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第17話:思慕の葛藤 / 「Der Zwiespalt der Sehnsucht


首都リヒターハーフェン、ヴェステンラウ家の保有する高層ビルディングのワンフロアにある広い稽古場には、エレオノーラとジークフリート、そして、エレオノーラの兄、レオンハルトとその〈エレナント〉であるカトリーナ、四人の姿があった。


エレオノーラは、略装のまま壁際のベンチに腰掛けて、レオンハルトから指南を受けるジークフリートの姿を遠巻きに眺めていた。


「脇を締めろ、そうだ。呼吸が上がって来ている、集中を乱すな」


レオンハルトはそう言いながら、刃を潰した訓練用の模造の剣で、ジークフリートと斬り合う。


チープなメッキの剣身が反射する銀の閃光が、ふたりが技を出し合う度に煌めいた。


「また一本だ、ジークフリート。俺の妹を預けるには頼りないんじゃないか?」

「はぁ、はぁ……っ!」


かれこれ数十分、いや、もっとだろうか。

ああしてふたりは稽古を続けている。


武術についてはエレオノーラもからっきしなのだが、素人目にも、レオンハルトとジークフリートには厳然とした実力の差があるのは明らかだった。


レオンハルトひとりの力で言えば、間違いなくヘレーネ中将に次ぐ武人だ、そんな彼にジークフリートは必死に食らいついているが、息が上がるのは無理もないだろう。


「言い返す体力もないか?それでもいい、その手から剣だけは絶対に落とすんじゃない」

「……わ、わかって……いるっ!」


ため息を吐くエレオノーラ、己を磨くことに余念のないふたりを冷めた目で見ているわけではなく、ジークフリートに対しては何かと自分を引き合いに出してくる兄に呆れていた。


公国は貴族制度を残す国家だが、〈エレナント〉をその基盤に置くため、〈エレナント〉を輩出する貴族である場合は爵位や家督の継承権は原則、〈エレナント〉の迎えた婿、つまりは〈ベアラー〉に与えられる。


ヴェステンラウ家の名と財、家督、そして侯爵位を継ぐのはジークフリートであり、レオンハルトはカトリーナの〈ベアラー〉として、ロートリンゲン家の子爵位を継承することになる。


とは言え、継承そのものの重みは、かつてと比べればずっと軽くなったものであるとエレオノーラは考えていた。

現在のグラウエン公国の貴族は、帝国属領でありながら領邦主権を与えられていたかつてほど、莫大な財や土地を牛耳る権力を持つ訳ではないからだ。


連邦制として当時の名残はあるものの、貴族自らが領土として街や都市を治めた時代は、グラウエン公爵家の元に国家として独立、統一が進んだことでとうの昔に終わりを迎えており、私財と公財は今では明確かつ厳格に区別されている。


それでも貴族制が公国から消えないのは、まさに〈エレナント〉と〈ベアラー〉の存在があるからだ。


公国を守り、存続させていく力と秩序の体現。


それが〈エレナント〉と〈ベアラー〉であり、それが自分の使命なのだと、エレオノーラは幼少よりその教えを両親から授かって育った。


隣にいるカトリーナもそれは同じだ。


爵位における上下があるとしても、それは支配関係を表すものではない。

だが、数代にわたって懇意にしてきたヴェステンラウ家とロートリンゲン家には、ある意味で主従とも言える関係が自然と構築されていった。


カトリーナがエレオノーラを姉と慕うのは、両家のそうした関係性が少なからず影響を与えているからでもある。


「……」


その彼女が、ここしばらく笑顔を見せていないことに、エレオノーラは気づいていた。


「浮かないわね」


ジークフリートとレオンハルトの稽古を眺めながら、隣に座るカトリーナに声をかける。


「……はい」


か細い声で頷くカトリーナ、その事情はだいたい察しがついた。


「あの子のことでしょう?」

「……」


カトリーナは黙っていたが、間違いないだろう。

友人であるニーナのことで気を揉んでいるのだ。


「学院にも行ってないそうじゃない」

「……ごめんなさい、お姉様」

「私に謝る必要はないわ」


カトリーナは小さい頃から体が弱く、初等教育の貴族学校にはほとんど通えなかった。

礼節や教養、勉学については、彼女の両親がそのために新しく雇い入れた教育係から教わったものだ。


卒業する頃には随分と丈夫にはなり、学院にも問題なく通えていたはずだった。

問題があったとすれば、それは体調面や勉強に関してではなくて、幼少の時期をほとんど邸宅で過ごしたことで、カトリーナは友人を持つことができなかったことだろう。


ニーナを除いて。


「ここは社交会(サロン)ではないし、あなたは私の妹よ、カトリーナ。正直なことを言っても、誰もそれを咎めない。私も、兄上も」

「……」

「あの子と、闘いたくないのでしょう?」


ニーナとリディアのペアが初戦を勝ち抜いたという報せは、既に派閥に広まっていた。


その結果に驚きはしない、むしろ敗北したと聞くほうが、よほど衝撃と___怒りを覚えただろう。


あのふたりに敗北を与えるのは自分達なのだ。


リディアはともかくとしても、あの未熟な娘に派閥を、引いては、公国を背負うことなど決して出来はしないのだから。


「……ニーナは、友達です。大切な」

「そうでしょうね」

「でも、お姉様のことも、レオンハルト様のことも、わたしは……お慕いしています」


カトリーナは胸元のブローチに触れた。


「〈エレナント(私たち)〉の力は、公国の誇りを守るための力よ。それは人々を守ることであり、秩序を守ることでもある」

「はい。ですがわたしにとっては……お姉様をお守りすることが、それにつながるのです」

「その割には、気が重そうに見えるわ」


エレオノーラから見ても、カトリーナにとってニーナが親友であるのは間違いなかった。


虚弱な体質が発育とともに改善しつつあるとは言え、カトリーナの小さな体に〈エレナント〉の力はあまりに負担が大きい。

そのことについてあれこれ嫌味を囁かれているというのはエレオノーラも勿論知っていた、それを黙らせようと思えばできる立場の家柄だが、そうしようとは思わなかった。


だって、当然だからだ。

だってそれが、自分達が身を置く貴族社会の有り様だからだ。


そしてそれには、カトリーナ自身が向き合わなければならない。


だがニーナは、この子にとって初めて貴族であることの重荷を置き去って、対等に接することのできる存在だった。


その友達と、立場を背負って闘わなければならない。


ふたりの衝突は避けられない、それが分かっているから、彼女はずっと俯いているのだ。

無邪気に、無責任に、友人として顔を合わせることが、今はできないでいるのだ。


「私はあのふたりが気に入らないわ、個人的に。いろんな理由で、派閥でも同じように思っているひとは多い。でもあなたまでそうである必要はない」

「……でも、」

「そうよ、カトリーナ。あなたはあの子の友達でいい。私はそれを否定しないわ。ただ、派閥長を決するこの舞台では、あなたはどちらかの立場を示す必要がある」

「……はい」

「闘うことを決めたのなら、最後まで闘いなさい、勝つために。でも忘れないこと、その結果が何であれ、あなたは私の可愛い妹よ、カトリーナ」


カトリーナは頷いたが、彼女の中で何かが解決したようには見えなかった。


昔からそうだ、説教をするのは得意だが、誰かを励ますのは苦手だった。


ため息をこぼす。

友情と立場の板挟みで、年相応に揺れ動くカトリーナに失望している訳ではない、妹同然の彼女すらその気持ちを楽にしてあげられない自分に、少しばかり嫌気が差していた。


エレオノーラはそのまましばらく、ジークフリートとレオンハルトの稽古を眺めていた。




「次の対戦カードですか?」


ニーナはリディアのトレーニングルームで、教わった軽いストレッチをしながらその話を聞いた。


「ええ。場所が公開されましたわ」


レッグプレスだとか言うトレーニング器具に座って、膝を屈伸させながらリディアがそう言った。


彼女の艶のいい黒い髪の毛先は汗に濡れているものの、その声は至って落ち着いている、まるでトレーニングの負荷など感じていないかのようだが、ニーナには見ているだけで乳酸が溜まってきそうな運動だった。


「ん……っ、ふぅ」


マットに股関節を広げてお尻をついて、深呼吸を深めながら腕をまっすぐに伸ばし、反対の手で手のひらをゆっくりと引っ張る。


学院指定のスポーツウェアから除くニーナの腕や首筋には、湿布がたくさん貼られていた。

無論、先日のカミロとビアンカとの闘い、その代償だ。


ブローチに付けたという制御装置のおかげで、以前のように卒倒こそしなかったが、翌日にはひどい筋肉痛に襲われた、結局、ほぼ丸一日家を出られなかった。


そういう時はたいてい、セラフィーナが世話役を買って出てくれるのだが、彼女は一度も姿を見せなかった。


いや、彼女だけでなく、コンラートも家にいない。


新興貴族とあって、リリエンタール家の邸宅に仕えている使用人は数名ほど、住み込みで働いているのはセラフィーナとコンラートだけで、あとは通いのメイド達だ。

世話をしにニーナの自室へ現れた若いメイドへふたりについて尋ねてみたが、難しい顔をしながら首を横に振られただけだった。


そうは思えなかったが、知らないそうだ。


いよいよセラフィーナの様子の変化を不審に思う気持ちは大きくなっているが、それはそれとして、今朝には痛みもようやく落ち着いたので学院へ通うことにした。


車を運転できるメイドがいたので助かった、送り迎えはずっとコンラートだったからだ。


「どこなんですか?」

「アイゼンベルクです。軍務局局舎ビルですわね、その45階にあるツーフロア吹き抜けの訓練ルーム」

「えっと……」


この派閥の軍務局関係者は少なくない。

リディアの父、ヴァルクライネ伯爵はその長官であるし、大叔母のヘレーネは中将。

名前こそ覚えてはいないが、他にもいたはずだとニーナは記憶している。


「それとこれとは無関係ですわね。……いえ、無関係とまでは言えませんが」


らしからず曖昧な言い回しをするリディアを怪訝に思いながらも、ニーナはストレッチを続けた。


「むしろ、ニーナさん。次の対戦はあなたに関わることです」


そう呟いたリディアの声は、小さくてニーナには聞き取れなかった。


それから数日もせず、首や腕の痛みもすっかり引いた頃。


その間、セラフィーナとコンラートのふたりがニーナの前に姿を見せることは一度もなく、派閥長戦その二回目となる闘いの日がやってきた。


迎えに来た黒塗りのセダンの後部座席のドアがひとりでに開いて、制服のスカートを持ち上げてニーナが乗り込む。


「こんばんは、ニーナさん」


座席には、同じく制服に身を包んだリディアの姿があった。


「こんばんは、リディアさん」


彼女の隣に腰を下ろし、ドアが閉まる。


正面を向くと、対面の座席にはもうひとり、白いタイトなジャンプスーツタイプの軍服を着た、黒い髪の女性の姿があった。


「……ヘ、ヘレーネ様?」

「久しぶりだな、ニーナ」


仏頂面なのは相変わらずだが、ヘレーネはいくらか親密さを感じさせる声色でニーナに声をかけた。


「あ、えっと……その節は……」

「少しは逞しくなったようだな」

「えっ?あ、ありがとう……ございます……」

「おばさまがいらっしゃるのが不思議、そうでしょう?」


三人を乗せた車は、ゆっくりと滑りだすように発進した、隣のリディアが代弁してくれた言葉に、ニーナはおずおずと頷く。


「少々立て込んでいるものでな、叙任式以降、挨拶もできなんだから顔を出しに来た」

「……」

「一応、私はそれの母親から後見人を任された立場だ、改めて、リディアをよろしく頼む」

「いっ、いえ!こちらこそ……」

「この私が鍛えたんだ、心配せずともそう簡単にくたばりはしない。存分にこき使うといい」

「えっ」


真顔でそう言う大叔母に、隣でリディアが肩を竦めた。

ヘレーネはニーナの胸元にあるブローチに目をやった。


制御装置(リミッター)はどうだ」

「問題なく動作してますわ。危うい状況もありましたけれど、ニーナさんのおかげで乗り越えられました」

「そうか。〈ベアラー〉どうしの闘いというのは、必ずしも〈ベアラー〉本人のポテンシャルだけが雌雄を決しはしない。だがその差を埋めて上回るには、〈エレナント〉は相応の負担を負う必要がある。体はどうだ、ニーナ」

「えっと、筋肉痛が、数日……」


そう答えると、ヘレーネは細い顎に指を乗せて、少しばかり考え込んだ。


リヒターハーフェンを進む車の窓を、ネオンや照明の光が流れていく。

いつの間にか、雨が降り始めていた。


「その程度であれば大事ないな。ハンスからクラウディア主治医の所見も聞いたが、過負荷(オーバーロード)に比べれば軽微な症状と見ていいだろう」

「はい、今は……もうなんともありません」

「ニーナさんがご自宅で休養を取られている間にハンスさんの元を尋ねました。モニター結果を確認しましたけれど、概ね異常はございませんでしたわ」


制御装置と合わせて、エネルギー量や心拍数などを確認できるようにしたという話をニーナは思い出す。


ヘレーネはリディアの話に頷くと、また口を開いた。


「ヴァレンティーニ家の坊やが手がける歌劇というのはどうにも年寄りにはよく分からないが、あのふたりの実力は及第点だ。退けたのは誇るに値する。よくぞ闘い抜いたな」

「あら、随分なリップサービスですわね。おばさま」

「お前に言ったんじゃない。そもそも私は誉めて伸ばす主義だ」

「はじめて聞きましたわね……」

「あはは……」


信号で車が停まると、ちょうどヘレーネの顔にルーフの影が落ちた。

外から差し込む街頭ビジョンの光やビル街の明かりの騒がしさとは裏腹に、車内には静けさが漂う。


防音性が高いのか、車体を打つ雨音がこもったように響き、どこか遠くから聞こえるようだった。


「それで、本当のご用件は何でしたの?」


リディアが言った。


「そのお話のために、おばさま自ら出迎えにいらしたのではないでしょう?」

「ああ。アイゼンベルクで、ふたりに見せておきたいものがある」

「私たちに、ですか?」


ニーナは隣のリディアと目を合わせた。


「警務局から昨夜、軍務局(こっち)へ戻されてきたものだ」

「話が見えませんわね」


制服のロングスカートの下で脚を組み替えながら、リディアが目を細めた。


警務局と聞いて、ニーナはひとつ思い至る。


「……ひょっとして、父も何か関係があるんでしょうか?」


ヘレーネは影の落ちるその顔をニーナへ向けた。


「察しがいいな。リリエンタール男爵もこの件については無関係ではない。そして、お前の耳に入れることについても、ご了承下さった」

「お父さんが?」


意外だった。

両親はこれまで、仕事に関わるようなことは一切話してくれなかったからだ。


信号が変わり、再び車が動き出す。

ヘレーネは続けた。


「今夜お前達の闘う相手の片割れが、かつての部下だったものでな。場所を用意してやったついでに、見せておこうと考えたんだ」

「へレーネ様の、部下……?」


間もなく車は軍務局局舎ビル、アイゼンベルクの前に差し掛かる。


敷地を守る要塞のようなセキュリティゲートが開き、ロータリーへ。

正面入り口の前で停まり、ニーナから順に車を降りた。


頬を静かに雨粒が打つ、ニーナは目の前に聳える途方もなく巨大な構造物を見上げた。


夜空を写す真っ黒なガラスに覆われた超高層ビル(スカイスクレイパー)は、街に溢れる人工的な冷たい光をその身に浴びながら、他のどのビルよりも高い場所からリヒターハーフェンを見下ろしていた。


軍務局の肩書きを持つと言うのもあるが、やはりこの建物からは、先日尋ねた技術局のビルに比べてはるかに物々しく威圧的な雰囲気を感じる。


「ついて来い」


最後に降りて来たヘレーネについて、リディアと共にエントランスへ向かう。


入り口の両脇に控えた当直の守衛がヘレーネに敬礼する前を通り抜け、ダークオークのシックな木目と黒の大理石という色調で統一された局舎内を進む。


奥のエレベーターに乗って、45階へ。

扉が開き、ダウンライトの照らす薄暗い廊下を進んで、訓練ルームの扉の前に立つ。


「中で待っているはずだ」


扉の認証を解除しながら、ヘレーネが言った。


「終わればまた迎えにくる、健闘を祈る」


中には入らないのか、白の外套を翻して彼女は廊下をさらに奥へと向かう。


数歩ほど歩くと、肩越しに振り返ってニーナを呼び止めた。


「ニーナ」

「はい」

「……お前が悪い訳じゃない。だが無自覚でいることは時に罪にもなり得る。覚えておくといい」

「え……?」


ヘレーネはそのまま廊下の向こうに消えた。


彼女の残した言葉が胸に引っかかったまま、ニーナはリディアと共にその訓練ルームに足を踏み入れる。


中は無機質な白っぽい高輝度魔導灯の光が落ちていて、リディアから聞いた通りツーフロア吹き抜けの作りになっていた。


おそらく46階に位置する場所にはこちらを見下ろす大きな窓があって、椅子に腰掛けたような誰かの影が見えている。

ただ、照明が逆光のようになって、はっきりとは確認できない。


「ニーナさん」


リディアに言われて視線を正面に戻す。


その先にいた人物、今夜の対戦相手であるふたりに、ニーナは目を見開いて言葉を失った。


「お待ちしておりました、ニーナお嬢様」

「ここ数日、お嬢様のお世話をできませんでしたことをお許しください」


そう言って慇懃に頭を下げたのは、リリエンタール家のメイド、セラフィーナと、執事のコンラートだった。



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