第20話:交差する覚悟 / Das Kreuzen der Entschlossenheit
二戦目を勝ち抜き、ようやく筋肉痛やら体の凝りなどが消えたある日の学院。
制服の下に湿布やらをベタベタと貼ったニーナは、学院の空きコマ、リディアに呼び止められて廊下のベンチに腰掛けていた。
「セラフィーナさんですが、彼女のことについてはあまり表沙汰にならないよう取り計らわれるそうです」
リディアが言った。
ここ数日、ニーナは体を休めるために家にいたが、セラフィーナとコンラートが頻繁に外出する様子を何度か見ていた。
仔細を尋ねることはしなかったが、どうやら今リディアの言ったようなことを話し合うために出かけていたのだろう。
「あくまで、ご本人の意思だそうですわ」
「そう……ですか」
「その気になれば、セラフィーナさんの肉親を探し当て司法局に引きずり出すこともできましたが……その必要はないと」
果たしてその結果が正しかったのかは、ニーナには分からない。
自分の目の前にあるのは、セラフィーナが長年抱き続けていた自身の心のわだかまりと決別したと言うこと。
事実、メイドとして戻ってきた彼女は、以前よりもずっと心が軽そうに見えた。
「ええ。しかしそれはあくまで、ニーナさんとセラフィーナさんとの間でのこと。もちろん、些事だなんて言うつもりはありませんが、〈エレナント〉は、公国の秩序を維持する大きな歯車のひとつです、どういった事情があったにせよ、法規に則って裁かれるべき方がいらっしゃるのは、間違いありませんわ」
「……」
「この決断には司法局のボスも立ち会ったそうです、連邦最高法規長は、ニーナさんもご存知でしょう?」
「はい、エレオノーラさんのお爺さまです」
であるなら、この決断が覆ることはないだろう。
対戦カードを見た派閥の貴族達は、セラフィーナを不審に思ったのだろうが、他所の家柄に仕える使用人の名前などを覚えることは稀だ、ましてそれが新興貴族のメイドなら尚更。
派閥内は少し騒ついたのかもしれないが、それでセラフィーナが何かの矢面に立つことはない。
結果として、派閥の中でさざ波が少し立った程度で、おそらくすぐに忘れられていくことだろう。
「今後、〈エレナント〉の力を使わないことが条件だそうです、ブローチも返納されたと聞きましたわ。セラフィーナさんの件に関しては、これで本当に決着といったところでしょう」
「……わかりました」
「さて、次の対戦カードですが____」
「カトリーナ……ですよね」
「あら、ご存知でしたか?」
「いいえ、なんとなくです」
ニーナはそう言って、友人の顔を思い浮かべた。
ここしばらく顔も見ていないカトリーナだが、その訳にニーナだってもう、勘付いていた。
カトリーナはエレオノーラを姉と慕っている、その関係はニーナとセラフィーナのような間柄とも当然違っていて、懇意にありながらも存在する明確な貴族の上下関係から生まれたものだ。
エレオノーラはこの闘いの頂点、つまりは派閥長を決する最後の舞台で自分を待っている、だがエレオノーラに勝利をもたらしたいカトリーナは、必ず自分達の前に立ちはだかるはずだった。
派閥長戦は決勝を含めて後二戦、もし彼女とまみえるなら、このタイミングしかなかった。
「闘いたくありませんか?」
「……はい。でも、こうなるって……わかっていたはずですから」
「そうですわね」
リディアは制服のロングスカートの下で脚を組んで、列柱の支えるアーチの向こうに広がる中庭を眺めた。
まばらな生徒が行き交い、談笑の話し声が遠く聞こえる。
「カトリーナさんは、あまりお体が強くないそうですわね」
「そう……みたいです」
「レオンハルト様との契約は早くから決まっていらしたものですから、病弱な彼女にはもったいないなどという声を、社交会ではよく耳にしたものです」
ご本人の耳に入っていたかはわかりませんけれど、とリディアは続けた。
ヴェステンラウ侯爵家は、公国においてまさに名門だ。
ニーナ自身はあまり接点を持たないが、その長男であるレオンハルトは若くして頭角を現す青年、エレオノーラ同様の秀才であり、また、武に長けている。
派閥内外からの期待を一身に浴びるレオンハルトだが、そのような彼を〈ベアラー〉として従えるカトリーナの重圧は、ニーナには計り知れない。
「カトリーナが言ってたんです。レオンハルト様を支えて、エレオノーラさんを守ることが自分の使命だって……」
過負荷が原因で出力にキャップをすることになったニーナだが、カトリーナはカトリーナで、無茶をしづらい体質が故のハンデを負っていることだろう。
彼女がここしばらく学院に登校した気配すらないのは、きっと、彼女が慕う者のために最善を尽くしているからだ。
「エレオノーラさんには個人的に思うところがないわけではありませんけれど、彼女を慕うカトリーナさんの気持ちを否定するつもりはありませんわ。ニーナさんもそうでしょう?」
「はい……」
リディアの言う通りだ、エレオノーラとの間にある確執は心のしこりに違いないが、だからと言って、カトリーナがエレオノーラを姉と親しむことに口を挟むつもりはない。
だが今、自分たちは派閥長を決めるというこの闘いにおいて敵対する立場にいる、顔を合わせづらいというのもあるが、それはつまり、カトリーナはヴェステンラウ家を支持するロートリンゲン子爵家息女という立場を選んだということだ。
理由もなく敗北するつもりは、もうない。
貴族の名を背負って闘うカトリーナに負けてしまったら、結局、全てが無駄になってしまうからだ。
当たり前のように自分へ向けられる冷笑や蔑み、あるいは嫌悪、しかし受け入れ難かったその現実を本気で変えるためには、やはりここで退くことはできない。
闘う以上は勝利を求めろと言い放ったのはエレオノーラだが、闘いを通して、ニーナはそれを今自分の言葉にしつつあった。
「でも、私が勝たないといけないのは、ただのわがままです……」
沈むような声でそう言った。
「仰りたいことはよくわかりますわ、ニーナさん」
立ち上がって、リディアは数歩だけ前に歩いた。
黒のサテンに覆われた手のひらで拳を握ると、彼女はそれに視線を落とした。
「確かにその通りですわ、そしてそれは、私にも当てはまることです。おばさまにも言われましたわね、公国を背負うことが果たしてできるのかと」
エレオノーラ達が派閥長の立場に固執するのは、大公戦へ向けた布石であり、引いては公国の行く末に対して信念を示すため。
しかし一方で、ニーナとリディアにある動機はひどく個人的なものでしかない。
勝って、勝ち抜いて、その後は___?
自分たちの掲げる拳に、大義を背負う者達を打倒してまで成さねばならない正義が、果たしてあるのだろうか。
それを考えてしますが、しかし、リディアは笑い飛ばすような声でこう言い放った。
「そんなもの、後で考えればいいのです」
顔を上げ、ニーナはリディアの背中を見上げた。
「……後で?」
「どれほど崇高な信念や立派なマニフェストを掲げたところで、公国のシステムでは結局、殴り合って勝った方が上に立つのです」
彼女は長い黒髪を揺らして振り返り、続けた。
「ですが、勝者は勝者の責任を果たす必要があります。そして、それこそが公国の秩序。それを胸に刻んでさえいれば、あとのことは勝ってから考えても、決して遅くはありませんわ」
そう言って、リディアが拳を突き出す。
「ニーナさんがいま思い悩むのは、勝利を譲るつもりがないからでしょう?その葛藤も、つらい気持ちも、すべてこの拳に預けてください。私が、まとめて打ち砕いて見せますわ」
「リディアさん……」
リディアの拳へ、自分の拳をそっと押し当てるニーナ。
不思議とそれだけで、いくらか前に進めそうな気持ちが湧き上がってくる。
握った拳に無意識に力を込めようとして、前腕が悲鳴を上げた。
「いたた……っ」
「ふふ、まずは疲労をしっかりと癒すところからですわね」
リディアは柔らかな笑みを浮かべながら拳を解くと、その手でニーナの腕を取って優しく膝の上に戻した。
「頭を疲れさせたままでは、何かと悲観的になりがちなものです、ゆっくりと体を解せば、心もいくらか軽くなりますわ」
そう言って、リディアはニーナの頬にかかった前髪を指先でそっと払う。
ふたりはもうしばらく時間を共にした。
「ここまでにしよう、カトリーナ」
リヒターハーフェンにあるヴェステンラウ家所有のビル、その稽古場で、カトリーナはアーマギアに身を包むレオンハルトにそう言われた。
白を基調に、いくつかの箇所にピンクのアクセントカラーを持つ甲冑が、カトリーナの〈エレナント〉の力を具現化した姿だった。
「もう……少しだけ……、続けたいです」
肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返すカトリーナは、そう言って咳き込んだ。
その様子を見て、レオンハルトはフルフェイス・シールドに覆われた頭を左右に振った。
「駄目だ、認められない。このままだと闘いの前に君が倒れてしまう」
「……」
「カトリーナ」
諭すような声でレオンハルトが言う。
カトリーナは逆らうことはせず、結局アーマギアを解除した。
「ごめんなさい……レオンハルト様」
「何を謝るんだい?」
平服の胸元を開けて汗を拭うレオンハルト、乱れたプラチナブロンドの髪を軽くかき上げて、カトリーナに向き直った。
「わたしは、ご期待に添えないかもしれません」
休憩用の椅子に腰掛けて、肩を落とす。
漏らしてしまった声は、自分で聞いても惨めに思えるほど情けなく、弱々しいものだった。
「勘違いをしているよ、カトリーナ」
レオンハルトはカトリーナの前で片膝をついて屈むと、膝の上でかたく結んだカトリーナの小さな手に、手のひらを添えた。
「君の使命感は素晴らしいことだ、あいつの兄として、俺は嬉しい。だがそれを果たせなかったからと言って、俺も、エレオノーラも、失望なんてしない」
「レオンハルト様……」
ニーナに敗北すること、それ自体をカトリーナは悔しいとは思わない。
彼女が〈エレナント〉として芽を吹かせるのは確かに遅かったかもしれない、しかし結果的には、〈鉄拳令嬢〉を従え、叙任式でもその後の派閥長戦でも結果を残しているし、わざわざ下に見る必要はない。
ただ、だからこそ正面から闘うことが苦しかった、ニーナは自分にとって、たったひとりの純粋な友達。
それでも、その友達と闘うことになると承知でカトリーナが派閥長戦への参加を決断したのは、エレオノーラとレオンハルトの思いに応えたいと思ったからだ。
実力主義のエレオノーラだが、彼女はカトリーナを見放すことは決してしなかった。
非情な言動に徹することが多くとも、それだけがエレオノーラの本質ではない、ひ弱で、非力な自分を妹だと言ってくれる。
そして、レオンハルトも、そんな自分の〈ベアラー〉となることを認めてくれた。
「難しく考え過ぎだ、カトリーナ」
カトリーナは、ミルクベージュの髪を揺らして首を振った。
「わたしが、わたしに……失望するんです……」
「カトリーナ……」
派閥長戦は勝ち抜きのトーナメント形式だ、一戦目、二戦目と勝ち上がることができたのは、ひとえにレオンハルトのポテンシャルによるもの。
だが次はニーナとリディアのペアと当たることになる、他の〈ベアラー〉のように〈鉄拳令嬢〉を打倒できるなどと思えるほど、カトリーナは楽天的な性格ではない。
彼の力に頼るだけの闘いでは、おそらく勝つことはできないだろう。
言い換えれば、それは〈エレナント〉としての自分の力不足が敗因となるということ。
公国を守る猛者として期待されるレオンハルトをして、〈ベアラー〉としての真価を発揮させられずに敗北となれば、カトリーナの自分自身に対する評価は、失望なんて言葉でも足りないだろう。
「……分かった、ならもう少しだけ続けよう」
見かねたように、レオンハルトは立ち上がってカトリーナへ手を差し出した。
「だがあと1時間だ、それ以上は本当に君の体に障りがある。休息を得ることも立派な鍛錬のひとつだと、忘れてはいけないよ」
「はい、レオンハルト様……!」
彼の手を取って立ち上がった。
その拍子に、貧血のような軽い眩暈が襲って足がもつれたが、レオンハルトに抱き寄せられた。
「……っと、ほら見ろ」
「だ、だいじょうぶ……です」
そう言ってまた咳き込むカトリーナ、レオンハルトがますます心配そうに顔を覗き込むが、もう一度、大丈夫だと答えて体を離す。
口の中に感じる僅かな金属の味を無理やり意識から切り離して、カトリーナは背筋を伸ばす。
再び稽古場に立った彼女は、レオンハルトと約束した時間まで鍛練を続けた。




