第3話 京都大学植物園の池
クロギリや京都駅での封じを目撃してから、オレはネットや大学の図書館まで使って魑魅魍魎について調べていた。ただ、どこをどう調べても、何を見ても、総じて、様々な妖怪や化け物の総称、という程度のことしか書いてなかった。封じ屋については単語すら出てこない。
「まぁ、そりゃそうだよな。妖怪とか化け物なんて想像上のものだし、その想像上のものを退治する封じ屋なんてな……でも、この間京都駅で、オレは確かに何かに憑りつかれそうになった。あれって一体……」
今日は三限が休講になり、それ以降は授業を選択していなかったので、また図書館にでも行って調べてみるか、と思っていたらスマホが鳴った。
「もしもし八瀬君、小春です」
「あ、小春さん。こんにちは」
「キミ、大学は京大よね?」
「はい、そうですけど?」
「理学部の先生から依頼が入ったの。これから行くんだけど、君も来れない?」
「理学部、ですか。オレも理学部ですし、今日はこの後もう授業無いので大丈夫ですけど……」
と答えたら、
「よかった! じゃ理学部植物園の池に十四時集合ね!」
そう言って、電話は一方的に切れた。
「へ?」
小春さんらしいと思いつつ、オレは、接続終了と表示されているスマホを見つめた。
京都大学理学部附属植物園。
その植物園の中に、水生植物の研究用に人工的に作られた池がある。この池が今回の現場だそうだ。封じには、今回の依頼人で、植物園の管理責任者でもある、植物学教室の久世敬子教授が立ち会うこととなった。
教授が言うには、日々の池の手入れやメンテを担当している業者が、先月池に入った時、足首を何かに掴まれ池に引きずりこまれそうになったという。
池にはコウホネという水草があって、池の底にたまった泥の中に地下茎を這わせるので、最初はそれに足が絡まったのかと思ったそうだが、ぐいぐいと池の中心に引っ張って行かれ、水の中に引き込まれそうになったので、持っていた鉈を振り降ろし、茎を断ち切って、何とか池に這い上がったら、これが右の足首を握っていたのです、と言って見せてくれたのは、肘から下の腕だった。
「み、水掻きのついた指が3本」
震える声でオレが言うと、
「これは、コウホネだね」
小春さんが答えた。
「コウホネ? それは水草の名前だって、さっき先生が」
言ってましたけど、と言おうとしたら、
「うん。その水草のコウホネが長い年月を経て変化した一種の妖怪だ。漢字だと河骨と書く。川や沼を棲家としている」
「妖怪! ってことは今度は実体有りってことか」
その時、
「あれ、何かしら?」
ヒカリさんが指さした池の真ん中あたりから、泡がポコポコと上がっている。その泡を見つめたまま小春さんが尋ねる。
「教授、この池には空気を送るエアーポンプみたいなものが埋まってますか?」
「いいえ。自然環境を再現しているので、その手の機械は何もありません」
それを聞いて、小春さんとヒカリさんがうなづきながら目配せをした。
やがて、池のあちらこちらから泡が上がってきて、その後から地下茎がせりあがってきた。そして、まるで生き物のようにうねり、あろうことかオレたちを襲って来た!
「うわっ!?」
オレは思わず飛び退いた。足元の砂がじゃり、と鳴った瞬間、その音に反応したかのように、数本の地下茎が一斉にこちらへ伸びてくる。
「来るよ!」
そう言ってヒカリさんが鏡を構えるが、鏡面はぴくりとも揺れない。
「こんな形ある妖怪なんか、鏡じゃ吸い取れないんじゃないんですか!」
オレが逃げ腰で叫ぶと、
「魑魅魍魎であれば実態の有無は関係ない。まだ本体が見えていないんだ」
小春さんが静かに言った。
地下茎の先端が水面から顔を出した。泥にまみれたそれは、節ごとにふくらみ、まるで関節のある腕のようだ。そして、ばしゃり、と水面が割れ、池の中央から、何かが立ち上がった。
泥の塊。その表面から細い腕が何本も生え、ぬるりと蠢いている。指は三本。どれも水かきがついていた。
先ほど見せられた「腕」と同じだ。
「……あれが、本体?」
オレが呟く。
「おそらく」
小春さんが頷く。
泥の塊が、ぐにゃりと形を変え、腕が一本、二本と伸び、池の縁をつかんだ。ぎし、と不気味な音がする。
「うわ、池から上がってくる気かよ!」
オレは慌てて辺りを見回す。網も棒もない。あるのは植物園らしく、札のついた鉢植えと、水やり用のホースだけだ。
それ以外に目に入ったのは、じっと腕を組んで、泥の塊を観察している久世教授だった。
「教授! 何やってるんですか! 危ないから逃げてください!」
「ふむ……なるほどね。あの動き方は、単なる植物反応じゃないね」
「分析してる場合じゃないですよ!?」
「いやいや、こういう機会は貴重だからね」
教授はポケットからメモ帳を取り出し、さらさらと何かを書き込む。
「触手状の運動……外部刺激に対する選択的反応……面白い」
「面白がらないでください!」
その間にも、泥の腕は縁をつかみ、ゆっくりと体を持ち上げようとしていた。水面から離れようとしている。その時小春さんが一歩前に出て、池の縁にしゃがみ、お札を一枚、水面にそっと浮かべた。札は濡れることなく、水面に静かに留まる。そして低く呟いた。
「ここが境界」
やがてこちらに向かおうとする泥の塊が、札に触れた。びくり、と全身が震える。そして、まるで見えない壁にぶつかったように、動きが止まった。
「ほら」
小春さんが静かに笑った。
オレは、泥の腕たちが、ぎこちなく動き、上に出るべきか、水に戻るべきか、迷っているようにみえる様子を、息を飲んで見守った。
それを見て、ヒカリさんが鏡を構える。と、次の瞬間、鏡面が光り、揺れたと思ったら、泥の塊がぐしゃり、と崩れた。そして、腕が一斉に水中へ引きずり込まれていく。まるで、自分から池に戻るように。ばしゃん、と大きな水音が上がり、再び水面は静かになった。残った水草の葉が、水面でゆらゆら揺れていた。
「封じ完了」
いつものようにヒカリさんが呟く。
「え、終わり?」
と小春さんの方を向いたら、ジ・エンドと言わんばかりに首を斜めに傾げた。
「あれは、水の怪なのか、植物なのか、自分でも決めきれなかった」
そう言って教授がぱたんとメモ帳を閉じる。
「非常に興味深いね。学会で発表したい」
何だこの人、怖くないのかよ……。
「ありがとうございました、封じ屋さん。おかげで明日からまた普通に研究が出来そうです」
そうお礼を言って、久世教授は戻っていった。
池を見下ろすと、水面には自分たちの姿が映っている。けれど、その揺らぎの奥に、まだ何かが潜んでいるような気がして、オレは、無意識に一歩だけ後ろへ下がった。
ヒカリさんが鏡を見ながら顔をしかめている。
どうしたんですか、と鏡を覗くと、鏡の中で、三本指の影がゆらゆら動いていた。
「……重い。もう、これ以上は無理かも」
ヒカリさんが呟く。
「え、無理ってどういうこと?」
あたふたするオレをよそに、小春さんは、
「一度戻りましょう」
とヒカリさんに言った。
どこへ戻るんですか、と聞くと、
「うちの裏のお堂よ」
と小春さんが教えてくれた。




