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第21話:ロートリンゲンの夜 / Nacht in Lothringen


派閥長戦、その三回目となる闘いの会場へと向かう車内。

エレオノーラは後部座席の隣に座る兄へ尋ねた。


「あの子は様子はどう?」


その問いかけに、レオンハルトは思案するように間を置いてから、答えた。


「良い……とは言えないな。〈エレナント〉としてではなく、カトリーナの体調面で、だ」

「……」


ふたりを乗せた国産ブランドの高級セダンは、リヒターハーフェン外延に伸びる片側三車線のアウトバーンを、郊外へと走行していた。


ビジネスビルやサーバービルで埋め尽くされた首都中心部とは異なり、この辺りは比較的背の低い住宅ビルがほとんどのため、騒音に配慮した道路は掘割の地表より低い位置を走っている、後部座席から見えるのは無味なコンクリートの側壁くらいだ。


真っ黒な空から落ちてくる雨の音が、跳ね返ってくるようなロードノイズと混ざって、車内に反響していた。


「かなり思いつめてる。必死過ぎて、見るのが辛くなるほどにね」

「主治医は、なんと仰ってるのかしら」

「無茶をさせるな、の一点張りさ。難しい話だ、あの子自身が、そうすることでしか自分を認めてやれないんだ」


脚を組んで座るレオンハルトは、白のスーツに合わせた革靴の先端に落としていた視線を上げて、エレオノーラを見やった。


「結果を得るために闘うのは、間違いじゃない。そうあるべきだと、俺も思う。だが、エレオノーラ」


道路に明かりを落とす街灯や行き交う6,000ケルビンのヘッドライトが、灰白色のコンクリート壁に反射して、殊更に冷たい光となって車内へ差し込む。


窓ガラスを伝う雨粒が、彼の青白く照らされた横顔に複雑な影を落としていた。


「望む結果を得られなかった時、それを受け入れられるほど、あの子の心は成長できていない」

「なら、今夜がそれを知る機会よ。カトリーナに背負わせているのは他でもない私、だから一緒に受け止める、姉としてあの子の感じる悔しさを共に背負う。そして___」


エレオノーラはドレスの胸元で外の光を僅かに反射するブローチを握りしめた。


「___私たちの剣が、勝利するのよ」

「カトリーナは俺の〈エレナント〉だ、お前達だけに背負わせはしない」


レオンハルトはそう言って窓の外に目をやった。


道路は次第に地表と同じ高さになり、防音壁の代わりに背の低い木々が並び始めていた。


Rothringenburg 18 km

Ausfahrt 5 →


道路を跨ぐ青い案内標識のその文字が見えたのを合図に、車はウィンカーを点滅させて減速しながら、右へと寄せて行く。


アウトバーンを降りた車は、夜の雨に濡れるロートリンゲン地方の細い道を進んだ。




「お嬢様、ご武運を」

「ありがとうございます、コンラート」


運転席からコンラートが微笑むと、セラフィーナが後部座席のドアを開いて傘を広げた。


ドレスの裾を持ち上げながら車を降りたニーナはその傘に入れてもらって、セラフィーナとロートリンゲン城のロータリーから正面入り口へ急いだ。


「ここが、カトリーナの……」


生まれも育ちもリヒターハーフェンであるニーナにとって、ここロートリンゲンのような、伝統的な街並みをほぼそのまま保存する街の景観は新鮮だった。


濡れた通りの石畳が街に灯る温かな明かりを反射する、カラフルな木組の家々の煙突からは穏やかな生活の営みが立ち昇って、街の明かりに染まる雨の霞が覆う夜空へと溶け込んでいった。


「やはりリヒターハーフェンとは、雰囲気の違う街ですね」


セラフィーナが傘を畳みながら街のほうを眺めて、そう呟いた。


雨なのに人通りはまだ少しあって、傘を差す人や、レインコートを着て自転車で通りを走る人の様子なども目に入る。


「うん。すっごく……かわいい街」

「気に入って頂けて何よりです」


男性の声に振り向くと、そこにはスリーピースのビジネススーツを着た、黒い肌の男性がいた。


首からは、行政従事者の職員証を下げている。


「こんばんは。ニーナ=リリエンタール様とお連れの方ですね。私はマーカス。子爵殿からご案内を仰せつかっております、どうぞこちらへ」


マーカスと名乗った男性は、黒縁の眼鏡の奥でブラウンの瞳を優しく細め、手で入口を示した。

堅苦しいばかりの貴族紳士と比べれば、どこか柔和な印象の男性だ。


傘を預かってくれるとのことで総合受付の職員に渡し、彼の案内に従ってニーナはセラフィーナとロートリンゲン城を歩く。


学院校舎のリーベンシュタイン城を小さくしたような造りだったが、役場として使われているため、受付窓口やオフィスの事務机、案内看板やパンフレットスタンドの並ぶ様子は、やはり学院のそれとは異なる雰囲気があった。


進入を禁止する柵をマーカスが退かして、さらに奥へ。

この辺りは一般には開放されていないのか看板の類はほとんど見られず、職員が迷わないための案内表示が、小さく壁に取り付けられているくらいだ。


「こちらがお控え室です」


そう言ってドアを開いたマーカスに従い、中へ入る。


火の入っていない暖炉に、アンティークなテーブルとソファ、飾り棚に調度品が収められた室内は、およそ応接室と言ったところだろう、壁面は建材の組石が剥き出しで、灯りは小さなオイルランプ。


リヒターハーフェンの社交会(サロン)に使われる絢爛な貴族屋敷を知るニーナだが、いくらか質素に感じられるこうした空間のほうが落ち着く感覚があった。


奥には、壁に飾られた大きな絵画を眺めるリディアがいた。


「お時間になりましたらまたお呼びに参りますので。それまでどうぞ、おくつろぎください」

「わかりました」


一礼を残して、マーカスはドアを閉じて部屋を後にした。


「リディアさん、来てたんですね」

「ええ」


そう返事をして微笑んだリディアは、ソファに腰を下ろしてパンツスーツに包まれた長い脚を組んだ。


彼女に倣ってニーナもその正面に座る、セラフィーナは壁際に控えていたが、リディアが呼びかけてソファを勧めた。


「立っていては疲れるでしょう、セラフィーナさん。おかけになってくださいな」

「ですが___いえ、お心遣いありがとうございます」


セラフィーナがニーナの隣に腰を下ろすのを待って、リディアは再び彼女へ語りかけた。


「その後はいかがですか?」

「とても穏やかです、お嬢様のご成長を見守る日々を、とても嬉しく思います」


そう言って、彼女はニーナのほうを向いて微笑んだ。


「それは良かったですわ」

「はい、リディア様のおかげでございます」

「私はただ、他所の家の執事をぶっ飛ばした……乱暴者です」

「コンラートさんはとても楽しそうに話していました、お若かりしころのヘレーネ様を、見ているようだったと」

「まあ、喜ぶべきかしら?」


冗談めかしてリディアが肩を竦めた。

セラフィーナも、口元に手をやってくすくすと微笑む。


「さて、今夜は今夜で……ひと勝負になりますわよ、ニーナさん」

「……はい」


落ち着いた街の風景によっていくらか和らいでいた緊張が、ニーナの胸にまた込み上げてくる。


親友との一戦。

容易いと感じる対決などなかったが、リディアの言う通り、今夜も自分にとってしんどい勝負に違いはないだろう。


そしてリディアも、振る舞いこそ日頃と変わらないが、いくらか緊張を昂らせているように見える。


「あのレオンハルト様との闘いですもの。私はおばさまに扱かれただけの喧嘩娘ですが、あちらは本物」

「レオンハルト様は確か……ロートリンゲンの警務官になることを目指して、大学へ通われているとお聞きしました」


セラフィーナが言った。

それについてはニーナも聞いたことがある。


「ええ。あの腕っ節を考えれば軍務士官にでもなって頂くほうが良いのでしょうけれど……実際、当初は軍務志望だった記憶があります」

「リディアさん、レオンハルト様のこと直接知っているんですか?」

「私が学院に入学した頃、第四学年にいらっしゃいましたわ。それ以外では社交会(サロン)で何度か。エレオノーラさんが契式を終えられて以降は、彼女がヴェステンラウ家の顔となりましたから、あまりお見かけしなくなりました」

「へぇ」

「〈エレナント〉と〈ベアラー〉は公国には欠くことのできない存在ですが、それを縛るのは伝統やしきたりといったものばかりで、意外にも厳格な取り決めというのはほぼありません。公国憲章に、一文がある程度です」


セラフィーナとの闘いの後、アイゼンベルクの地下でヘレーネと話したことを思い出す。


「要請があれば貴族に従う、というだけで、軍属でもなければかつてのような騎士階級を適用されるわけでもありません。数百年ほど前ならば、貴族は領主としてその土地を守っていましたが、連邦国家として制度と地図が整理されるにつれ、土地の支配者としての力は失いました。一部の比較的狭い地域では、ここロートリンゲンのように貴族が世襲で首長を務めておりますが……」

「じゃあ、レオンハルト様が軍務を目指さなくなったのって……」

「軍人となれば、有事の際には〈エレナント〉も前線に出向かざるを得なくなります。ご自身もこの街の警務官となることで、カトリーナさんを内地の安全圏に置いておく……そのためなのでしょうね」


リディアの話を聞いて、アイゼンベルクで見たあの機械のような異形の存在を思い出す。

背後に本当に帝国がいると言うなら、事態が深刻化すれば今リディアの話したようなことが現実に起こることになるのかもしれない。


そうでなくともあの化け物のような何かがこの公国に現れ、騒ぎを起こしたのは事実なのだ。


ロートリンゲンは穏やかな街だが、その平穏があんなものに脅かされる可能性があると考えると、背筋が寒くなる。


自然と会話に沈黙が訪れたそのタイミングで、ちょうど部屋の扉がノックされた。


「はい」


ニーナが返事をすると、マーカスと名乗った先ほどのビジネススーツの男性が扉を開けた。


「お待たせしました、どうぞこちらへ」


ソファを立って、リディア達と廊下を出る。


軽く頭を振った、色々と考えを巡らせるべきことはあるが、今はただ、これから始まる闘いに集中しよう。


ニーナは胸元のブローチを握りしめて、足を踏み出した___



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