第33話-1 炉火
アレクサンダーは目の前の光景を信じられない思いで眺めていた。
ミハエルが腹を抱えて笑い転げている。
いつもむっつりしているのに、こんなふうに大口を開けて笑うのかと、驚くばかりだ。
ミハエルが笑うたびに、一緒に笑うかのように粗末な床が軋んでいる。
鉄鍋の中で勢いよく弾けていたポップコーンは、ほどなくして落ち着いた。
テーブルの足元に崩れ落ちてヒィヒィ笑っていたミハエルも、やっとのことで息を整えた。
「頭に、ククッ、ポップコーンがついているよ」
ミハエルが涙を拭き拭き指さして教えてくれた箇所に触ると、たしかに前髪にポップコーンが引っかかっていた。
そのまま口に放り込む。
口の中でサクッと軽快な音が鳴る。
「うまい」
香ばしく口当たりが軽く、いくらでも食べられる。
ミハエルはブハッと吹き出した。
またもや体を折り畳んで、笑いが止まらなくなったようだ。
アレクサンダーも可笑しくなって、ついに笑ってしまった。
このたびの乾燥玉蜀黍の種は、自宅の厨房で料理人に分けてもらったものだ。
新しいレシピを短期間でいくつも習得するのは、さすがに限界がある。
そのため、まずは火を通すだけで良いものを選んでミハエルの小屋に持ち込むことにした。
先日の豚の塩漬けも、あとは焼くだけというところまで全て料理人たちに仕込んでもらった。
初歩的なところから一つずつ出来ることを増やしていけば良い。
「簡単ですよ、坊ちゃん」
料理人が教えてくれることには、ポップコーンの作り方は、油を引いて火にかけるだけという。
ポップコーンは新しい大陸で古くから親しまれている食べ物なのだと教えてくれた。
この料理人は、美食で名高い彼の故郷や帝国の伝統的な食事にこだわらず、他国の料理や珍しい食材を取り入れることにも積極的だ。
彼が好奇心でポップコーンを作ってみたところ、案外イケることが分かった。
厨房で他の料理人たちににも評判が良かったので料理長に許可をもらい、先日初めてゲルステンビュッテル家のお茶の時間に登場した。
家族はこれを面白がって食べた。
アレクサンダーも気に入った。
ミハエルにも食べさせてやりたいと思った。
料理人が紙袋に乾燥玉蜀黍の種を取り分けながら、忠告する。
「ただし焦がさないように。強火にかけないよう気をつけて」
火加減を心配してくれたのはいいが、まずは蓋をしろと忠告してほしかった。
とはいえ、ミハエルが大笑いするのを見ることが出来たので料理長には感謝しよう。
床に散らばったポップコーンを掃き集めると、こんもりとした山になった。
「ほとんど床に落ちちゃったね」
ミハエルはまだ声に笑気を含んでいる。
「改善点が見えたな」
ただの強がりである。
ブリキのちりとりで白い小山をすくって暖炉に投げ捨てると、炎が大きく膨らむ。
火傷しないよう慎重にすくっては投げ入れるという作業を幾度か繰り返し、ポップコーンの残骸をすべて処分した。
無事だったポップコーンを卓上でつまむ。
ミハエルは鉄鍋の底にほんのわずかに残ったポップコーンを見ると、テーブルにおでこをもたせかけ、またクックと笑いはじめた。
文字通り山になるほど弾けたというのに、肝心の鉄鍋にはほとんどポップコーンが残っていないことがよほど滑稽に思えたらしい。
笑い過ぎて目に涙を浮かべている。
それにしてもミハエルの笑う姿は、なんと華やかなのだろう。
ポップコーンは、数口であっという間に食べ終わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
年が新しくなった。半月あった冬季休暇が明け、ギムナジウムの生徒たちが寒空の下、ぞろぞろと登校している。
アレクサンダーも運転手の送迎を断って、自力でギムナジウムまで辿りつく。
始業日には弛緩していた雰囲気も、一週間かけて厳格な生活に引き戻され、さらにもう一週間経つと完全に日常に戻っていった。
一年のうちでも最も気温の下がる季節、外は街もギムナジウムも何もかもが氷漬けのようになっている。
肺まで凍り付きそうな外気の中、子どもたちは元気だ。
アレクサンダーも休憩時間になると校庭へ他の生徒たちと、池に厚く張った氷の上でスケートをしたり、雪合戦をしたりして楽しんでいる。
ミハエルのギムナジウムでの態度は、年が明けようが相変わらずだ。
それどころか、率直に「ギムナジウムで話しかけないでほしい」と言われてしまった。
理由を尋ねると、ミハエルは若干目を泳がせながら「煩わしいからだよ」と答える。
あまり他の級友たちと馴れ合わないミハエルのことだから、やはり教室で特定の誰かとつるむのは居心地の悪さでも感じるのだろうか。
気にはなるが、真正面から尋ねるのは彼にとってあまり良いことではないのだろう。
アレクサンダーの頭に、顔をしかめるミハエルの顔がすぐさま思い浮かぶ。
ミハエルから突き放されたのかと思いきや、今までどおり小屋で一緒に過ごすのは許してくれるらしい。
むしろポップコーンの件以来、少し打ち解けるようになった。
二人でいる時に笑顔を見せる回数も増えた。アレクサンダーは嬉しく思う。
その一方で、はっきりと「帰り際も、一切声をかけないでほしい」と言われてしまった。
「煩わしいからか?」
アレクサンダーはからかうように尋ねる。
ミハエルは目を伏せたかと思うと浮かない顔で答える。
「そうだよ」
授業が終ると、二人はギムナジウムを出て通りの教会の辺りで合流した。
アレクサンダーはこの日あった出来事を他愛なく話し始めた。
ミハエルは耳を傾けてくれる。
アレクサンダーはこの時間が好きだ。
最初の頃こそ悪態をつかれたものだが、実際にミハエルと一緒にいてみると彼が大人しいことに気づく。
あまり感情を表に出さないし、彼の本質は内省的で物静かな人物なのだろうと思う。
ミハエルはふとした瞬間に、静謐な空気を漂わせる。
その静謐さは、教会で焚かれる香炉の香りを嗅ぐような、あるいは泉の冷たい水に手を浸けるような、そんな不思議な清らかさを感じさせるのだった。
ミハエルは道中に自分から話そうとはしないが、相槌は打ってくれる。
時折二言、三言返してくれる言葉からは驚くべきことに、、教室で起きた出来事をとてもよく把握していることに気づかされる。
教室では級友たちがどんなに騒いでいても振り返りもしないのに、その実、もの凄くよく周囲を観察しているのだ。
(別に教室の出来事に興味がないってわけじゃないんだな)
アレクサンダーは、ふむ、と頷いた。
ミハエルが後ろを振り返った。最近、ミハエルは自宅に着くまでの間、時折こうして後ろを振り返る。
まるで何かを警戒しているかのように。
「後ろに何かあるのか?」
アレクサンダーも振り返ってみるが、特に注視すべきものはないように思える。
「ああ、いや」
ミハエルはパッと前に向き直った。
「?」
明らかにミハエルは気がかりな何かを隠しているよう見える。が、これ以上深追いされるのは嫌がるだろう。
まあいいか、と気を取り直すように、アレクサンダーはミハエルと街路を歩いた。




