第1話 封じ屋
京都市の西、嵯峨野にある広沢池を右手に見ながら池沿いの道を北上すると、後宇多天皇陵への入り口が出てくる。そこを入って右に進むと、道はやがて、梅ケ畑地区へと続いていくが、その途中、左手の有刺鉄線が途切れた辺りに、山へと入って行く登山道、というよりはここから山に入って行く人に踏みしめられて自然に出来た勝手道がある。
ここをしばらく進んでいくと左手に竹林が出てきて、その竹林沿いをさらに登っていくと、眼下に広沢池と大覚寺がよく見える眺望スポットである長尾山に到着する。
標高は三百メートルにも満たないが、広沢池から一時間ちょっとで来れるし、気軽に、お手軽に嵐山方面の絶景を楽しみたい人にはおススメだ。
今日は、ここから菖蒲谷池を経由して京見峠辺りから北嵯峨辺りまで歩こうかと思っていた、初夏五月末の青空の気持ちいい朝。
だけど、思わぬ状況がオレを待っていた。
いつものように有刺鉄線の切れ目から山に入り、竹林を左手に見ながら登っていたところ、途中で獣道、というよりはあきらかに人の手で竹が間引きされて、整備されたであろうと思われる小径が竹林の奥に伸びているのを発見した。
「こんなところに道があったかな」
そう思いながらも、小径に入って行くと、前から二人組が来るのが見えた。
当然、ハイキングに来た人だろうと思っていたら、なんと街歩きのファッションに厚底靴という出で立ちの若い女性二人組だった。その恰好にびっくりして挨拶するのを忘れてしまったけど、すれ違いざまにはもっとびっくりした。
なんと一人の女性の肩に猿のような小型の動物が乗っていたのだ!
メガネザルのようなぎょろっとした目で、女性の肩に乗りながら、オレのことをじぃっと見つめながら去って行った。
「なんだあれ……ペット? 本人は気づいてないような感じだったけど」
不思議ではあったけど、最近はフクロウや蛇まで飼う人がいる世の中だ、猿をペットにしても不思議じゃないかと思い直し、再び歩き出した。
竹林は、奥に進むにつれ背が高くなり、間引きもされておらず、葉に覆われた頭上はあんなにも気持ちよかった青空すら望めなくなった。いやむしろ薄暗く、やっぱりこれ以上進むのはやめようかなと思い始めたころ、それは突然現れた。
竹林の奥に小さな家、というか小屋が見えたのだ。
山を登っていると地図に載っていないような小屋に出くわすことは結構ある。林業の人たちの物置小屋だったり、休憩小屋だったり、昔は人が住んでいたけど今は廃墟になってしまった家だったり。
*****
その小屋の中で鈴が鳴っている。警戒心を呼び起こすような音だ。
妙齢のご婦人がちらりと入り口のドアを睨み、
「ヒカリ」
と一声発する。
ヒカリと呼ばれた若い女性と二匹の猫が臨戦態勢を取る。
*****
今回もそんな休憩小屋の類だろうと思って近づいていくと、案外しっかりとした作りで、敷地手前の地面には五芒星が描かれている。
その脇には、あまりにもミスマッチな「よく当たる占い屋」というピンクののぼり旗がはためいており、入口の上には「封じ屋小春」と書かれた看板も掲げられている。
入口脇の小窓に掲げられた黒板には、手書きで、コーヒー五百円、抹茶五百円とある。
「なんだろう、このアンバランス感。喫茶店?」
ちょっと開けるのを躊躇させる雰囲気を醸し出していたけど、オレは思い切って扉を開けてみた。
ガラッ。
喫茶店や休憩小屋にしては薄暗い。
その薄暗い店内の中を覗くと、そこには、座ったままこちらを睨むご婦人。それに、戦う気満々の若い女性、そして身を低く伏せ、今にも飛びかからんばかりの黒猫一匹、トラ猫一匹。
え、こ、こりゃなんかマズかったかな、と思いつつもドアを開けてしまった手前、
「コ、コーヒーを一杯、いただけますか」
と聞いてみた。
すると、
「ここは占い屋だ。喫茶店ではない」
若い方の女性が敵意剥き出しで言う。
「そ、そうでしたか。外の黒板にコーヒー五百円って書いてあったし、ここにはサイフォンがあるし、いいコーヒーの香りもしたので、てっきり……」
そう言って頭を下げて、扉を閉めようとしたとき、座っているご婦人に聞かれた。
「見たところ占いをしに来たわけではなさそうだけど、こちらには何しに?」
「何しに、というか長尾山から京見峠までぐるっと歩こうかと思ったら、竹林沿いに脇道があったので、何だろうと思って入ってきたらこのお店を見つけました」
警戒鈴が鳴り続けている店内。
「えぇっと、なんか鈴が鳴ってますね。コーヒー無いなら、結構です。お邪魔しました」
オレは、この場を無事に乗り切りたい一心で早々に会話を切り上げ、もう一度頭を下げ、店を出て行こうとした。すると意外にも、
「お待ちなさい。ヒカリ、コーヒーを淹れてあげて」
とご婦人が言った。
すると、ヒカリと呼ばれた女性が、こちらを睨みながらではあるけれど、サイフォンを手に取り、コーヒーの準備を始めた。
「カゲ、トラ、もう大丈夫」
とご婦人が言うと、猫たちのふーっという威嚇も収まった。
気がつけば鈴の音も止まっている。
「えぇっと……」
オレが戸惑っていると、
「どうぞ。こちらにお座りください」
とカウンターの一席を引いてくれた。
目の前でポコポコと音を立てるサイフォン。
店内を見回してみれば、ご婦人が座っている丸テーブルの対面には、椅子が一脚。なるほど、占いを受ける人はここに座るのか。それ以外には二人用の喫茶テーブル。そしてこのカウンターにも二脚。
カウンター越しに見えるキッチンには愛宕神社の火迺要慎のお札。その下には普通の二口コンロに、その隣には薪で燃やすかまどまである。今どき珍しい。まだ現役だろうか。扉や窓の上には、見たことのない模様のお札が貼られている。
「ご興味がおあり?」
店内を見回していたらご婦人が尋ねてきた。
「あ、いや、きょろきょろとスイマセン。見たことのないお札があるなぁと思いまして」
「占いに使うのよ。ところで一つ伺ってもよいかしら?」
「はい、なんでしょうか」
「ここに来るとき、二人組の女性とすれ違いました?」
二人組の女性、と聞いてオレはすぐにさっきの女性を思い出した。
「会いました、会いました! 山の中なのに、街歩きのファッション、しかも厚底の靴で。これで登ってきたのかとびっくりしましたよ! それに一人の肩には、猿のような動物が乗っていたんですけど、本人たちはちっとも気付いていないようで、それにも驚きました」
猿、と言った時、二人とも一瞬動きが止まった気がしたけど、大して気にもせず、
「あれ、何なんですかね、最近は猿をペットにするのが流行ってるんでしょうか……それにしては可愛げが無くグロテスクだったけど」
と答えたら、ご婦人はふーんという顔で二度頷いた。
そこに、
「へぇ、アレが見えたの、意外」
と言って、ヒカリさんがコーヒーを出してくれた。
オレは、
「アレ?」
と聞きながら、お礼代わりにぺこりと頭を下げた。
「あの猿はね、式神よ」
ご婦人が答える。
「式神? 式神って、陰陽師が使うとかいうアレ、ですか?」
「あの二人、占いをしにここに来たの。ところが、到着する前から結界鈴が鳴りだしたのよ。さっき鳴ってたアレね。世の中の、人にあらざるものがここに近づくと鳴って知らせてくれる鈴なんだけど、さっきの二人は小鬼を連れて来たようだったので、占いをする前にヒカリに表で鬼を封じてもらったの。あの式神は、もしまたあの二人が鬼に憑かれた時にそれを喰うのよ。喰って封じる式神」
人にあらざるもの? 鬼? そして、その鬼を喰って封じる式神……?
このご婦人、三十半ばくらいだろうか。きれいな人だし、頭も悪そうじゃない。けど、何だって? 式神? どういうリアクションをしていいかわからず、きっとそれが表情にも出ていたと思う。
それでもご婦人は構わず続けた。
「でも、私が興味を持ったのは、あなたにその式神が見えたってこと。見えたってことは、あなたは魑魅魍魎の類か、あるいは封じ屋の素質有りってことね」
「オレが魑魅魍魎……」
ますます訳が分からない。コーヒーをいただこうとカップを持ち上げた手が止まったままだ。
「あなたが近づいてきたときも結界鈴が鳴ったのが何よりの証拠。さっきの二人連れとは比較にならないくらいの鳴りっぷりだった」
洗い物をしながらヒカリさんが言う。
「もしそうだとしたら私たちがここで封じさせてもらうわ」
「封じる? すいません。ちょっとさっきから何の話かよくわからなくて……」
オレが正直に告白したとき、ヒカリさんが立ちあがって言った。
「小春さん、そろそろ時間なので行ってきます。今日は下鴨です」
小春さんと呼ばれたご婦人がヒカリさんに頷きながら、オレの方を向いて聞く。
「あなたお名前は?」
「八瀬です。八瀬健太郎」
「八瀬君。よかったらこれからちょっと付き合わない? そのコーヒーはおごりにしてあげる」
小春さんは立ち上がり、
「カゲ、今日はあなたの番」
と黒猫に向かって言い、ヒカリさんとお店を出て行った。
残されたトラ猫が、お前も早く行けとばかりに、にゃあと鳴いたので、オレはコーヒーを一口だけ飲んで二人の後を追った。
二人は今朝オレが登ってきた道を降りていった。
「私たちはね、表向き占いもやってるけど、本業は封じ屋なの。表の看板見なかった?」
「封じ屋小春、ですか?」
「そう、それ」
小春さんが言うには、千年の都、京都の魑魅魍魎を文字通り「封じ」るのが生業だと言う。封じる、というのがどういうことなのかよくわからなかったけど、これから下鴨神社の近くの現場で封じるので、見た方が早いから着いて来い、と言った。基本、ヒカリと黒猫のカゲか、トラ猫のトラで出掛けるが、時々は小春さん自らも出向く、強力なケースに出くわすらしい。
ここまで聞いても、まだう~ん、としか言えない。
後宇多天皇陵に到着すると、そこに止めてあった車に乗り、オレたちは一路下鴨神社に向かった。道中、オレはネットで「封じ屋小春」を調べてみた。
ホームページはなかったけど、口コミサイトでは、
・行くのが大変
・でもよく当たると評判の占い屋
・若い女性が入れてくれるサイフォンコーヒーが美味しい
・行くのが大変
・店に入るなり体調がすぐれないことを指摘され、占ってもらった通りにしたら回復した!
・二匹の猫がかわいい
・行くのが大変
・入り口に貼っておけと言われてもらったお札を貼ったら、次の日から売り上げが回復した
・帰るのも大変
などなど、行き帰りの大変さを難とする意見もあったが、占いの効果は確かなようで、総合4.5点と、なかなかに高い評価を得ていた。でも封じ屋に関する口コミは一つもなかった。
下鴨神社の駐車場には一人の男性が待っていた。
オレたちが車を降りると、その人は田尾です、と自己紹介をして、今日はよろしくお願いします、と頭を下げた。
案内された場所は下鴨神社から北西に5分ほど歩いたところにある廃墟、というか廃アパートだった。
依頼主の田尾さんによると、このアパート、今では人も住まず荒れ放題になっているが実は築年数はそんなに古くないという。ただ建築中から、大工さんや業者さんに怪我人や病人が出たらしい。
完成して、住人が住み始めてからも夜毎変な音がしたり、ラップ現象的なことが起きたりして、気味悪がった住人がどんどん出て行き、お祓いもしたけど効果が無いようで、やがて噂が噂を呼び、ついには新しい人が入らなくなって全室空き部屋になってしまったという。気味悪がって不良のたまり場にさえならない。取り壊そうにもこの場所だと聞くだけで業者が嫌がり、売ろうとしても全ての不動産屋に断られているそうだ。
リンリンリン。
ヒカリさんの足元で、まるで出撃命令を待っているかのようなカゲの首元で鈴が鳴る。
「ふーん、いるんだ」
ヒカリさんが言う。
オレはカゲを見て、
「ってか、鈴なんて付けてたんだこの猫。全然気づかなかった」
と言うと、
「この鈴はね、小春さんお手製の封じの鈴。封じの対象に近づくと音が鳴るのよ」
ヒカリさんが小春さんを見ながら説明してくれた。
依頼主である田尾さんは、オレたちの五歩も六歩も後ろで立ち止まっている。その田尾さんを振り返って、小春さんが
「入ってもいいですか?」
と敷地を指さすと、どうぞどうぞと言わんばかりに両手で合図しながら、
「お願いします」
と頭を下げた。
小春さんが目で合図をすると、
「行くよ、カゲ」
躊躇なく入って行くヒカリさん。
いかにも何か出そうな雰囲気のアパートだが、ヒカリさんは建物には目もくれず、ずんずん敷地の奥を目指す。その目指す先には、猫より一回り大きいくらいの岩が置かれている。ヒカリさんが近づくにつれて、岩が小刻みに揺れだし、すると岩の周囲から黒い煙? 霧? のようなものが湧き出て来て渦を巻きながら何かを形作っていく。
「やっぱり」
とヒカリさんが呟き、胸元から何かを取り出したとき、その黒い霧は得体の知れないモノへと変化した! 黒い、大きな蜘蛛のような形で、目の辺りがぎょろっとしていて赤黒くなっている。
「……なんだこれ……まさに魑魅魍魎だ」
オレが茫然としていると、その霧はあっと言う間に、不気味な登場の割には実に呆気なく、ヒカリさんの手の中に吸い込まれてしまった。
「え?」
何事? って感じでヒカリさんを見つめていると、
「封じ完了」
そう呟いて、大人しくなった岩にお札を貼るや、くるりと踵を返し、こちらへ戻ってきた。
「カゲごめん。クロギリ程度じゃあんたの出番なかったわ」
と一言猫に謝り、オレに手の中の鏡を見せながら、
「一件落着」
とニコリともせずに呟いた。
そして田尾さんに、もう大丈夫です的なことを言って、小春さんとスタスタと下鴨神社方面に歩いて戻って行った。田尾さんは、ただ見てただけのオレにもありがとうございます、ありがとうございますと何度も頭を下げてくれるので、こちらがたいそう恐縮してしまい、愛想のないヒカリさんに代わって、
「あの黒い霧、クロギリって言う不気味な化け物みたいでしたけど、ヒカリさんが封じてくれたのでもう大丈夫です!」
と安全宣言をしてあげた。
すると、
「黒い霧?」
田尾さんは怪訝そうな顔でオレを見た。
「はい」
「そんなの出てましたか」
「岩の周りから吹き出てたじゃないですか」
「……岩が揺れてたのはわかりましたけど、私の位置から黒い霧は見えなかったです」
そして田尾さんは、もう一度ありがとうございました、と頭を下げ帰っていった。
不思議に思ったオレは、駐車場で小春さんとヒカリさんに聞いてみた。
「見えないのよ」
「え?」
「普通の人はね、見えないの。式神も魑魅魍魎も」
「え……じゃ、田尾さんは本当に退治されたかどうかわからなかったんじゃないですか?」
「物理的には見えないってだけ。あの場所では二度と奇妙な現象は起きないから、それで封じられたってことはわかるでしょ?」
「いや、まぁ、そりゃそうなんでしょうけど、なんかもっとこう、怪獣倒したときみたいな達成感というか、見ていた人がありがとうって叫びたくなるようなビジュアルに訴えかけるエンディングになるのかと思ってましたよ」
小春さんとヒカリさんが半笑いで聞いている。
「それに、魑魅魍魎を退治するとき、悪霊退散とか何とか、呪文みたいなのを叫ぶのかとも思ってたし」
「そういうのを唱える人もいるらしいけど、魔法じゃないんだから詠唱なんて必要ない。この鏡に封じ込めるために、対象にかざすだけでいい」
そう言ってヒカリさんは鏡を胸元にしまった。
「その鏡って、特別なんですか?」
「使う人によるわ」
小春さんが答えてくれた。
「ヒカリのように、力のある者が持てば、鏡の中に魑魅魍魎を封じることができるのよ」
そう言われても、まだ半分信じきれないオレは、小春さんの言葉を無意識に繰り返した。
「力……魑魅魍魎……」
「京都はね、人間の数より魑魅魍魎の方が多いくらい。ありとあらゆるところにいるわ。でも大半はそこにいるだけで悪さはしないの。長い年月のうちに力が失われたからなのか、それとも最初からなかったのかはわからないけど。タチが悪いのは……同じ場所に長いこと土着しているヤツら。そして何らかの意図をもって浮遊してるヤツ」
最後の「ヤツ」に妙に力を込めて小春さんが言う。
「でもこれでハッキリした。八瀬君、黒い霧が見えたってことはやっぱり君には封じ屋としての力がある」
助手席の小春さんは振り返ってそう言った。
戸惑うオレを乗せて、車は、夕暮れ迫る京都の町を走り抜けていった。




