表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/48

第2話:深紅の令嬢 / Die karmesinrote Dame


「招待状に、ドレスコードの記載はございませんでしたわ」


夜を閉じ込めたような艶やかな黒髪をかき上げるリディア=フォン=ヴァルクライネは、そう言って、深紅のパンツスーツについた水滴を黒のサテンに覆われた手のひらで、軽く払った。


「あなた……よくもそんな口をッ!」


エレオノーラは激情を隠そうともせず、一歩、リディアへ詰め寄った。


彼女の憤りはもっともだ、ドレスコードについて明記されておらずとも、女性はイブニングドレスを、男性はホワイトタイを着用するのがソワレの常識だ。


それを知っていて無視するのは、主催の家柄に対し、無礼を働く明らかな意図を持っていると判断されかねない。


「没落貴族の分際で……っ!軍務長官であるあなたの父君の立場に免じて招待を差し上げたことを、お分かりでないのかしら!?」

「その父上が公務により来られないため、代わりに私が出席することになったのです」

「あなたのところもなの!?」


エレオノーラのその言葉に、リディアは顔を上げた。


「あなたのところも……?」


いつの間にかふたりを取り囲むように集まっていた貴族達をぐるりと眺め、リディアはニーナを見つけて視線をとめた。


親や後見人の同伴であるべきところを、付き添っているのはメイドひとりのみ。

エレオノーラがニーナのことを言ったのだと、彼女はすぐに理解した。


「……ヴェステンラウ嬢もご存知の通り、父上は国防に係る仕事に就いておりますわ。大公戦が公示され、国内の情勢が不安定になるこの局面で、如何なる脅威が公国に迫るか分かりません、警務局と密に連携し、監視や防衛の強化について熟慮を重ねているさなかですの」


リディアはそこまで一息に喋ると、一度言葉を区切り、また続けた。


「今夜のソワレにはリリエンタール男爵様もご欠席のようですが、見たところ、お顔の拝見できない警務局や軍務局ご関係者様もいらっしゃるよう。招待を辞したご無礼は何卒ご容赦願いますわ」


そう言って、胸に手を当てて頭を下げるリディア。


「私はあなたのそのふざけた格好のことを___!」

「エレオノーラ」


さらに一歩詰め寄ろうとしたエレオノーラの前に、静観していたジークフリートが歩み出て静止した。


「既に定刻を過ぎている、皆がお集まりだ。あまり時間を無駄にして待たせるな」

「……分かったわ」


苛立ちの混じる溜め息をついて、エレオノーラはリディアに背を向けた。


「今夜は、派閥長を決める戦いについて告示を出すわ。……あなたには、無関係でしょうけれど。()()()ヴァルクライネ」


そう吐き捨て、彼女はプラチナブロンドの髪を揺らしジークフリートを連れてその場を後にした。


一触即発の事態に静まり返っていた大広間だが、やがてまた貴族たちの歓談で騒がしくなる。


「あのお方が、かの有名なヴァルクライネ家の〈鉄拳令嬢〉……初めてお顔を拝見しました」


人の少ない隅の方へ戻って、セラフィーナがそう言った。


「うん。学院の四年生」

「噂に聞くよりも……その、理知的な印象をお受け致しました」

「鉄拳、なんてあだ名だと……そうだよね。私も怖いひとだと思ってたから」


入学当初、学院で聞いたリディアの噂は数知れず。

その中でも、剣技実習で莫迦にしてきた男子生徒を、剣を捨てて拳で捩じ伏せたという話は特に衝撃的だった。


彼女は武器を持つより殴ったほうが強い。

そうした逸話の数々から、リディアはいつしか〈鉄拳令嬢〉などと呼ばれるようになったそうだ。


「……驚きました」


渾名の由来についてニーナがそう説明すると、セラフィーナは目を丸くした、無理もない反応だ。


「失礼、トラウベンモストはあるかしら」


リディアの声が聞こえてきたので、目で探してみる。


今夜の衣装を含めて目立つ彼女は、すぐに見つかった。

飲み物を配る執事のひとりに声をかけているところだった。


「はい、すぐにお持ち致します」

「お願いしますわ」


ハイテーブルに片肘を乗せてよりかかり、誰と話すでもなくひとり優雅に寛いで佇むその姿に、ニーナはしばし目を奪われた。


ここに集まる男性と同じか少し高いほどの背丈と、長くしなやかな手足。

彼女の体格に完璧にフィットする深紅のスーツは、リディアのためにあつらえられたテイラーメイドであると一目で分かった。


貴族社会の堅苦しい常識に囚われることなく、自分らしい装いと振る舞いを選ぶ孤高なリディアは、自分とは対照的な存在だと、ニーナには感じられた。


社交会(サロン)の場で、娘があのような格好など……」


一方で、そうしたリディアを貴族の伝統を軽んじる身勝手な娘であると非難する声も、無論絶えない。


「〈鉄拳令嬢〉だなんて……伯爵家の娘が、聞いて呆れますわ」

「所詮、ヘレーネ様の真似事に過ぎんさ」

「そうよ。偉大な武人である大叔母に憧れただけの、子どもなのよ」

「おい、あまり大きな声で話すな。彼女の耳に入れば鉄拳が飛んでくるという噂だ……」


口々に陰口を囃し立て、またそれぞれの話題に戻る大人たち。

ひどく野蛮で穿った印象を持ってリディアを見ているようだが、ただ、ニーナの知るリディアは違った。


「!」


少しまじまじと見つめ過ぎたのか、ニーナの視線にリディアが気づいた。

一瞬目が合ったが、そこへ、プレートに飲み物を乗せた執事が戻って来て、彼女の前に差し出す。


「お待たせ致しました、トラウベンモストでございます」


リディアはこちらから視線を切って、それを受け取った。


「あら、ありがとう。……この香り、コルト地方のぶどうかしら」

「左様でございます。よくお分かりで」

「酸味に特徴のある香りですもの。とても好みなの」


リディアはワイングラスを一口煽ると、ハイテーブルを離れてニーナへ近づいた。


「こんばんは、ニーナさん」

「こ、こんばんは。リディアさん」

「そちらは、お付きのメイドさんかしら」

「はい。父が来られないので、付き添いを……代わりに」

「そうなの。初めまして、リディアと言いますわ」


貴族であるリディアが、使用人の身分である自分に挨拶をしたことが意外だったのか、セラフィーナは驚いて硬直した。


社交会(サロン)においての主役は言うまでもなく貴族、セラフィーナのように事情があって付き添いとして出席することになったとしても、使用人や執事は主人の影のように控え、気配を消すことを是とされる。


他の貴族からすればいないものも同然であり、そうであることが通例。

エレオノーラがそうであったように、わざわざ話題にする場合は、大抵嫌味が多いものだ。


それはセラフィーナもよくわかっているが、だからこそ、純粋に挨拶と自己紹介まで述べるリディアは、変わった人物として映ったことだろう。


「……失礼しました、セラフィーナと申します」


黙礼する姿勢からさらに頭を下げて、セラフィーナは挨拶を返す。


「使用人にお声をかけて頂けるなんて……」

「あら、見えているひとに挨拶をするのは当然ではないかしら」


正直、リディアがセラフィーナに声をかけたことについては、ニーナも少し驚いていた。

何かと型破りで物騒なエピソードを耳にする彼女だが、ただただ力を振りかざすだけの女性ではない。


それが、ニーナの知る〈鉄拳令嬢〉の姿だ。


「父君も、お忙しくされているのではなくて?」


トラウベンモストの注がれたワイングラスに唇をつけるリディア、グラスを傾けるその何気ない仕草ですら洗練され、気品を感じさせる。


「はい、そうみたいです……父はお会いしても、お仕事の話は私にはしてくれないので……詳しくは、知らないのですが……」

「家族として、大切にされている証ですわ」


ニーナは父の事を思い浮かべた。

警務局副総監とのことだが、実の父がそうした国家機関のナンバーツーとして重責を負う立場にあるという実感は、ニーナにはなかった。


両親はどちらも、かつてはニーナと同じようにグラウエン貴族学院に通う生徒だったそうだ。

ふたりはそこで出会い、〈エレナント〉と〈ベアラー〉としての契約を交わした。


授かった力で公国を守るべく、卒業後は警務局の仕事に就いたそうだ。


隣国は情勢が不安定で、流入してくるギャングや難民、密輸密売組織は後を絶たず。

それらを厳しく取り締まり、着実な成果をもって評価を得てきたそうだが、ニーナはそうした父の仕事についてほとんど何も知らない。


コンラートから教えてもらって、なんとなく把握しているだけ。

〈エレナント〉や〈ベアラー〉、そして、公国の実情についても、何も聞かされずに育ったのだ。


両親の真意はわからない、リディアの言うことも一理あるのかも知れないが、なんであれ、今ここにいるニーナは決して貴族達から評判のいい娘ではなかった。


「お集まりの皆様」


広間の中央からエレオノーラの声が聞こえた。

話を止め、皆が次第に静かになり、注目が彼女に集まる。


「今宵はソワレにご出席頂きありがとうございます、ヴェステンラウ家を代表し、感謝申し上げます」


彼女もまた、リディアとは違った意味で自分とは対照的な女性としてニーナには映っていた。

今夜に限らず、会えば鋭い言葉ばかりを突き付けてくるエレオノーラだが、その言動の端々には、貴族としての、そして〈エレメント〉としての誇りや矜持が垣間見える。


とは言え、ニーナがそう感じるのは単に、不愉快な相手に正面からぶつかることができるほどの気概を持たないから、というのが理由だった。


相手の立場の正当性を理解しようとするほうが、立ち向かうよりもずっと、楽なものだ。


「ご存知の通り、先日、元老院より次期大公位を決める大公戦が公示されました。帝国との軋轢が高まる中、公国を正しく導く新たな〈エレナント〉と〈ベアラー〉の存在が、必要とされているのです」


凛と背筋を伸ばし、名だたる貴族達を前に滔々(とうとう)と言葉を紡ぐ彼女は、まさに理想の貴族の娘そのもの。


「ねえ、セラフィーナ。大公戦って……」


少し気になって、エレオノーラの邪魔にならないよう、ニーナは極力声をひそめ、すぐ後ろで控えるセラフィーナへ尋ねた。


「はい。大公様が在位の間における大公戦は原則、元老院の全議席から三分の二を満たす賛成を得ることで、初めて公示されます」

「それって、つまり……」


すぐ隣にいるリディアが身を屈めるようにニーナへ顔を近づける、セラフィーナとのやり取りが聞こえていたのか、彼女の続きを付け加えてくれた。


「目下、お隣にある帝国への対応が肝要の中、よほど公爵様の采配に憤懣(ふんまん)が集まった、ということですわね」


公国の最高統治機関である元老院は、貴族が議席を有する上院と、一部の企業責任者や市民代表からなる下院で構成されている。


総議席数は元老院全体で相当な数だ、大公戦にあたってその規定数を満たしたと言うのは確かに、リディアの言う通り大公への不満が支配者層レベルですら高まっているという証左なのだろう。


そう言った話も、無論ニーナの耳には入ってこない。


ニーナはまた、エレオノーラの声に注意を向けた。


「大公戦への参加資格を持つのは、貴族派閥それぞれの長にあたる家柄のみ……。しかし、誠に遺憾ながら現在、我らの派閥には、派閥長が不在の状態です」


そう言ったエレオノーラの視線が、人混みをかき分けるようにして一瞬、リディアへ向けられた気がした。


彼女はまた視線を戻し、続ける。


「かつて派閥を導いた高名なヴァルクライネ家から〈エレナント〉の輩出が途絶え久しく、その間、我らヴェステンラウ家がその座を補って参りました。……大公戦へ参戦すべく、ここに、筆頭貴族として派閥長戦の開催を宣言致します」


派閥長戦の開催、その言葉に、それまで静聴していた貴族たちの間に波紋が広がる。


「派閥長戦など……せずともヴェステンラウ侯爵家がこのまま派閥長の座に就くというので構わんのではないか?」

「うむ、我々も異存ないが……」

「いやしかし、伝統を無視する訳にも……」

「だが、リリエンタール家の娘がまだ〈ベアラー〉を決めておらんだろう?」


そう言った声が一気に広がり、二階のギャラリーまで含めて大広間が騒がしくなる。


聞こえてくる声はやがて、ニーナをどうするかという話題になっていた。


「新興貴族の世間知らずな娘など、放っておけばよい」

「だが今のリリエンタールの当主やその先代も、強力な〈エレナント〉と〈ベアラー〉には違いないだろう。あるいは彼女も……」

「あの娘にどう選ばせるというのかしら。わたくしの息子だって断られましたのよ?」

「構わず開催するべきではないか?あるいはやはり、ヴェステンラウ家がこのまま派閥長の座に着くというのも……」

「とは言え、しきたりに従わなければ他の派閥から何を言われるか……それに、男爵殿の立場を考えればリリエンタール家も無視できぬ存在だ」


ニーナをどうするのか、伝統やしきたり、家柄がどうだのと、そこにニーナ自身の意思は関係ない。


渦中に自分がいることに、ニーナはまた胸が苦しくなるのを感じてブローチを握り締めた。


「……っ」


その肩に、リディアの手がそっと触れる。

彼女を見上げると、優しい瞳を静かにこちらへ向けて、安心させるような柔らかな微笑みをくれた。


ずっと大きく感じるリディアの手のひらから伝わる温もりに、少し、緊張が和らいだ気がした。


「さまざまなご意見があるのは承知の上ですが、しきたり通り、派閥長戦は適齢期を迎えたすべての〈エレナント〉の契約を待つこととします」


そう彼女が言うと、また貴族達が騒ついたが、すぐに収まって、皆の注目が再びエレオノーラへ集まる。


「そしてこの場にて、私エレオノーラ=フォン=ヴェステンラウとジークフリート=グラウエンは、派閥長戦への参加を表明致します」


彼女の後ろで控えていたジークフリートが、エレオノーラの隣へと歩み出る。


「まずは派閥長を決する場で、我々ヴェステンラウ家こそがその座に相応しいことを証明してみせましょう」


高らかにそう宣言するエレオノーラ、その視線が、今度は明らかにニーナへと向けられる。

その鋭い光を宿す瞳の奥で、彼女が何を計画していたのか、ニーナはまだ何も分かっていなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ