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第1話:憂鬱な夜会 / Melancholische Soirée

大陸歴1358年___グラウエン公国。

首都、リヒターハーフェン。


ニーナ=リリエンタールは、革張りの後部座席から雨粒の伝い落ちる窓ガラスの向こうへ視線を投げ、ぼんやりと、夜の雨に濡れる街を眺めていた。


「ご気分が優れませんか。ニーナお嬢様」


打ち付ける雨音と、フロントガラスを擦るワイパーの音だけが静かに響く車内。

運転席からそう尋ねたのは、執事のコンラート=グリースだ。


痩せた長身の男性で、元々色素の薄いアッシュグレーの髪色は、近頃白髪が混じり始めていた。

ルームミラーに見切れるその顔は、ニーナの幼少の記憶と比べればいくらか皺が増えたように思う。


仕立ての良いテールコートを気品よく着こなすその姿は、穏やかな壮年の紳士そのもの。

かつては軍役だったそうだが、今の穏やかな彼とは到底結び付かない過去だ。


「いいえ、コンラート。ただ……今夜のソワレが、憂鬱で……」


ニーナはコンラートの言葉に首を振った。

揺れた栗色のショートヘアが、シートに触れてぱさぱさと音を立てた。


宵闇を衝くガラス張りの高層ビルが群立する中に、ライトアップされた荘厳なファサードを持つ伝統建築が入り混じる、公国の首都。

ビルは多国籍企業の看板や巨大なビジョン、ネオンサインで覆い尽くされ、街の至る所を都市照明が彩り、ホログラムが揺れる。

立ち込める靄や降り注ぐ雨粒、濡れたガラスの壁面、湿ったアスファルトに反射する光が、まるで洪水のようにあちこちから押し寄せてくるようだった。


そしてそれは、今向かっているソワレの開かれる屋敷でも同じだ。


絢爛な建物に、上等な振る舞い、貴族たちの美辞麗句。

息苦しさを感じるのは、身に着けるコルセットのせいだけではない。


一つ、小さなため息が漏れる。

コンラートは、それを聞き逃さなかった。


「お察し致します」


彼はそう言うと、間を置いて話し始めた。


「先日、学院へご入学された我々の派閥のご息女の中で、〈エレナント〉としての力が認められていらっしゃるのは、ニーナお嬢様と、ロートリンゲン子爵様のご息女であるカトリーナお嬢様のみとお聞きしております」

「はい。でも……カトリーナはすでに相手を決めているから……」

「名門ヴェステンラウ侯爵家のご長男、レオンハルト様ですね。妹君でいらっしゃるエレオノーラお嬢様も、早くから〈ベアラー〉を選ばれた大変有望な〈エレナント〉と聞き及んでおります」

「……そう、ですね」


ニーナはオートクチュールのドレスの胸元にあるブローチを握り締めた。


〈エレナント〉として生まれた女性は、適齢期になればデビュタントとして貴族派閥の社交会(サロン)にてお披露目され、〈ベアラー〉を選び契約を結ばなければならない。


それが、公国の歴史と共にあり続ける〈エレナント〉に定められた運命であり使命だ。


「魔導科学がこれほど発展したのに、まだ……〈エレナント〉や〈ベアラー〉が必要なんでしょうか……」


河川沿いの道路へ出た車内からは、雨のカーテンを挟んだ向こうの対岸に工業地帯が見えた。


工場の照明が、張り巡らされたパイプや複雑な構造物の姿を夜の闇に浮かび上がらせる。

立ち込める蒸気や靄の中で、赤いアンチコリジョンライトを鈍く明滅させるフレアスタックが、その先頭部から緑色の光を時折、噴出していた。


車や鉄道、船、生活インフラに至るあらゆるものが魔導科学に依存するグラウエン公国において、魔導エネルギーを精製し、供給するあのコンビナートは、言うなればこの国の心臓部。


隣国からもたらされた魔導科学が独自に発展し、街の至る所でその産物を目にするようになっても、〈エレナント〉は未だ何よりも特別な存在だった。


「もちろんです、お嬢様。お嬢様の御父上も〈エレナント〉である奥様に見初められ〈ベアラー〉として覚醒し、その力を遺憾なく発揮されたことで現在の警務局副総監の地位を賜ったのです」

「……」

「契約は生涯におけるパートナーとしての契り。お嬢様がお相手を簡単には選びかねるのも、旦那様も、そして奥様も、ご理解なさっておられます」

「はい……」


車は川沿いの丁字路を曲がって、道幅の広い通りに出る。

通りを跨いで幾重にも重なる連絡通路や高架道路、空中鉄道(モノレール)の軌道桁の下を走行して、間も無く、聳え立つような白い石造りの建築物が、高層ビルの間に見えてきた。


時代に取り残された伝統の遺物のようでありながら、都市の光によって、その深く抉り込んだ建物の凹凸が劇的なコントラストを描く。

その威圧的な存在感が、ニーナの胸の()()()をさらに重たくした。


コンラートが車を寄せると、ひとりでに門が開きそのまま敷地内のロータリーへ。

正面入り口のある迫り出したペディメントの下には黒塗りの高級車がいくつか並んでいて、順に、タキシードの紳士やイブニングドレスを着た淑女たちを降ろしていた。


「ありがとうございます、コンラート」

「お時間になりましたら、お迎えに上がります。良い夜を、お嬢様」


後部座席のドアを開けたコンラートが、慇懃に一礼して運転席に戻る。

ロータリーを出た車が門の外へ見えなくなるのを見送って、ニーナは重たく感じるドレスの裾を引きずるように、大理石の階段を登った。


「お嬢様、こちらです」


使用人や貴族でごった返すエントランス、声をかけて来たのはリリエンタール家のメイドであるセラフィーナ。

少しくすんだ色のブロンドヘアを後ろで緩くまとめた、二十代半ばの女性だ。


物腰柔らかく、メイドとしての仕事や振る舞いも申し分ないセラフィーナを母も気に入っているそうで、ニーナの幼い頃から屋敷に仕えている彼女は、歳の離れた姉のような存在でもあった。

実際、使用人の数も決して多くはないリリエンタール家では、傅役としてずいぶんと気にかけてくれた。


「旦那様と奥様はお仕事の都合により来られないそうで……。付き添いは、代わりにわたくしが」

「うん、聞いてる。ありがとう、セラフィーナ」

「いえ。参りましょう」


セラフィーナが大広間を手で示し、彼女を伴って中へ向かう。


吹き抜けのフロアでは、すでに多くの貴族たちが飲み物を片手に談笑していて、真っ白なテーブルクロスの上にずらりと並んだ料理を、使用人たちがひっきりなしに追加しては皿やグラスを入れ替えていた。


広間を見下ろす2階のギャラリーも含め、壁や天井には淡いパステルカラーが多用されており、その随所を彩る繊細な金の曲線的装飾が、豪奢な三つのシャンデリアの光を反射して煌めき、空間全体に優雅な雰囲気を感じさせた。


「……はぁ」


また、ため息が漏れる。

無論、格調高雅な屋敷の内装に心を奪われている訳ではない。


セラフィーナを連れ、比較的人の少ないホールの隅を目指して歩いていると、案の定、何人かの男子から声をかけられた。


「こんばんは、ニーナ嬢。素敵なドレスだ」

「あ、あの……ありがとうございます」

「やあ、ニーナさん。父君は?お一人でおいでかな」

「はい、父は仕事だそうで……」

「それは残念だ、ぜひご挨拶をしたかったのに」

「あはは……そ、それでは……ごきげんよう」


ニーナのような、相手のまだ決まっていない〈エレナント〉は、野心を抱く貴族にとってまさに狙い目だった。

親を含め後見人どうしの意向で契約相手を決められる場合も少なくないが、ニーナの場合においてはそうではなく、決まった相手がいない。


とは言え、言い寄られたところで応えられる自信はニーナにはなかった。


恋愛に対し高い理想を持つ訳でも、パートナーに多くを求めている訳でもない。


ただ、なんとなく決められないだけ。


しかし、そうして次から次へと名のある貴族からの誘いを断っていると、どうしても誤解を生むことを避けられなかった。


「彼女かね。リリエンタールの娘というのは……」

「新興貴族が……〈エレナント〉を輩出したからってお高くとまっていらっしゃるのかしら」

「……適齢期とは言え、まだ子供だろうさ」


やり取りを見ていた貴族たちから、そうした声が聞こえてくる。


「教育に問題がおありなのよ、貴族の娘として……しかも〈エレナント〉であるならその素養を育てていただかないと」

「国を守る副総監の娘があれとは……」

「〈エレナント〉は国家にとって重要な資産だ、優柔不断も大概にして頂かなくては。持ち腐らせるようでは困りものだな」


社交会(サロン)に出向けば、最近は必ずと言っていいほどこうなる。


周りから見れば、自分は分不相応に力を持ってしまった、ただの娘。

特に、リリエンタール家は祖父母の代で貴族となった家柄だ、下民上りが末席と言え、元老院の上院議席に名を置くなど、歴史を持つ名家旧家ほどそうした新興貴族を毛嫌いし敵視する傾向は強い。


それが、ニーナのように引く手あまたの誘いの声を断り続けているようであれば、なおさら鼻につくのだろう。

貴族社会のパワーゲームになど興味はないというのに、リリエンタール家を気に入らない連中に対して攻撃材料を自らばら撒いているようなものだった。


(望んで貴族の家に生まれたわけでも、望んで〈エレナント〉になんてなったわけでも……ないのに)


スカートの裾を握り締める、視界が滲みそうになるのを堪えるのにどれほど苦労したか、この場にいるほとんどは理解しようともしないだろう。


「お嬢様……」


見かねたセラフィーナが声をかけようとしたところで、俯くニーナの背後から、聞き覚えのある声が彼女を呼んだ。


「ごきげんよう、ニーナさん」


反射的に、背筋に緊張が走った。


そこにいたのは、一際豪華なイブニングドレスを纏った女の子、エレオノーラ=フォン=ヴェステンラウ。


道中、コンラートが話題にしたヴェステンラウ家の長女であり、ニーナの通うグラウエン王立高等貴族学院の第三学年に通う先輩でもある。


プラチナブロンドの髪をハーフツインにまとめた姿は年相応の可愛らしさをかもしつつも、宝石のちりばめられた髪飾りやドレスは、侯爵家という高貴な家柄の長女としての気品を漂わせている。


ただ、その視線や先ほどの挨拶からは、ニーナに対する露骨な棘を感じさせた。


「ご……ごきげんよう、エレオノーラさん」


まごつく声で挨拶を返す、入学式の夜に開かれた学院コティヨンで初めて会ったときから、ニーナはエレオノーラが苦手だった。


「ごきげんよう、リリエンタール嬢」


エレオノーラのそばに控えていた精悍な顔つきの青年、ジークフリート=グラウエンが続いて挨拶をくれた。

年齢はエレオノーラと同じ、学院の第三学年に通う生徒であり、彼女の選んだ〈ベアラー〉だ。


金色の頭髪を短く刈り込み、引き締まった体格を背筋を伸ばして佇む彼のその姿は、学生でありながらも既に武人然とした風格がある。


「グラウエン家ご子息様……っ!ご、ごきげんよう……」


慌ててお辞儀をする。

大公家は公国の歴史の中で何度も入れ替わってきたが、彼の名前が示す通りその家柄は、グラウエン公国を築いた最初の大公家だ、緊張せずにはいられない。


ただ、ジークフリートはニーナのその態度に顔をしかめた。


「よしてくれ。同門の縁なんだ、そこまでかしこまる必要はない。ジークフリートで充分だ」

「わ……わかりました、ジークフリート様……」

「あら、そちらの方は?使用人かしら」


そばで黙礼した姿勢のまま控えていたセラフィーナに、エレオノーラが視線を向ける。


「両親は……その、仕事で都合が合わないとのことで……」

「ふん。公国を守る立場としての責務に邁進していらっしゃるのは、ご立派なことね」


言葉とは裏腹に、エレオノーラの言動は不服そうだった。


当然だろう、この屋敷はヴェステンラウ侯爵家が保有する指定文化財であり、今夜の主催も同家。

エレオノーラにしてみれば、公務とは言え新興の格下貴族に誘いを断られた立場なのだ、面子も何もない。


「使用人付きとは言え、娘ひとりを寄越すとは。社交会を軽んじているのか、よほどあなたを信頼しているのか、いったいどちらなのかしらね」

「……」


ただ、エレオノーラがニーナに対して嫌悪を向けるのは、それだけが理由ではない。


「ところで、あなたの〈ベアラー〉は決まったのかしら」

「いっ、いえ……、まだ……」

「立場を分かっていないようね、ニーナ=リリエンタール。あなたは〈エレナント〉という、公国で最も栄誉と力ある存在に生まれたのよ。あなたの父君が副総監としてのお仕事にご熱心なように、秩序を体現する者として、いずれはあなたも共に公国を守り、導く存在にならなければならない。……その自覚があるのかしら」

「……もちろんです」


入学当初、学院コティヨンやその後の社交会(サロン)でも、ニーナが〈ベアラー〉を選ばなかったのを見て、エレオノーラはずっとこの調子だった。


「ふん、口だけならどうとでも言えるでしょうね。全く、どうしてあなたは___」


エレオノーラは言葉を続けようとしたが、ホールの入り口あたりが騒がしくなって、そちらへ顔を向けた。


「なにかしら。来なさい、ジークフリート」


エレオノーラに従い、ジークフリートもニーナに目礼して立ち去る。

ふたりの背に頭を下げるニーナ、内心助かったと、顔を上げたときには溜め息を我慢できなかった。


「……お飲み物はいかがですか、お嬢様。好物のアプフェルショーレがございました」

「ありがとう、セラフィーナ。お願い」

「はい、只今」


すぐに戻って来たセラフィーナから、気泡の立つ透明な琥珀色のジュースを受け取る。

口に含むと、甘いリンゴの香りと炭酸の爽やかさがいくらか気分を和らげてくれた。


「……ごめんね」

「いえ……、お察し致します」


初等教育で通っていた貴族学校でもよくいじめられたニーナは、その度にセラフィーナになぐさめてもらっていた。

ただ、近頃の彼女はあまり口数が多くない。

ニーナだって、姉のような彼女にいつまでも甘えていい訳ではないが、このところのセラフィーナはただ、複雑な表情で見守るだけだった。


「騒ぎが、収まりませんね」


セラフィーナがそう言って顔を上げた。

気になったニーナも、人混みの間を縫って近づいてみた。


「ヴァルクライネ嬢、何なのかしらその格好は」


エレオノーラの声だ。


大人たちの間から覗き見ると、華やかな深紅のパンツスーツに身を包んだ、長身の女性がエレオノーラと対峙していた。


「あら、何かおかしなところがございますか?」


艶やかな黒のロングヘアに、中性的な整った顔立ち。

鼻筋は高く、筆を引いたようなきれいな眉と目元を彩る長い睫毛、口唇は鮮烈な血色だ。


スーツの生地を押し上げる豊かな胸元と、引き締まったウエスト、骨盤は広く美しいヒップラインを描いている。


「招待状に、ドレスコードの記載はございませんでしたわ」


挑発とも取れるその発言に、エレオノーラはその可愛らしい相貌を歪めた。


「あなた……っ!」


派閥屈指の異端者。

その令嬢、リディア=フォン=ヴァルクライネは、黒いサテンの手袋が包む手のひらで前髪をかき上げ、不敵に微笑んで見せた。







【あとがき】


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

本作を気に入って頂けましたら、

フォローや★、感想などでニーナの成長を一緒に見守っていただけると嬉しいです。


引き続きよろしくお願いいたします。

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