第2話 憑き寄せる者
その晩、ベッドに寝転がって今日起きたことを思い出していた。
朝、普通に山歩きしようと出掛けただけなのに、猿を肩に乗せた女性とすれ違い、封じ屋なんて人にも出会って、おまけに退治の現場まで見ることになり、さらにオレにも封じ屋の力があるとまで言われて帰ってきた。
「なんだったんだろう、あの人たち……」
そう独り言を言った時、部屋の中で、微かに鈴の音が聞こえた気がした。ハッとして、動きを止め、呼吸も止める。でも何も聞こえない。
「まさかな……はぁ、色んな事があって疲れた。シャワー浴びてビールでも飲むか」
よいしょ! っと気合を入れてベッドから起き上がり、洗面所に行き、何気に鏡を見た時、今度は背後に何かが一瞬映った気がした。
「え」
オレは咄嗟に身構え、後ろを振り返ったけど、何もいなかった。
「いかんいかん、ちょっと神経質になりすぎだ」
結局その晩は、頭と心をリラックスさせようと、シャワーじゃなくてお湯をためて、ゆっくり湯船に浸かった。おかげで風呂上りにビールを飲んだら、ころっと眠りにつくことができた。
翌朝。
大学に行こうと玄関を開けたら、ドアの前に小さな黒い影のような何かが座っていた。
「うわっ」
思わず叫び声をあげ、その場で固まってしまった。今度は気のせいじゃない。確かに、そこにいる。何かいる。けど、そいつも固まったまま動かない。
猫サイズの黒いもやもやした物体で、目だけがある。何もしてこない。ただ、じっとこちらを見ている。手を伸ばせば触れたかもしれないけど、そんなことできるハズもなく、そのうち、それはスーッと消えていなくなってしまった。
「これは、もしかして大学に行ってる場合じゃない?」
急遽行き先を変更して、オレはまた封じ屋小春に向かうことにした。
*****
その小屋の中で鈴が鳴っている。いや、激しく鳴り響いている!
小春はじっとドアを睨み、ヒカリは臨戦態勢。カゲとトラも即飛び掛かれるほど低く伏せている。
*****
「こんにちは~」
オレは勢いよくドアを開けた。と、激しく鳴り響く警戒鈴にオレは思わず耳を塞いだ。
「うわ、なんですか、これ!」
小春さんがヒカリさんに目で合図を送ると警戒鈴は止まった。そして、
「やっぱりね。八瀬君、君、憑き寄せ体質よ」
と言った。
「つ、憑き寄せ体質?」
「そ。魑魅魍魎はね、普通の人には見えない。見えたとしても、「何か変なものがいたかも」と目の錯覚を疑うくらい。けど、八瀬君は魑魅魍魎を引き寄せる。それも無意識に」
コーヒーの準備をしながら今度はヒカリさんが言う。
「そこら辺を浮遊している魑魅魍魎が君に引き寄せられて、一緒にここにやってきたの。だから結界鈴が鳴り狂った」
「え……そ、それは既に憑りつかれてるってことですか?」
「いいえ違うわ。君の回りを漂ってるだけ。今のところは」
「漂ってる!? え、マジですか! き、昨日の鏡で早く封じてくださいよ!」
と焦りながらきょろきょろするオレに、
「悪さしてるわけじゃないんだからいいのよ、放っといて。大丈夫」
「大丈夫と言われても……あ、でも、そういえば昨日、家に帰ってから不思議なことがありました!」
と報告すると、
「ほう!」
と言って嬉しそうに小春さんが占いテーブルから身を乗り出す。
「シャワーから出て、テレビをつけようかと思ったらリモコンが見当たらなかったんですよ! いつも必ずテーブルの上に置いてあるのに。それにビール飲もうと冷蔵庫を開けたら、ビールが倒れてました……」
小春さんは、せっかく乗り出した身を引っ込めながら、つまらなそうに、
「それって八瀬君がリモコンを他の場所に置いたとか、ビールだって冷蔵庫のドアをバンと閉めた拍子に倒れたとかじゃないの?」
「違いますよ! こう見えても整理整頓はちゃんとしてる方なんです。だからきっとあれも魑魅魍魎の……」
せいでは? と言おうとしたら、ヒカリさんが割り込んで来た。
「仮にそうだとしても、そんなの雑魚。自力で追い払えるレベル」
「え、どうやって!?」
「無視」
「は!? それじゃ解決にならないじゃないですか!」
「解決しなくていいレベルなの! さっきも言ったでしょ! 何もしてこないんだから放っておけばいいの」
オレは、はぁっと、ため息をついて、
「でもなぁ、今朝も玄関開けたら、黒いもやもやした感じのものが足元に見えたんですよ……そのうち消えちゃったけど」
と小春さんの前に座りながら言ったら、小春さんは、特に何も言わなかったけど、意味ありげな視線をヒカリさんに送っていた。
ヒカリさんの淹れてくれたコーヒーを飲み終わると、
「さて、じゃ行こうか」
と小春さんが立ちあがる。
「え、今日も依頼ですか?」
「今日は依頼じゃないの。依頼が無くても時々、浮遊してるやつを封じに行くのよ。そうしないとどんどん数が増えたり、合体して厄介なのになっちゃったりするから」
*****
そうして、今日オレたちがやってきたのは京都駅地下街。
まだ午前中だっていうのにすごい人混みだ。そこに観光客が大きなスーツケースをゴロゴロ引っ張ってるから、歩きづらいことこの上ない。
あちこちしばらく歩いていると、小春さんとヒカリさんが立ち止まってオレに言った。
「あれ見て、八瀬君」
と指さした地面には、首から上のない人影があった。
「え、何あれ……」
びっくりしてオレが聞くと、ヒカリさん曰く、
「あれはね、誰かの影じゃないの。影のように見せかけて、誰かに取り付きたがってる魑魅魍魎」
だそうだ。
「憑りつくのに最適な人間を探してるのよ。影に化けてね」
「憑りつくのに、最適な、人間……?」
「警戒鈴を鳴らす魑魅魍魎と同じ妖力を持った、君のような人間」
「えぇ、勘弁してくださいよ!」
振り向いてヒカリさんに抗議をしたが、あろうことか。その影はだんだんとオレに近づいてくる。オレは二、三歩後ずさりして、ヒカリさんの後ろに隠れた。
「言った通りでしょ。あんたは憑き寄せ体質だって。だから寄って来るのよ」
ヒカリさんは、クロギリの時のように、無言で鏡を取り出し、その影に向けた。
ところが、
「吸い込めない!」
とヒカリさんが小春さんを見る。
「対象が固定していないから。浮遊型は定着前だと封じにくい」
小春さんが言う。
「定着前?」
「憑りつく前ってこと」
「と、憑りつく?」
「八瀬君、あなたを餌にするわよ。あなたに取り憑こうとした瞬間を封じる」
そのまま動かないで、と言われ、オレは初めて本気で恐怖というものを感じた。影が近づいてきて、オレ自身の影と重なる。背中の辺りで何か動いている、と感じた瞬間、体の中に入り込まれる感覚、というのか、冷たい水が背骨を流れていく感覚に襲われた! オレには見えなかったけど、顔のない影が背中に張り付いているのがわかる。
ヒカリさんが鏡をかざす。が、また吸えない。
え、オレ、ヤバいじゃん、と言おうと思ったが、言葉が出ない!
すると……
初めて小春さんが動いた。
胸元から取り出した小さなお札を素早くオレの額に貼り、何事かを呟いたと思ったら、地面に一瞬だけ魔法陣のようなものが浮かんだ。そして一言。
「戻れ」
途端に、ぺりっ、と音がして、黒い影が剥がれてオレの足元に落ちた。そして、すかさずかざしたヒカリさんの鏡に吸い込まれた。
「封じ完了」
ヒカリさんが例の言葉を呟いた。
「大丈夫、八瀬君?」
立ち尽くしたままのオレに小春さんが聞く。ちょっと呼吸が荒いけど、どこも痛くないし、背中に何かが張り付いていた感覚もなくなっている。オレが、うんうんと頷くと、
「街を歩いただけで引き寄せて来るなんて、やっぱり君は封じ屋の器だと思うわよ」
と小春さんが言った。それを聞いたヒカリさんがぽつりと一言。
「それも普通の器じゃないかもね」
落ち着いてきて、辺りを見回せば、首から上のない影が、他にも見える。でもなぜかもう近づいてこない。
「目の前で封じたからね。今度近づいてくるときは、もっと強いやつか、もっと大勢よ」
小春さんが、遠くを見ながら怖いことを言った。
小春さんの、その視線の先に、一連の封じを見つめていた男がいたことに、この時のオレはまだ気づかなかった。




