第11話:限界突破 / Grenzen überschreiten
王立闘技場、アリーナ。
高輝度魔導灯が無機質な白い光を落とす舞台に、ニーナとリディアは立っていた。
そして、ふたりとは反対の位置に、純白の魔導アーマーを纏った女性の姿がある。
ヘレーネだ。
「これより、リディア=フォン=ヴァルクライネの叙任式を執り行う!」
公国の旗がたなびく巨大なハルバードを地面に突き立て、ヘレーネは声を張り上げた。
「立会人は私だ。例外措置として、今夜の叙任式では〈ベアラー〉に適格であるのかを試験し、その勝利を以て契式を完了とする。ニーナ=リリエンタール、リディア=フォン=ヴァルクライネ、前へ!」
闘技場全体を包む物々しい雰囲気に思わず尻込みしそうになるが、リディアに続いてニーナも前へ歩み出る。
アリーナを取り囲む楕円型の観覧席には、正礼装の貴族たちがずらりと並び、ニーナの位置からでは遠くてよく見えないが、しかしここからでも目立つ一際豪華な席、公覧席には、どうやら大公の姿もあるようだ。
ニーナは視線を戻す。
間近へ対峙したヘレーネは、この場の自分達にしか聞こえない程度の声で、静かに言った。
「お前には多くを教えたな、リディア。ただ一つ、女としての人生を除いて」
その言葉を受け、しかし、リディアは不敵に微笑んで返す。
それはむしろ、懺悔とも言える師の言葉を一笑に付すような態度だった。
「後悔していらっしゃるのでしょう?おばさま。知っていますわ。いえ、ずっと前から気づいていました」
「そうだろうな。……お前は賢い娘だ。いい嫁ぎ先だって見つけられたことだろう。私が、その道を閉ざしたんだ」
「年寄りの後悔なんて、聞くに堪えませんわね。何より、私がそれを悔やんでいない。私に……リディア=フォン=ヴァルクライネに、今この瞬間以外はあり得ません」
目を伏せて、ヘレーネは深くリディアの言葉を聞き入れた。
再びゆっくりと目を開くと、その視線をニーナへ向けた。
「ニーナ」
「あ……、はいっ」
「お前はただ、リディアを信じればいい。それが、先へ進む力になる」
ハルバードの旗を翻し、ふたりへ背を向けるヘレーネ。
距離を取って、再び向き直った彼女は、静かに、自身の得物を構えた。
その瞬間、ヘレーネはリディアの大叔母ではなく、武人___白雷となる。
「今夜ここでお前達に授けるのが、私からの最後の訓示だ。受け取れ、そして___拳で示せ」
魔導アーマーがフェイス・マスクを展開してヘレーネの顔を覆い、その額に、一本の角が伸び出る。
白く、勇壮で、それはまるで神話に登場する一角獣のような、美しく高潔な戦士の姿が、そこにあった。
「ニーナさん」
「はい!」
リディアに応えるように、ニーナは胸元のブローチを掲げた。
〈エレナント〉の力を解放し、ブローチが機構を展げて輝きを灯す。
「“征け、その拳で正義を示せ”___!」
ニーナの足元に魔導陣が広がり、赤い光を放つ。
ブローチを手の甲に装着して、ニーナは手のひらを力強く正面へとかざした。
「“汝に、力を”ッ!」
閃光が迸り、光の欠片がリディアの体を覆っていく。
顕現した紅の戦士は、拳を構え、石火の如く駆け出した。
リディアが踏み込み、蹴り上げた地面が砕けて土を散らす。
一瞬でヘレーネとの距離を詰めた深紅のアーマギアは、上体を振り絞って拳を振り下ろした。
肉眼で捉えるのが困難なほどの一撃、しかし、ヘレーネはそれを難なく躱し、ハルバードの切っ先が照明の光を反射した刹那、彼女の懐から稲妻の如き刺突が放たれた。
体を捩って、躱しざまにリディアが強烈なフックカウンターを打ち出す。
しかし、その一撃は空を切る。
素早くハルバードを引きながら屈み込むヘレーネの頭上を、リディアの拳が掠め大気が唸り声を上げた。
ヘレーネは姿勢を落とした状態から大きく踏み出し、再びハルバードを突き出す。
閃光が二回、いや、三回、煌めいた。
ニーナには、ヘレーネのハルバードを残光でしか捉えられなかった。
一瞬の間に繰り出された突き技を、瞬発的に左右へ体を振ってリディアは回避、ヘレーネが得物を手元へ戻す隙にアウト側へ踏み出み、続く一撃を拳を引きながらさらに半身で躱して、反撃のストレート。
攻撃を終えた直後でヘレーネの体は伸び切っている、拳を入れるタイミングは完璧だったが、しかし、それはまたも空を切る。
「!」
仰向けに倒れ込むようにして紙一重で逃れるヘレーネ、リディアの背後に回り込んで、ハルバードを大きく振るいながら地面を蹴り上げる。
振り向いたリディアの側頭目がけ、その遠心力で強力な回し蹴りを叩き込んだ。
ガードの間に合ったリディアの体が、衝撃で後ずさる。
間髪入れず、さらに横凪の斬撃。
間合いを見切ってバックステップ、後ろへ差し出した足で踏ん張って、バネのように上体を揺り戻しながら懐へ入り込み、リディアが拳を放つ。
身を躱しながらハルバードの持ち手でそれを弾くヘレーネ、素早く持ち替え、鋭い柄打を繰り出す。
突き出される柄頭へ、リディアが前腕の装甲を横からぶつけて軌道を逸らし、さらに踏み込んで拳を打ち出す。
拳と長物による息もつかせぬ至近距離の攻防、互いの攻撃を弾き合う金属どうしのぶつかる甲高い音が闘技場に反響し、拳を、武器を振るうたび、旋風が巻き起こって砂塵を舞い上げた。
「……っ」
ニーナは息を呑んだ。
ヘレーネの纏う魔導アーマーは、言ってみればアーマギアを元に作られた汎用ギアだ。
〈エレナント〉の力に依存するアーマギアとは異なり、魔導アーマーはコアに蓄えられた純粋な魔導エネルギーのみで稼働している。
身体能力を補助、拡張し、衝撃から使用者を守るという機能こそ似通っているが、アーマギアが〈エレナント〉と〈ベアラー〉の絆の強さによって理論上無限の出力を誇るのに対し、魔導アーマーには明確な性能限界が存在する。
だが今、リディアとヘレーネの繰り広げる闘いは互角か、それ以上に、ヘレーネが圧しているように見えた。
無論、弟子であるリディアの手の内を彼女が知り尽くしているというアドバンテージはあるだろう。
リディアの得意とする打撃、拳の軌道やフェイントのタイミング、そして次にどの攻撃へ繋げるのか、その裏をかき、いやらしい角度へ回り込み、時に正面から挑んで、あの手この手でリディアの勝ち筋を否定する。
実際、アーマギアや魔導アーマーを考慮しない純粋な打ち合いならばヘレーネがリディアを圧倒する、それは、先日ふらりとトレーニングルームへ現れたヘレーネとのスパーリングが結果を示している。
しかしそれだけで、汎用兵装がアーマギアという公国最強の装備に肉薄することはできない。
白雷と謳われる所以が、そこにあるのだ。
公国旗のはためくハルバードを操る純白の魔導アーマーが、光の舞台にその身を踊らせる。
疾く、そして力強く、その姿はまさに夜空を迸る白き雷光。
リディアの拳は、ヘレーネをなかなか捉えられない。
だが、アーマギアを通じて伝わってくるリディアの鼓動の高鳴りは、焦りではなかった。
闘いへの高揚、燃えるような戦意、あるいは___怒り。
汗が頬を転がり落ちる、次第に息が上がって、リディアが拳を打ち出す度に、のしかかるような疲労がニーナを襲う。
「はぁ……はぁ……っ」
リディアの出力に、ニーナの体力が先に尽きそうになっていた。
視界が狭まり焦点がぼやけ始める、頭が鈍い。
「ッ、ニーナさんっ!?」
名前を呼ばれて我に返るニーナ、一瞬、集中が途切れていた。
ヘレーネの振るったハルバードの切先が、アーマギアの装甲を掠める。
リディアの動きに、僅かだがラグが生じ始めていた。
「先にお前の〈エレナント〉が膝を突くぞ!」
「……ッ」
リディアが反撃するが、その打撃は明らかに先ほどまでの勢いを落としていた。
ハルバードの持ち手に弾かれ、開いた胴体に柄打、下がった顎を柄頭で跳ね上げられる、そこへ蹴りが入り、リディアの体が吹き飛ぶ。
「リっ、リディアさん……っ!」
受け身を取って立ち上がるリディア、頭を振ってすぐに駆け出す。
束の間、彼女の中に走った動揺を感じ取ったが、リディアの心はすぐにヘレーネとの闘いへ向けられた。
焦っているのは、自分のほうだ。
集中しようとするほど肩は重く、立っているだけでも手足が千切れそうな痛みを訴える。
だが、それこそがニーナに思い知らせる、自分は今、間違いなくリディアとともに闘っているのだと。
『お前はただ、リディアを信じればいい』
ヘレーネの言葉が、胸の中で鳴る。
リディアを選んだことに後悔もなければ間違いもない。
それを、ここで証明する。
いや、これから証明し続けていかなくてはならない。
あの日、彼女の拳を借りて、自分は闘うことを選んだ。
リディアの掲げる拳は、自分の拳なのだ。
変えたいと思った、変わりたいと願った。
もう、誰にも自分を否定なんてさせない、そのために、こんなところで膝を突くことはできない。
(最後まで……っ、最後まで闘いぬけ!ニーナ=リリエンタール!)
装着したブローチが、手の甲でさらに光を放ち、ニーナの瞳が赤い輝きを帯びる。
鉛のように重たい腕を、痛みを堪えて持ち上げ、真っ直ぐに、ニーナは頭上へと掲げた。
「“燃やせ、清廉なる……怒りを”___っ!」
ニーナの足元に、再び赤い魔導陣が広がり、アーマギアが出力を取り戻す。
半歩ほど遅れを取っていたリディアが、再びヘレーネと同等に、いや、それ以上に疾くなる。
「___“負けじの魂よ、闘争の本能を解き放て”ッ!」
ニーナが腕を振り下ろし、力強く正面へかざす。
リディアの前腕を赤い光が走り、その装甲が開いて魔導エネルギーが噴き出した。
咄嗟にヘレーネがハルバードを突き出す、しかし、叩きつけるようなリディアの拳が、それを粉砕した。
「ッ!?」
ヘレーネに隙が生まれた、彼女はリディアの次の攻撃を警戒して素早く体勢を立て直そうとするが、リディアのほうが僅かに上回る。
踏み込んだ地面が砕け、上体を目一杯に振りかぶり、深紅のアーマギアが咆哮する。
「“我が拳は___正義のために”ッ!」
赤い閃光の迸るリディアの拳が、遂に、ヘレーネを捉えた。
前腕から噴出する魔導エネルギーの、絶大な推力の生み出す衝撃が、波動となってアリーナを突き抜け、ヘレーネの体をはるか後方まで吹き飛ばす。
背中から地面に打ち付けられたヘレーネは受け身を取って立ち上がろうとしたが、しかし、すぐにがくりと膝を突いた。
彼女の魔導アーマーは、拳を喰らったその前面装甲が砕けて破損し、スパークを散らす。
動力系統にとってかなりのダメージだろう、ああなっては、魔導アーマーなどただ重たいだけの鎧だ。
「はっ、は……っ」
滝のような汗が流れ出て止まらない。
ニーナの顔が歪むのは、汗が目に入った痛みだけが理由ではなく、ひとりでに閉じそうになる瞼をこじ開けるのに必死だからだ。
刃の砕かれたハルバードを支えにして、ヘレーネが立ち上がる。
リディアは咄嗟に構えをとったが、ヘレーネはフェイス・マスクを収納して汗に濡れた顔を露わにすると、ハルバードを地面に突き立てて高らかに宣言した。
「リディア=フォン=ヴァルクライネの勝利を以て、叙任式並びに契式の完了を___ここに宣言するッ!」
束の間、沈黙が闘技場を支配し、瞬く間にどよめきが広がった。
見届けていた貴族達は皆、それぞれに動揺を口にして観覧席が途端に騒がしくなる
しかしヘレーネは、それを意に介することなく、続けた。
「グラウエン公国は、お前をニーナ=リリエンタールの〈ベアラー〉として正式に認めるだろう」
そう言って、少しの間彼女はリディアとニーナを見つめたが、やがて公国旗を翻しふたりへ背を向ける。
立会人としての役目を終え歩き去っていくその背中には、複雑な心境が垣間見えたものの、押し寄せるような疲労に呑み込まれるニーナは、それに考えを巡らせることはできなかった。
「……はぁ、はぁ」
照明の眩い光が目の中でぐるぐる回り、平衡感覚が消え失せ、意識が遠退いていく。
「ニーナさん!」
歪み、崩れる視界の中で、リディアへと無意識に手を伸ばしていた。
その手が彼女に届いたのか、暗闇に落ちたニーナの意識は覚えていなかった。
「見事だな」
ヴェステンラウ家筆頭の派閥観覧席で、エレオノーラはジークフリートのその言葉を静かに聞いた。
周囲は、公国の歴史に初めて現れた女の〈ベアラー〉に対し、動揺を隠せないでいるようだ。
「……当然の結果でないかしら」
女の〈ベアラー〉がどうこうというのは別として、今夜のこの結末に、エレオノーラは何も意外性を感じていなかった。
確かに、ヘレーネは尊敬すべき、そして、比類なき武人に違いない、故にジークフリートも、リディアがヘレーネを圧倒した結果に感心し、称賛を送るのだ。
ただ、契約のもたらす力や、リディアのポテンシャルを考えたとき、不安材料と言えるのはむしろあの娘、ニーナだけだ。
そしてニーナもまた、自分に啖呵を切ったことに見合うだけの結果の一つを、ここで示したに過ぎない。
「厄介な相手になるな」
ジークフリートが言う。
その声は、この場で叙任された新たな〈ベアラー〉を恐れている訳でも、脅威と見做している訳でもなく、その存在をどこか頼もしげに見ているような、楽しむ様子があった。
「それは重要じゃないわ、力を持つのなら、それに見合うだけの正しさを持たなければ意味がない」
エレオノーラは、アリーナへ向ける視線を鋭くする。
アーマギアを強制解除されたリディアの腕の中で、ニーナは気を失い眠っていた。
彼女はまだ〈エレナント〉としての器を開花させたばかりだ、体力が追いつかないのは、むしろ当然だろう。
だが問題はそこにはない。
ニーナが〈ベアラー〉を選び、この夜リディアが叙任されたことで、大公戦へ向け局面は本格的に動き始める。
リディアはおそらく、女としてでなくともこの国の歴史に名を刻む〈ベアラー〉になるだろう。
それだけの戦士を従え、あの未熟な娘はいったい、大公位を争うという公国最大規模の闘いの舞台に、何を示すのか。
エレオノーラの考えは慎重だった。
「……」
公覧席のほうを一瞥する。
大公戦の背後には、隣国である帝国との摩擦が過熱しつつあるという問題が横たわっている。
ただ大公位を決めるだけでは済まない。
曰く言い難い嫌な予感が、エレオノーラの胸中でその鎌首をもたげていた。




