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学校へ行こう

 *


 そんなこんなで福子ばあちゃんと俺の共同生活が始まった。

 田舎のばあちゃんの家にやってきて三日目の朝だった。――今日は新しい高校で始業式がある。

 七時半にスマホのアラームで目が覚めたら、天井の雨漏りのシミに死ぬほどビビった。勘弁して欲しい。怖いのだけは無理。

「……バケモンかとおもた」

 畳の上に布団を敷いて寝ているので怪我とかはしなかった。代わりに部屋の入り口の襖に頭をぶつけて穴を開けてしまう。

 そのまま頭を振りながらふらふらと居間までやってきたが、居間にもその続きにある台所にも誰もいなかった。

 この古い平屋の日本家屋は天井が低く鴨居には手が届くし、廊下以外の場所でジャンプなんてしたら簡単に頭をぶつけてしまうだろう。

 タオルや着替えを持っていくのを忘れて、洗面所と部屋を何度も往復した。この家での生活にはまだ慣れない。学校へ行く支度をしながらばあちゃんを捜して家の中を歩き回った。縁側を出たところでやっと発見した。

 朝の太陽の光が庭の農作物に反射して眩しい。

「ばあちゃん、なにしよん」

 福子ばあちゃんは、白髪を頭の後でお団子にして頭には麦わら帽子をかぶっている。俺が話しかけると地面から視線を上げた。

 俺は口の中に歯ブラシを突っ込んだまま縁側に腰を下ろす。

「はるちゃん、起きたんか?」

 こっちへ来てから福子ばあちゃんにつられて話し言葉が関西弁なまりになった。父ちゃんも時々同じ話し方をしているので馴染みがある。まぁ、でもエセ関西弁だ。

「ばあちゃん、もっとゆっくり寝てたらええのに。朝飯だって俺自分で作るし」

「老人は朝早いんよ。あんたと違うて婆ちゃんは毎日太陽出る前から起きとるよ」

 婆ちゃんはそう言いながら庭の畑で草むしりをしている。

「そんなはよ起きるんは無理や」

「じゃあ朝ごはんはばあちゃんが作るしかねーな。台所におにぎり作って置いとるよ」

 そう言って福子ばあちゃんはカラカラ笑った。

 お年寄りとの同居が初めてで福子ばあちゃんの生活リズムが全然分からない。昨日は九時には布団に入っていた。

 俺が「朝、家の中どこにもおらんで心配した」と続けると「はるちゃん学校遅刻すんで?」と急かされる。ポケットに手を突っ込んでスマホを見ると八時だった。

「やっべ、自転車ないんやった」

 俺はバタバタと洗面所に行って歯を磨き、部屋に走ってバックパックを掴んだ。玄関へ向かう途中、居間で年代物の鏡台が目に入った。ばあちゃんの嫁入り道具だそうだ。

 この家には姿見がないので鏡の前で少し屈んで身だしなみを確認する。

 明るく茶色に染めた猫っ毛は、さっき整髪料を付けたのに、もう寝癖が浮いていた。それを慌てて右手で抑えつける。学校に着く頃にはまた跳ねているかも。

 高校に通うのが残り一年なので、新しい制服の購入は免除してくれた。だから転校したのに見慣れた紺色のブレザーと臙脂のネクタイのままだった。

「クラスで一人だけ違う制服とか浮くんやろか」

 最初は制服が変わらなくてラッキーくらいに思っていたが、今になって心配になってきた。

 外見だけ見れば全然転校した感じはしない。玄関に行く途中に台所を通ると机の上には婆ちゃん特製のおにぎりがあった。周り全部が海苔でずっしりとした重さがある。俺はありがたくそれを片手に持ったまま玄関に向かった。

 多分おにぎり食べながら歩いていても誰にも会わないだろう。

 都会じゃ考えられないユルさだ。

「ばあちゃーん学校いってくるよー」

 俺が玄関で叫ぶと庭から福子ばあちゃんの声が聞こえた。何か言っていたが遅刻しそうだったので、そのままスニーカーを履いてひとまず外に出た。

「ん?」

 外に出ると低い石垣の門の横に誰か立っているのが見える。覗き込むとそこには同じ年くらいの学ラン姿の男が立っていた。

 引っ越してきてから全然近所の人に出会わなかったのに、ここにきて第一村人と遭遇してしまった。

 俺は左肩に通学用のバックパック、右手にはおにぎりを持ったままだ。おにぎり片手に挨拶するのはちょっと恥ずかしい。そう思っていたら、背中を向けていた彼がゆっくりと振り返った。

「あ……」

 思わず息を呑んだ。

 サラサラの黒髪が朝日に照らされてキラキラと輝きを放っている。彼の背景は田んぼと山だ。それなのにどこか絵になる男だった。

 失礼だけど田舎にもこんな正統派イケメンが住んでいるんだと一人で勝手に驚いていた。

 おにぎり片手に突っ立っている俺を彼はまじまじと見つめている。まぁ、おにぎり持って玄関に立っていたら誰でも見ちゃうかもしれない。

 朝、パンを咥えて走ってる人間に遭遇するなんてアニメや漫画の世界だけだ。

 うん。これは彼が失礼なんじゃなくて俺の方が悪い。

 けれどそれにしては、めっちゃ見てくる。

 まだ朝ごはんのおにぎりは一口も食べていない。

 彼の用向きが分からなくて、玄関の引き戸の前で突っ立っていたら、後ろから福子ばあちゃんがやってきた。そのイケメンは俺の後ろを見た。

「三田さん、おはようございます」

 どうやら福子ばあちゃんのお客だったらしい。

 よし、これで学校に行けると歩き出したら、玄関前の砂利に足をとられてしまった。

「うわっ!」

「危ない」

「……あっ……」

 転ぶすんでのところで目の前の彼に上体を支えられてしまう。危うくおにぎりを彼の学ランにぶつけるところだった。

「大丈夫?」

 所作がすごくジェントルマンだ。俺に話しかけてきた彼は、俺より頭半分くらい背が高い。俺のことを右手で易々と受け止めていた。

 顔を上げると、イケメンの長いまつ毛が、ゆっくりと二度瞬きする。めっちゃ王子様だ。

「あ、うん。大丈夫」

 俺は恥ずかしくなってきて慌てて彼から体を離した。後ろに立っていた福子ばあちゃんが、彼と会話を続けている。

「あぁ秋彦ちゃん、お迎えに来てくれてありがとうね」

「いえ通り道ですから。では行ってきます」

「はい、気をつけて行ってらっしゃいねぇ」

「え、え?」

「じゃあ行こうか?」

 目の前の秋彦くんは、俺のことを見ていた。

「行くって、俺?」

「うん」

 俺は「行こう」と言われた理由が分からなくて福子ばあちゃんを振り返った。

「あぁ、ごめん言うの忘れとった。昨日なぁ、はるちゃんが高校までの道分からんやろう思て、鳴神さんとこにお願いに行ったんよ。はるちゃんと同じクラスやし、朝迎えに来てくれへんかぁ、て」

「鳴神、さん?」

「山野瀬神社。小学生の頃遊びに行ったやろ? 夏のお祭りで」

 福子ばあちゃんは山の方を指差した。目の前のイケメンはその神社の家の子だそうだ。近所に同じ年の男の子がいるなんて知らなかった。

 福子ばあちゃんは孫と仲良くしてねと鳴神くんに向けて軽く会釈した。どうやら俺は福子ばあちゃんから小学生みたいな気遣いをされたらしい。

 ちょっとこそばゆい。

 確かに新しい学校でのお友達は大事だもんなぁ。ありがたいやら恥ずかしいやらで顔が赤くなる。

「えっ、えっと。ど、どうも、初めまして。三田春太郎です」

「……鳴神、秋彦です。……ハルちゃん、さん」

 俺の名前を言ったあと、ちょっとだけ間があった。なんだか難しいクイズを出されて悩んでいるみたいな表情だった。

 鳴神くんは真剣に俺の顔を見つめていた。なんか変なこと言ったかな? まだ名前しか言ってないんだけど。そう思っているうちに鳴神くんの変な顔は引っ込んだ。一体なんだったんだろう。

「えーっと俺の名前、ハルチャンサンって……」

「三田くんだと三田さんと被るので、だったら、ハルチャンサンかなって。遅刻するから急ごうか」

 鳴神くんは、そう言って石塀の前に停めていた自転車のハンドルに手をかける。

「いや、その」

 ハルチャンサンは嫌だと続ける前に背を向けられてしまう。

「遅刻しちゃうから」

「あ、うん!」

 俺は福子ばあちゃんに手を振って「行ってきます!」と言ったあと鳴神くんを小走りで追った。

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