第13話:闘う決意 / Der Entschluss zu kämpfen
公国には、貴族それぞれが名を置く派閥が存在し、それが国家という母体の次に、貴族にとっての大きな共属意識を作っている。
派閥にはそれぞれ長となる家柄があり、派閥長は原則として、〈エレナント〉を輩出する家系でなければならない。
〈エレナント〉とは、公国が神から授かったまさに神秘。
その誕生に家系的な偏りがあるように見えても、元来それは全くの偶然に他ならない。
故に〈エレナント〉を持つ家柄は重宝され、故に、その大きな力に伴う使命と責任を果たさなければならない。
「私の家柄が失墜したのも、所以は神のみぞ知るというところでしょうね。生まれないものは、仕方ありません」
すっかり入り浸るようになってしまった学院端にあるリディアのトレーニングルーム。
トレーニングマットの上で、腹筋を鍛えているリディアはこともなげにそう言った。
一方、ニーナはジョギングマシンとやらを試しながら、息も絶え絶えにリディアの言葉に返した。
「でっ、でも……っ、それで、ひどいこと……言われる、のって……っ!はぁ、はぁ……いやじゃないですか?」
まずは基礎体力をつくるところからだとリディアに言われ、こうしてトレーニングの真似事に勤しんでいる。
リディアはスポーツブラとレギンスというトレーニングウェアを持っているが、ニーナはそうした類の服を持っていない。
とりあえず、スポーツ科目の授業で着用する学院指定のウェアがちょうど良かったので、それを汗に濡らしていた。
「ええ。だから〈鉄拳令嬢〉になったのですわ。気に入らない連中を端から拳で分らせた結果ですわね」
リディアを窺い見る余裕もないが、口調から、いつものあの不敵な微笑みを浮かべている様子が目に浮かんだ。
「さあ、少し休憩しましょう。トレーニングで倒れては本末転倒ですわ」
体を起こすリディア、回数など無論ニーナの把握するところではないが、息一つ乱れていないし疲れた様子もない。
たまげた体力だ。
そう感じるのは、自分があまりに運動不足だからかもしれない。
ジョギングマシーンを降りて、ほとんど倒れ込むように傍らのベンチへ座り込んだ。
「頑張りましたわね。どうぞ」
「あ……、あり……ありがとう、ございます……」
差し出された水筒を受け取る。
足を動かしていたはずなのに手まで震えているが、なんとか口元まで持ち上げて喉へ流し込んだ。
「ふふ、汗でお顔が濡れてますわ」
そう言ってタオルで顔を拭ってくれるリディア、屈んだ拍子に、スポーツブラの襟元から汗で光沢を帯びた豊かな胸の谷間が覗いて、ただでさえ体温の上がっているニーナは、頭がのぼせてしまいそうになる。
「あぅ……」
第一学年のニーナから見れば、学院最終学年のリディアはもう立派な大人の女性だ、そう感じるのは、リディアの平均よりもはるかに高い背丈と成熟した体つきという外見の説得力もあるが、それ以上に、貴族子女としての洗練された立ち振る舞いがある。
ヘレーネは言葉の端々にリディアを子ども扱いする様子があるが、ならそのリディアにこうして顔を拭われている自分は何なのだろうと、少し恥ずかしくなる。
いやダメだ、そういう卑屈な目で自分を見るのはやめる、そのために自分は闘うと決めたのだ。
「あら、気に障ってしまったかしら」
「えっ?」
無意識に頭を振っていたようで、それを嫌がられたと思ったらしいリディアが、少し驚いていた。
「あ……いえ、少し考えごとを……」
「気分を害したのでなければ、よかったですわ。……ニーナさんも立派なレディですもの、こういった真似は、控えるべきですわね」
「あっ、えっと、ほんとにそんなつもりじゃ……!」
「ふふ」
ニーナへタオルを手渡して、リディアは隣へ腰を下ろした。
座った姿勢でも、ニーナが見上げなければリディアと目線を合わせることはできない。
それがニーナに、彼女の頼もしさと同時に、自分の非力さを感じさせる。
だがやはり、そういったことを言う時間は、あまり残されてはいない。
先日エレオノーラが宣言した派閥長戦、ニーナが〈ベアラー〉を選んだことにより、いよいよその闘いの幕が開けるのだ。
今夜のソワレでは、ニーナ自身の言葉で派閥長戦への参加を表明しなくてはならない。
「出ない、という選択もございますわ」
リディアの言葉だった。
「派閥長戦に出ることは一つの選択であって、それしか道がないわけではありません。何より、ニーナさんはまだ、力の使い方を修得するそのさなかですもの」
彼女の言う通り、派閥長戦は、その派閥に属する契式を終えたすべての〈エレナント〉に参加権を与えるが、決して強制するものではない。
あくまで派閥の長たる家柄を決める闘いであるため、〈ベアラー〉を有する現役の〈エレナント〉が親と子で二名以上いる家は、代表としてどちらかが参加することになる。
あるいは、長という立場に頓着がない貴族や、ヴェステンラウ家のようにその座を期待されている家柄に対して異存がない場合、そもそも参加しないという貴族ももちろんいる。
ニーナだって、エレオノーラとの個人的な確執があれど、彼女の家がこの派閥を率いることになんら不満はない。
そして何より、ニーナは未だ力の正しい制御の仕方すら分かっていないのだ。
しかしだからと言って、目の前にある闘いを辞退したところで自分たちの望む結果には絶対にならない。
逃げたのだとか、臆病だとか、そんなことを言われながら後ろ指をさされるだけだ。
何より、もっともらしい理由をつけて無難な道を選んだことを、きっと後悔する。
無論、闘いに身を投じるだけがすべての正解ではないのかもしれない、でも今は、エレオノーラと同じ舞台に立たなければ何も示したことにはならないし、きっと、何も変えられはしない。
その確信が、ニーナの胸にあった。
「結果は……わかりません。リディアさんにも、迷惑をかけるかも知れないけど……、闘わなきゃいけないって、今は思うんです」
タオルの角を指先でもじもじと弄びながら、消え入りそうな声でニーナはそう答えた。
尻すぼみの弱々しい返事だったが、隣からは満足そうに微笑む声が聞こえた。
ベンチから立ち上がったリディアは、ニーナへ手の平を差し出した。
「リディア=フォン=ヴァルクライネはあなたの拳ですわ、ニーナさん。ニーナさんが闘うことを選ぶのなら、私は死力を尽くして打倒するのみ」
「リディアさん……」
「迷惑をかけるだなんて仰らないで。私たちは一心同体、共に闘いましょう」
「はい……!」
その手を取って立ち上がる。
温かい笑みを湛えるリディアはトレーニングルームを見渡して、言った。
「そのためにも体力づくりですわね」
「はい……」
答えたニーナの声は、もっと小さかった。
その日の夜。
ヴァルクライネ家の保有する邸宅で開かれたソワレにて、ニーナはエレオノーラへ派閥長戦への参加を伝えた。
「ふん。思っていたほど、臆病者ではないようね」
鼻を鳴らして鋭く睨む彼女の態度は決して穏やかとは言えないが、その言葉の奥には、僅かだがニーナへの評価があった。
「〈エレナント〉の力を使うたびに倒れているようだけれど、制御すら碌にできない中で、勝てると思っているのかしら」
「結果だけを求めて、闘うわけではありません……」
「言うようになったわね、ニーナ=リリエンタール。でも甘いわ。どんな選択にも必ず結果が伴うものよ、より良い結果を求めないのなら……勝利を求めないのなら、闘いの場になんて立つべきではない。でなければ、結果に責任を負えない子どものままよ」
胸に突き刺さるような、痛烈な言葉だった。
ニーナはドレスの裾を握りしめる、言い返すことはできなかった。
「その辺にしておけ、エレオノーラ。刃を交えれば全て分かることだ」
そう言って、ジークフリートがエレオノーラの前に身を乗り出した。
それを見て、リディアがニーナの隣へ歩み出る。
「言っておきますけれど、負けてやる気はありませんわよ。これは、ニーナさんとは無関係に、個人的な私の因縁ですわ」
「無論だ、ヴァルクライネ嬢。あんたとの決着は俺の悲願でもある。こちらからも言っておくが、俺の刃はあんたの鉄拳でも折れないぞ」
「上等ですわ」
挑発とも取れるジークフリートの言葉に、リディアは不敵に微笑んでサテンに包まれた拳を鳴らした。
静かに闘志を燃やし合う〈ベアラー〉ふたりに、周りで見ていた貴族たちが思わず後ずさる。
ニーナも顔が引き攣りそうになるが、エレオノーラは大きなため息を吐いて踵を返した。
「行くわよ、ジークフリート」
ハーフツインにまとめたプラチナブロンドの髪を揺らして、去り際、エレオノーラは肩越しにニーナへ振り返った。
「闘う以上は勝ちなさい、そして私たちの剣が、敗北を与えるわ」
そう言い残して、エレオノーラはジークフリートとともにニーナとリディアの前を去って行った。
広間にまた歓談の声が戻る。
緊張の解けたニーナは、その騒がしさの中でそっとため息を溢した。
「気負う必要はありませんわ」
「……はい。でも……」
胸元のブローチを握りしめる。
リディアのように闘いを前にして高揚を抱くような性格ではないし、ニーナ自身、自分がそういったものと対極にあることを自覚している。
だが、闘い場に立たなくてはならない、それは他ならぬ自分の選んだ決断なのだ。
「私がいますわ」
リディアが肩に手を置く。
その手のひらの力強い温もりが、ニーナの背中をそっと押すようだった。




