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名前は大事

 鳴神くんは自転車を手で押しながら俺の少し前を歩いている。

「えっと、鳴神くん。もしかして結構長いこと外で待っててくれてたん? 先に学校行ってくれてよかったのに、ごめんな」

 俺がそう言うと鳴神くんは「あ」と急に立ち止まって俺の方を振り返る。

「え、なに」

 鳴神くんの急な動きに驚いて肩をびくつかせたら「その」と何か言葉を選び始めた。もしかして本当は俺の迎えなんて来たくなかったとか言われてしまうのだろうか。

 確かに高校生にもなって、近所の子のお迎えとかはなしだろう。俺だって恥ずかしかった。申し訳なく思っていたら「もし、ハルチャンサンが、嫌じゃなかったらなんだけど」と言われた。やっぱり俺の呼び方はハルチャンサンなんだ。嫌だ。絶対、あとで訂正しよう。

「ハルチャンサンとしたいことがあって」

「う、うん? したいこと?」

「いや、でもいきなりで困らせるかもしれない」

 鳴神くんは独り言を言うみたいに続けた。

「うん?」 

「本当はやっちゃダメなんだけど。……でも途中までは私道で佐竹さんって人が管理しているところだから、ほら……一応違反じゃないし、そこは安心して欲しい。近くには交番もない」

「違反? 交番?」

 校則違反とかだろうか。でもそれにしては交番とか物騒な単語が出てきた。

「俺……前から、やってみたかったんだ」

 まるで今から一緒に銀行強盗に行こうとでも言い出しそうな空気だった。行くのは高校なのに、新学期早々思い詰めた声で一体どうしたのだろう? 俺は拳をぎゅっと握る。身構えて鳴神くんの言葉を待っていると、やっと心が決まったのか鳴神くんは俺を真っ直ぐに見た。目が朝日に照らされてキラキラしている。

「ハルチャンサン」

「あっ、な、なんでしょう、か」

 鳴神くんは、そっと自転車の後ろに手を向けた。

「よければ、俺の自転車の後ろに乗りませんか?」

 鳴神くんの瞳に真剣に見つめられると体の真ん中がキュってなる。

 自転車の二人乗りに誘われただけなのに、高級車の助手席を勧められたみたいだった。まるで英国紳士にエスコートされる姫みたいな。いや、ここは日本だけど。俺は姫じゃないし。

「じ、自転車の後ろ、デスカ?」

「その方が早く着くし」

 自転車の後ろに乗る。それは二人乗りだ。

 要はニケツだ。

 道路交通法違反。違反した場合二万円以下の罰金、または過料に処せられるってアレだ。一体何を言われるのかと思ったら二人乗りか。あー怖かった。安心した。

 確かに俺がそういうルールに敏感だったら、転校初日からお互い険悪になるもんなぁ。そっか、そっか、何を言い出すかと思っていたら、二人乗り。なんだか急に面白くなってきた。噴き出したあと涙目になりながらゲラゲラ笑ってしまう。おにぎりを落とさなくてよかった。

「嫌だったら遠慮なく断って欲しい」

 鳴神くんは重ね重ねこちらの意向を尊重してくれる。けど、俺のテンションは上がっていた。

 周りには誰もいない。断る理由なんてない。むしろありがたい申し出だった。

「いいよいいよ!」

「本当に?」

「うん」

 二人の間に流れていた空気が一気に軽くなる。別に険悪だったわけじゃなく、俺が勝手に初対面の鳴神くんに緊張していただけだ。俺のお迎えが実はすげー面倒で嫌だったとかじゃなくてホントよかった。

「てか、むしろ助かる。俺と一緒に歩いてたら遅刻しちゃうもんなぁ」

 拍子抜けした俺は、促されるまま鳴神くんの自転車の後ろに横乗りした。鳴神くんは細身に見えるけどソフトマッチョとかなんだろうか? 俺が自転車の後ろに乗っても危なげなく自転車を支えていた。

「じゃあ今度こそ、行こうか」

 その言葉を合図に自転車が勢いよく滑り出す。舗装されていない道だが乗り心地は悪くない。周囲を山と川に囲まれた田んぼの畦道は、周りにビルのような高い建物がないので顔面でまともに風を受けてしまう。

 学校へ着く頃には髪はぐちゃぐちゃだろう。でも春風が心地よかった。

「それ、朝ごはん? 後ろで食べてていいよ」

「あ、食べるの忘れてた」

 俺がそう言うと鳴神くんはくすくすと優しく笑う。なんだか朝からずっと優しいお兄ちゃんに見守られている弟の気分だった。

 お言葉に甘えておにぎりを食べていると、桜吹雪に襲われて口の中に花びらが飛び込んできた。塩昆布に桜の味が加わったおにぎりになってしまった。

「鳴神くん。重くない? 俺さ、二人乗り初めて」

 本当に? と弾んだ声が前から返ってきた。

「全然、軽いよ。あと秋彦でいい」

「んーいきなり呼び捨てはなぁ、鳴神くんで、追々?」

「了解です。それで、ハルチャンサンは」

 またハルチャンサンと呼ばれておにぎりを喉に詰めそうになる。ハルチャンサンって呼ばれるのだけは嫌だ。さっき福子ばあちゃんと同じだから三田くんもないと言っていた。それなら絶対名前を呼んで欲しい。

「ハルでいいよ」

「俺だけ呼び捨てなの不公平では?」

「全然いいよ。ハルってあだ名だし」

「ハルタロウくんとかハルタロウサンはどう?」

「んーなんかそれ言い方ハムスターみたいやし」

「ハームー」

「やっぱ分かってて言ってるやん」

「バレた。じゃあ、ハル」

「うん」

 初対面だけどフレンドリーに接してくれるし、やっぱり俺も鳴神くんを名前で呼ぶ方がいいんだろうか。

 自転車の後ろでおにぎりをもぐもぐしながら考え込んでいたら、鳴神くんが後ろにチラリと視線を送ってきた。

「静かになったけど、俺がハルって呼ぶの、やっぱり嫌だった?」

「いや、そうじゃなくて、俺もさ……えーっと」

「ん?」

 イケメンの鳴神くんに見つめられると聖なる存在に見守られているみたいだ。溢れんばかりの包容力とでも言うのだろうか? 家が神社らしいし、もしかして神社に住んでいると存在が神々しくなるんだろうか。そんなとりとめのないことをつらつらと考えていた。

「何か悩んでるの?」

「えーっと、呼び方なんだけど。あーその、あ、あき、あきひこ」

「はい」

 鳴神くんの周りにピンク色の花が咲いたのかと思った。声のせいだろうか。鳴神くんの声がとろりと甘い。空気に呑まれて体の温度が勝手に上がる。友達の下の名前を呼び捨てするのは結構照れるし、落ち着かなかった。

 俺はどんなに仲が良くても、友達の名前を呼び捨てにしたことがなかった。初めての名前呼びは結構ハードルが高い。

「……いや、まって。ごめんやっぱ今のなし。えーっと、そうだ、アキ、……あき……あきちゃん、さん?」

「ッ、はい……」

「え、なんで笑うん?」

 鳴神くんの学ランの両肩は小刻みに震えていた。

「く、ふふふ、なんで疑問形なの?」

「だ、だって、なんか、恥ずかしくなってきてん」

 友達に対する気安い感じで呼びたい。でも馴れ馴れしい感じが落ち着かなくて「ちゃん」に「さん」をつけて中和した。

 もしかして、鳴神くんも俺と同じで、さっきそんなことを考えた末の「ハルチャンサン」だったのだろうか。

 今になってあの険しい表情の理由が分かった気がした。

 友達の名前の呼び方は大事だ。

 俺は別に、鳴神くんにハルって呼ばれるのは嫌じゃない。でも俺の方はもう少し時間がかかりそう。

 ばあちゃんは「はるちゃん」と呼んでるし、子供の頃、周りは皆ハルちゃん呼びだった。

 ――アキちゃん、か。

 そういう意味で、男の子をちゃん付けで呼ぶのは、どこか懐かしい感じがする。

 でも、やっぱりゆくゆくは鳴神くんと同じように「アキ」とか「アキヒコ」って呼びたい。

「もう一回呼ぶ? 練習したら慣れるかも」

 はい、どうぞと自転車の前から促されて、再び名前を呼ばされた。

「え、えぇ、あ、あき、あきひこ」

「はーい」

 小学生みたいなお利口さんのお返事が返ってきた。

 一体俺たちは朝から何をしているのだろう。

 鳴神くんの返事が聞こえたあと、すぐにうわぁあああってなった。やっぱ今のなしってまた取り消した。

「なしなの? いいのに、秋彦で」

「最初は、鳴神くんでお願いします」

「分かりました。じゃあ慣れたら、名前で呼んで」

「うん。そうする」

「――ま、でも。嫌でも親密にならざるを得ない環境とか状況ってあるよね」

 鳴神くんは突然意味の分からないことをポツリと吐き出した。

「ん、どういうこと?」

 親密にならざるを得ない環境と状況、とは。

 俺が自転車の後ろで首を傾げていると、ふふふと企み顔で笑われた。

「すぐに分かると思う。ところで、もうおにぎりは食べ終わりましたか?」

「う? うん」

 鳴神くんはなんで時々喋り方が片言になるんだろう。フレンドリーなんだけど留学生がクラスメイトに喋っているみたいな不思議な感じがする。

「あそこの角曲がったら、学校の前の道路だから一回自転車止めるよ」

「うん、分かった」

 学校の校庭の周囲にかかっている緑の網ネットが見えたところで、俺は鳴神くんの自転車からピョンと降りた。二人で並んで学校前の歩道を歩いていると、逆方向から生徒たちが数人歩いてくるのが見えた。

 当たり前だけど田舎の高校だ。しかも転校先は分校なので全校生徒合わせても百人にも満たない。昨日、学校のホームページで確認した。長い間更新されていない学校案内のページだったので、今はもう少し生徒の数が減っているのかもしれない。

 春休みの間は引っ越しや転校手続きでバタバタしていて、実は自分が通う高校のことをまだよく知らなかった。

 俺のクラスメイトは何人いるんだろう。

 友達何人できるかな。

 一人は確実にいる。今隣を歩いている鳴神くんだ。

 ――この時点では、クラスに二人しか生徒がいないなんて知るよしもなかった。

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