第9話 東山隧道
東山隧道。
夜はゼッタイに来たくない場所だ。
東山から山科方面へ向かう国道一号の五条バイパスのトンネルは自動車専用道路なので、歩行者や自転車は、その隣のトンネルを使うことになる。明治三十六年に開通した、歴史的価値のあるトンネルで、花山隧道とも花山洞とも呼ばれる。
心霊スポットとしても有名な場所で、トンネルを歩いていたら誰かに触られたみたいな感じがしたとか、ジョギングで走っていたら誰かがついて来たとか、落ち武者がいたとか、枚挙にいとまがない。加えて、あの辺りは鳥辺野といって、平安時代には風葬、つまり亡骸を野に晒した場所だ。
そんないわくつきのトンネル、普段なら昼間でも遠慮したいが、封じの依頼となればそうも言ってられない。
七月ある日の午後四時。
オレたちは花山洞の東山側の入り口に立っていた。蒸し暑くて、立っているだけで汗が流れ落ちてくる。目の前には、異界への入り口のようなトンネルが大きな口を開けている。口の上からは雑草の蔓が伸びていて、風に揺れている。
誰も入っていかないし、向こうからも誰も来ない。
「なにもこんな夕方じゃなくて、もっと真昼間にした方がいいんじゃなかったんですか」
オレは、トンネルの先をじっと見つめる小春さんの背中に言った。
「怖いのか? 日の入りは十九時過ぎだ。まだまだ暗くはならない。行くよ」
そう小春さんが言って、ヒカリさんとカゲ、クロを乗せたトラが続く。仕方ないからオレも入って行く。トンネルに入った途端、ひんやりとした空気が身体を包む。トンネルの中だからか、それとも……
オレは、このまま何もなく向こうまで抜けてくれと祈っていたけど、三分の一ほど進んだ時、カゲとトラの封じの鈴がチリン、チリンと鳴り出した。クロは……ぷるぷる震えているだけで役に立ちそうな気配はない。皆の足が止まる。カゲとトラは伏せの姿勢で、イカ耳になり、尻尾は毛羽立ってゴンぶとだ。緊張が一気に高まる。
封じの鈴が徐々に激しく鳴り、バタバタと音を立てて風が吹き抜ける!
「来るよ」
小春さんが言う。
急に風が止み、皆が出口を凝視する。霊感とかヤマ感とか一切ないオレでさえ、向こうからやってくるモノの気配を感じた! こりゃヤバい、と思った刹那、それはいきなり現れた! しかも背後から!
「なっ!」
と言う叫び声を残して、小春さんが後ろから弾き飛ばされた。
「っ!」
オレは、背中がぞわぞわぞわっと鳥肌立ち、進むことも、振り向くこともできなかった。ウソだろ……デタラメのように強い小春さんが、一撃で!?
「小春さん!」
ヒカリさんが叫ぶ。
「逃げ……ろ……」
逃げろ、と言われても足がすくんで動けない。顔だけねじって後ろに立つ、そいつを見た時、オレは呼吸さえもしてはならない気がした。
そいつは、天井にまで届きそうなくらい巨大なゴーレムのような人型で、手や足や腹や身体中の全てに、およそ見たことも無いような憎悪に満ち、叫び続ける人の顔が貼り付けられていた。
「重層地縛霊だ」
ヒカリさんが呟いた。
「重層地縛霊?」
「隧道の工事で亡くなった者、鳥辺野に捨てられた死者、事故で亡くなった人々の怨念が、長年かけて積層した集合体の地縛霊だ! トラ、小春さんをお願い! カゲ、五芒陣を敷け!」
ヒカリさんがそう猫たちに命じた瞬間、ゴーレムに張り付けられた顔たちが一斉に叫び声をあげた。途端に空気がいきなり重くなり、身体全体が道路に押し付けられた。
「うっ」
っと思わず声が出るほど、一気に地面に押し付けられた。中腰で立っていたのが、四つん這いになり、それでもぐいぐい押し付けられて、ついにオレは腹ばいに叩き伏せられた。
な、に、コレ……
何とか顔だけねじり、ヒカリさんの方を向くと、正座の姿勢を保つヒカリさんを守るかのように、道路から光が漏れ出している。あれが五芒陣とかいうヤツだろうか。そして、左手を地縛霊に突き出し、まるでこちらへの接近を止めているかのようだ。猫は二匹ともべったり道路に張り付いている。
喰らうためか、叩き潰すためか、とにかくそいつがオレ達の方に進もうとしているのがわかる。それをヒカリさんの左手が止めているのだ。止められてイライラしているのか、オレたちを押さえつける重力がさらに強くなった。
ぐうぅっ! 何か、オレに出来ないか、素質あるって言われたじゃんか! 考えろ、考えろ! そして、オレは思いつく限りの呪文? を叫んだ!
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前っ!
アノクタラサンミャクサンボダイ!
エコエコアザラク!!
「効くか、そんなの!」
地縛霊を食い止めているヒカリさんが叫んだ。
くっそぅ、これならどうだ!
エクスペクト・パトローナム!
インペリオ!
「ハリーポッターかっ!」
確かに。叫んでるオレでも効く気がしない。
ギリギリと、道路に押さえつけられて呼吸をするのもままならなくなってきそうだ。物凄い重力。木星とかってこんな感じだろうか。そんな呑気なことを考えてる場合じゃない。何か、何かないか! 考えろ、考えろ、考えろ! ヒカリさんがヤツを足止めしているうちに!
その時、ヒカリさんが何かを叫ぶのが聞こえた。みれば、この重力の中、左手一本でコイツを止めて、右手で何とかポケットの鏡を取ろうとしている。そうだ、鏡だ! 鏡をアイツに向けさえすれば!
でもヒカリさんは、下へ押し付けられる力が物凄くて、腕を動かすこともできないようだった。何とか、何とか出来ないか! 鏡っ! ポケットから出ろ、出ろ、出ろっ! オレはポケットを睨みながら必死に念じた。
叫び声がさらに大きくなり、重力がいっそう強くなった! コ、コイツ、さらに重力を掛けやがった。象が何頭か腹ばいで上に乗ってる感じ、とで言えばいいだろうか。ヤバい、意識が飛ぶ……頼む、せめてヒカリさんの指先が届くところまで、鏡よ、動け、動け、動けぇっ!
すると、ポケットから、丸い鏡の縁が覗いた! よし、来た! もう少し、もう少しっ!
その時、オレの視界の端に山科側から走ってくる自転車が見えた。ヤバい、一般人を巻き込んでしまう! その人は、地面に伏して、何かに抗うかのような格好をしているオレたちを見て、自転車を降り、指を胸の前で組み、何かを呟き始めた。同じ言葉を繰り返しているように見える。そして、
「オン・マリシエイ・ソワカッ!」
と大声で唱えると、ゴーレムは忽然と姿を消した。同時にオレたちにのしかかっていた重力も消えて、一気に呼吸が回復した。
ぷっはぁーっ! はぁはぁはぁ…… 呼吸ができるって、素晴らしい。
ヒカリさんがばたりと道路に倒れこんだ。猫たちが心配そうにうろうろしている。
一般人? の人がヒカリさんに駆け寄ると、ヒカリさんが小春さんを指さす。その人は小春さんに駆け寄り、無事を確認したのか、オレのところにも駆け寄ってきてくれた。そして肩に手を置きながら、
「あなたたちはもしや長尾山の封じ屋のみなさんですか?」
と聞いてきた。オレが、はぁはぁしながら二度三度頷くと、その人は、
「やっぱり。ここの地縛霊封じに来られたのですね。私はこの先にある小さな寺の二代目で小寺憲章と言います。生臭ですが」
と自己紹介をし、
「今もこの先のラーメン屋に行って帰ってきたところです」
そう言って笑った。それから、オレたちを見回して、
「とりあえずみなさん、うちの寺まで行きましょう。トンネルを抜けたらすぐですから」
手当ても必要でしょうから、と提案してくれた。
小寺さんが自転車に乗り、後ろに、気を失いそうなくらいフラフラの小春さんを座らせ、その小春さんが落ちないように左右からヒカリさんとオレが支えながら、寺があるという東山方面のトンネルの出口に向かった。向かいながら、小寺さんが
「あれは私が会った中でも最恐の地縛霊です。このトンネルを建設するときに落盤などで犠牲になった方か、あるいはこの辺で事故に遭われた方か、鳥辺野に風葬された方々か、わかりませんが、相当の怨念ですね。御門小春さんが吹き飛ばされてしまうほどですから」
「ミカドコハル?」
それがフルネーム? という表情でオレはヒカリさんの顔を見る。ヒカリさんは、
「あら、知らなかった? 苗字」
ぼそっと言った。ってか、え? ミカド? あれ、どっかで聞いたなこの苗字…… あ、不思議堂のシノギのおっさんだ! あのおっさんと同じ苗字……どういう関係だろ、親子? え、まさか夫婦!?
そんなことを考えていたら寺に着いた。
「小寺という名字にぴったりなくらい、本当に小さな寺でしょう?」
憲章さんが笑いながら寺の門を開けてくれた。




