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第25話:決戦の地へ / Auf zum Ort der Entscheidung


派閥長戦決勝、その舞台となる場所へ向かうアウトバーンを走る車内で、リディアは窓の外を流れる木々を眺めていた。


隣には父ヘルベルトと、対面の座席にはヘレーネの姿もある。


軍務から高官へ支給される公用車に、父と大叔母のふたりが同乗しているのは、何もヴァルクライネ家一人娘の闘いぶりを見守ろうという理由ではない。


今夜、どちらが勝ったとしても、その瞬間に派閥の長たる家柄が決定する。


ヴァルクライネ家のふたりだけでなく、派閥に名を置く多くの貴族が、その行く末を見届ける必要があって会場へと向かっているのだ。


決戦の場となるのは、リヒターハーフェンから南東に位置するヴェステンラウ州、その州都であるヴェステンラウ市。


こちらも公国ではかなり大きな都市の一つであり、その様相は全く異なるもののリヒターハーフェンに次ぐメトロポリスだ。


「男爵夫妻へのご挨拶は、考えているかい」


くぐもった走行音が響く車内、ヘルベルトがリディアへそう声をかけた。


「……これから大事な一戦を控える娘に、おかけになる言葉がそれですの?」


リディアは肩を竦めた。


「今夜の勝敗に、僕はそれほど頓着していないよ。分かっているだろう?」

「ええ。最初から」

「君が勝ちたいならそうすると良い、リディア。僕が父親として心配するのは、リリエンタール嬢のご両親に、娘が失礼のない挨拶ができるかどうかだよ」

「それこそ不要なご心配ですわ、父上」


リディアは再び窓の外へ視線を戻した。


リヒターハーフェンを明るい時間に出たはずだが、窓の外に見える空はもう真っ暗だ。

質感に乏しい道路照明の白い光が、ぼんやりと夜空を覆っている。


「ヘレーネ叔母さんはどうだい」

「……」


ヘレーネは長い前髪が覆う顔を上げてヘルベルトを見た。

日頃なら平時でも軍服を着用しているヘレーネだが、今日の出席についてはあくまで、派閥の貴族の縁筋という立場のため、白のテーラードスーツを着ている。


「師としてならば、その実力を証明することを喜ぶだろうな。ただの親戚の年寄りという立場なら___違う人生を用意してやりたかったと思っている」


続けて、ヘレーネはリディアを見た。

薄暗い車内に、彼女の真剣な瞳の光が揺れていた。


「説教くさくなるのは勘弁しろ、リディア。文字通りの老婆心だと思え。既に後戻りなどかなわん段階にいるが、今夜の勝敗の如何ではお前は多くを背負う存在になる。それはつまり、派閥に名を連ねる全ての貴族の志、信念、想い、そのすべての担い手になるということだ」

「私の、この両の拳には少々、多過ぎますかしら」


リディアは窓から視線を戻すことなくそう答えた。

しかし、ヘレーネの瞳は彼女を逃さなかった。


「冗談を言っているんじゃないぞ、リディア=フォン=ヴァルクライネ。昔からそうだ、立ち振る舞いは上等でも、お前は内心で貴族という立場を軽んじている」

「望んでこんな家に生まれたわけではございませんわ」

「だったら何を望むつもりだ」

「……」

「まあまあ。その答えを今ここで急ぐ必要はないさ」


ヘルベルトがそう言って、豊かな顎髭の下で微笑んだ。


「それに、それはこの子の一存で決まることじゃない。リリエンタール嬢や、男爵夫妻の考えもあるだろう。それを聞いてからでだって、遅くはないさ」


ヘレーネは、ヘルベルトのその言葉に対して異を唱えることなく、そのまま目を閉じて口を噤んだ。


再び車内に沈黙が訪れる。


車はヴェステンラウへ向け、緩やかなカーブを描く長い道路を走った。




「わぁ、すごい街……!」


アウトバーンを降り、市内を大衆車に混じって走行する車の後部座席。

窓の外を見つめるニーナの瞳は、夜のヴェステンラウに灯る明かりを反射して輝いていた。


「壮観な街でございますね」


隣に座るセラフィーナも、その走行景観に感動を口にする。


通りに面する建物は、少し古めかしい見た目をした5、6階建ての建築物で、赤や黄、白、水色といったカラフルなそれらが、まるで一つの建物のように隙間なく繋がって通りを見下ろしていた。


それが道路に切り取られた区画のあちこちに立ち並んでいて、一階部分はパブや雑貨店、ニーナも知っている有名ブランドなどのテナントになっている。


「ご覧の建物はミーツカゼルネという、百年以上前には兵舎として利用されていた建物です」


コンラートが言った。


「そうなんですか?」

「軍務に入局して最初の配属はこちらのヴェステンラウでしたものですから、少しばかり、この街には詳しいのです」


彼は運転に集中しながらも、フロントガラスに広がる街を眺めて、皺の刻まれたその目元を少し懐かしそうに細めた。


「ヴェステンラウ州は、帝国とは異なる国境に面した土地です。特にここヴェステンラウの街は、帝政下時代においても、他国の侵攻を迎え撃つ要衝となった街でした」


帝国から独立後もそれは変わらず、いや、帝国という後ろ盾が失われたからこそ、ヴェステンラウ領をはじめとする国境付近の諸侯達は、防衛のために力をつけていった、とそのようにコンラートは続けた。


そうして、兵備の充実と共に栄えた街には、多くの兵士を住まわすための賃貸兵舎(ミーツカゼルネ)が次々と建築され、彼らのための飲食店や娯楽場などができ、更に発展を遂げたという。


「今でこそ住環境の整った都市ですが、ヴェステンラウは軍事都市としての歴史を持っています。公国の領土と民を守るその責務と精神を、ヴェステンラウ侯爵家は今でも絶やすことなく受け継いでいらっしゃるのです」


かと言って、同家が国土の防衛ばかりに注力していたのかと言うと、そうではない。


帝国から魔導科学がもたらされ、魔導エネルギーが主産業分野におけるエネルギーの主体を担う頃には、ヴェステンラウは労働者の街へと様変わりした。

かつて兵舎として利用されていた建物は、彼らのアパートとして提供されるようになったそうだ。


もともと頑丈な造りのため建物そのものに問題はないものの、インフラ設備は当然ながら旧世代のものだった。

公費では賄えない改修費用を、ヴェステンラウ家がパトロンとなり私財のほとんどを投げ打って出資したことで、魔導インフラやセントラルヒーティングなどを早くに整えることが可能になったという。


「力だけでなく、その生活にも目を向け市井をお守りになる。ヴェステンラウ家の受け継ぐ貴族というお立場は、そういうお姿なのでしょう」


ニーナは改めて車の外を流れる景色に目をやった。

活気ある光に包まれる都市を眺め、これから対峙するエレオノーラが背負うものを、はじめて本当の意味で理解できた気がした。


「公国はもともと領邦自治の国柄ですから、土地の発展はその貴族の力失くしてはかなわないということです」


コンラートはそう言って話を終えた。


車は混み合った通りを走って、さらに街を進む。


見える建物は次第に近代的になり、商業施設や企業ビル、前衛的なデザインの複合住宅などが目立つようになり始めると、ヴェステンラウもまた、リヒターハーフェンのような光を降らせる大都市としての様相を垣間見せる。


道端のAR看板や、ビル壁面のビジョン広告、建物を彩るネオンサイン。

ただ首都と異なるのは、この街にはまだ街路樹などの緑が豊かであることだ。


幾つか交差点を曲がると、左右の街路樹が深くなり始め、やがて木々が覆い被さる細い道になった。

交通量は明らかに減り、前方車両や対向車はニーナの見慣れた黒のセダンばかりになる。


木々の間を抜けると、中央が駐車場になった広いロータリーに出た。


先着の車が順に紳士淑女を降ろすその奥で、左右対称に佇立する二本の大きな矩形の柱が、その二つの間を渡すワイヤからグラウエン公国旗を垂れ下げ、門のように訪問者を出迎えていた。


その向こうにはさらに、石造りの重厚な外観を持つ巨大な楕円形の建造物が見えていて、王立闘技場と酷似した外観のそれは、ヴェステンラウ市が誇る国際スポーツスタジアムだった。


ロータリーをゆっくりと進む車内から、横目に見える駐車場にはすでに何十台という高級セダンが駐まっている。


派閥長戦の決着を見届けるためどれほど多くの貴族がここへ足を運んだのか、その注目のその中心に自分達がいることに、今はどこか不思議な感覚をニーナは抱いていた。


やがて車が門の正面で停まり、運転席を降りたコンラートが後部座席のドアを開けた。


「お嬢様にとって悔いのない結果となる事を、心からお祈りしております」

「ありがとうございます、コンラート」


コンラートは恭しく頭を下げ、再び運転席に乗り込んで駐車場のほうへと車を向かわせて行った。


スタジアム管理スタッフの名札を下げたフォーマルスーツの女性が現れたので、セラフィーナが名前と家柄を伝えた。


「リリエンタール家、ニーナお嬢様です」

「ニーナ様ですね、少々お待ちください」


襟元のピンマイクでどこかとやり取りをするスタッフを待って、そのまま控え室へと案内される。

スタジアム外周の、門と同じ矩形の柱が支える回廊を回り込むように歩いて、建物の内部へ。


モダニズムと伝統が融合したような廊下をさらに歩き、控え室の扉の前で立ち止まった。


「ニーナ様はこちらでお待ち下さい、〈ベアラー〉のヴァルクライネ家ご令嬢も、中でお待ちです」


スタッフの女性がそう言って扉を開けた。


「旦那様と奥様も既にお越しになられているそうなので、私はおふたりのところへ案内して頂きます。ご武運を、ニーナ様」

「うん。ありがとう、セラフィーナ」


深々と頭を下げるセラフィーナと別れ、ニーナは控え室へと入った。


「こんばんは、ニーナさん」


後ろで扉が閉まると、アップトレーニング中のリディアがニーナへ振り返って、そう微笑んだ。


トレーニングウェアに着替えた彼女の、額や首筋、ブラトップとレギンスの間から露出する引き締まった腹筋には、既にしっとりと汗が滲んでいた。


「こんばんは、リディアさん」


チーム形式のスポーツであればサッカーが確か11人、それを踏まえても控え室は奥行きにかなりゆとりがあり、白い壁面に据え付けられた黒っぽいベンチやロッカーの数は多い。


そして、おそらくリディアのためであろうサンドバッグやランニングマシンなど、最低限の器具が運び込まれていて、リディアはそれをヴェステンラウ家の手配だと紹介した。


街の様子についてやこのスタジアムについて軽く話した後、またすぐにリディアはサンドバッグに向き直ってテーピングされた拳を打ち付け始めた。


ストイックなリディアであるが、今の彼女はどこか、感情が波立っているように見えた。

サンドバッグを鳴らす拳のワンツーや、シューズの靴底が床に擦れるリズムに、僅かな違和感があるような気がする。


緊張と言うよりは、苛立ち、だろうか。


「なにかあったんですか?」

「……おばさまから、耳に()()のできる説教を受けただけですわ。分かりきったことを説かれてムカついてしまうのは、子どもだからでしょうね」

「……」

「ですが、ニーナさんのお顔を見て少し落ち着いてきました」


言葉の通り、リディアの奏でる打撃は落ち着いてきて、ニーナの胸に心地よいリズムになる。


「緊張していますか?」


リディアが言った。


「なんだか、実感がなくて……」

「そうですわね、私もです」


顔は見えないが、そう答えたリディアの声は笑っていた。


少しの沈黙、サンドバッグの音が響く。


「勝ちたいですか、ニーナさん」

「……分かりません。いろいろ……あったけど、エレオノーラさんを恨んでいるわけではないので」


それが正直な気持ちだ、理不尽を呪ったことはあったし、心の中では何度も違う人生に憧れた。


貴族に生まれなければ、〈エレナント〉でさえなければ。

何度もそんな言葉を胸に抱いた。


けれど、派閥長戦を通して___いや、リディアと契約(パクタ)の口づけを交わしたあの夜から、全てが変わった。


色んなことを知って、色んな想いに触れた。


そして、自分は今、ここにいる。


「エレオノーラさんは、勝利によってご自身の(正しさ)を証明しようとしています。そして派閥の多くの貴族が、彼女の勝利を望んでいます」

「……はい」

「ですがニーナさん」


サンドバッグの音が止む、目の前に立ったリディアは、ニーナの瞳を見下ろし、こう言った。


「私は、勝ちたいです。私たちの勝利には誰の期待もない、誰も、私たちが勝つことを望んでいない」


声音は穏やかだが、見上げた彼女の瞳に灯っているのは、爛々とした闘志だ。


「リディアさん……」

「だからこそ勝ちたいですわ。この拳は、この胸に激る勝利への渇望とともに、どうしようもないほど、奮えていますの」


アーマギアがなくとも、伝わってくる。

その真っ直ぐな眼差しに宿る熱い鼓動に、ニーナの胸もまた、奮える___奮い立つ。


「……」


闘う以上は勝ちを求めろと言ったのはエレオノーラ自身だ、ならばその言葉を拳に乗せて、彼女に叩き付けてやろう。


ニーナはゆっくりと、そして、力強く頷き返した。


その答えにリディアは満足そうに微笑むと、ひざまづいてニーナの両手を包んだ。


ふたりを中心に魔導陣(サーキット)が広がり、胸のブローチが赤い光を咲かせる。


「私に、力を___」


瞳を閉じたリディアへ、ニーナは唇を重ねた。


触れ合った場所から感じる熱は燎原の炎の如く。

胸の中で、一気に燃え広がった。



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