第6話 妖怪ストリート
「あら、いらっしゃい。今日はどうしたの?」
次の日、封じ屋小春を訪れると、珍しく小春さんが普通に出迎えてくれた。警戒鈴は鳴っていない。
「え、鏡、持ってきたんですが……」
「わざわざ持ってきてくれなくてもよかったのに」
「でも今夜、次の依頼があるって言ってませんでしたっけ?」
「連絡くれたら取りに行ったのに。でもありがとう、助かったわ」
「ヒカリさんは、今日はお休みですか?」
「ヒカリは現直よ」
「現直?」
「現地直行」
「あぁ。なるほど」
そう頷きながら、オレはカウンターの一席に座った。
「それより、昨日大変だったんでしょ。ちょっと聞かせてよ」
「え?」
「不思議堂の店主から連絡があったわよ、店で倒れたって!」
「え、もう、連絡済みですか……お恥ずかしい限りです」
ぺこっと頭を下げ、オレは昨夜の不思議堂での顛末を小春さんに話した。
「なるほどね。警戒鈴が八瀬君を魑魅魍魎認定したのだ思って、光っていた足元の魔法陣に飛び込んだ、と」
「はい」
「で、目が覚めたら床に倒れていた」
「はい」
「倒れる前のこと、店主に聞いた?」
「え? いや特には何も。起き上がったらヒカリさんの鏡を渡されて、閉店だから帰れ、と」
「ふーん」
小春さんが、それだけじゃないでしょう的な視線を投げてくる。
「あ、お前のだって言って、オレの鏡もくれました」
「ふんふん、それから?」
「え。あとは、えぇっと……あ、帰り際に、お前はまだ覚醒してないのか、と言われました」
それだ! と言って小春さんがオレを指さした。
「店主が言うにはね、君が言う魔法陣、あれを、私たちは五芒陣と呼ぶのだけど、その五芒陣に飛び込んだ後、その五芒陣が青くゆらゆらと燃えたそうよ」
「え、燃えた!? でも、でもオレ、特にやけどとかは……」
「うん。燃えたのは炎じゃないの。君の妖力、封じ屋としての力。それが五芒陣に力を与えたのよ。本来はそれで結界の中にいる人を守ってくれるのだけど、君の場合、五芒陣に与えた力が許容量を遥かに超えていたようで、言ってみれば、五芒陣がオーバーヒートした感じね」
「……」
五芒陣がオーバーヒート、と聞いて、オレの眉毛はきっとコイルみたいにねじれていたと思う。小春さんがわかりやすい言葉で言い直してくれた。
「京都駅の地下街でヒカリが言ってたでしょ。君は普通の器じゃないかもって」
「はぁ、確かそんなようなことを言われた気も……」
「自分が封じ屋としてどれだけの力を秘めているか、まだ気づいていない。それを覚醒してないって店主は言ったみたいよ」
覚醒か……オレは御門さんにもらった鏡をポケットから取り出して、
「これで封じ屋をやれってことですかね」
と呟いた。小春さんはちょっと嬉しそうに、でもまだ難しいかなぁ、と言った感じの微妙な表情で言った。
「まだ使いこなせないかもね~。でも今日も行ってみる?」
「今日?」
「えぇ。今度の場所は、かつて百鬼夜行が通ったといわれる伝説の場所、妖怪ストリートよ」
*****
妖怪ストリート。
この、ちょっとおどろおどろしく、それでいてどこかドキドキするような名前の通りは、上京区の北野商店街を抜けた西にある、大将軍商店街のことだ。
通りを歩けば、店のあちこちにお手製の妖怪が飾られていて、その店の宣伝文句が書かれているものもある。かつて、一条通を付喪神と呼ばれる妖怪が行進したという伝説に基づいて、妖怪をテーマにして商店街の活性化を行っているのだ。その由来の通り、この通りは怖いというよりむしろユーモラスで、小春さんたちが封じなくてはならないような魑魅魍魎がいる感じは微塵もない。
ところが、である。
妖怪ストリートと天神通の交差点を南に下がったところに、一軒の古い京町家があり、最近、そこで夜毎怪現象が起きるという。
目撃した商店街の店主によれば、
「あの夜は商店街のイベントの打上で飲んだ帰りでした。次の日が定休日だったのでちょっと飲みすぎたんだけど、見間違いなんかじゃないんだよ! 家に帰ろうとあの町家の前を通りかかったところ、その家からテニスボールくらいの黒い丸い球が次から次に出てきてさ。そうかと思ったら、あれよあれよという間に合体してな、象くらいの大きさの黒い球になったんだよ! 何だこれは、と思ったら、そいつはガサガサ、カサカサ音を立てながらこっちに向かってきてさ、俺は怖くて動けなくなっちまって、喰われると覚悟したらスーッと通り抜けて行ったんだよ! ケガも何もなかったけど、顔から服から真っ黒でさ……何だったんだろう、あれ……」
こんなことが二度、三度と起こり、妖怪ストリートに本物の妖怪が出る! なんて悪評が立っては商売上がったりだってことで、商店街の会長さんから小春さんに封じの依頼が来たのだ。
「黒い丸い球が次から次に……真っ黒黒すけ……ですかね?」
オレは昔見たアニメに出てくるかわいらしい妖怪? の名前を挙げてみた。すると小春さんは、
「えぇそうね。正しくはススワタリ。京都では煤童とも言う」
と教えてくれた。
「すすわらべ?」
「えぇ。本来は人畜無害の付喪神よ。毎日線香を焚くお寺や、かまどで薪を燃やして食事を作っていた古い京町家では、天井や梁に煤がいっぱい付いて黒くなるでしょう。あれよ」
小春さんの説明が続く。
「人が寝静まった夜中に行動する。と言っても天井に付いた煤を食べるくらいのもの。人に危害を加えるどころか、人の気配を感じただけでもすぐに隠れてしまう習性なのに、それが夜道に出て来て、人の前で合体して、巨大化か……」
おかしいなという表情で小春さんが言うには、煤童は、むしろ人間と共存しないと消えてしまうたぐいのものだから、人間を驚かすことなどないはずとのことだった。そうでなくとも、最近は空き町家が増え、あるいは薪を使わないような住宅ばかりで煤が出ないから、ヤツらにとっては住みづらいはずなのに、それがどうして人を驚かしたりするのか、と独り言のように続けた。
「そいつは何か、特殊な妖術とか使うんですか?」
オレが聞くと、
「いや。私の知る限りそれはない。目撃した店主も言ってたように、所詮は煤の塊。人間に突撃したところで、その人を真っ黒にするくらいしかできない」
「うーん、怨みがあるわけでもなければ怪我をさせるような攻撃をするわけでもない……一体、目的は何ですかね?」
「確かめて見るか」
そんなわけでオレは、小春さんとヒカリさんと一晩その京町家で過ごすことになった。人畜無害であるなら、会長として、この目で妖怪を確認したい、と商店街会長の北野さんも加わった。
「北野さん、この町家のこと、知ってる範囲でいいので教えてもらえますか?」
「はい。ここは、三年前までは人が住んでいました。中井さんというおばあさんでね。家業は江戸時代から続く反物屋で、ご主人はお婿さんに来てもらったって言ってたから、生まれた時からずうっとここに住んでたんじゃないかな。この家も百年とか百二十年とか経つんじゃないかと思うよ」
差し入れで持ってきてくれた缶コーヒーを皆に配りながら北野さんが続ける。
「身体もだいぶ不自由になってたけど、三年前に息子さんがホームに入れるまで、中井さんはそのかまどで煮炊きしていましたよ」
指さした先には、埃が積もってはいるけど、立派なかまどがあった。その上の天井は、煤で真っ黒だ。
「私はちょうどそのころ会長になってね、一人住まいだった中井さんを気にして、毎日のように見に来たんだけど、その度にお茶と一緒に今朝焚いたんだと言って、お総菜を一緒に出してくれました。ホームに入ってからはしばらく誰も住んでなかったんですが、どうやら売ることになったようで、先週には不動産屋が見に来ていました」
その時だった。
ヒカリさんが静かにと言わんばかりに唇に人差し指を当てる。すると、台所の上の隅の方から何やら音が聞こえだした。
カサカサ、ガサガサ。北野会長がびっくりしたように目を見開いて、上をきょろきょろ見回す。
「来たか」
小春さんが言う。すると、
ガサガサガサガサガサーッと、ものすごい音を立てながら、ものすごい数の煤童があっと言う間に台所中を覆いつくし、見る見るうちに合体し、巨大化した!
「ぶおお……ぶおお……」
そいつは、低くて迫力のある声で唸りを上げた。確かにデカい! けど真っ黒黒すけが集まっただけと思うと、不思議と恐怖感はなかった。クロギリを瞬殺したヒカリさんは鏡を出す気配もない。北野会長でさえ、ほー、これが、と感心して見入っているくらいだ。
「わしをこの家から追い出そうとしている人間はお前たちか! 許さぬ……許さぬぞ!」
許さぬと叫ぶ煤童を前にしても、動じる気配もない小春さんが言った。
「煤童よ、聞きたいことがある」
煤童はガサガサといっそう激しく音を立て威嚇しようとしている。
「人を傷つける術も使えぬお前たちが、なぜそんなに人を威嚇するのだ。人を脅し、人がいなくなれば、お前たちだって住むところが無くなるだろう」
ガサガサ。
「話してみないか」
ガサガサがカサカサになり、やがて音がしなくなった。
「お、お前はわしらを封じに来たのではないのか?」
「人に仇なす魑魅魍魎であれば封じる。そうでなければ封じる必要はない、これが私の主義だ。そして、本来お前たちは封じる必要のない付喪神だと思っている」
封じる必要がないという言葉の真意を確かめるかのようなしばらくの間の後、
「……わしをはじめ、ここにいる者たちは、元々は別々の家や寺に棲みついておったのだ。人間が煮炊きすることで天井に付く煤を喰らって生きておった」
小春さんに敵意が無いとわかったのか、巨大な黒い球が話を始める。
「ところが、煮炊きにかまどを使わない人間が増え、かまどがある古い家であっても、リフォーム、と言うのか? あれでかまどが撤去され、煤のついた天井も梁もきれいにされ、わしらの棲めるところはどんどん、どんどん減っていった。寺でさえ人が来なくなり、焚かれる線香が減り、中には廃寺になるところもある。そうやって住むところを失ったものたちが集まってきたのが、この家だ」
黒い球は続ける。
「ここにいた人間のばあさんは三年前までかまどで煮炊きをしてくれた。毎日、毎日煤が出て、我らには申し分のない棲家であった。ところが、そのばあさんがここを出て行ってから、煤が出なくなってしまった。それでも次に来る人間がまた煮炊きをしてくれればと棲み続けていたが、次に来た人間は、ここをリフォームして売る、と話しておった」
小春さんもヒカリさんもじっと聞き入っている。
「あぁ、またか。ここもまた追い出されてしまうのか。わしらは人間に悪さをするわけではない。ただ、ただ、棲むところが欲しいだけなのだ。それなのに、なぜだ! なぜ人間はわしらの棲家を奪うのだ! だからわしらは決めたのだ。全員集まって巨大な煤童となり、人間を驚かせば、気味悪がってこの家には近づいてこなくなるのではないか、と」
じっと聞き入っていた小春さんが口を開いた。
「それで、夜毎この辺りをうろついて人間を驚かせていたのか」
「そうだ。本来であれば、人間が出す煤があるからこそ存在できる我らは、人間を脅かすなどやってはならぬとわかってはおる。おるが、これ以上仲間が減り、棲むところが無くなっていくのを食い止めるには、これしか方法がなかったのだ」
それならば、と小春さんが一歩前に出る。
「煤童よ。一つ提案がある」
「提案?」
「私たちの家に棲まぬか」
えっという顔でオレたちは小春さんを見た。
「この家ほどの煤はないが、これからは煮炊きになるべくかまどを使おう。それにうちの裏のお堂に封じ込めてある魑魅魍魎どもから漏れ出てくる妖気を浴び続けることができるのでお前たちが消えてしまうこともないだろう。気に入ったなら、ずっと棲み続けてもらって構わない。そして、私たちの家はなくなることもない」
「わ、わしら全員を?」
「もちろんだ」
「ね、願ってもないことだ! 本当に良いのか?」
カサカサと音がし始めた。けど、今度のは感動で震えている音に聞こえる。
「その代わりに一つ頼みたいことがある。付喪神のお前たちだ。私たちよりは遥かに妖気に敏感だろう。だからもし、私たちの小屋でおかしな妖気を感じたらすぐに知らせて欲しい」
こうして煤童たちは小春さんとの交換条件を飲み、晴れて封じ屋小春の小屋に住むことになり、妖怪ストリート案件は鏡をかざすことなく、解決した。
*****
そして煤童の引っ越しが終わってから数日後、封じ屋小春に顔を出したら、一匹の黒いネズミが占いテーブルの真ん中にちんまりと座っていた。小春さんとカゲとトラに囲まれ、小さくぷるぷると震えている。
「なんです、このネズミ?」
「さぁ、よくわからん。煤童のボスが、棲ませてくれるお礼だと言ってコイツをくれたのよ。何でも、暗がりで生きてきた煤童の見張り役だったらしい。危険を感知する能力に長けているようだ。私たちの警戒鈴のようなスキルかな。真っ黒だからクロと呼ぶことにした」
「……なんかあんまり頼りになりそうな気がしませんけど」
「あはは、君と同じだな」
ヒカリさんが笑う。オレが、ちぇっと小さく言ったら、
「だけど案外化けるかもしれん」
小春さんがオレを見ながらウィンクした。




