第12話:制御装置 / Der Begrenzer
微睡む意識の中で、ニーナは古い記憶を見ていた。
幼い頃の記憶だ、目の前には母がいた。
母の膝の上に乗って、プレゼントだと言って彼女から手渡されたブローチを、自分は物珍しそうにいろいろな角度から眺めていた。
「これなあに?」
「それはブローチよ、〈エレナント〉に授けられる、特別なブローチ」
「とくべつ?ってなに?」
母はそれには答えず、頭を撫でてくれながら代わりにこう言った。
「いいこと?ニーナ」
母は穏やかに語って聞かせた。
「たとえあなたに〈エレナント〉の力があっても、あなたは普通の女の子。普通の幸せを、望んでいいのよ」
「……わかんない」
「ふふ、いつかわかるわ」
そう言った母が、何故〈ベアラー〉として父を選び、共に公国を守るために力を行使するのか、その時は、いや、今だって、まだはっきりとは分からない。
自分は〈エレナント〉として〈ベアラー〉を選んだ。
それが、母の望んだことなのかは分からない。
ただ、後に戻ることはもうできない。
選び取った自分は、先に進み続けるしかないのだ。
「ニーナさん」
呼ばれて目を開くと、いつぞや見覚えのある白い天井が見えた。
この前退院したばかりの、グライナー総合病院の病室だった。
ベッドの上で天井を見上げるニーナの視界に、長い黒髪の女性が顔を見せた。
「目が覚めましたか?」
「……リディアさん」
リディアの顔を見て、記憶が蘇ってくる。
とは言え、詳細はまだおぼろげだ。
叙任式を終えた辺りまでは何となく覚えていて、立ち去るヘレーネの背中を見送ったのが、自分の最後の記憶だった。
どうやらまた、自分は力尽きて倒れたようだ。
腕をついてベッドの上で体を起こす、リディアが支えて手伝ってくれたが、それでも体の節々から鈍い痛みが返ってきた。
「いたた……」
腕をさすろうとしたが、点滴のチューブに触ったのでやめた。
「……えっと」
まだ少しぼうっとする頭で周囲を見渡す、殺風景な個室の病室で、隣には椅子に腰掛けたリディア。
『着替え』と張り紙のされた紙袋が、サイドテーブルの上に置かれていた。
「コンラートさんがお待ちになりましたわ」
「そう……ですか。あの、私……」
「何か飲みますか?水でいいかしら」
「え……あ、はい」
リディアが立ち上がって、備え付けの小さな冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して、コップに注ぐ。
「過負荷が原因だそうですわ、ニーナさんの今のキャパシティをはるかに超える力を無理やり引き出したことで、肉体にも精神にも過度な負担がかかり、意識が奪われた」
八分目ほどに水の注がれたコップをリディアが目の前に差し出す。
点滴のされてない腕で受け取ろうとしたが、リディアはニーナがコップを握っても手を離さなかった。
「おひとりで飲めますか?」
言われて、軽く手のひらを握ってみる。
何度か開いたり閉じたりして、確かに力が入りづらい感覚はあるが、水の入ったコップが持てないほど弱ってはいなさそうだ。
それを確認したリディアは、改めて微笑んで差し出してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
自分が思っていたよりも喉が水分を欲していたのか、あっという間に飲み干してしまった。
空になったコップをリディアが回収して、もう一杯水を注いでそれをサイドテーブルに置くと、彼女はまた椅子に腰を下ろした。
「あの、叙任式って……」
「無事に終わりましたわ。ニーナさんが頑張ったおかげです」
「ヘレーネ様は……?」
「さあ。魔導アーマーがあったとは言え、おばさまの年齢を考えればかなりキツい一撃だったかもしれませんが……常人とは鍛え方が違いますもの、心配はいりませんわ」
「……」
確かに勝敗を決したあの一撃は魔導アーマーの装甲を破壊するほどの威力だった、しかし、ニーナが気にかけたのはヘレーネの体のことではなかった。
あの叙任式の夜、まさにこれから闘うことになる愛弟子を前にして、彼女は明らかな後悔の念を吐露した。
姪孫であるリディアに対してヘレーネの望んだ生き方は、少なくとも、形式的と言えど自分が刃を向ける相手としてあの場に立つことではなかったはずだろう。
それでも、そのヘレーネ自らが手を回して、リディアを〈ベアラー〉と正式に認めさせる場を設けた。
その胸中は、ニーナが想像するに余りある。
先ほどまで夢に見ていた母の言葉が、ニーナの胸に浮かんだ。
「それより、ニーナさんのお体の具合はどうですか?担当医の先生からお話を聞いた限りでは、相当でしたけれど……」
「はい、もうだいじょうぶです」
まだ少し、頭に《《もや》》が残るような感覚があるものの、次第に治っていた。
ニーナは無意識に胸元のブローチを触ろうとして、何もないことに気がつく。
服も、薄手の病衣だった。
「先生をお呼びしますわ、少し待っていてください」
病室を出て行くリディアを見送ってしばらく、戻った彼女が連れてきた女性内科医のクラウディアに診てもらって、その日の夜には点滴も外されて、退院を許可された。
クラウディア医師曰く、まだ経験の浅い〈エレナント〉にありがちな疲労に伴う症状だそうだ。
とは言え、ニーナの場合はその症状が重く、原因は、本来ならば肉体の限界を超えるような力の解放は、自己の防衛本能が無意識に抑制するはずだが、それが働いていないためだと言う。
「忘れ物はありませんか?」
院内の入院患者向けのシャワーを借りて、コンラートが持って来てくれたと言う制服に着替えたニーナに、リディアが言った。
王立闘技場で倒れた後そのまま運び込まれたため、私物の類は一切この病室にはないのだが、いつもなら胸元に飾るはずのブローチが今はどこにも見当たらなかった。
「えっと、ブローチが……」
「それは今から受け取りに行きますわ」
そう言ったリディアの後に続いて、グライナー総合病院を後にする。
外来受付の時間はとっくに過ぎているため、窓口もシャッターが下ろされており、エントランスは閑散としていた。
だが、正面入り口から一歩外へ出ると、リヒターハーフェンの喧騒が一気に押し寄せる。
首都を行き交う無機質で鋭い光に目を刺されるような感覚が、どこか久しぶりに思えた。
クラウディア担当医が言うには、自分が眠っていた時間は約二日半だそうだ。
「ついて来て下さい、ニーナさん」
リディアの後ろにぴったりとくっついて、街を歩く。
高層ビルとレイヤー化した都市交通インフラに空を奪われたリヒターハーフェンの地上付近は、日中だろうとたいてい薄暗い、ただでさえ年間を通して日照時間の短い土地柄であるが、それでも、この魔導都市には光が絶えない。
ネオンサインやビジョン広告、都市照明の光が場所を奪い合うようにひしめく街であっても、決して光の届かない暗部は存在する。
ビルとビルの隙間、押しやられたような暗黒の佇むその路地にさしかかった時、ちょうど前を通った車のヘッドライトが一瞬差し込んで、何かが、視界の端に見えた気がした。
「あれ……?」
目をやると、そこには廃材を寝床にして横たわる人影があった。
思わず足を止めそうになったニーナの肩を、リディアが急に抱き寄せて、先を急がせるように無理やり歩かせた。
驚いて顔を見上げると、リディアは静かに言った。
「あまり、見ないほうが良いですわ」
「でも、あの方……」
「おそらく、帝国から逃れて来られた難民です」
「……え」
「正当な手続きをされた方であれば、公国は大陸協定に則って救済します。ですが、あのような場所にいらっしゃるということは、そうではない方という可能性が高い。つまり、無闇な接触はとても危険。特に、貴族の娘なら」
「……」
リディアの端正な横顔に落ちる影が、彼女の言葉をいっそう深刻に感じさせた。
見上げるニーナの背中に寒気が駆け抜ける、エレオノーラに出くわしたときも悪い意味で背筋が伸びるが、それとは明らかに異なる、もっと根源的な恐怖だ。
世情に疎いニーナは、初めて自分の目で、帝国がこの国へ何をもたらしているのか、その一端を目撃した。
肩越しに先ほどの路地を振り返る、建物の死角になってもう見えないが、リディアの言葉を聞いた後ではその場所に異質な何かを感じてならなかった。
魔導エネルギーを都市へ供給する大小様々な動力管が、都市を静かに、しかし大規模に動かし、セントラルヒーティングの老朽化した温水循環パイプから滴り落ちる熱湯が、まるで吐息のように湯気を立ち昇らせる。
改めて自分の足で歩いて眺める街には、コンラートの運転する後部座席で揺られるだけでは見えなかったものが目に留まった。
そうしてリディアと歩いて、彼女はモノレールの停車駅へと続くスチール階段を上がる。
慣れた様子で切符を買うリディアを眺めていると、今日の日付が印字された切符を手渡された。
「えっと……」
「空中鉄道は初めてですか?」
そもそも交通機関自体利用したことがない。
出歩くような性格でもないし、そもそも貴族の身分ならありがちだが全ての移動は執事であるコンラートが車を出してくれる。
「大丈夫ですわ、何も複雑なことはありませんから」
「……」
初めて使う空中鉄道にどきどきしながら、ホームで車両を待つ。
リディアは堂々としているが、こうした、貴族ではない人々がほとんどの場所というのはむしろ、ニーナの知らない光景だった。
新聞に視線を落とすビジネススーツの男性に、鞄を幾つも抱えたオフィスカジュアルな女性。
同世代と思われる女の子たちが、ニーナやリディアの制服を見てはひそひそと話をする。
やがて停車したモノレールの車両にリディアと乗り込んで、吊革を掴む。
ニーナには吊り革の位置がやや高く感じたが、リディアの背丈ではむしろ意味がなさそうだった。
カーブに差し掛かるたびに体にかかってくる遠心力に内心あたふたとしながら、しばらく。
各駅停車のモノレールを降りたのは、リヒターハーフェン中央駅前だった。
街へ降りるのかと思いきや、そこから空中歩道を通ってそのままリヒターハーフェン中央駅構内へ。
ごった返す人混みの中、迷路のような内部を迷わず進むリディアになんとかついて行くと、巨大なガラス張り天井の通過型ホームに出た。
間も無く金切音を響かせて停車した車両は、先ほど利用したモノレールとは異なり、魔導エネルギーの動力炉を持つ巨大な先頭車両が客車や貨車を牽引する、魔導機関列車だった。
「帝国が運営している、大陸鉄道ですわ」
客車の赤いコーデュロイのボックスシートに座ったリディアが言った。
「この路線は首都郊外線と言って、公国内を走る路線のひとつです。管理は確か……ドレスタイン伯爵家だったかしら」
「帝国の運営なのに、管理は公国なんですか?」
「いろいろと、複雑な利権事情があるそうですわ」
リディアは肩を竦めた。
先頭車両の魔導機関炉が唸りを上げ、重厚な列車はゆっくりと滑り出す。
窓ガラスに、先頭車両から噴き上がる緑色の光が反射して見えた。
「歴史の講義で教わったかも知れませんが、大陸歴が始まって間も無くの頃は、公国はお隣にある帝国の属領でした。むしろ、〈エレナント〉を擁し、そして、諸侯それぞれが広大な領土を守るこの土地は、当時の帝政下においては主要地だったそうです」
「はい、覚えてます」
「帝国が、その後緩やかに衰退したことで、諸侯たちはグラウエン公爵様の元に統一を掲げ独立しました。隣国であるという土地柄や、両国の歴史的な深い関係性もあって、帝国は一際公国との国交に力を入れている……その証として、帝国は真っ先に公国との路線を開通させたそうです」
リディアの話す声の後ろで、線路を踏みしめるような規則的で独特な音が車両内に響く。
僅かに体を上下に揺らすその振動が、先ほどのモノレールとはまた違った趣をニーナに感じさせた。
「この路線は公国内を巡るだけですが、中には帝国の首都、ブラックスパイアまで繋がる専用路線もあります。首都の中心であるアルカディア・コーポラティブタワーの下層が巨大なターミナルエリアになっていて、吹き抜けの構造はとても壮観ですわ」
「リディアさん、行ったことあるんですか?」
「個人的な興味で、一度だけ。おばさまの名前を勝手に借りて、貴族優待席の乗車券を購入しましたの。戻って来て、それはそれは熱のある指導を受けましたけれど、貴重な体験でしたわ」
「えっと……ひとりで行ったんですか?」
「ええ」
当然のようにそう答えるリディアに、ニーナは面食らった。
貴族の娘、それも、軍務局長官という政治的最高権力のひとつを担う人物の一人娘が、陸続きと言えど国外へ出かけるのに、付き添いもつけないとは恐れ入る。
つくづく色々な意味で自分とは次元の違うひとだと、ニーナはおののいた。
ひっそりと衝撃を受けるニーナをよそに、車窓の外を流れるビル街の光を眺めながら、リディアは懐かしそうに話を続ける。
「タワーの中もしばらく見学しましたけれど、その中を見て回るだけでも、あの国には公国とは異なる美学が息づいていることがわかりますわ」
「すごい場所なんですね」
「ええ、まるでビルひとつが都市そのもののような、そんな場所でしたわ。今年の学習旅行は帝国だそうですから、ニーナさんもご覧になれますわね」
そんな話をしているうちに、列車がブレーキ音を響かせながら減速を始める。
「さあ、降りましょう」
リディアに続いて列車を降りる。
駅を出ると、目の前には巨大な大聖堂があって、すぐ隣にはその何倍もの高さの超高層ビルが聳え立っていた。
「こちらです。ブローチを受け取りに行きましょう」
「え?」
そのビルへと向かうリディア、後について行くと、エントランスに公国技術研究局の文字が見えた。
「ここって……」
オートマチックドアから中へ入り、受付の女性にリディアが声をかける。
「リディア=フォン=ヴァルクライネですわ、ハンスさんをお願いできますか?」
「……ハンスですね、お待ちください」
受付の女性はすぐに手元の電話機から連絡を取って、奥のエレベーターを手で差した。
「27階へお上がり頂いて、奥のC-46の研究室です」
「ありがとうございます」
案内に従ってエレベーターに入ると、リディアはすぐに説明してくれた。
「担当医のクラウディア先生が仰っていましたわね。オーバーロードを引き起こすような過剰な力の解放は、本来、〈エレナント〉の持つごく自然な身体機能として抑制されるはずが、ニーナさんの場合は上手く働いていないと」
「はい、そうみたいです……」
「ニーナさんの負担を考えて、勝手ながら、このままでは危険だと判断しましたの」
エレベーターの扉が開き、照明の薄暗い廊下へ出る。
手前からAと割り振られたドアを横目に、目線の高さにフロスト加工の施されたガラスの回廊を奥のほうへと歩いて、目的のドアの前に立つ。
リディアがドアをノックしようとしたところで、中から誰かが扉を開いた。
「ああ!これは……ヴァルクライネ嬢、ようこそ。受付から内線があって、そろそろかと」
現れたのは、白衣姿の小太りな男性だった。
公国の男性は目鼻立ちのはっきりしている人が多いが、彼はどこか愛嬌のある顔つきで、度のきつい丸い眼鏡を鼻の上に乗せている。
「ハンスさん、ごきげんよう。こちら、警務局副総監でいらっしゃるリリエンタール男爵のご息女、ニーナさんですわ」
「リリエンタール嬢、初めまして。ハンス=シュレーダーと申します。ヴァルクライネ嬢からお話はお聞きしております」
少し喉に詰まるような独特な話し声でそう言って、ハンスが恭しく頭を下げる、ニーナも倣ってお辞儀を返した。
「あ、えっと……、ニーナです」
「ハンスさんは、おばさまの魔導アーマーの調整を担当されている技術者ですわ。魔導工学と人体工学にも深く傾倒されていて、おばさまも厚く信頼を寄せるお方です」
「いえいえ、滅相もない。さあどうぞ、お入りください。ご依頼頂いたお品物については、既にできております」
ハンスが奥の棚から手のひらに乗るサイズの黒いスチールケースを持ち出して、研究室の中央にあるテーブルの上へ置いた。
彼が蓋を開けると、そこには見覚えのあるブローチが入っていた。
「あ、私の……」
「はい、ヴァルクライネ嬢から事情をお伺いしまして、こちらで調整を加えさせて頂きました」
「調整?」
首を傾げながらハンスの顔を見つめ返す、答えてくれたのはリディアだった。
「先ほどのお話の続きですわ、ニーナさん。ニーナさんがオーバーロードに陥らないために、ブローチに制御装置を加えさせて頂きましたの」
「リミッター……ですか?」
「ええ。それに加えて、〈エレナント〉の力を魔導エネルギーへ変換したそのエネルギー量や、ニーナさんの心拍数、呼吸量、血中酸素を常にモニターするようにしています」
「?」
聞きなれない言葉が続き、首を傾げるニーナがますますぽかんとする。
話について来れていないことを見て、ハンスがまとめてくれた。
「要するに、リリエンタール嬢、これから貴女は〈エレナント〉として闘うだけでなく、ご自分のお体に合った力の使い方ができるよう、鍛錬を始めることが望まれます。それをより効率化するため、そして何より、過負荷からリリエンタール嬢ご自身をお守りするために、いろいろと特殊なものを組み込まさせて頂いたのです」
「な、なるほど……」
確かにこのまま、闘うたびに倒れるようではリディアにも迷惑をかけてしまうだろう。
だが、〈エレナント〉の力を抑制されるということはつまり、〈ベアラー〉であるリディアもその制限を受けるということだ。
アーマギアは優れた兵装だが、それは〈エレナント〉自身の胆力や、〈ベアラー〉自身のポテンシャルの上に成り立つもの。
戦士としてのリディアの能力に疑う余地はないが、もし足を引っ張るならば___それは自分だ。
あの叙任式で、状況を一変させヘレーネを打ち破ることができたのは、自分が限界を超えて力を解放できたからでもある。
今後、如何なる闘いでそういった状況に陥るかは分からない。
リディアの気遣いを素直に嬉しく思う反面、その制御装置によって、彼女に迷惑をかけてしまうことになるのではないか、そんな思いがニーナの中に浮かんでいた。
あどけない相貌に難しい表情を浮かべて立ち尽くすニーナ。
リディアはスチールケースからブローチを取ると、それをニーナの胸元へ着けた。
「そんな顔をしないで、ニーナさん」
「でも……」
「お気持ちは分かりますわ、あなたの〈ベアラー〉ですもの。けれど、ニーナさんはまだ……いえ、私たちは、叙任式終えてまだ踏み出したばかり。今はその一歩を、大切にしましょう」
「リディアさん……」
リディアの言葉には、やはり不思議な力がある。
そう感じたニーナの胸の中で、沈みかけていた闘志が、静かな熱を伴って、また少し込み上げてきていた。
「はい」
頷いたニーナの表情が変わったことに、リディアが微笑む。
彼女はハンスに向き直ってお礼を述べた。
「ありがとうございます、ハンスさん。お世話になりました」
「いえ、ヴァルクライネ嬢。ヘレーネ閣下からも、可能な限りお二方へ手を尽くすよう、仰せつかっておりますので」
「それはありがたいことですわ、おばさまにもよろしくお伝えしておきます」
「身に余るご厚意」
ハンスに別れを告げ、ふたりは技術研究局のビルを後にした。
列車に乗り込み、腰掛けた座席でニーナは胸元のブローチを握りしめた。
これから派閥長戦が始まる。
名だたる貴族を相手に、自分たちの闘いが始まるのだ。
(最低限、足を引っ張らないですむようになろう)
ニーナは小さな決意を胸に秘め、まっすぐな鉄道を走る列車に、身を委ねた。




