第10話:決戦の闘技場 / Die Arena der Entscheidung
グラウエン貴族学院、放課後。
叙任式の正式な通達があったと聞き、ニーナはリディアのトレーニングルームを訪ねていた。
「お、王立闘技場……?」
タッチモニタへ表示してもらった通達文書には、先日ヘレーネから聞いた通りリディアの適性について試験する旨が書かれていたのだが、その開催場所を見たニーナの顔には、困惑の色が浮かんでいた。
「派閥長戦などの闘いであれば、貴族がそれぞれに決闘の場を用意するのが大原則ですが、叙任式として、それなりの場所を用意された、ということですわね」
サンドバッグにワンツーを打ち込むリディアが、あっけらかんとそう言った。
しかしながら、そんなリディアとは裏腹に、ニーナはその文字を見ただけで早くも胃が重たくなる。
王立競技場は、リヒターハーフェンに残る数々の文化遺産の中でも、屈指の歴史的価値を誇る場所として知られている。
本来解放されるのは、まさに次期大公位を決める大公戦での決勝か、平和的国際イベントなどの会場としてのみであり、ニーナは、未だ入ったことすらない。
それが、たったひとりの〈ベアラー〉を試験するために開かれたというのは、元老院という政治的規模で、自分たちが注目を集めていることの証左と言える。
「この適性試験とやらも、おおかた、おばさまが手を回したのでしょうね。でなければこんなことになり得ませんもの」
「え?」
振り返ってリディアを窺う。
サンドバッグ打ちを一旦止めたリディアは、傍らのベンチから水筒を拾い上げて一口煽り、口元を拭って言葉を続けた。
「私の父上は軍務局最高権力者であり、縁筋のおばさまは軍務局中将。没落のヴァルクライネなどと侮られようとも、元老院では、決して無視できない家柄ですわ。そして〈鉄拳令嬢〉と恐れられる一人娘は、異端の“女ベアラー”になった」
「……」
「しかもその〈エレナント〉は、新興貴族にして警務局ナンバーツーである新進気鋭のリリエンタール男爵の娘。公務においても繋がりが強く、政治的地位をもつ両家が近づいたとあっては……面白くない方々がいらっしゃっても不思議ではないと、そう思いませんこと?」
そう言って、リディアはまたサンドバッグに向き直り拳のリズムを奏で始めた。
色々と、学生の自分達には見えないところで、しかし、自分達がしっかりと巻き込まれたパワーゲームがあったと、そういうことらしい。
エレオノーラが画策した結果の、成り行きによる事情というのもふたりには大いにあるものだが、ニーナの知るこの公国の貴族社会においては、如何にもな話だ。
しかし、随分と流暢に推理を披露して見せたリディアに対し、ニーナは少し、違和感を覚える。
「なんだか、楽しそうですね……リディアさん」
「そう見えまして?」
軽くステップまで織り交ぜながら、リズミカルにサンドバッグを鳴らすリディア。
「……はい、なんとなく」
リディアのトレーニングシューズが、床を踏みしめる音が響く。
軽やかだったステップは、次第に、体の重心を左右交互に移動させる振り子のような運動へと変わって、ワンツーを奏でていた打撃のリズムは、四分の二拍子を刻み始める。
「……私はっ、そういう、連中の……っ、鼻をっ、明かすのが___ッ!」
踏み込んで、リディアが思い切り拳を振り抜く。
「っ!?」
腹に響くような一際大きな音と衝撃が突き抜け、サンドバッグが宙に飛び上がる。
吊るした鎖が悲鳴を上げながら、サンドバッグは天井に激突して戻ってきた。
「___大好きなんですの」
「……」
打撃の威力とは裏腹な、冷静な低い声で、リディアがそう続けた。
最後のその一撃だけは、トレーニングどうこうでは説明し難い、感情のこもった一撃に見えた。
リディアが汗を拭う、少し上気した頬に濡れた前髪が張り付く艶っぽい顔をニーナに向けて微笑んだ。
「なんであれ、私のすることに変わりはありませんわ。おばさまを倒して、ニーナさんの拳に相応しいことを証明する」
リディアは頼もしいが、対照的に、ニーナの胸中は未だ茫漠としたままだ。
エレオノーラには啖呵を切ったものの、彼女に放った言葉を実現するために自分が何をすべきなのか、イメージは湧かなかった。
「……私は、どうしたらいいんでしょうか」
「そう慌てる必要はありませんわ。まずは、叙任式に勝利しましょう」
リディアがテーピングのされた拳を差し出す。
ニーナは彼女のその拳に、自分の小さな手のひらを握って、そっと押し当てた。
迎えた叙任式当日。
ニーナは初めて訪れた王立闘技場の、戦士控え室にいた。
「す、すごい場所ですね。王立闘技場って……」
控え室と言うには少々豪華すぎる内装に圧倒され、制服姿のニーナは腰掛けたソファでもぞもぞと体を動かしては落ち着きがなかった。
外観こそ荘厳な建物だが、闘技場というからにはもっと殺伐とした内装かと思っていたが、中は社交会で使われる貴族の邸宅と変わらない。
いや、それどころか輪をかけて絢爛だ。
「この闘技場は元々、大陸暦以前に建てられた建築物だそうですわ。数百年ほど前に、時の大公自身がパトロンとなって、莫大な私財と公予算を投じて復元したものが、現在の姿ですわね」
少し離れたスペースの開いたところで、壁を借りずに見事な倒立を維持したまま腕立てをするリディアが、そう教えてくれた。
準備運動中のため、彼女はトレーニングウェアだ。
「授業では、まだ習っていませんか?」
「えっと、たぶん……」
パステルカラーの天井から白い壁面にかけて彩る繊細で優美な曲線装飾と、随所に散りばめられた金の意匠。
このソファや幾つかの家具も、パステルな色味と植物の葉や貝殻を思わせる装飾デザインが取り入れられており、とても華やかであるものの、大事な一戦を前にあまり心を落ち着けて集中できる空間ではなかった。
倒立の姿勢から、背中側から倒れ込むようにしてそのままくるりと起き上がったリディア、壁に向き合うと、今度は脚を上げて柔軟体操を始めた。
「……リディアさん」
「はい」
「あの、ヘレーネ様って……大叔母さんなんですよね」
今聞かなくてもいい質問であるのは自覚している。
ただ、緊張感から、ニーナは何か話していたい気分だった。
「ええ。私の祖母の妹にあたりますわ」
「……なんと言うか、お若いと思って」
年齢など知りはしないが、そう聞く割には、ヘレーネは随分と若い印象を受ける女性だった。
直系の縁筋というのもあってか、どこかリディアと顔立ちや雰囲気も似ていて、正直、親子と紹介されても違和感がないほどだ。
「実際、年齢は父上とそう変わりませんわ。曽祖母の代は特に風当たりの強い時期だったそうで……、躍起だったのでしょうね」
〈エレナント〉を血筋に取り戻そうと子を多くもうけた、そういうことだろう。
掲げた脚を壁につけ、前屈しながらそう話すリディア、しかし、その言葉にはどこか冷たさもあって、自らの生まれた家の、決して遠くはない時代の話であるというのに、まるで他人事のような淡白さだった。
それがつまり、リディア自身が家名に執着することもなければ、その復権にも頓着していないということを、雄弁に物語っているのだろう。
「私の祖母は六人姉妹の長女で、おばさまはその末女。歳は二十近くも離れていたそうですわ」
「そんなに……?」
「むしろ私の母上と姉妹のようだったと……父上はそう仰ってましたわ。おばさまは、遅い生まれだったそうで」
「軍務局には、どうして?」
一口に軍務局と言えど、無論ヘレーネのような軍人もいれば、実際に組織として運営、統率をしているのは文民であり、それがリディアの父だ。
軍務局には女性も多いそうだが、軍人であるのはごく稀で、軍属の医師や技師、事務職や通訳などといった業務に就いていることがほとんどだと、ニーナは社会科の授業で聞いたことがある。
階級を持つ軍人として、任務や訓練に従事する女性がいるなら、それはおおよその場合〈エレナント〉だ。
故に、〈エレナント〉ではないヘレーネが、軍人として軍務に従事し、しかも中将という立場にまで上り詰め、白雷の異名を得るまでになったというのは、並々ならぬものがあるのだろうと、そう思えた。
リディアが拳を磨き続ける以上の、何か、深い執念を感じる。
「それは……おばさまの、とても個人的でデリケートな事情を説明することになりますわ。と言っても、何もおばさまの名誉を害するような話ではないのですけれど。私といればお会いする機会は自然と増えますでしょうから、お近づきになれたらぜひ、ニーナさんの口から直接尋ねてみることをお勧めしますわ」
リディアはそう言って姿勢を戻すと、最後にぐっと大きく伸びをしてこちらへ戻ってきた。
「さあ、もうすぐ時間ですわね。着替えますから少し待っていてください」
言われて、置型の巨大な振り子時計を見上げる。
妙に意匠にこだわったデザインのせいで文字盤を読みづらいものの、確かにもうすぐ叙任式の始まる時刻だ。
今夜の主役は自分たちだ、時間を間近にして改めてそう考えると、胃の辺りがぐるぐるし始める。
リディアが着替えを終え、しばらくもせず控え室の扉がノックされた。
迎えに現れた執事の案内で、入り組んだ建物の中を進み、ついにそのアリーナの入口に立つ。
観覧席数万人規模の建物だが、無論そのすべてが今夜埋まっている訳ではない。
とは言え、招かれたのは派閥内の貴族のみならず、ニーナがまだ顔すら知らない別派閥の貴族達や元老院議員、そして、その席のどこかにニーナの両親がいる。
その全員が、正礼装で自分たちの闘いを見届けに来ているのだ。
「行きましょう」
リディアが制服のスカートを揺らし、階段を上る。
その背中に、ニーナも続いた。
「……はい」
今夜の結末がなんであれ、いや、今夜は、絶対的に勝利を以てして終えなければならない。
それはつまり、この夜を境にして、自分の、自分たちの、運命が大きく動き始めるということ。
その自覚が自分にあるのか、そして、その先に何が自分を待つのか、考えても分からないことだらけだ。
ただ一つ言えるのは、自分はリディアを信じていて、リディアはこんな自分を〈エレナント〉として認めてくれているということ。
制服の胸元にあるブローチを握りしめる。
白く冷たい光の降り注ぐ舞台へと、ふたりは踏み出した。




