第18話:哀しき真実 / Traurige Wahrheit
奥のオートマチックドアが開き、現れたのはヘレーネだった。
白のタイトなジャンプスーツの上に羽織った外套の裾を揺らして、彼女は訓練ルームを見下ろす窓際に立つ。
傍らには車椅子に座った、このアイゼンベルクの最高責任者であるヘルベルトの姿がある。
「あの件は伝えたのかい」
ヘルベルトが尋ねた。
「ああ、詳細はまだ伏せてある。今夜の闘いの邪魔になると思ってな。……良かったのだろう、リリエンタール男爵殿」
「はい」
肩越しに振り返るヘレーネ、その視線の先で、壁際で佇むひとりの男性が頷いた。
警務官の黒い制服に黒い帽子、高官にのみ支給される特徴的な黒の外套を羽織ったその男性は、連邦警務統轄局副総監、レナード=リリエンタール男爵だ。
連邦制によって警務局はその組織体制が複雑化しており、州ごと、あるいはリヒターハーフェンのように巨大な都市であれば都市単位で、それぞれ独立した警務組織として運営されている。
レナードは首都リヒターハーフェンの警務局長であると同時に、公国すべての警務を統轄するその副総監を兼任している。
リヒターハーフェンにある警務局のビルが、首都警務局の本部であり連邦警務の総本山でもあるが故の、昔からの人事配置だ。
レナードは前へ歩み出て、ヘレーネの少し後ろに立った。
はめ殺しの強化ガラスの窓から見下ろす彼の視線の先には、〈ベアラー〉を連れたニーナの姿がある。
「ただ、あの子があなた方の期待に応えられるかは分かりません。そう、育ててきたので」
レナードはそう言うが、彼の目に後悔があるようには見えなかった。
娘を見つめるその瞳には、貴族の身分や、あるいは〈エレナント〉という立場と役割から、自由に生きればいいという意思があるようにヘレーネには感じられた。
警務局に入り、レナードと彼の妻は公国の秩序維持のために契約の力を遺憾無く発揮してきた、それはヘレーネも認めるところだ。
しかし、だからこそリリエンタール男爵夫妻はグラウエン公国を取り巻く情勢と、それによって生じる小競り合いの苛烈さをよく知っている。
実際、彼らがニーナを授かって間も無くの頃に起きた帝国のギャングが裏に絡んだ事件は、ヘルベルトが軍務局からヘレーネを含む魔導アーマー部隊の投入を決断したほど大規模な闘争になった。
〈エレナント〉として生まれてしまった一人娘に対し、自分達とは違う人生を望むのは、貴族として歴史の浅いレナード達だからこそなのかも知れない。
だが、とヘレーネは思う。
「親というのは、自分の子供についてが存外、一番分からないものだ」
そう言って、胸の下で腕を組みながら彼女は隣のヘルベルトを見やった。
彼は顎を覆う豊かな口髭の下で口角を上げ、肩を竦めて見せた。
視線を訓練ルームのほうへ戻して、ヘレーネは続ける。
「ニーナは、お前さんが思うよりも腹の据わった娘かも知れない。でなければ、この私に勝てるものか。叙任式の場には男爵殿もご臨席だっただろう?」
「……はい」
「それもこれも、後にならなきゃ分からないことさ」
ヘルベルトはそう言って、車椅子の背もたれに深く体を預けた。
「伯爵閣下は、ご息女が〈ベアラー〉となられたことをどうお考えなのです」
レナードが一歩、詰め寄った。
「娘のキャリアについてどうこう口出しするつもりはないよ、伯爵令嬢が拳で語る武人であったとしても、そして、公国の歴史に初めて登場した女の〈ベアラー〉であっても、あの子はあの子の正義を貫けばいいし、そうするだろうさ」
「良いように言うな。ただの放任主義だろう」
「……」
しばしの沈黙の後、レナードは警務官の黒い外套を翻して踵を返した。
そのまま、彼はオートマチックドアから廊下へと出る。
「ご覧にはならないのかい?」
その背をヘルベルトが呼び止めたが、彼は振り返らず言った。
「公務がありますので。後のことはお任せします___アレについても」
「承知した」
「警務局まで車を出そう、エントランスにいる当直の誰かに僕の名前を出してくれ」
「お心遣いに感謝します、伯爵。それでは」
指先で帽子の鍔を押さえながら僅かに頭を下げたレナードは、そのままドアの向こうに消えた。
「……」
今夜の一戦は、ニーナにとってひとつの試練に違いなかった。
そうなってしまった原因に、ニーナ本人はもちろん、そしてレナード達にだって、悪意があった訳ではない。
ヘレーネは目を凝らすように細めた。
ニーナとリディアが対峙する、自身のかつての部下とその〈エレナント〉を見つめる。
「難儀なものだ。とんだ恥知らずがいた所為で、苦しみを背負って生まれたのだからな、誰にも理解されずに」
「〈エレナント〉だって所詮は人さ、神秘の力を持っていたとしてもね。誰もが皆、あなたのように正義を体現できる訳じゃない。そうだろう?」
ヘルベルトはそう言って、車椅子に肘を乗せながら少し身を乗り出す。
「さあ、始まるよ」
ふたりは、今夜の闘いの行く末を見守った。
「うそ……」
ニーナの口からやっと出て来たのは、そんな言葉だった。
派閥長戦その二戦目となる相手は、リリエンタール家に仕えるメイド、セラフィーナ。
そして彼女が連れているのは、執事のコンラートだった。
「申し訳ございません、お嬢様」
そう言って、セラフィーナはくすんだブロンドの髪を揺らして、頭を下げた。
「そんな……」
この場にセラフィーナがいるということは、彼女もまた〈エレナント〉であるということ。
思ってもみなかったその事実に、ニーナはただ、狼狽えるばかりだった。
代わりに、リディアが前へ出る。
「セラフィーナさんでしたのね」
「……はい。リディア様は、ご存じだったのですね」
セラフィーナは目を伏せ、そう呟いた。
「公開された対戦カードにセラフィーナさんのお名まえがあるのを見て、思い出したことがあるんです。これでも耳ざといものですから」
「リ、リディアさん……それって?」
縋るようにニーナがリディアを見上げた。
リディアはセラフィーナへ視線をやったが、彼女が頷いたので続けた。
「随分昔に、社交会で小耳に挟んだお話ですわ。許されない関係で、子を設けてしまった貴族がいたと」
「え……?」
「当時は、取るに足らない噂話だと思っていましたが、まさか事実だったなんて」
落胆を露に、リディアはため息を吐いた。
「はい。おそらく……間違いないでしょう。そして付け加えるならば、その貴族は契式を終えた〈エレナント〉であり、そしてあろうことか、生まれてしまった子どももまた、〈エレナント〉だった」
貴族が婚外恋愛で子まで設けるなど、ましてそれが〈ベアラー〉と契約を結んだ〈エレナント〉だなんて、到底許されることではない。
おそらく、使用人を含め事実を知る者は口外を禁じられたことだろう、市井に知れ渡ってしまえば、〈エレナント〉そのものの信用を大きく損なうことに繋がりかねない。
とは言え、人の口に戸は立てられないものだ。
「コンラートは、知っていたんですか……?」
セラフィーナの傍らに控える自身の執事を、ニーナは見つめた。
彼は恭しく頭を下げ、答える。
「はい、お嬢様。そして旦那様も奥様も、ご承知でございます」
「おばさまが仰っていた部下というのは、コンラートさんのことでしたのね」
「左様でございます、リディア様。軍役から身を退く事をヘレーネ様にご相談申し上げたところ、ちょうど執事を必要とされているリリエンタール家をご紹介いただいたのです。お子様を授かり、公務でお忙しい男爵様にお代わりして男手が必要だと」
知らなかった事実や関係が明らかとなり、ニーナの頭は混乱する。
そんなニーナを知ってから知らずか、セラフィーナは話を続けた。
「旦那様も奥様も、このような私をたいへんご寛大なお心で受け入れてくださいました」
「なら……そのあなたがなぜ、ここにいるのかしら。貴族の身分や〈エレナント〉としての立場が惜しくなった……というわけではないでしょう?」
それがニーナの最も気になっている点であり、そして、聞きたくないことでもあった。
ここしばらくのセラフィーナは、明らかに自分との接触を避けていた、そうとしか思えなかった。
それだけではない、ニーナがデビュタントとしてお披露目されてからというもの、セラフィーナの口数は減るばかりで、学院や社交会で嫌なことがあっても、彼女は以前のように慰めるようなことはしなくなった。
姉のように親しかったはずのセラフィーナは、いつの間にかいなくなっていたのだ。
その理由が、今ここで彼女が自分と対峙している状況に表れていると、ニーナは直感する。
故に、セラフィーナの口からそれが語られるのが怖かった。
しかし、真実は告げられる。
「そのように感じたことは……ございません。ですが心の奥底では、そうだったのかもしれません。お嬢様のお傍にお仕えする中で……どうしても後ろめたい気持ちが溢れて、仕方ありませんでした」
公国には、貴族であるというだけで与えられる特権や生活がある、無論それは、それに相応しくあるべく先代達が力を示し築き上げてきたものの上に成り立っている。
と言えど、貴族の家柄に生まれてしまえば望まずとも得られるのは事実だ。
貴族の血統と〈エレナント〉の力を持つセラフィーナにだって、本来ならばその資格があった、与えられるはずだった。
だが、認められることはなかったのだろう。
自身の生い立ちを知っていながら、使用人という立場でしか生きることを許されなかったセラフィーナが、どんな思いを抱えていたのか、その彼女に自分がどのように映っていたかなど、考えるまでもなかった。
両親と以上の時間を共に過ごし、けれどニーナは、セラフィーナの事を何も知らずにいた。
何も知らずに、ただセラフィーナの与えてくれる愛情の産湯に、肩まで浸かっていたのだ。
(バカだ、私は……)
などと自分を罵ったところで、安い自己嫌悪に過ぎない。
制服のスカートを握りしめる、ヘレーネが残していった言葉の意味をようやく理解した。
拳が白くなるほど力を込めるニーナを見て、セラフィーナは、優しくこう言った。
「お嬢様のせいでは、ございません」
セラフィーナは、体の前で合わせた手のひらを持ち上げ、胸の前で握りしめる。
再び開いたその手の中で、何かが照明の光を鈍く反射した。
「ブローチ……」
セラフィーナの足元に魔導陣が展開し、彼女の手の中のブローチが機構を広げる。
それを手の甲へ装着しながら、セラフィーナは、はじめてその思いを口にした。
「使用人の身でありながら、差し出がましいのは承知です。ですが……ニーナ様。ニーナ様は私にとって妹のように愛しく、大切な存在。この思いに偽りはありません、これからも、私はお嬢様にお仕えしたい。そのために___」
ブローチが鈍い輝きを放つ腕を、頭上高く掲げるセラフィーナ、
「___今宵、お嬢様へ刃を向けることをお赦しください」
その手をニーナへ向け、振り下ろした。
「お願いします、コンラートさん。私はここで、この浅ましい気持ちに決着をつけます。だからどうか……!」
「ええ。分かっています」
コンラートが前に出る。
彼が〈ベアラー〉である以上、ふたりは契約を交わした間柄にあるということ、その事さえ、ニーナは知らなかった
自分のことしか頭になかった、自分のことしか見えていなかったのだ。
「“汝に、力を”」
セラフィーナの声、光沢のない真っ黒なアーマギアがコンラートの体を覆う。
派閥長戦二回目となる決闘が、始まった。




