第20話 誰かが呼んでいる
阿久津という謎のスーツ姿の男が来てから十日余り、小春さんは阿久津のこととヒカリさんのことを話してくれた以外は口数が減り、少しイライラしているように見えた。封じの依頼は順調で、オレでも一人で対応できるような軽めのものが多かった。
「今日も軽めの案件よ」
そう前置きした小春さんの声は落ち着いていたが、軽めという割にはいつもの余裕が感じられなかった。どうしたんだろう? オレの考えすぎ?
「なんか今月はずっとそんなんばっかりですね。楽で助かりますけど」
「そうね。ま、でも、軽くても重くても人間に悪さをする前にきっちり封じるわよ」
「はい」
最初の案件は右京区の高校からの依頼だった。校舎の屋上に、放課後になると変な黒い影のようなものが現れるので退治して欲しいとのことだった。屋上は吹奏楽部の練習場も兼ねていて、黒い影のせいで生徒が怖がって近づけなくなっているという。危害を加えられた生徒はいないらしいし、確かに軽めの案件だと思われたが、小春さんが、
「おそらく大丈夫だと思うけど、みんなで行きましょう」
と付け加えた一言も、妙に引っかかった。
放課後の校舎は、昼間とは別の静けさに包まれていて、外から聞こえてくる運動部の掛け声だけが学校であることを認識させてくれ、少し安心する。屋上へ続く最後の階段を上りきったところで、オレでも扉の向こうに「何かいる」と分かった。根拠はない。でもそう感じたのだ。
扉を開けると、夕方の光の中に淡い影が揺れていた。人の形に見えなくもないが、輪郭が定まっておらずまるで陽炎のようだ。悪意は感じられず、こちらに気付いているのかどうかも判然としない。小春さんが、
「やはり浮遊型ね」
と告げるのを聞き、ヒカリさんが鏡を取り出し、角度を合わせると、影はほとんど抵抗らしい抵抗も見せず、そのまま吸い込まれるように消えた。あまりにもあっけなかった。だが、小春さんはその場を離れず、陽炎の足元あたりを見つめたまま動かなかった。
オレたちが近づいて行くと、小春さんの視線の先のコンクリートの上には、薄く焦げたような跡が残っていた。何かを燃やした跡のようにも見え、自然にできたものとは思えない。風にあおられて灰のような粉がわずかに動くのを見て、小春さんはそれを紙に包み、
「念のためよ」
と言ってポケットにしまった。
次の依頼は鴨川の河川敷で、夕方になると人の影に別の影が重なるというものだった。行ってみると、人通りが多く、犬の散歩やランニングをする人たちが絶えず行き交っている。その流れの中で、足元に伸びる影の形が一瞬だけ歪むのが見え、振り向いたときにはすでに境界が揺らいでいた。小春さんが、
「これも楽勝ね」
と言い、ヒカリさんが鏡をかざすと、短時間で封じることができた。が、処理のあとに足元を確認すると、前回と同じように端の焼けた黒い紙片が残っていた。この前と同じだ。これって……偶然? いや、誰かが何かをした跡だ、オレにもわかる。
「これって、誰かがわざとやってるってことですよね?」
小春さんの背中に声を掛けると、
「かもしれないわね。意図はわからないけど、ちゃんと調べてみたい」
と、黒い紙片を回収しながら答えた。
三件目は廃ビルで、姿は見えず声だけが聞こえるというものだった。建て替えのために取り壊したいのだが、業者が気味悪がって請け負ってくれないので何とかしてくれという依頼だった。
中に入ると確かに囁くような音が壁に反射していて、言葉の意味はわからないが、誰かがそこにいることだけは確実に伝わってくる。ヒカリさんが浮遊型だと判断し、鏡を向けると声は途切れ、やはり大きな抵抗もなく封じることができた。しかし壁際には、これまでと同じ焦げ跡があり、円を描くように三か所に並んでいた。
帰り道、
「何なんだろう、昨日と今日の案件。先週のも全部楽勝なんだけど、なんか引っかかるというか、簡単な割にはスッキリしないというか……」
とオレが心のモヤモヤを愚痴ると、
「それ! 私もそう思ってた!」
ヒカリさんがオレを指さして頷いてくれた。小春さんは、小難しい顔をしたまま何も言わなかった。
本当になんだろう、このスッキリしない感じは……と考えながら、人混みの中を歩いていると、オレは不意に背中に視線のようなものを感じて足を止めた。振り向いても誰もこちらを見ている様子はなかったけど、ビルのガラスに映る人影の中に、ほんの一瞬だけこちらを向いたものがあった気がした。
この違和感、気のせいで片付けるには、妙に具体的だった。
小屋に戻るとすぐに、小春さんは何かに思い当たったように地図を広げ、
「ヒカリ、封じ屋事件簿からこの一年の浮遊型の封じの場所を、この地図の上に印をつけてくれない? 浮遊型だけね!」
いきなり言った。
「え! ちょ、二百件以上ありますよ!」
と逃げ腰及び腰のヒカリさんに、
「お願い。どうしても調べたいことがあるの」
と小春さんが拝むように両手を顔の前に合わせた。きっと何か考えがあるに違いない、と思ったオレは、
「オレも手伝いますよ、ヒカリさん」
と言って、二人で小一時間、これまで浮遊型を封じた場所に丸を付けていった。付けながら、その丸がなんとなく見たことのある形になっていくなぁと思っていたけど、ヒカリさんがそれらを定規を使って線で結んだことで、確信に変わった!
「これって……五芒星じゃん!」
思わず叫んだ。
「それだけじゃないよ、見て! 五芒星の回りの丸。ほぼ等間隔になってる。それらを線で結ぶと……」
そう言いながらヒカリさんが、五芒星の回りに付けられた丸を線で結んでいく。
「ほら、ちょうど円になる!」
「……こ、これは結界!」
驚きながらオレがと呟くと、
「えぇ、五芒陣ね。誰かが京都の街全体を使って術式を組もうとしている」
小春さんが、やっぱりという顔で頷きながら言った。
「街全体で術式を? 何の……」
ために、と言おうとしたらヒカリさんが、地図の一点をポンポンと指で叩いた。
「でもこの左上のところだけ、等間隔になってないのよ」
確かに。時計でいえば外周の文字盤の十一時のところだけ、丸が付いていない。あとは十二時から十時まで、きれいに等間隔の丸が付いている。
「そりゃ、そこだけ浮遊型が出てないってことでは?」
トーゼンでしょ的な感じでオレが言うと、
「じゃ、これから出るってこと? そしたら三百六十度ぐるっと、きれいに等間隔で丸が付くし」
「二人とも、」
小春さんが口を挟む。
「五芒陣ばかり見すぎよ」
「え?」
「下の地図もよく見て。外周の円が閉じてない十一時には何がある?」
小春さんにそう言われ、身を乗り出して地図を覗き込んだヒカリさんとオレは思わず声を上げた。
「……こ、この、一か所って……」
小春さんが小さく、何度か頷きながら、
「そう、ここよ。封じ屋小春。偶然にしては出来すぎている」
と言った。
「え、どういうことですかね、これ?」
オレが聞くと、
「まだわからない。ただ最近の浮遊型の出現の仕方は明らかに不自然。こんな人為的に燃やした紙片も残ってるし」
小春さんが回収してビニール袋に入れた紙片を持ち上げながら言う。
「誰かが、わざと浮遊型を解き放っているとしか思えない」
「この五芒陣が完成するように、わざと放ったってことですか?」
「そうね。しかもこの小屋だけを外して」
「この小屋を外した意味って何なんでしょう……」
ヒカリさんも小さく言う。
「挑戦状、かな」
小春さんの言葉は短かく、花山洞リベンジの時のように「やったろうじゃないの!」というよりは、怒りを静かに抑え込んでるように聞こえた。
それから続けて、
「ちょっと不思議堂に行ってみようと思う」
と言った。
「こんな時間から?」
ちょっとびっくりしてオレはヒカリさんと顔を見合わせる
「えぇ、確かにそうなんだけど、誰かが何かをやろうとしている。そして、あまり時間がない気がするの。だからこれが何なのか、親父の意見を聞きたいのよ」
と紙片を見ながら小春さんは言った。




