に破壊した制御装置を取り外すため、入院にあたってリディアが技術研究局のハンスの元に預けてくれていたのだ。
以前に比べれば、このブローチを身につけることに少し、前向きな感情を抱くようになった気がする。
持ち込んだものもないし、このまま病院を去ってしまって問題ないのだが、部屋を出る前、リディアはニーナへ尋ねた。
「先日、レオンハルト様から連絡がございましたわ。こちらに入院中のカトリーナさんも、退院が近いそうです」
「……」
「面会は可能らしいですわ、お声をかけて行かれますか?」
少し考えて、ニーナは頷いた。
リディアの後に続いてナースステーションに向かい、カトリーナへの見舞いを希望する旨を伝えると病室を案内された。
廊下を奥へ進み、角を三つ曲がって、さらに廊下を進む。
病室の部屋番号が近くなって、間も無く彼女の病室を見つけた。
「……」
ノックする。
返事があって、ニーナは扉を開けた。
「ニーナ」
鈴を転がすような声、ミルクベージュの髪を揺らして、ベッドの上で本を読んでいたカトリーナは親しげな眼差しを戸口に立つニーナへ向けた。
「お待ちしていますわ」
リディアが耳元でそう囁いて、ニーナの背中を優しく押した。
彼女は廊下に残ると、病室の扉を静かに閉じた。
「来てくれたんですね」
「うん」
ニーナは、カトリーナのベッドに近づいて、傍らにある椅子に腰を下ろした。
サイドテーブルやベッドボードなど、見えるところにはヴェステンラウ家だけでなく縁筋や近しい貴族達からの見舞いの花が並んでいて、長期入院の暇潰しのために小説や学術書、週刊誌のような雑誌まで、彼女の周りにはいろいろと積み上がっていた。
「全て読み終わってしまって……、日頃はあまり読まないのですが今は雑誌を……」
カトリーナは少し照れくさそうにして手元の週刊誌を眺めた。
ニーナはそもそも雑誌どころか本自体あまり読まないのだが、カトリーナが両手で広げる週刊誌の名前は知っていた。
情報局が刊行しているDie Ordnungだ、カトリーナの開いているページには見開きで、大公が帝国への魔導アーマー輸出額の上限引き上げについて元老院へ提出した旨の特集が組まれていた。
カトリーナは雑誌を閉じて膝の上に置くと、ニーナへ視線を戻した。
「お姉様から聞きました、ニーナも、こちらに入院したって。今日が退院ですか?」
「うん、そう」
「よかった。わたしは、もう少しだけいなきゃみたいです」
「そっか……」
カトリーナは普段と変わりない。
少なくとも、派閥長戦で対峙したあの時のような、切迫し自分を追い込むような気配はもうない。
学院で一緒に講義を回っていた頃と同じ、柔らかな表情をしていた。
「体はどう?」
「すっかり良くなりました、でも〈エレナント〉の力は当分使っちゃだめみたいです」
そう言って微笑む。
カトリーナのその愛らしい笑顔に、ニーナの胸にあった最後のつかえが取れた気がした。
元々いがみ合っていた訳でも、敵対するような関係にあった訳でもない。
ただ、立場の違いで闘わざるを得なかった、それだけだ。
カトリーナはカトリーナの信じるもののために、そしてニーナは、自分自身のために。
エレオノーラの言葉を借りるなら、この結末はあくまでフェアなものだ。
互いに持ち得る全てをぶつけて、そして自分が勝った。
エレオノーラを打倒し、派閥長戦を制した。
「カトリーナは……どう思ってる?私が勝ったこと……」
「もちろん、わたしはニーナの掴んだ結果を応援したいです。エレオノーラお姉様には……勝ってほしかった。でもそれは、ニーナを否定したいからではありません。それにニーナなら、力に相応しい正義を果たすと、信じてますから」
「……うん。ありがとうカトリーナ」
力強く、ニーナは頷く。
それに微笑み返してくれたカトリーナに、またしばしの別れを告げて、ニーナは病室を後にする。
待ってくれていたリディアと共に、エレベーターへ向かって一階へ。
閑散とした総合受付を通り過ぎて外へ出る。
いつかも通った道を歩いて、スチールの階段を登り、空中鉄道の駅からモノレールへと乗り込む。
吊り革に掴まって見える車窓の外には、ビルに灯るオフィスの明かりやビジョン広告、ネオンサインや多国籍企業の看板、国内車両ブランドのホログラムなどが、次々と流れていく。
ソワレへ向かう夜は、決まってリヒターハーフェンのこの光のジャングルを煩わしく感じていた、でも今日は、不思議とあまり煩いとは思わなかった。
しばらくもせずに停車駅でリディアが降りたので、後に続く。
そのまま街に下りて少し歩くと、やがてビルの間に白い石造りの伝統建築が見えた。
今夜のソワレの会場、ヴェステンラウ家の保有する邸宅だ。
時間にはまだ早いためか、ロータリーはそれほど混雑しておらず、代理石の階段の先にはリリエンタール家のメイド、セラフィーナがニーナを待っていた。
「お待ちしておりました、お嬢様」
「うん、お待たせ」
「リディア様も、お嬢様をご案内いただきありがとうございます」
「〈ベアラー〉ですもの、当然ですわ」
「御両家は皆様お揃いです、エレオノーラ様にお部屋をご用意いただいておりますので、お着替えはそちらで」
社交会に制服のまま参加する訳にもいかず、セラフィーナに案内され部屋を目指す。
リディアとニーナ、それぞれ別の部屋に入り、セラフィーナに手伝ってもらってドレスへ着替えると、深紅のパンツスーツに身を包んだリディアと廊下で合流して、両家の待つ部屋を目指した。
パステルカラーに植物のような曲線装飾がびっしりと施されたダブルドアを開くと、中にはヴァルクライネ家のヘルベルトとヘレーネ、そして、ニーナの父であるレナードと母、ミアの姿があった。
「ニーナ!」
娘を見るなり、ミアは栗色の長い髪とドレスを揺らして駆け寄り、思い切り抱きしめた。
「あぁ、会うのはいつぶりかしら!ずっと警務が忙しくて……」
「あ、あの……、お母さん……」
熱烈なチークキス。
次に傍らのリディアの存在に気付くと、ニーナから体を離して彼女のサテンに包まれた両手を取った。
「リディアさん、あなたにもずっとお会いしたかったわ!」
そう言ってミアは笑顔を咲かせた。
「こちらこそ。お会いできて嬉しく存じますわ、ミア様」
「いつかの社交会で、ご挨拶だけはしたことがあったかしら」
「ええ、もちろん覚えていますわ。ただ、公務がお忙しくなられて、お会いできたのはその一度きりでした」
「あの時の麗しき伯爵令嬢が娘の〈ベアラー〉だなんて……」
「ミア。そこまでにしてくれ、まだ正式な挨拶もできていないんだ」
そう言って諭したのはレナードだ。
言われたミアは、膨れ面を夫へ向けた。
「もう。せっかく会えたのに……。どうせ、この後もすぐ警務局に戻るんでしょ?」
「……ミア」
「はいはい、わかったわ」
ミアはそう言って、レナードの隣に戻る。
レナードがアイコンタクトを送ると、セラフィーナは黙礼してそのまま後ろへ下がった。
やり取りを眺めていたヘルベルトは、車椅子の上で手を広げ、蓄えた顎鬚の下で笑みを作った。
「構わないよ、時間はまだある」
「お心遣いに感謝します、伯爵殿。ですが、大丈夫です」
レナードはタキシードの襟元を整えて居住まいを正すと、ヘルベルトとヘレーネに向き直った。
それを見て、ニーナとリディアはそれぞれの家柄の元に立つ。
両家が揃ったことを確認して、ミアが一歩前へ出る。
「失礼しました。公務ではすでに何度もお会いしておりますが、改めてご挨拶申し上げます。わたくし、ミア=リリエンタール、こちらは夫のレナード。そして、娘のニーナです」
レナードが頭を下げ、次いで、ニーナもおずおずとお辞儀する。
そして次にヘルベルトが挨拶を述べた。
「男爵殿とご夫人には、僕達もお世話になっている。そしてご令嬢には、娘を預ける事になってしまった。ヘルベルト=フォン=ヴァルクライネ、こちらは僕の叔母、ヘレーネ。娘のリディアだ」
「両親の不在の場で、うちの者がいろいろと入れ知恵した非礼を謝罪させてほしい。おふたりにもご令嬢の成長についてお考えがあったろうに、他人の私達が出過ぎた真似をしてしまった」
ヘレーネがそう言った。
それに対し、ミアは首を振る。
「いいえ、中将閣下。その責任は、仕事ばかりでこの子のそばにいてあげられなかった私達にあります。むしろ、ヘレーネ様やリディアさんがいてくれたから、この子は道を選ぶことができた。例え私達の望んだ娘の幸せでなくとも、ニーナの後悔がないのなら、それがすべてです」
ミアがニーナを見つめた、その母の眼差しに、ニーナは頷く。
「ところで、リディアさんはリリエンタールを名乗ることになるのかしら?」
ミアはそう言って小首を傾げた。
「通常の契式ならば、そうだろう」
ヘレーネがリディアを見やった。
「私もニーナさんもまだ学院に通う身ですわ、そういうお話は、ニーナさんがご卒業されてからでもよろしいのでは?ですがお構いないのであれば、お母様と呼ばせていただきますわ、ミア様」
「まあ、聞いた?レナード」
「浮かれるな、ミア」
「こんな素敵なお嬢様が娘になってくれるって言うのよ、嬉しくないの?」
「そういう話をしているんじゃない」
ニーナは思わずため息が漏れた。
しばらく顔すら合わせてなかったが、こういう両親だったことを思い出す。
真面目で厳格でありながらあまり子供に干渉しない父親であるレナードと、自由奔放でありつつも子煩悩な母のミア。
小さい頃はいまいち噛み合わない両親の言い合いをよく眺めていたものだった。
言い合いというよりも、娘からすればただのじゃれ合いだったが。
「……」
視線を戻すと、ふたりを眺めるリディアが少し、寂しそうな目をしていることに気づいてしまった。
リディアは生まれてすぐに母を亡くしている、ミアを通して、この場にいない自身の母への思いを、巡らせているように見えた。
宴も酣のソワレ。
派閥長として新たに台頭したリリエンタール家に古い貴族達は異存がない訳ではないようだが、あの闘い、派閥長戦の決勝で見せたニーナとエレオノーラの闘いを見たあとでは、声高にリリエンタール家を批判する者はいなかった。
両親と共に慣れない挨拶回りを済ませたニーナは、いつも通りホールの隅でアプフェルショーレを片手に休んでいた。
声をかけて来たのはエレオノーラだ、傍らにはジークフリートもいる。
「今夜の主役が、こんな場所でなにをしているのかしら」
「つ……疲れちゃいまして……」
ヴェステンラウ家は、不在である長の座を埋める筆頭貴族の立場を降り、改めて派閥長であるリリエンタール家への協調と派閥の団結をこのソワレで発信した。
「この程度で音を上げるようでは、まだまだね。いいこと?私たち貴族の娘というのは……」
「おい、勘弁してやれ」
説教を始めそうなエレオノーラへ、肩をぶつけてジークフリートが止めた。
「もう、冗談よ」
「敗北が悔しいなら素直にそう伝えればいい」
「悔しいのは事実だけど、これくらいは許しなさいよ。……悪かったわ、さっきのはからかっただけ」
「あはは……」
エレオノーラは目を閉じて短く息を吐くと、今度は真剣な顔でニーナを見つめた。
「あなたとはいろいろあったわ、それをなかったことにしようだなんて、虫のいいことは言わない」
「……」
「負けたのは私、あなたはあなたの力をこの私に示した。〈エレナント〉としての真価を、みなに知らしめたのよ。派閥に身を置く貴族として、これからはあなたの名の下に力を尽くすわ」
エレオノーラがトラウベンモストの注がれたグラスを掲げた。
その縁に、ニーナは軽くグラスをぶつける。
澄んだ音が小さく響いた。
「はい、よろしくお願いします」
「それだけよ。あなたの〈ベアラー〉が見えないようだけど、探してあげなさい」
そう言って、エレオノーラはハーフツインにまとめたプラチナブランドの髪を揺らし、ジークフリートを引き連れて去って行った。
ホールを見渡してもリディアの姿は見えなかった。
公国は背の高い男性が多いが、リディアはそれに埋もれないほどの長身、しかし姿はない。
階段を上がって二階のギャラリーを探して歩き回っていると、アーチ窓の向こうのテラスに、深紅のパンツスーツの背中が見えた。
開け放たれた窓から、ニーナも外へ出る。
リヒターハーフェンの夜に灯る光が、彼女の背に流れる黒い髪の上できらきらと踊っていた。
「リディアさん」
「あら、ニーナさん。ご挨拶は終わりまして?」
頷いて、隣に立つ。
リディアが肘を乗せる石造りの柵は、ニーナには少し高かった。
「はい。けど、疲れちゃって……」
「慣れないですものね」
そう言って、リディアは体を反転させて柵に背中を預けると、壮麗かつ垂直方向への劇的な志向性を持つ邸宅の外観を見上げた。
「以前、おばさまに言われましたの。私は、貴族としての立場を軽んじていると」
「……」
「その通りですわね。振る舞いこそ叩き込まれましたが、家名を背負うような意識は皆無ですもの。それを教えてくれる方はいませんでしたから。もしそうであったならば、今頃は〈鉄拳令嬢〉などと呼ばれない淑女に育っていたでしょうね」
リディアは続ける。
「私はあくまで私個人。それを揺るがさないために拳を磨いてきました。ですけれど、気が付けば、いっぱしの貴族らしくいろいろと背負うことになってしまいましたわね」
「……そうかも、しれません」
ニーナが同調したのは、リディアの身の上に対してではなく、この派閥長争いを通じて得た、自分自身の変化についてだ。
派閥長戦に身を投じると決断を下した頃は、ニーナもまた、リディアのように確固たる自分自身を示すために、それを否定しないために、闘うと決めたに過ぎなかった。
しかしその結果、自分はいま派閥長となった家柄の〈エレナント〉として、エレオノーラやカトリーナの果たせなかった意志を背負うべき立場になった。
「私たちは、大公戦への参加を避けられません。本来ならば男爵ご夫妻にご参加いただくのが正しい筋書きですけれど、警務副総監という公務と天秤にかけては、優先すべきは論じるまでもございませんわ」
「はい……」
「私はニーナさんの〈ベアラー〉です。多少余分な重りは増えましたが、この拳が鈍ることは決してありません。私の闘志はニーナさんの意志と共に激り、そして、すべてを打ち砕きます」
柵から体を起こし、リディアが拳を差し出す。
その拳に、ニーナは自分の拳をこつんとぶつけた、リディアに比べればずっと小さいが、それでも、なにも背負わなかったあの非力な頃に比べれば、この拳もいくらかは頼もしくなったのかもしれない。
「がんばります……っ」
「ふふ。ニーナさんの率直なところが、私は愛らしくてたまりません。ですけれど、そう気負わないでください。これからは、私だけでなく、エレオノーラさんやカトリーナさん、皆がニーナさんに力を貸してくれますわ」
「はい」
頷く。
それに微笑んだリディアの横顔を彩るリヒターハーフェンの光が、今夜はとても綺麗だと思えた。




