第21話 不思議堂の戦い
「……ガリッ……ガリガリッ……」
不思議堂に向かおうとしたその時、小屋裏の封印堂から、爪で黒板を引っ掻くような背筋の凍る音が 聞こえてきた。
「ひっ」
思わず肩をすくめる。夜の静寂も手伝って、その音は鼓膜に直接こびりつくような粘り気を持っていた。
「……言ったそばから始まったわね」
小春さんが、地図を握りしめたまま、低い声で呟く。見れば、カゲとトラがこれまでにないほど毛を逆立て、勝手口から封印堂の方を睨みつけている。いや、睨んでいるのは祠そのものではない。その上の空間だ。
「ヒカリ、八瀬君、鏡を出して!」
小春さんの鋭い声に弾かれるように鏡を構える。すると、どうだ。まだ何も対象を捉えていないはずのオレの鏡が、持っている手を通しておぞましい振動を伝えてくる。
「おおおおぉ、なんだこれ! 鏡が揺れるっ」
鏡面は泥水をかき混ぜたように黒く濁り、中心の「マ」の文字が、まるで苦しんでいるかのように明滅を始めた。
「なに、これ! 鏡が熱い!」
ヒカリさんが叫ぶ。彼女の鏡もいつもとは違うようだ。
「妖気が逆流してるのよ! この術式、五芒陣の開いている十一時のところにあるこの小屋に、京都中の澱みが流れ込むように設計されてる!」
オレたちの様子を見て小春さんが叫んだ。
「よ、澱みって?」
「魑魅魍魎よっ!」
その時、ガリッ! と一段と大きな音が響き、この小屋の屋根に目に見えない何かが降り立った気配がした。
「え、何?」
驚いたオレたちに小春さんが言う。
「ここじゃ埒が明かないわ。行くわよ、親父のところへ!」
「え、こいつらどうするんですか!? 夜逃げみたいになってますけど!」
「夜逃げじゃないわよ、戦略的撤退! ほら、カゲ、トラ、クロもカバンに入って!」
小春さんは、占い道具もコーヒーサイフォンも放り出し、オレとヒカリさんを突き飛ばすようにして小屋を飛び出した。
*****
烏丸六角。
深夜の不思議堂のドアを、小春さんは文字通り蹴破る勢いで開けた。
「親父、いる!?」
カウンターの奥、薄暗い明かりの中で鏡を磨いていた御門さんは、眉ひとつ動かさずに顔を上げ、ジロリと小春さんを睨んだ。
「……やかましい。閉店時間を過ぎてるぞ、この馬鹿娘」
相変わらずの塩対応だ。
「そんなこと言ってる場合じゃないのよ! これを見て!」
小春さんが地図をカウンターに広げる。御門さんはそれを一瞥し、次にオレが握りしめている鏡を見て、そして、深く、深ーくため息をついた。
「……ったく。封じ屋を名乗っておきながら、敵の追い込み漁にまんまとハマるとはな。恥ずかしくて先祖に顔向けできん」
「追い込み漁?」
なんだそれ? と御門さんを見ると、
「この丸は、お前らが封じた場所だな? だとしたら小春の小屋だけ穴が空くように敵に封じさせられたんだ、こうなるように追い込まれたんだよ!」
なるほど、最初から罠だったってことか! って顔で小春さんを見たけど、そんなオレをスルーして小春さんはビニール袋に入れた焦げた紙片を突き出した。
「それから、これ。現場に残ってたの。浮遊型を解き放つための媒介だと思うんだけど……」
御門さんは無言でその袋を受取り、袋越しに紙片に触れ、鼻先へ持っていって匂いを嗅いだ。その途端、御門さんの眼光が鋭くなる。
「……小春。これ、ただの紙じゃねえぞ」
「え? どういうこと?」
「どこかの寺が何百年も大事に守ってきた、一級品の呪符だ。……敵はこんな貴重なもんを、使い捨ての薪代わりのようにして浮遊型を呼び出しやがった。よほど筋のいい身内の仕業だぞ、これは」
「身内……?」
身内と聞いて、小春さんの顔が、一瞬で強張った。
「それともう一つ、この子の鏡……八瀬君の鏡が、小屋を襲ってきたやつらに向けた時から変なの。変な振動が止まらないのよ!」
御門さんは無言でカウンターから身を乗り出し、鏡を渡せ、と手で合図した。オレが渡すと、
「おい新入り。お前、小屋でこの鏡をどう持ってた?」
「え、どうって……いつものように、こうやって相手に向けて、全て吸い込むように、漏らさないようにって感じで……」
オレはカメハメ波を打つ時のようなポーズを取りながら説明した。すると御門さんは、全くなってない、とでも言うように頭を振りながら、
「馬鹿め。お前が踏ん張れば踏ん張るほど、鏡は魑魅魍魎を吸い込む受け皿として完成しちまうんだよ。お前は今、京都中の下水を一人で抱え込もうとしてるバケツだ」
そう言うと御門さんは、カウンターの下からホットサンドメーカーのような法具を取り出し、オレの鏡を入れ、その上に五芒陣の模様の入ったお札を入れ、カチリと蓋を閉めた。
「ちょ、何するんですか! 大事な鏡なのに!」
「黙って見てな、微調整だ。お前の妖力に合わせて作ったが、まさかこんなに早く門の役割をさせられるとは思ってなかったからな。……小春、お前はあっちで塩でも撒いてろ。目障りだ」
「なによその言い方! せっかく頼りに来てあげたのに!」
「頼りにされる覚えはねえ。金はきっちりもらうからな」
「身内割引くらいしなさいよ、このケチ!」
「誰が身内だ。お前は勘当したはずだ」
「縁を切ったのはこっちよ!」
火花が散るような親子喧嘩を目の当たりにして、オレとヒカリさんはそっと隅っこに避難した。
「……会うといつもこんな調子なんですかね」
「そうかもね。見た感じ、似た者同士だし。顔も性格も、あの可愛げのなさもそっくりでしょ」
ヒカリさんは、御門さんが出してくれた、というか勝手に置かれた水を飲みながら、呆れたように笑った。
その時だ。
「ガリ……」
あの音が、不思議堂の天井からも聞こえてきた。反射的に上を向くと、不思議堂の天井に貼られた梵字のお札が、黒いシミのように変色し始めている。
「ここにも来たか」
御門さんの声から、先ほどまでの刺々しさが消え、調整の終わった鏡をオレに放り投げて寄こした。
「いいか、八瀬。その鏡の『マ』の字を親指で押さえろ。今度は封じるんじゃない。……逸らすんだ」
「逸らす……?」
「鏡を『器』にするな、『門』にしろ。正面から受け止めるから重いんだ。雨どいが雨水を逃がすように、あいつの悪意を背後に受け流せ!」
「背後に受け流せって……そんなことを言われても……」
「いいからやれ! やるしかない! さっきの地図を見たか、五芒陣の中心にあるのがこの封印堂だ。そして、ここを葬るための楔があの男から放たれた。……今、店の真上にいる」
小屋といい、この不思議堂といい、さっきから何が起こってるんだ。それにあの男? 楔? 鏡は逸らすように使え? もうわからないことだらけで、どうすりゃいいんだ。オレはちょっとパニックになりそうだった。その時、
ドォォォォォンッ!
ともの凄い音がして、店全体が地震のように揺れ、カウンターの上のグラスがガタガタと鳴り、ヒカリさんがカゲを抱き寄せた。
「小春、ヒカリ! 陣を張れ! 新入り、お前は真ん中で鏡を天にかざせ! 壊したら承知しねえぞ!」
御門さんの怒号が飛ぶ。小春さんはキリッとした顔に戻り、
「言われなくても!」
とお札を四方に飛ばした。
オレは天井を見て震える手で鏡を握りしめる。屋根の上で、誰かが笑っている気がした。あの時の、スーツの男か。それとも、もっとおぞましい何かか。
「八瀬君、頼むわよ!」
小春さんの叫びと同時に、天井がミリミリと音を立ててたわみ始めた。京都で一番安全なはずの不思議堂が、今、攻撃されている? なら、オレたちに、オレに出来ることは何だ!
「……やってやる。やってやりますよ!」
オレは叫び、青く光り始めた鏡を、真っ黒に変色した天井へと突き出した。




