第22話:激突する想い / Aufeinanderprallende Gefühle
ロートリンゲン城に併設されるように建つ、子爵の個人所有の邸宅。
その舞踏場に、カトリーナとレオンハルトは立っていた。
「……」
パステルの壁面に、植物のような金の曲線装飾が随所を彩るその様式は、リヒターハーフェンにも現存する建築物と同じものだが、あまり社交会に出席する機会のなかったカトリーナには、空間の華美な眩さが緊張を逆撫でするようで、慣れなかった。
生まれも育ちもリヒターハーフェンのカトリーナにとって、ここロートリンゲンの街が故郷であるという感覚は、あまりない。
それでも今夜の舞台にここを選んだのは、ロートリンゲン子爵家の娘であるという立場を堅持するためだ。
視線の先には、ニーナとその〈ベアラー〉、リディアがいる。
何かを言いかけるようにニーナが口を開いたが、彼女は何も言わず、栗色の髪を揺らしてその顔を伏せてしまった。
「ニーナ」
カトリーナが呼びかけると、ニーナはゆっくりと顔を上げた。
その顔を見て、思う。
やっぱり、今日までニーナに会わなくて、良かった。
複雑な感情を滲ませる彼女を見て、カトリーナは内心で頷く。
何故なら自分だって今、ニーナと同じ思いを抱いているからだ。
ニーナがリディアを選んだと聞いたときから、こうなるのは心のどこかで分かっていた。
事情は違えど、本質的には自分達は同じだ、〈エレナント〉であることを疎ましく思われ、でもそれを変えるために、ここに立っている。
闘うべき相手として。
「ニーナのことは大好きです、はじめてできた……友だちですから」
腹を括って来たつもりでも、いざこうして友人の顔を見れば、心は簡単に揺らいでしまうものだ。
それがカトリーナにとって、ニーナのこともまた特別であった証だ。
学院に入学して、お人形みたいと囃されることが何度かあった。
カトリーナはそう言われるのがあまり好きではなかった、容姿を褒められることが苦手だったとかではなく、病弱で学校すら満足に通うことを許されず友達も持てなかった自分自身が、ガラスケースに大事に収められた人形そのもののように思えてならなかったからだ。
「でもニーナと同じくらい、わたしはエレオノーラお姉様を、そしてレオンハルト様をお慕いしています。おふたりは、わたしのことをずっと大事になさってくれた……〈エレナント〉としてあまりに虚弱なわたしを、それでも妹だと愛してくれました」
カトリーナは、胸元のブローチをぎゅっと両手で握りしめ目を伏せた。
大切にされることを煩わしく思うことはなかった、姉のようなエレオノーラや、レオンハルトの気持ちの温かさを感じる一方で、それに甘んじることしかできない自分が歯痒い。
「わたしは、エレオノーラお姉様とレオンハルト様の思いにお応えしたいです。それが……わたしの示す答えです、ニーナ」
自分は愛玩されるだけでいる人形ではない、立場と、責任と、使命を背負い、自らの足で立つ〈エレナント〉なのだ。
それを、今夜この場で証明する。
そうでなければ、自分は自分を認めることなどできない。
「カトリーナ……」
再び目を開いたカトリーナの瞳には、迷いを断ち切った力強い光が揺れていた。
その隣で、レオンハルトが一歩前へ出て剣を抜く。
「健気だと思わないか?俺が全力を尽くすのに、これ以上の理由はいらない」
彼の剣は、ジークフリートの持つ剣ジークシュヴェルトの兄弟剣だ、その外見はよく似ており、機械的な外装板の継ぎ目が目立つ直剣、魔導科学の生んだ〈ベアラー〉専用の兵器だ。
その切先を、レオンハルトはリディアへと向ける。
「だが〈鉄拳令嬢〉。俺はあなたに尋ねたい、あなたはあなた自身のためにその拳を叩き上げてきたはずだ。そこにいるリリエンタール嬢は、本当にその拳に相応しいのか?」
それはカトリーナ自身にも響く言葉だ、そうあるべく、カトリーナはこの闘いに臨むことを選んだ。
ニーナが僅かに肩を震わせた隣で、リディアは余裕そうな表情を崩さず、大理石の床にパンプスのヒールを響かせて一歩、前に出る。
「その問いはそのまま返しますわ、レオンハルト様。レオンハルト様はカトリーナさんを、あなたに相応しい〈エレナント〉と思っていらっしゃいますか?」
「愚問だな。俺の剣はカトリーナにこそ相応しい」
「ならば私も答えは同じです。この拳はニーナさんにこそ……いえ、私たちだからこそ、意味を持つのです」
リディアはサテンに包まれた拳を握りしめ、前に突き出した。
「大義だろうが信念だろうが立場があろうが。勝ったほうが正義であり、その正義を果たす役目を負う。私たちは進みますわ。そうでしょう、ニーナさん」
「……はいっ!」
迷いを振り切るように、ニーナが胸のブローチを取って、力を解放する。
カトリーナもブローチを掲げた。
「“征け、その拳で正義を示せ”!」
「“我が命に従いて、我が道を切り拓け”!」
それぞれの足元に魔導陣が現れ、閃光を放つ。
機構を広げて光を灯すブローチを手の甲に装着し、ふたりの〈エレナント〉は、掲げたその腕を力強く正面へと振り下ろした。
『“汝に、力を”___ッ!』
レオンハルトとリディアが同時に踏み出す、ふたりの体をアーマギアが覆い、白の騎士と赤の戦士による闘いが始まった。
レオンハルトの構える剣に光が走る。
金属音を上げて外装板が僅かに浮き上がり、スライドする刃と共に左右へ拡張、剣身が伸び上がって長大になったその剣を、レオンハルトが振り下ろした。
弧を描く剣閃がリディアを掠める、拳を引き絞りながら上体を逸らしてそれを躱し、深紅のアーマギアからカウンターのストレートが打ち出される。
風切り音を唸らせるその一撃を、レオンハルトは最小限の動作で回避、脇の下に剣を構え下段から鋭く斬り上げた。
リディアはギリギリで身を翻し、再び踏み込んで拳を打ち出す。
剣の側面をぶつけてレオンハルトが防ぎ、火花を散らしながら素早く持ち替え、反撃。
それをさらにリディアが防ぐ、火花が散る、反撃、防ぐ、反撃。
互いに一歩も譲らない超速の応酬を繰り広げるふたつのアーマギアが、舞踏場を照らすシャンデリアの明かりの中でその影を踊らせる。
無数の剣戟と打撃が、光を反射しながらいくつもの光跡を作り、装甲と金属がぶつかって火花が咲き乱れる。
リディアのポテンシャルは侮り難いが、レオンハルトの本領はここからだ。
「……ッ!」
白のアーマギアが大きく踏み込む、刹那、三つの閃光がほとんど同時に迸った。
身を捩ってリディアが回避、だが斬撃の一つが彼女の装甲を走ったのが、カトリーナには見えた。
バックステップして間合いを取り、体勢立て直すリディアへレオンハルトが言った。
「大した身のこなしだ、〈鉄拳令嬢〉。ジークフリートでも躱せなかった」
「……比べられるのは、あまり好きではありませんわね」
「ならば比類なきことを示すことだ。言っておくが、今のはアーマギアがなくても再現できるぞ」
レオンハルトが再び剣を構えリディアへと突撃する。
彼の斬撃はもう、カトリーナの目ですら捉えられない疾さに達していた。
彼が剣を構えた次の瞬間には振り下ろされており___いや、刃の残光を肉眼で捉えた時には、彼は既に次の構えに移っている。
対するリディアは、その太刀筋を構えた剣の角度から直感で判断して躱し、防いでいた。
アーマギアがあるとは言え、目を見張る身体能力、だが、手数の差は圧倒的だ。
押している。
レオンハルトの優勢は間違いない、ただ、確かな手応えを感じる一方で、〈鉄拳令嬢〉のしぶとい立ち回りにカトリーナの焦燥も増してくる。
レオンハルトが剣を振るう度に、心臓が重たくなっていく。
呼吸が深くなって、息を吸って吐くのでさえ疲労を伴う程だ。
カトリーナは奥歯を噛み締めて唇を引き結んだ、力を維持できる時間が、明らかに以前より短くなっていた。
無理を押して酷使してきた肉体が限界に近いということだろう、出し惜しんではいられない、このままでは自分のせいで敗北することになる。
カトリーナの足元に魔導陣が出現し、その瞳が薄紅の光を灯す。
痛む胸元を押さえつけながら、カトリーナは叫んだ。
「レオンハルト様っ!」
それを合図と受け取って、レオンハルトが構えを取った。
体の横で垂直に掲げた剣に光が走り、継ぎ目から外装板が分割、拡張していき、せり上がるように剣全体が巨大化する。
露わになった内部フレームから薄紅の光が漏れ出し、機械的な駆動音が咆哮する。
そして、レオンハルトはその剣を振り下ろした。
「“グランツヴェレン”___ッ!」
視界が光に覆われる。
押し寄せる輝きがリディアだけでなくレオンハルトの影すらも飲み込み、魔導エネルギーの奔流が空間を揺さぶった。
思わず視界を覆ったカトリーナ、目を開くとまろぶようなリディアの姿を捉えた。
「はぁっ、はぁ……っ!」
その後ろで、肩で大きく息を吐くニーナに気付く、彼女の瞳は微かに燃えるような赤い光を灯していた。
アーマギアも無傷とはいかないが、直撃をリディアが回避しただけでなくニーナ自身の力であの一撃から〈ベアラー〉を守ったのだ。
その瞬間、カトリーナは大きく咳き込みながら、膝から崩れ落ちた。
「ごほっ、ごほっ!げほ……っ」
裂けるような激痛が胸の奥に走る、喉に粘つく何かが込み上げて来て、嚥下すると、不快な金属の臭いが口の中にはっきりと広がった。
口元を覆った手には、血がついていた。
「カトリーナっ!?」
悲鳴のようなニーナの声、彼女は顔を真っ青にして後ずさった。
「うそ、血が……」
「……」
口元を拭って立ち上がる。
たったそれだけの動きで、今度は割れるような頭痛が襲った。
「……まだ、終わって……ないです」
「も……っ、もうやめ___」
「ニーナさん」
リディアの声がニーナを遮った。
視線をやると、彼女はまだ拳を下ろしていなかった。
「負けを認めますか?それとも、カトリーナさんに負けを認めろとおっしゃいますか?」
「え……?」
そう言われ、ニーナは困惑したようにリディアを見つめた。
この闘いを止める方法は、どちらかが敗北を認める他にない。
この体質は生まれつきのもの、日を改めたところで今夜以上の闘いができる保証はないし、むしろ、今よりも酷くなっている可能性だってある。
リディアは、それを分かってああ言っているのだ。
「どちらであっても、それはカトリーナさんの望む結果ではありません」
「で……でもっ!」
ニーナはすっかり取り乱して、リディアとカトリーナを何度も交互に見つめた。
彼女のほうが、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。
たが、リディアの言う通りだ、同情で得られた結果など、それは自分の望むものではない。
それでは〈エレナント〉として自分の価値を示したことにはならないのだ。
「闘って……ください、レオンハルト様……」
「カトリーナっ!」
「構わない、リリエンタール嬢。だが長くはもたない。その時は俺の判断で敗北を認めよう」
レオンハルトが再び剣を構える。
力を引き出そうと意識を向けるが、もうそれだけで、心臓がぎゅっと締め上げられるように苦しくなり、全身が悲鳴を上げる。
「ニーナさん。彼女の意志を尊重すべきです」
「……わかりました」
頭を振ってニーナが顔を上げた、納得した訳ではなさそうだったが、闘いを続行することを無理やり決めた表情だった。
そのニーナの瞳に、赤い輝きが帯びる。
リディアが拳を構え、石火のように飛び出した。
レオンハルトも踏み出し、拳と剣がぶつかり再び火花を散らす。
しかし、レオンハルトの動きは明らかに重い。
出力を上げようとしても、胸が苦しくなるばかりだ。
そして遂に、あるいは唐突に、カトリーナの限界は訪れる。
視界が、まるで横転するように大きく揺らぎ、平衡感覚が崩れてその場へくず折れた。
頭の中がぐるぐる回るような吐き気と共に、咳き込む度に口の中に血の味が込み上げてくる。
やがて間もなく、攻勢の優劣は完全に逆転した。
「うぐ……ッ!?」
衝撃が体を突き抜けた、レオンハルトがリディアの一撃をもらって大きく後退、彼はついに膝をついた。
「ごほっ、ごほっ!……はぁっ、はぁ」
敗北する。
結局自分は、何も示すことができずに終わる。
エレオノーラにも、レオンハルトにも、応えられずに終わる。
「……もう充分だ、カトリーナ」
レオンハルトは、立ち上がってそう言った。
剣を下げ、カトリーナの傍らに片膝をつくと優しくその肩に手を置いた。
「いや……いや、です……っ」
「これ以上は危険だ。命まで賭ける必要はない、あいつもそんなことを望んでは___」
「いやですっ!」
カトリーナを中心に大きな魔導陣が広がり、その瞳が再び光を宿す。
そうだ。
認められない、認めたくない。
このまま敗北を認めてしまうことは、自分が〈エレナント〉としてあまりに不適格だと認めるのと同義だ。
だから闘う。
闘って、エレオノーラとレオンハルトの思いに相応しい〈エレナント〉であることを証明するんだ。
猛烈な感情が胸の中で渦巻き、膨らんでいく。
感じていたはずの息苦しさや痛みは次第に鈍くなって、あらゆる感覚が遠のく中、力の脈打つ鼓動だけが大きくなる。
「なっ!?なんだ、体が___いや、アーマギアが……ッ!」
レオンハルトの声が聞こえた、彼のアーマギアは突然、ぎぢぎちと耳障りな音を響かせながら、その全身を不自然に震わせ始めた。
「……ッ!」
「えっ、な、なにっ!?」
その様子に、驚愕するリディアとニーナ、ただならぬ危険な気配に警戒するふたりの視線の先で、白のアーマギアが突如、変貌する。
レオンハルトの全身を覆う甲冑、その微細な合わせ目に光が走ったかと思うと、甲高い金属音を上げて全身の装甲が開いた。
内部からは魔導エネルギーが噴き出し、薄紅の微粒子が火の粉のように舞い上がる。
その背後で、幽然とカトリーナが立ち上がった。
先程まで息も絶え絶えだったはずの彼女は、表情の抜け落ちた相貌の、その空っぽの瞳に怪しい光だけを揺らし、そしておもむろに、その両手で体の正面に剣を構えるような動作を見せる。
それを模倣するように、彼女の〈ベアラー〉が同じ動きで剣を構えた。
まるで〈エレナント〉に直接操られているかのような、異様な光景だった。
眩い光に包まれる白のアーマギアは、頭上に剣を掲げると、いっそう激しく魔導エネルギーを放出して、襲いかかった。




