第14話:奇妙な闖入者 / Der seltsame Eindringling
おかしい。
グラウエン王立貴族学院にて、ニーナは今朝ほどからずっと、そんなことを繰り返し考えていた。
(カトリーナ、どうしたんだろう……)
学園で唯一、入学当初から気の置けない友人であるカトリーナだが、ここ最近、一切と言えるほど彼女を見かけないのだ。
(なにかしちゃったのかな、私……)
とは言え、何も思い当たることがない。
しかし思えば、カトリーナを見かけなくなったのはニーナが契約を交わしてからで、それに気づくと、セラフィーナもまた、どうにも同じ時期からよそよそしく振る舞うことが多くなったように感じる。
幼い頃から、一人娘のニーナにとって彼女は姉同然に慕しい存在だった。
だが、カトリーナが自分の前に姿を見せなくなった事と時を同じくして、ここ数日の彼女は、いよいよどこかニーナを避けているようにも思える。
数少ない心を許せるふたりが、同時に距離を置くようになってしまって、どうにも、不安や寂しさを無視できなくなっていた。
「……どうしたのかな、みんな」
「どうかされましたか?」
「わひゃっ!?」
びっくりして振り返ると、そこにはリディアの姿があった。
「リ、リディアさん……」
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったのですけれど」
「いえ、あの……だいじょうぶです……」
栗色のショートヘアを耳にかけながら、ニーナは俯いた。
ここは学院の中庭だ、休み時間に生徒の行き交う中で、思わず素っ頓狂な声を上げながら飛び上がり、注目を集めてしまったことが恥ずかしかった。
「それで、どうかされましたか?何か呟いていたようですが」
「ああ、いや……えっと……」
俯いたまま視線を横へ逃す。
リディアに相談するようなことでもない気がしたものの、話をしやすい身近な人物もニーナには限られている。
リディアはふたりと一応面識があるし、結局、感じているままのことを彼女へ話した。
「そうですか、カトリーナさんとセラフィーナさんが……」
隅にあるベンチに腰掛けて、リディアは思案顔を浮かべてそう言った。
「……」
「なにか、私がしちゃったのかと思ったんですけど……カトリーナ、学校にも来てないみたいで」
「……」
「リディアさん?」
不自然に黙り込むリディアを覗き込む。
「いえ、実は、派閥長戦の対戦カードが公開されまして、それが___」
言いかけるリディア、しかし、その声は誰かの声に遮られた。
「禁断の___愛ッ!」
反射的に、リディアが立ち上がって身構える。
彼女の視線を追うと、その先には、学院校舎二階の廊下、アーチ開口部の転落防止柵の上に立って、両手を空へ掲げたポーズを決めるひとりの男子生徒の姿があった。
奇声を発して危険な場所に立つ彼に、注目が集まり、周囲にどよめきが広がる。
「とゥッ!」
妙な掛け声と共に柵から飛び上がる男子生徒、二階から身を投げ出すような行為に悲鳴が上がり、ニーナもその突然の奇行に思わず目を見開いて息を呑んだ。
そして彼は、美しい宙返り捻りを披露して、見事に着地する。
「えっと……」
ばっと顔を上げたその生徒には見覚えがある気がした。
引き締まった細身の長身、少し頬骨の張った面長な顔つきで、垂れ目が特徴的な青年だ。
制服のネクタイの色から、彼が第四学年の生徒であると分かるが、ニーナは上級生との交友関係がほとんどないため誰なのかはすぐには思い出せない。
あんぐりとするニーナと、警戒するリディアを他所に、その男子生徒はやたらと芝居がかった口調と仕草で声を張り上げた。
「ああっ!なんと美しき愛!冷たい檻の中で虐げられた少女は、鉄の乙女と出会い……手を取り合った!」
「うるさいですわよ、カミロ殿」
ぴしゃりと言い放つリディア、彼女がその名を口にしたおかげでニーナは思い出した。
彼はカミロ=フォン=ヴァレンティーニ。
舞台公演や劇場などへの後援活動を勢力的に行い、かつ著名な作家や役者を数多く輩出してきたヴァレンティーニ家の末男。
そうした家柄の影響を受けてか、彼自身もまた、学院で歌劇サークルという自身の劇団を率いていたはずだ。
見覚えがあったのは、そのヴァレンティーニ家が同じ派閥の家柄だからだ。
「ヴァルクライネ嬢、次の公演では是非、おふたりをモデルにした脚本で舞台を作らせてほしい」
「それは勝手ですけれど、いったい何の御用かしら」
「よくぞ聞いてくれた!」
真っ白な歯をきらりと輝かせてそう叫ぶカミロに、リディアが露骨に面倒臭そうにする気配が漂ってきた。
彼はまるで舞台の上にいるかのような身振り手振りで、嬉々として語りだす。
「生きた脚本を書き、観客の心を打つために必要なのは……そう、リアリティッ!現実の模倣ではなく、フィクションとリアルの絶妙なバランスが明暗を分かつ。故に___ッ!」
瞬間、カミロの瞳が鋭く光ったかと思うと、彼の姿が目の前へ迫り、その右脚がリディアの頭部目がけて鞭のようにしなる。
「!?」
突然繰り出された蹴り技。
呆気に取られるニーナだが、リディアはその上段蹴りを難なく腕で防いだ。
そしてそれによって、彼女の中のスイッチが入る。
アーマギアがなくても伝わってくる、リディアの中で、急速に戦意が膨らんでいた。
カミロはそれを知ってか知らずか、少し目尻の垂れたその甘い目元に至って真剣な眼差しを宿して、リディアとニーナへ向けて言葉を続けた。
「___故に、ふたりの絆を我が目で確かめさせて頂きたい」
「公開された派閥長戦の対戦カードでは、ちょうどあなた方が初戦の相手でしたわね」
「えっ?そうなんですか?」
カミロの脚を無理やり払いのけ、反対の腕で、リディアが拳を振るう。
素早く脚を引いたカミロは、その拳を躱しながら身を翻して間合いを取った。
さながらバレエダンサーか体操選手のように軽やかで優雅な動きだ。
「その通り。だが、ここはその舞台に相応しくない」
「ならいったい何の真似かしら」
「先ほど言った通りだ、ヴァルクライネ嬢。これは脚本制作のために不可欠な、個人的取材活動___だッ!」
踏み込み、跳躍するカミロ、空中で伸身を翻しそのまま足蹴りを振り下ろす。
リディアがスウェーで躱し、素早くカウンター。
潜り込むようにカミロが屈んで回避し、上体を起こす勢いでそのまま爪先を蹴り上げ、宙返り。
両腕でリディアがガード、即座に踏み込んで、拳を構えて一息で間合いを詰める。
「えぇ……」
突如始まったふたりの闘いに、完全に置いてけぼりにされるニーナ。
ベンチに座ったままリディアとカミロの一騎打ちを眺めていたが、その周りに次第に生徒達が集まってくる。
通りすがりの女子のグループや、騒ぎを聞きつけた男子、皆一様に足を止めて、ふたりの攻防に息を呑み、歓声を上げた。
カミロの脚が風を切り、次々と蹴りを繰り出す。
リディアがそれを腕で弾き、躱し、反撃。
単純な一撃の威力ならばリディアに分がありそうなものだが、カミロは巧みな脚さばきで彼女の拳を掻い潜り攻撃へ転じてくる。
見事な身のこなしだった。
思わぬ事態になり、ニーナはただ呆然とふたりの闘いを眺めていた。
〈エレナント〉の力を使うかと一瞬脳裏をよぎったものの、それはすぐに頭から追い払った。
派閥長戦にその名があるということはカミロもまた〈ベアラー〉に違いないが、彼の〈エレナント〉が姿を見せていない以上、彼がアーマギアを使う事はできない。
闘いを挑んできたカミロの動機は何とも理解し難いところではあるが、ただ、どうにも彼を見る限り姑息な思惑があるようには思えなかった。
ニーナがアーマギアを遠慮するのは、要するに、フェアではない闘いをリディアが望まないだろうと思ったからだ。
とは言え、このまま白熱するふたりの様子を眺めているのもどうにもなところであるし、万が一、リディアの一撃がカミロを捉えようものなら派閥長戦の初戦を前に大怪我を負わせかねない。
止めるべきか、しかし自分が止められるとも思わない。
ニーナにとって幸いなのは、たまたま今が空きコマの授業のためそれほど時間を気にしないですむ事だった。
ニーナがすっかり困り果てた、ちょうどその時。
張りのある女の子の声が中庭に響き渡った。
「そこまでだ、カミロ!」
その声で、張り付けられたかのようにカミロはびたっと動きを止めた。
ただ、ちょうど拳を打ち出したタイミングだったリディアは止まらず、振り抜いたストレートは思い切りカミロの顔面を捉えてしまった。
「ゴハァッ!?」
「あ」
「カミロ様っ!?」
思わずニーナは立ち上がった。
もんどり打って吹き飛ぶカミロは、そのまま中庭の石畳の上を砂埃を舞い上げながら滑っていった。
「心配しなくていい、ニーナ嬢。それより、私の〈ベアラー〉が迷惑をかけた事をお詫びする」
現れた女の子は地面に仰向けになったカミロを一瞥することなく、ニーナとリディアに対してそう言って頭を下げた。
その女の子、ビアンカ=フォン=リバロッティは、やぼったい眼鏡をかけたむっつり顔を上げて、ニーナ達を見つめた。




